過去のブログの「自叙伝」には書いてきたことですが、このブログではあまり書いたことのないような僕の歴史について書いてみたいと思います。
「お金」に関する話がベースですが、とても「スピリチュアル」な話でもあります。
多重債務から高収入の貧乏生活……からの二転三転の大ドンデン返し
■火の用心
■日本人の平均月収
■月収1000万円達成
■生活費60万円の貧乏暮らし
■1億円の使途(遊びが仕事)
■ユダヤ人大富豪の教えの実践
■大金をもたらしたマントラ
■寄付をやめたら転落人生へ
■年商2000億円企業の役員時代
■MLM業界激震プロジェクト計画
■人生の教訓
■大企業の子会社からのオファー
■オコツトとの出会いと使い捨て
■火の用心
最近の記事で、与太郎神社はいつ火事になるか分からないという話をしました。
寝タバコをナメているということも書きました。
イザとなれば、これがあるから安心なのです↓
粉が出ないスプレー式の消火器です。
大掃除で出てきたので、それまで何処にあるか分かりませんでしたが(笑)
それどころか存在すら忘れていました(笑)
しかも、中身の気体(ハロゲン系消火薬剤)が抜けて空っぽになっていたので処分しました
でもこれは一家に1本くらいは置いておいた方が良いと思います。
検索するとこれが一番安かったですが、年月と共に中身の気体が抜けるので、まとめ買いはしない方がいいです↓
与太郎という名前は「愚か者」や「不良」の代名詞ですが、僕のせいで「貧乏人」の代名詞にもなりましたね(笑)
30歳~この12年間ずっと貧困生活ですが、20代の頃は年齢の割りにはリッチでした。
今は10代でも月収100万円以上の子供たちが沢山いて、数千万円とか億超えの子供もいる時代なので、あくまでも当時の話です。
それと、ホストやキャバクラなどの特殊な業種を除いた一般的な話です。
22歳~27歳までの5年間で5000万円くらいの収入がありました。
それは口座に振り込まれた金額の合計ですが、現金書留でも毎日数万円送られてきていたので、おそらく5年間の合計収入は1億円くらいあったと思います。
22歳の頃は泣かず飛ばずで、収入があっても雀の涙だったので、正確には23歳~27歳になるまでの約4年間で1億円前後稼ぎました。
平均すると月収200万円位ということになりますが、実際には波が大きくて、月収100万円くらいだったり500万円くらいだったりしました。
ちなみに、日本人の平均月収は200万円らしいです。
大半の人が低所得で、一部の大富豪によって平均の数値が底上げされているだけですが、統計上、月収が200万円以下だと平均以下ということになります。
今の僕は年収200万円以下ですが……。
【月収1000万円】というのが1つの目標でしたが、その4年間で月収1000万円を超えたのは1回だけでした。
主な収入源は「MLM」と「情報販売」でしたが、その他、二社からの非常勤役員報酬など、複数の収入源がありました。
大手有名MLMで世界記録や日本記録を出したりしていました
自分でも個人事業でMLMを運営していましたが、24歳の頃、単発的なMLMを企画しました。
それが冒頭の消火器で、日本初のスプレー式の消火器でした。
知人の会社が開発し、テレビショッピングで爆発的に売れたそうなので、これを1回きりのMLMで販売すれば月収1000万円達成できると考えたのです。
ここから暫くは具体的な数字の話なので、読み飛ばしても構いません↓
確か、定価3500円で、仕入れ値1500円でした。
1ロット1000本だったので、150万円払って商品を送ってもらいました。
当時はまだ事務所を持っていなかったので、自宅に送ってもらいました。
段ボールで何箱届いたか忘れたけど、彼女の魔鬼と同棲しているワンルームマンションで、荷物がいっぱいあるので置き場がなく、天井くらいまで段ボールを積み上げて大変な状態になりました(笑)
でも、即完売できる自信があったので我慢してもらいました。
定価3500円で仕入れ値1500円だと、1本あたりの利益は2000円なので、1000本完売しても200万円で、1000万円には程遠い。
いや、200万円から仕入れ値の150万円を差し引くと、利益は50万円です。
しかも、その中から会員(購入者)にコミッション還元しないといけないけど、財源が50万円しかなければMLMとして成り立たない……。
もちろん、そんなことは初めから分かっていたことなので、権利商材にする計画でした。
「1万円で大ヒット消火器の代理店になれる」というキャッチコピーで、登録料3000円+権利金1万円+商品代3500円+送料1000円=1口1万7500円にして、還元率50%以上の報酬プランを作りました。
で、当時はまだパソコンが普及していない時代だったので、数十人にFAXで縁故募集の案内を流して、数日で1000本完売しました。
荷造りが大変で、送り状に住所や名前を書くのも大変で、魔鬼にも手伝ってもらって、毎日何回もヤマトに集荷に来てもらっていました。
個人事業のレベルで、このような物販のMLM運営は金輪際ヤメようと思いました
で、売り上げは1750万円で、仕入れ値150万円を差し引いて1600万円。
そして、送料は何口登録でも1口につき1000円にしていたので、送料が浮いた分でも利益が出ました。
単純に送料1000円×1000口=100万円で、実際に掛かった送料は不明ですが、50万円くらいだったと仮定します。
1600万円から50万円を差し引くと、約1550万円が利益で、750万円くらいをコミッションとして払い出し、純利益は800万円超でした。
そして、その他の収入を合わせて、その月は
月収1000万円を超えたのでした
■生活費60万円の貧乏暮らし
彼女の魔鬼は祇園のクラブでずっとNo.1ホステスでしたが、僕の方が高収入でした。
しかし、家賃5万円くらいのボロアパートで、食費は2人で月5000円くらいで質素な生活をしていたけど、生活費は月60万円くらい必要でした。
19歳からMLMを始めて、20代前半で(魔鬼の名義も借りて)サラ金の借金が800万円くらいになっていたからです。
僕はバイトをやめてMLMを本業としたけど収入にならないので、魔鬼がクラブで働き始めたのでした。
で、僕が23歳くらいから頭角を現し始め、4年間で1億円くらい稼いだのですが、月60万円の生活費は全て魔鬼が出してくれていました。
僕は一攫千金タイプなので、そのうちドデカイことをして借金一括返済して、魔鬼も働かなくていいようにするという条約の上でヒモ生活をしていました。
4年間で1億円くらい稼いだお金は何に使っていたのかというと……。
フェラーリやランボルギーニを買いたいとか、高級マンションに住みたいとか、年に数回は海外旅行したいとか、当時はまだ色々な願望や欲望がありました。
でも、そのようなことには一切使わず、友達たちと飲み歩くために使っていて、毎晩のように平均3万円~5万円くらい使っていました。
どういう事かというと、友人たちの一部は僕のMLMのダウン(傘下)だったので、次々と新しい友人を連れてきました。
一般的なMLMのリクルートは、ファミレスなどに呼び出され、商品やプランの説明をされた挙げ句にクロージングなどされますが、「そんなことは絶対にするな!」というのが僕のやり方でした。
酒を飲んでバカ話をして、時には哲学的な話や謎学的な話をしたり、ナンパしてカラオケに行ったり、要するに普通に楽しく遊んでいただけです。
僕からビジネスの話をすることはありませんでした。
「仕事は何してるんすか?」と聞かれたら「無職」と答え、「何でそんなにリッチなんですか?」と聞かれたら「毎晩こうやって飲み歩いて皆に奢ってるから」と答えていました。
そうすると質問攻めされるので、「MLMの権利収入で生活している」と答えていました。
みんなMLMに対してネガティブなイメージを強く持っていて、「周りで儲かってる奴を見たことがない」とか「友達失くすイメージしかない」という人が多かったです。
それに対して、「MLMで稼げるのは一部の人間だけだから当然だ。成功するためには誰と組むかが重要だ。友達を失くすのはやり方が悪いからだ」と答えていました。
その上で、「今日お前をここに連れてきたコイツはMLMで月5万円くらい稼いでおるのだぞ。でも勧誘されたことあるか?お前を俺に会わせたのがコイツの仕事で、コイツも俺もお前にMLMを勧誘することもない。それでも友達失くすか?コイツと友達やめるか?」という質問をすると、誰も否定しませんでした。
で、「俺らは仲間を増やして毎晩宴会してナンパとかして楽しむことが仕事やから、俺らと一緒に仕事(タダで飲み歩きやナンパ)したいと思ったら自分から言ってこい」と言うと、殆どが参加していました。
『ユダヤ人大富豪の教え』の著者・本田健氏によると、「石油王ロックフェラーは貧しい頃から積極的に寄付活動をしていた」そうです。
また、熱海断食道場の会報誌に次のように書かれていました。
「古代ユダヤ人は収入の1/10を神殿に納めていたから栄華を誇ったのである」
でもよく考えると、栄華を誇ったのはソロモン王だけで、民は重税に喘いで苦しんでいたのである(笑)
それはともかく、僕がリスペクトする鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(ユダヤ財閥)は、「私財を残して死ぬのは不名誉である」と言い、多大な社会貢献をしました。
サイババとは正反対ですね(笑)
その影響を受けていたのもありますが、とにかく何らかの形で社会貢献は必要だと思っていたので、収入の20%をUNHCR(国連難民募金)に寄付していた時期もありました。
しかし、その事務所の家賃が月1000万円で、「海外視察」という名目で家族で世界各地を旅行したり、集めたお金の殆どが難民に届いていないという実態を知って、そのような募金をするのをやめました
今はギリギリの生活なので、神社の賽銭箱やコンビニの募金箱に小銭を入れる程度で、むしろ読者の方々から寄付されている立場ですが……
ホームレスに話しかけてインタビューして1000円を渡すのも日常的でした。
その他の一例では、大阪でナンパした女の子が援交の相手と待ち合わせ中と言うので、値段を聞くと8万円と言うので、「8万円あげるからそんなことするな」と言いました。
でも、持ち合わせがなかったので、一緒に電車で京都に連れて帰って、駅で待たせてキャッシュカードを取りに帰って8万円を下ろして渡しました。
「そんないい人いるわけがない」と逆に警戒されたけど、僕のタイプの子だったので援交してほしくなかっただけです。
もちろん友達にはなったけど、17歳で2歳の子供がいるシンママだと言ってました
寄付や人助けに収入の一部を使い、残りの収入をみんなに奢って使い切っていました。
「金は天下の回りものだ。高収入の秘訣は循環と還元だ」とみんなに説いていたので、手持ち資金がなくなることもありました。
また、ある時は、ウマい投資話に乗って、全財産300万円を投資したら、その1週間後に会社が破産して300万円損したり……。
その時、手元に残った小銭を神社の賽銭箱に入れたので、例え話ではなく本当に1円もなくなりました。
自慢ではないですが、4年で1億円稼いだ期間に、1円も持っていなかったことは何度もありました。
でも、翌日には数万円とか翌週に数十万円が入ってくるので問題はなかったのですが、月収100万円以下が続いてリッチに遊べない日々が続いたことがありました。
そんなある日、ビジネス関係の知人が「大金が入るマント」を教えてくれました。
そのマントラは23歳くらいから唱えていたものでした。
七田式の右脳開発の本に載っていた「虚空像菩薩真言」です。
ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ
空海はこれを100万回唱えたとき、明けの明星(天津甕星)が口の中に飛び込んできて、超記憶力を獲得したそうです。
僕も23歳の頃から1日に何十回か何百回か唱えていましたが、大金が入るということなので、試しにずっと唱え続けてみました。
家では声に出して、外では心の中で唱え続け、夢の中でも唱えていたほど、ひたすら唱え続けました。
もちろんそれも1ヶ月くらいで使いましたが……。
UNHCRへの寄付を止めたのが26歳の後半でしたが、それからみるみるうちに収入が激減し、ついには月収10万円くらいまで落ちました。
虚空像菩薩真言を唱える回数も激減していました。
しかも、ちょうどその頃、魔鬼が出て行って家賃が払えなくなりました。
さらに、ちょうどその頃、部屋の中にホルマリンのような、死体を連想させる異臭事件が発生しました。
家賃滞納していて大家には連絡しづらいので警察に連絡しました。
目や鼻の穴からウジ虫がいっぱい出て来ていて、スプーンですくってもすくっても、いくらでも出て来たそうです。
で、友人に夜逃げを手伝ってもらって、事務所に引っ越しました。
事務所は知人が無償で貸してくれていたマンションで、家賃は要りませんでした。
その知人はイ●ン(旧ジ●スコ)の元顧問で、カタログ通販の千●会の社長秘書をしていたN氏という爺さんです。
僕がMLMのプロだったので、流通に関してコンサルをよく依頼されていて、僕に対して全幅の信頼を置いてくれていました。
僕は金髪で誰と会うときでも私服でしたが、それでも色んな会社の社長を紹介してくれていました。
N氏は昔、会社名と資本金は忘れたけど、100億を超える資本金で年商2000億円の大企業の社長をしていました。
そして、僕が監査役として登記されましたが、その数ヶ月に名古屋に移住することになり、僕の携帯が3ヶ月ほど止まったことが原因で自然消滅しました^_^;
結局、その会社で何もしてないし、当然ながら給料も貰ってませんが、事実上、僕は27歳の時に大企業の役員だったのです(笑)
話を少し戻して、月収10万円を切って、いよいよヤバい状況になってきたので、新たなMLMを企画しました。
僕はそれまでにも、従来にない斬新なボーナスプランを作って、それをマネし始める会社が増えて、全国的に普及したりしていました。
例えば、これを読んでいる人の中にネットワーカーがいたら分かると思いますが、
「ウイングバイナリー」を考案したのは実は僕です
で、その頃に新たに考案したのが、MLM業界初の「投資MLM」です。
投資(資産運用)を商品としたMLMは、それまではありそうでなかったのです。
(特定商取引法の連鎖販売に関する法律で、物品と権利と役務が商品として認められているので、投資による運用で配当を出すのは役務に該当するので合法です。)
ニュースキンの最高タイトルのN氏とも懇意にしていて、M氏が投資会社を経営していたので、それを利用する計画を立てました。
報酬プランも斬新きわまりない最強のスーパープランを構築し、これで一瞬で人生大逆転して天下を取れる確信がありました。
で、リーダークラスのネットワーカー数人に企画内容を話して、立ち上げの協力依頼をしました。
それから1ヶ月後くらいに、知り合いからMLMの立ち上げの話が入ってきました。
ある程度のコミッションになると、コミッションから相殺されて第2ステージに自動的に再登録され、新たな組織が自動構築されるという玉飛びシステム!
この斬新なシステムをパクられたので、まずはビジネス特許申請しておくべきでした。
しかも、運用先が海外のオフショアバンクという胡散臭いストーリーで、会社所在地も電話番号も非公開という怪しさ(笑)
僕にその話を持ち掛けてきた人がトップリーダーだったので主催者の名前を聞くと、「与太郎さんも知ってる人だけど名前は出せません」とのことでした。
やっぱり、というか、100%僕の企画のパクリで、しかも詐欺丸出しな内容……。
「キングスレー」という会社です。
ビジネスを発足できる準備が出来るまでは、早まって人に企画内容を話すものではないと反省しました。
ずっと謎でしたが、後に判明しました。
京都人ではないですが、U氏という人物で、僕にラテコ銀行の口座を作ってくれた人でした。
ラテコ銀行って、どこの国だっけ
確か、成長率の高い銀行で将来性があり、年利が7~8%という話でした。
1億円預けたら毎年700万円~800万円の利息なので、それだけで十分豊かな生活ができます。
今は預けるようなお金もないし、暗証番号も忘れたので使い物にならないけど
確かにU氏は、各国の銀行やオフショアバンクにコネを持っていたので、キングスレーもまんざらデタラメではないかもしれないけど、ネットで評判を見る限りは完全に詐欺扱いされています。
で、キングスレーは週給制で、そのトップリーダーは1週間目から1000万円以上のコミッションが入ってきたそうです。
悔しいので、そんなビジネスには乗りませんでしたが……。
その後の噂では、キングスレーは5年間で数千億円を集めたそうです
首謀者の正体のヒントは上記で明かした通りですが、国際弁護士集団を雇って無理やり合法化したそうです(OZとは全く関係のない連中です)。
その頃、名古屋の大手ドラッグストアーの子会社のR社が、さらにその子会社でMLM企業を作りたいとのことで、僕に社長になってくれと頼まれました。
金髪でもいいのか確認すると、「与太郎さんは表に出なくていい」と言われました。
まずは、その会社の事業部としてスタートし、僕は京都在住の事業部長になりました。
これで安泰だと思ったけど、その頃の月収は2万円くらいになっていて、ついには事務所の電話も携帯も止まってしまいました。
やがて、食事するお金持も煙草を買うお金もなくなり、拾い煙草を集めて吸っていました。
ついには、うまい棒も買えなくなり、無期限の断食生活に入りました。
昔から断食を繰り返してきて、最長10日の断食をしたこともあったけど、この時は約20日間の断食を余儀なくされました。
1週間くらいの断食には慣れていたけど、10日過ぎた頃から強烈な飢餓感に襲われて、ひたすら瞑想する生活に入りました。
朝は太陽瞑想やスワイショウなどの日課のために、1日1時間くらいは起きていました。
断食をすると睡眠時間は3時間くらいになるので、それ以外の時間(約20時間)は、ずっとアルファシータを聴きながら瞑想していました。
そして、約20日間の断食瞑想で「天人合一」を体験しました。
その話は長くなるので改めますが、その至高体験をした日、連絡が取れない僕を心配して知り合いが訪ねてきました。
事情を説明すると、「今度、米持ってきてあげる」と言われました。
今度の米より、500円でいいから今くれよ
で、閃きに従って、銀行に通帳記入しに行くと、知らない人から5万円が振り込まれていました
とりあえず携帯代を払って名古屋の会社に連絡すると、「携帯止まる前に何で連絡して来ないんですか?名古屋に引っ越してきてください」と言われ、名古屋に移住することになったのです。
それが2005年3月(27歳の時)でした。
名古屋に引っ越すと、「黒髪にして明日から毎日出勤してください」と言われました
後戻り出来ないので、やむを得ずそうしました。
僕が社長になるという話だったのに、スタッフとして使われていました。
僕のMLMノウハウを全て伝授して、僕自身もそれなりに過去のMLM人脈を入会させていて、会社はアッという間に月商5000万円くらいになりました。
また、僕は会員としても会社直で会員登録していました。
しかし、コミッションが振り込まれないので質問すると、「与太郎君はもう完全に会社側の人間だから会員としてのコミッションは発生しないよ」と言われました。
そんなバカな話あるかい
勤務して1ヶ月後の給料日、何故か給料が貰えませんでした。
その頃、過去のMLMの権利収入は月収5000円を切っていました
組織が崩壊するときは一瞬です
給料が貰えなかったのは、入社日のタイミングの関係かな?と思って、特に聞きませんでした。
金額は忘れたけど、そこそこの高給で、役員報酬も数百万円だと聞かされていました。
しかし、2ヶ月目の給料日も支給されなくて、社長から話を切り出されました。
「もう来なくていいよ。
正式な雇用契約もしてないから給料も出ないよ」
それが2005年4月下旬でした。
わざわざ名古屋に移住して、僕の成功ノウハウを全て伝授して、組織構築と売り上げに貢献して、会社が右肩上がりに成長してきた途端、僕は用済みとして捨てられたのでした
しかも、2ヶ月タダ働き
最初からそういう目的だったのでしょう
その時の僕は幽界から解脱していたので、全く腹は立たなかったけど、もしその1年前の僕だったら社長を半殺しにして恐喝していたことでしょう
しかし、俺は一体、何のために名古屋に来たのだ……。
その会社でパソコンの使い方を教わって、パソコンが使えるようになったことくらいです。
それよりも、その社長から『2013 : 人類が神を見る日』を貰ってオコツトを知ったことは、何十億円の収入にも変えがたい大きな収穫でした。
しかし、この本を持っていたような人が、恩人に対してあんな薄情な仕打ちを平気で出来るとは信じられません。
でも、それも僕の投影なので、ご免なさい、許してください、愛してます、有り難う御座います、感謝します、祝福します、洗心、洗心、洗心、洗心・・・×666
それにしても、クリピカの原価はどう考えても1000円以下ですが、どれだけ凄い効果があったとしても、88万円はいくら何でもやりすぎだと思います。
それも僕の投影なので、ご免なさい、許してください、愛してます、有り難う御座います、感謝します、祝福します、洗心、洗心、洗心、洗心・・・×666
次回の記事は4/28(水)7:00に更新されます。
■次回以降の記事タイトル予告(予定)
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■40歳過ぎても身長が伸びた方法
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