作家・土居豊の批評 その他の文章 -276ページ目

大フィルの10年

たまりにたまったビデオを整理していて、つい懐かしい録画を見はじめてしまう。その日は、もう片付けはそっちのけである。そんな中に、朝比奈隆の指揮した大阪フィルのブラームス・チクルスがあった。1995年、阪神大震災の年である。
見ているうち、最近特に違和感を覚えていたことについて、合点がいった。
大阪フィルは、知る人ぞ知る、朝比奈隆とともに生まれ育ってきた楽団である。私が高校生の頃、初めてクラシックの魅力にはまり、せっせと足を運んだのは、フェスティバルホールでの大フィル定期演奏会だった。高校生優待券を音楽の先生にもらって、ステージのきわの最前列席で、朝比奈さんのうなり声を聞きつつ、演奏に耳を傾けたものだ。
最近、朝比奈隆亡きあとの大フィルを後継した大植英次の演奏を、周囲の絶賛に素直にうなづけないまま、何回か聴いてきた。何か、違うのだ。どうも納得いかない。
そんな疑問は、10年前の大フィルのブラームスの映像を見て、ようやく氷解した。
10年前のオーケストラは、朝比奈隆の厳しいタクトの元、一心不乱に、実に真剣な、恐いくらいの張り詰めた表情で弾いていた。朝比奈さんの表情も、それはそれは厳しいものだった。そういえば、そうだった。まだこの頃までは、オーケストラはどこの団体でも、指揮者の導くままに、極めて統制のとれた演奏を心がけていたのだ。
近年のオーケストラ演奏は、むしろ奏者の自発性を重視しているように見受けられる。指揮者のやり方も、自分がリードするというのではなく、一緒に音楽を作っていこう、というやり方が主流のようである。だから、指揮者はよく笑顔を見せる。奏者と意識的に顔を合わせて、うなづきあっているようにさえ見える。
音楽作りのやり方が、10年の間に大きく変わったのだ。
それが他のオーケストラなら、そんなに違和感はなかっただろう。しかし、自分が多感な10代に、通いつめて食い入るように見つめたオケだから、やり方が変わったことにとまどっていたのだ。これはもう、あの大フィルではないのだ。そう気づいて、ようやく、あたらしい大フィルの演奏を改めて聴いてみようという気になった。
そんなわけで、感慨にふけるうち、またまた整理は後日、となってしまった。
7月16日

音楽のおもしろさ

今話題の指揮者の演奏会。
会場は、普通のクラシック好きよりも、その人のファンが多いような雰囲気。何しろ、プログラムに、「曲間の拍手はご遠慮ください」などと注意書きしてある。前に拍手攻撃で困ったからだろう。
曲目は、ブラームスのヴァイオリンコンチェルトと交響曲第1番。オーケストラは関西では定評のある団体。ソリストには、世界的なヴァイオリニスト。これでこけたら、よっぽどだ。
ところが、そこが音楽の難しさ、みごとにこけたのだ。
もちろん、会場を埋めたファンは、盛大な拍手で、アンコールもちゃんとやった。
しかし、曲が終わったあとの、指揮者の硬い表情と、コンサートマスターとの形だけの握手が、全てを物語る。普通、この曲で、演奏がうまくいったら、ソロをとった奏者を立たせたりするが、それも一切なかった。
別に、それで何ら構わない。音楽は一回一回が勝負の、瞬間芸術で、失敗もある。それだからこそ、わざわざこのテクノロジー全盛の時代に、アナクロなコンサートなどという催しに人が集まるのだ。CDを聴くのとは、根本的に異なる、ただ一度の体験を求めているのだ。
だから、失敗したらしたで、それでよいだろう。次はどうなるか、ますます楽しみだから。
ファンがあんまりかばうものではないと思う。そんなことをしていると、その音楽家は、いつしか人気にスポイルされてしまい、伸びなくなるかもしれない。辛口の評価も、ファンとしては必要なのではなかろうか。
書きながら、これは何だか自分に言いきかせているような気になってきた。小説だって同じことだ。
7月14日

戦争するなら

息子と近所の公園で遊んでいた。
もし、相手がテロリストであれ、どこかの国であれ、戦争するとしたら、息子はやはり兵隊にとられるだろうか。もしそうなったら、それがどんな戦争であれ、絶対勝ってほしい。負けること、すなわち息子を失うことだとしたら。
もし自分が兵隊にとられても、同じだろう。負けたくない。負けることとは、愛する家族や土地、故郷を失うことだとわかっていたら。
それが、どこの国の人も同じように、ごく自然に抱く思いではなかろうか。全てを失っても構わないから、平和でさえあってくれればいい、と断言できる人は少ないだろう。負けて訪れる平和が、すなわち息子を失うことなのだとしたら。
もちろん、勝って平和になるにこしたことはない。もっといいのは、戦わずして平和でありつづけることだ。
7月11日

これは戦争か?

引き続き、ロンドンのテロのことを。
新聞の論調は、ほぼ予想通りだった。しかし、常識的にテロを非難しつつも、気になる両極端の意見が目についた。
かたや、ますます対テロ戦の結束を! かたや、テロの原因をなくすように、という二つである。
どちらの意見も、日本がその気になれば責務を担えるということを、本当にわかったうえで、覚悟して書いているとは思えなかった。
対テロ戦に参加しているというなら、自衛隊の人道支援からさらに踏み込んで、アフガンでのアルカイダ掃討作戦への参加など、はたしてやる気はあるのか。
テロの原因をなくせ、というなら、貧しい国々に更なる無償援助をし、移民をどんどん受け入れて平等に職を与える、というようなことを、本当にやるつもりなのか。
日本が、先進国でありながら、宗教的、人種的、地政学的、歴史的に、良くも悪くも辺境の国だったがために、かろうじて直接のテロ攻撃の対象になりにくい、ということを、素直に感謝するべきではなかろうか。東京の地下鉄やバスでいつ爆弾が爆発してもおかしくはない。いや、すでに爆弾どころか、サリンがまかれたではないか。それでも、近隣の国にはいざしらず、アルカイダにとっては、日本は遠い国なのだと思いたい。
7月8日 

ロンドンのテロ

友人が滞在中のロンドンでテロとのニュース。あわてて安否確認のメールを送ろうとしたら、あちらから先に連絡ありで、一安心。
しかしながら、あらためて、「テロとの戦い」は依然続行されてるのだと実感した。日本にいると、どうしても、日々の平穏な暮らしに、今が「戦時」だなどとはとうてい思えない。
実際、日本人も、日本政府も、戦時下にあるなどとは思っていないだろう。
こういうとき、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』にでてきた羊男のせりふが頭をよぎる。「じゃあ、まだ次の戦争は始まっていないんだね?」
いや、とっくに始まっているのかもしれない。そんなことを、よく発言する人もいた。しかし、どうだろう?戦争は、まだ始まっていない。今ならまだ間に合う。そう考えるのは、甘いのだろうか?
7月7日 七夕の夜 おそらく世界平和を祈る短冊も笹に結び付けられたであろう日に。

音楽体験ということ

同じ日に、二つの全く正反対の音楽体験をした。
まず午後、家族を連れて、ある親子体験コンサートに出かけた。シンフォニーホールでドイツのオーケストラとウィーンのソリストたちが演奏するのを、お母さんたちのボランティアが、赤ん坊連れまでも聴けるように企画したコンサートだった。
しかし、「子供たちに本物の音楽を」という理想とは裏腹に、この企画は無残な失敗だったと思う。私自身、息子に本場のオーケストラを聴かせるいいチャンスと考えて出かけたのだが、やはり、幼い息子にはコンサートでベートーヴェンを静かに聴くのは酷だった。途中で、もう無理だと感じて、退場したが、気の毒だったのは隣にいた母子で、お母さんが2、3歳の娘をそれこそ演奏中休みなく叱り続けていた。
このような企画には、細心の心配りと、演奏者の覚悟と、コンサートの組み立て方の工夫が不可欠なのだ。ただ普通に解説入りでベートーヴェンをやって、大勢の子供や乳幼児がおとなしく聴くというのは幻想だ。音楽体験には、それなりのお膳立てというものが必要だし、また、無理に子供に強要してはかえって音楽嫌いを育てることになる。
さて、その日の夕方、さるオペラハウスに駆けつけて、モーツアルトのオペラを観た。
この日が初日で、折からの大雨。集まった聴衆はどうやら専門家やオペラ通が多かったらしく、舞台が進むにつれて、厳しい反応がありありと伝わっていた。休憩時間のロビーで、年配のオペラファンたちが、手厳しい批評を語り合っていた。
オペラは、その構成要素があまりにも膨大なため、いくら歌手ががんばっても、指揮者がしゃかりきになっても、演出家が周到に準備しても、幕が開くまではどうなるかわからない。その公演は、気鋭の指揮者と演出家、実力派歌手がそろった舞台だった。それでなお、うまくいかないこともあるのだ。音楽の難しさを思い知らされた一夜だった。
ところが、同じ公演の2日目、今度はまさしく起死回生の恐るべき名演、すばらしく高揚した舞台となった。全く、音楽は、特にオペラはこれだからやめられない。すぐれた音楽体験というものは、そう易々とみんながいつでも入手できるものではない。だからこそ、人生を変えるほどの感動が得られるのだ。音楽を甘くみて、簡単に考えてはいけない。おそらく、その子供が幼いころ、すばらしい音楽体験に巡り合うこともあるかもしれない。しかし、年老いてから、ふとそういう無二の音楽に遭遇するかもしれない。こればかりは、その子にとっての恩寵とでも考えるしかない。
7月3日

オペラの現場

ここ数日、カレッジ・オペラハウスの舞台裏を取材していた。
オペラはバブル以来、すっかり日本人の夜の楽しみに加えられたはずだが、現場を見ていると、その楽しさは、見ている側よりやってる人たちが何倍も多く享受しているようだった。ほんとうに嬉々として、大の大人たちが夜遅くまでそれぞれの持ち場に取り組んでいる。それこそ、寝食を忘れて。
その楽しさは、様々な異業種のコラボレーションにある。いわゆる総合芸術、という呼び名は伊達ではない。
もちろん、音楽がオペラの核なのだが、観客にとっては、歌手たちの達者な演技、目を奪うセットや衣装の美しさ。衝撃的な演出の妙、そういった視覚的な要素が、オペラ鑑賞の魅力の大きな部分である。
その魅力を支える、裏方たち。演出家や照明、舞台監督はもとより、衣装部の職人たちや、舞台セットを組むアルバイトにいたるまで、みんながオペラという非日常を楽しんでいるようにみえた。
オペラハウスの近所の喫茶店には、時々スタッフも来るようだが、この店がいつもオペラの休憩時間にコーヒーやワインをホワイエで売っている。この人たちも、オペラという楽しみを演出するのに一役買っているのである。
6月30日

書評2

不思議なもので、本を出すと、それを読んでいただきたい方に、出版社を通じてお送りしたりするのだが、そんなの誰も読まないだろう、と思ったら大間違い。意外なところで読んでくださっていることがわかる。
たまたま、サピオという雑誌の7月13日号を見ていたら、わがトリオ・ソナタの書評が載っているではないか! それも、かの川本三郎さんが書いてくださっている! こんなこともあるんだなぁ。さすがというか当然というか、作者以上に作品のポイントをグッとつかみとって、解説してくださっているのに感服した。
サピオはながらく買わなくなっていた。小林よしのりさんのゴーマニズム以外は、なんだか記事が薄っぺらくなってきていたし、ゴーマニズムは単行本で読んだほうがおまけがついていて得だから。それが、先日、なんとなくふらふらっと久しぶりに買ってしまったら、偶然、自作の書評掲載。まぁ、虫のしらせというやつか。
なににせよ、こんなこともあるから世の中おもしろい。
6月23日

阪神間の奥深さ

友人の知人の経営するカフェに行って、土曜日の夜を、まったりと語りつつ飲みつつ過ごした。かつて、高校生のころの村上春樹がよく食べたという水野屋コロッケを立ち食いして、延々と続く水道橋筋商店街を端まで歩いて、オープンカフェのその店に。どういうわけだか隣のお好み焼きやのメニューからたこ焼きを選んで持ってきてもらったり、なごやかなアバウトさが心地よい。
来る途中の阪急電車の中で、10代のカップルがしゃべっていた。
「おれも、いちおう宮っ子やし」「なにそれ」「西宮の人のこと」「えー、そうなん。西宮って、神戸やろ」「ちゃうよ。神戸は神戸や」
なんだか、横から突っ込み入れたくなる会話だった。なるほど、よその人から見れば、このあたりは、ようするに全部神戸なのだ。けれど、阪神間という土地は、神戸と大阪の間、ということなのだが。
阪神間はそれぞれにアイデンティティーが強く、土地柄というものがある。宮っ子が西宮の地元民であるように、尼っこは尼崎の人の自称だ。神戸っ子というのは、これらの真似かもしれない。神戸はちょっと巨大になりすぎたかもしれないが、かつての神戸の持っていたローカルでありながら国際色豊かで人情味あふれる魅力が、今も阪神間のちょっとした商店街や路地に息づいている。
6月19日

職人たち

このところ、連日のように音楽家の話を聞いている。インタビューしているのだが、思うに、音楽家という人々は、実にプライドが高い。物腰やわらかくそのプライドを隠しているか、はばからず己を誇ってみせるか、どちらにしても、自尊心の高さは並みの人ではない。
それも道理か、たいていの音楽家は、幼少から自分の技能にひたすら磨きをかけて、その技術の高さにこそアイデンティティーを求めて生きてきたのだ。近年まれな職人的生き方を貫いているのが、ミュージシャンであるといえよう。
そう考えると、別に人当たりがよくなくても、多少変人でも、構わないではないか、という気になってくる。古来、職人というものは偏屈、と相場は決まっている。変人でも腕がよければ、ひいきがついて生きていける、そういう世の中だったのだ。かのバカボンパパだって、腕のいい?植木屋さんだから、はちゃめちゃやっても暮らしていけたのだ。
小説家だってそうだ。作家にまともな社会性を、いつから求めるようになったのか。そんな、普通の暮らしかたができるぐらいなら、小説なんか書きはしない。芸術家に社会性を求めるのは、世の中が優等生万能の役人根性に染まってしまったからだ。そんな、まともな人間の書いた小説が、面白いはずはないではないか。
6月16日