大フィルの10年 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

大フィルの10年

たまりにたまったビデオを整理していて、つい懐かしい録画を見はじめてしまう。その日は、もう片付けはそっちのけである。そんな中に、朝比奈隆の指揮した大阪フィルのブラームス・チクルスがあった。1995年、阪神大震災の年である。
見ているうち、最近特に違和感を覚えていたことについて、合点がいった。
大阪フィルは、知る人ぞ知る、朝比奈隆とともに生まれ育ってきた楽団である。私が高校生の頃、初めてクラシックの魅力にはまり、せっせと足を運んだのは、フェスティバルホールでの大フィル定期演奏会だった。高校生優待券を音楽の先生にもらって、ステージのきわの最前列席で、朝比奈さんのうなり声を聞きつつ、演奏に耳を傾けたものだ。
最近、朝比奈隆亡きあとの大フィルを後継した大植英次の演奏を、周囲の絶賛に素直にうなづけないまま、何回か聴いてきた。何か、違うのだ。どうも納得いかない。
そんな疑問は、10年前の大フィルのブラームスの映像を見て、ようやく氷解した。
10年前のオーケストラは、朝比奈隆の厳しいタクトの元、一心不乱に、実に真剣な、恐いくらいの張り詰めた表情で弾いていた。朝比奈さんの表情も、それはそれは厳しいものだった。そういえば、そうだった。まだこの頃までは、オーケストラはどこの団体でも、指揮者の導くままに、極めて統制のとれた演奏を心がけていたのだ。
近年のオーケストラ演奏は、むしろ奏者の自発性を重視しているように見受けられる。指揮者のやり方も、自分がリードするというのではなく、一緒に音楽を作っていこう、というやり方が主流のようである。だから、指揮者はよく笑顔を見せる。奏者と意識的に顔を合わせて、うなづきあっているようにさえ見える。
音楽作りのやり方が、10年の間に大きく変わったのだ。
それが他のオーケストラなら、そんなに違和感はなかっただろう。しかし、自分が多感な10代に、通いつめて食い入るように見つめたオケだから、やり方が変わったことにとまどっていたのだ。これはもう、あの大フィルではないのだ。そう気づいて、ようやく、あたらしい大フィルの演奏を改めて聴いてみようという気になった。
そんなわけで、感慨にふけるうち、またまた整理は後日、となってしまった。
7月16日