師走の不可解 | はったブログ

師走の不可解

 先週とその前の週は1週間に2回ずつ名古屋を往復した。木曜日の非常勤先と名大でのサービス授業の他に土曜日にも研究会があり、出かけたためである。新幹線を降りて地下鉄東山線に向かう通路は高島屋の1階を通り抜ける形になっている。2週間で4往復、都合8回に加えて,駅前のホテルに泊まり、そこから筏津さんの3回忌に合わせた食事会に出かけて戻る2回を加えて、合計10回通過した。時間帯でいえば10時前、午後2時頃、午後6時頃、午後7時頃と早朝9時前と時間的にも広く分布している。
 何が不可解かというと高島屋の1階通路の片側に長い行列ができている光景に出くわすことである。行列の目当てはバウム・クーヘンを買うためのものであることが、ガラスに4~5人の若者が作業する姿を見せているために容易に分かる。20~30メートルほどの行列には30分待ち、45分待ちなどのプラカードを掲げた整理役の白いダッフルコート姿の若者が数人いる。この光景を10回の通過の際に毎回見たのである。実は過去2週間だけでなく、ここ数ヶ月間はそこを通る度に見かけるのである。
 何故こんなに行列に名古屋人は並ぶのか、何故高島屋は行列を作らせるのか、そこまで並んで買うほど焼き菓子は価値があるのか、などなど私には不可解なのである。焼き菓子は東京で有名になったものらしいが、500円ほどの菓子を30分も45分も、店内ではなく吹きさらしの通路に並んでいて、通勤客を始めとする大勢の人に眺められているのが気恥ずかしくはないのだろうか。待つことの嫌いな私には不可解なのである。
 行列をして米軍から食べ物を恵んでもらった時代の写真を数多く見て来たせいか、子ども心に行列をして食べ物を得る行動は屈辱の感情を惹起させる対連合ができている。30分も40分も、それだけの時間を費やして菓子を買うほど時間にもお金にも裕福なことを見せつけることに快感があるのかも知れないが、私は馬鹿じゃないのか、他にもっとすることがないのか、思ってしまう。店側にも「売ってあげている」意識を感じて、不快感が遭遇する度にこみ上げてしまうのは私のひねくれ度が高いせいなのかも知れない。一日中プラカードを持ち案内する数人の人件費も考え、整理券でも渡して所定の時間まで他での買い物に誘導する方が経営側からも有利で、消費者にも親切なような気がするのである。販売する側の魂胆はともかく不可解なのである。
 もう一つの不可解な現象は、11月末から帰路に散見するクリスマス電飾である。屋根を覆うように大規模に電飾を張り巡らせている個人住宅がある。小規模な飾りもあるが近所では大規模なものが目立っている。外から眺めると晴れやかできれいな電飾ではあるが、それらは家の中から見えるはずがない。自分たちが電飾を楽しめる側にいないのに、なぜ一晩中電飾をつけているのだろうか。一晩中電飾は輝いているので防犯には有効性があるのかも知れないが、何のためにこのようなことをしているのかが不可解なのである。
 電飾代金プラス電気料を含めて、それだけのお金を費やして他人に裕福なことを見せつけることに快感があるのかも知れないが、私のように、エコロジーの時代に何を考えているのだろうと怒りを伴う不可解さ感じている者もいる。
 長時間を浪費して焼き菓子を買ったり,電飾を張り巡らす金銭的に余裕があるのであれば、最近急増している生活困難者への援助に回さないと、その人々の妬みが閾値を超えると真っ先に対象になるかも知れないのにと、余計な心配をしているのである。こんな記事を読むと、アンタこそ他人の楽しみにケチをつける不可解な人と言われるのかも知れないが、私には何か変だと思わないではいられない師走であります。