作家・土居豊の批評 その他の文章 -277ページ目

オペラ

その現場を初めて見物させてもらった。芝居の現場はみたことがある。しかし、オペラのそれは、やはり音楽の流れが優先していた。ダメだしは、演出家がステージを飛び跳ねるようにしてキャスト一人一人につけていく。その間、指揮者は一心にスコアを確認している。たとえ、いくら演出が歌手に演技させても、それが歌と一体化しなければ、ぎこちない動きでしかない。もちろん、演出と音楽は相互補完している。しかし、あくまで最後は音楽がそのステージを確定してしまうのだ。オペラのマエストロ、その呼び名は伊達ではない。モーツアルトの「コシ」であって、ダ・ポンテの、ではない所以はそこにある。
6月13日

銀座にて

このところ、ずっと東京にいるが、銀座にいると、やはり世界中の富の集中する中心地の一つにいるのだと実感する。秋葉原は今、流行の先端かもしれないが、それは、電脳世界の中心ではあっても、実際には、商売繁盛している市場の一つでしかないように見える。そこには、欲望と商魂が渦巻いている。話題のメイド喫茶に足を運んでみたが、まさしく消費文化の爛熟の象徴といえよう。けれど、そこに集まる男たちは、メイドたちを召使として扱うのではなく、まるで女王さまのようにチヤホヤしている。メイドが女王さま扱い、という究極の倒錯が、そこにあるようにみえた。
銀座では、もう少し成熟した文化が、少なくとも100年受け継がれてきているように思える。たまには爛熟もいいが、落ち着いた大人の楽しみというものも、大切なのだ。
そんなことを、えらそうに書きながら、メイド服のロングスカートとミニスカートの違いやら、猫耳のことやら、話を聞いているだけで面白かったのは事実である。
6月8日

書評

どのようなご縁か、日刊ゲンダイの書評で、私の小説『トリオ・ソナタ』が取り上げられている。webのブックレビューコーナーで検索したら出てきた。なんだか、別の人が書いた小説みたいに思えて、なるほど、こういう紹介の仕方もあるか、と感心してしまった。
昨今、本、特に小説は、大手の書評に取り上げられるかどうかで、売れ行きが決まる。それどころか、書店の棚に並ぶかどうかもそれに大きく左右される。大阪市内の某書店など、露骨にそんな並べ方をする。毎週日曜日に新聞各紙の書評欄をコピーして、書棚に張り出し、そこに紹介されている本を並べている。
別に悪いことではないが、大手書店がみなこんなやり方をすると、新聞書評が選ばない本は、本屋に並ばなくなってしまい、どこの本屋でも同じように話題の本ばかりある、ということになりかねない。いや、すでにそうなってきている。
そんなわけで、本屋ももっとちゃんと本を選んで売ってほしい。しかし、自分も売り手である悲しさ。つい、はやく大手の新聞書評で取り上げられたい、と切望してしまうのである。
だから、日刊ゲンダイが私の本を選んでくれたのがまことにうれしいのである。
6月5日

友人のロンドン便りを読んで

わが友はどうやらロンドンで無事に生活を始めたらしい。ブログを読むと、まるで明治時代の留学生も
かくやという感じのどたばたぶりだが、異国の地で、たった一人で生活をするというのは、たとえ国際化の時代であっても、大変なのだ。まぁ、考えてみたら、イギリス人がいきなり大阪か東京にやってきて、さて生活しようなんて、もっと大変かも。
それにしても、ロンドンはよい街だった。住むにはどうだか知らないが、遊びにいくには、もってこいのところだ。季節がよければ、一日外をぶらぶら散歩したり、公園でのんびりしていてもあきない。夜はどこかでかならず、世界レベルの舞台芸術を楽しめる。美術館や博物館に行こうものなら、じっくり見てたら、一ヶ月かかってしまいそうな室と量だ。食べ物も世界中のものがある。ちゃんと回転寿司まであるのだ。
ただ、物価は高いから、楽しむにはそれなりのお金が必要。そのへんは、東京と同じことだ。
それにひきかえ、大阪は、このところ、あまり自慢できないことが多い。文化芸術もますます地盤沈下しつつあるし、散歩しようにも、気候は熱帯なみに蒸し暑く、気分よく戸外で過ごせる時期が年々減っていっているような気がする。物価も安いとはいえなくなってきたし、治安も悪い。自慢できるのは食べ物ぐらいか。どうする、大阪人?

尼崎その2

この地名をみて、どうしてもあの事故を連想せざるをえないのは、人情というものだろう。しかし、そこに住む人にとっては、複雑な思いがあるに違いない。というのも、かつて、池田市の大阪教育大付属小学校での忌まわしい事件の際、似たような経験をした覚えがあるからだ。
当時、私は池田市内に勤務していた。あの事件以来、世界中の人たちが、池田という地名から、幼い子供たちの無残な死を連想するようになった。大げさではない。とあるインド料理店で、インド人のシェフとそのことをおしゃべりしていて、インドなら親は子供を殺されたら必ず復讐する、という話を聞かされたりした。
池田であれ、尼崎であれ、神戸、阪神間、淡路、これらの地名が、人々に事故や大災害の悲しみのイメージばかり連想させるとしたら、それは被害に合われた方々にとっても、本意ではあるまい。不幸の記憶は、忘れられてはならないが、人々の死を、悲しみを語り継ぎつつも、魂を癒す何事かが必要なのである。
その意味で、先日、尼崎のアルカイックホールで行われた尼崎市吹奏楽団の演奏会では、心からの祈りが行われた。コンサートの冒頭、薄暗くしたままのステージに並んだ楽員と指揮者は、静かにしめやかに、バッハのG線上のアリアを演奏した。欧米での追悼の習慣にならったものだが、市民バンドがごく自然にこういう追悼を行うあたりに、この土地の成熟した市民文化を感じ取ることができた。音楽による鎮魂は、宗教の違いを超えて、人々の魂を鎮める力を持つと信じたい。
5月30日

自転車と飛行機

このところ、自転車で出かけることが多い。住んでいるところから、取材先まで自転車でおよそ20分。下町をゆっくり流していると、町の別の顔が見えてくる。意外なところに大きなマンションがあって、たくさんの子供が小学校に向かって歩いていたり。人気のない不思議なだだっぴろい原っぱに変な柱が立ち並んでいて、何かなと思っていると、その真上をジャンボ機が空港へ降りていったので、着陸のための標識だとわかったり。
この町に住んで6年、ずっと電車の路線を中心に動いてきた。しかし、生まれ育った町では、まず物心ついてからは徒歩で、それから自転車の目線で、町を把握してきたのだ。だから、生まれた町に久しぶりに帰っても、まず鼻や肌がそこの空気をたちまち思い出す。
ところで、今、自転車で流している町は、すぐ近くに大きな空港があって、一日中ジャンボ機が頭上すれすれを下りてくる、そんな土地だ。この町に生まれ育った息子は、おそらく、故郷を鼻や肌の感触よりも、耳を聾するジェット機の轟音で記憶するだろう。そんな息子が不憫ではあるが、回らない舌で「ゴウゴウ、ゴウゴウ」とジャンボ機を見上げて手を振っていた姿を思い、これもまた、この子のかけがえのない記憶なのだと、そう考える。
5月28日

尼崎

尼崎と聞けば、全国の人たちが、いやひょっとすると外国の人までが、あの事故を連想し、さてはまた、なにか新しいネタか、と注目しそうな気配がする。そういうのは、ほんとうに悲しいことである。もちろん、被害に合われた方々には、謹んでお悔やみを申し上げます。しかし、今日は違う話題にしたい。
久しぶりに阪神尼崎のアルカイックホールにオペラを観に行った。その昔、ここでアイーダのエキストラで出演したことがあったのだが、駅前に巨大なマンションとテナントビルが出来ていて、全く違う駅に降りた気がした。駅からホールまで、前はとぼとぼと川沿いに歩いて歩道橋を渡ったものだが、今流行の駅直結施設で、どこまでも広い空中歩道が続いていく。どこまで行くのかと思ったら、とうとうホールまでつながっていた。
別に文句をいう筋合いはない。ホールそのものは、若干古びたが、やはり長年関西のオペラ上演を支えてきた風格があったし、オペラそのものも、かつての印象より数倍グレードアップしていた。
目立たないが、阪神間には明治以来の文化的蓄積がしっかりと保持されていて、洋楽(ポップスではない)の伝統は、東京に負けはしないのだ。そのことを関西人はもっと自覚して、東京発ではなく、直接世界に発信していけばいいのだ。
そうはいっても、オペラの世界では、東京の存在は圧倒的で、いくら阪神間が焦っても、絶対数ではかないっこない。しかし、数は少なくても、最高級のグレードをめざせばよいではないか。
5月22日

電車の走らない線路

JR宝塚線は、いまだ不通のままで、その線路の横を車で走ると、駅に回送電車がポツンと停まっている。線路は気のせいか、少しひんやりして見える。
幼いころ、阪急沿線に住んでいて、よくストライキがあった。その日はもちろん、電車は走らない。友達と誘い合って、線路に侵入し、いつもは触れない鉄のレールの感触に心踊らせた。
駅のそばで、線路を歩いたり石を拾ったりして遊んでいたら、遠くのほうに、ぼんやりと列車の姿が浮かび上がってきた。どうやらストライキは終わったらしい。急いで駅に戻って、電車がやってくるのを待った。そんなことを思い出していると、もはや帰らないのどかな日々が、とてもいとおしい。
JRがまだ国鉄だったころ、なにかのイベントで、東海道線にSLを走らせたことがあった。沿線に大勢の人が集まって見物していた。自分がSLを見たそのすぐあとに、隣町の駅で、子供が線路に入って、SLを見ようと近づきすぎて、轢かれて死んだ。
よくも悪くも、線路は子供の遊び場だった。
5月19日

作家であること

それにしても、世間には数限りない作家たちが生息しているというのに、町を歩いていても、たとえすれちがってもそれとはわからない。今日は髪を切りに行き、新顔の美容師のあんちゃんとしゃべった。私が作家だというと、「ぼくも、昔は漫画とか描きました」ときた。
まあ、作家も漫画家も、今のあんちゃんたちには同じかな。別に区別する必要はないが。しかし、よく、漫画家の方々は、自分を卑下なさって、サブカルチャーとあえておっしゃるが、昨今、世界に通用する日本文化の代表は、マンガではないか。私は全くのマンガアニメ世代なので、漫画家がうらやましい。
小説の存在意義は、世間では下落の一途だ。しかし、ここで声を大にして言う。「のだめカンタービレ」を読むより、私の「トリオ・ソナタ」を読め!
などと息巻いているふりをして、作者は「のだめ」最新刊をさっそく読んで、また一巻から読み返しているのだから、いいかげんなものである。
5月15日

ロンドン

今日、私の親しい友がロンドンに旅立った。その昔、漱石が住んだ街。敬愛する作家、アーサー・ランサムがボヘミアン生活を堪能した街。
前に行ったときは、真夏で、かなり暑かったのだが、めずらしく雨が少なく、散策には好都合だった。
以来、この街にしばらく住んでみたいと思っている。できれば冬、オペラやコンサート、ミュージカルを毎日楽しめるシーズンがいい。
けれど、ロンドンの冬は寒く、陰鬱で、漱石がノイローゼになるのもわかる気がする。だからこそ、劇場が発展したのだろう。
夏のロンドンも、しかし捨てがたい。毎日公演を散歩して、夜はプロムスの音楽会に行く。飽きてきたら、ちょっと電車に飛び乗って、一週間ほど湖水地方へ。
そんな生活を送れたらよいのだが。
それにしても、わが友は、ちゃんと英語を話せるようになったのだろうか。
5月13日