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大阪北部地震から8年、大阪府の防災対応はほとんど無策のまま

大阪北部地震から8年、大阪府の防災対応はほとんど無策のまま

 

 

 8年前、大阪北部地震の揺れは、今でもその感覚を覚えている。

 あの朝、自分の子たちは通学中で、特に下の子の通学路の周囲はブロック塀が多く、一つ間違えたら、高槻市の亡くなった児童と同じ運命だったかもしれない。当時、通学班の班長だったうちの子は、突然の地震の揺れに怯えて泣く低学年の子を励ましながら、他の通学班の友達と合流して小学校までたどり着いたという。

 地震発災時、上の子は高校に電車通学の途中で、幸いに無事だった。しかし、あの時の高校(大阪府立高校)の対応は酷かった。もちろん臨時休校になったが、なんと、生徒をみんな帰宅させてしまった。だが、帰れといっても電車は運休、帰れない生徒たちが最寄りのコンビニなどにあふれていた。

 学校は、災害時に生徒を無理に帰らせるのではなく、臨機応変に校内避難をさせるべきだ。

 

 

 大阪北部地震の教訓を、大阪府はその後も活かしていない。

 地震時が通勤時間だったため、大勢がそのまま出勤して、結果的にその日は帰宅困難者が大量に出た。だが、昨年の大阪万博で地下鉄がトラブルで止まった際、やっぱり帰宅困難者が多発した。大阪府は、災害時や交通大規模トラブルの場合の帰宅困難者対策を、8年経っても何もやっていないのだ。

 いずれ必ず、南海トラフ地震とそれに伴う津波が来るという。大阪北部地震の被災の比ではあるまい。それなのに、大阪府内のインフラは、防災対策強化どころか、あちこちで老朽化のためのトラブル続出だ。このまま南海トラフ地震が来たら、想像以上の被災になることは間違いない。

 振り返ると、大阪北部地震のあった8年前、2018年は関西に特別災害が多く、被災者が続出した年だった。その時の経験を筆者自身のブログ記事でたどってみると、あの時に防災対応を開始していたら、8年後の今、もうちょっと南海トラフ地震に耐えられる町になっていたのではないか?と考えてしまう。

 結局、防災や被災者救済など何も考えない当時の安倍政権(自公連立)や、大阪府を支配してきた維新の会の府政を、正そうとせずに唯々諾々と選挙で勝たせ続けた国民や府民の自業自得であると、言わざるを得ない。それでも、あの当時から、いやもっと昔から自公政権と維新の会の府政に反対し続けてきた筆者などは、どうにもやりきれない思いを抱いてしまう。

 今からでも、防災・減災の施策を始めれば間に合うかもしれないのだが、現・高市政権(自民維新連立)も、大阪府の維新の会府政も、その気が全くなさそうだ。このまま南海トラフ地震が来たら、いったいどうなることやら。

 

 

※参考記事

2018年6月18日の地震に遭遇して、考えたこと

 

 

 

 

 

引用

《実際に強い地震に直面して実感したこと。まず、とにかく家族の安否確認に追われる。また、日頃思っているより、仕事や学校を優先してしまうメンタリティに、自分も支配されていることに気づいた。地震直後は心身がアドレナリンで活性化しやたらと動きたくなるが、ちょうど半日ぐらいすると、がっくりと疲れを感じる。だから、仕事や学校のことを考えるより先に、自分の心身を安定させるよう、休息を最優先する方がいいと思う。

大きな地震の時には、どうしても出動したり対応したりしなきゃいけない部署以外は、できるだけ休む方が社会全体としても良いはず。とにかく出勤、登校という国民的メンタリティから、抜け出すように意識改革が必要だ。緊急時にはまず休もう。

だが、夜7時のニュースを見る限り、日本国は関西の地震について、明日は復旧し、職場や学校は常態に戻るということらしい。》

 

※関連記事

大阪の地震、政府・自治体の対応に怒る

 

 

 

 

今回の大阪地震、文科省防災マニュアルは机上の空論

 

 

 

 

大阪北部地震、2ヶ月

 

 

 

 

台風21号&7月豪雨&大阪地震、災厄の夏を体験して

 

 

 

 

 

台風被災でブロック塀が倒れた現場

 

この倒れたブロック塀で埋まった坂道、近隣中学への通学路だった。通学時間だったらどうなったことか

 

台風で停電したままの最寄駅への商店街

 

停電すると、住宅地は暗闇の中だ

 

 

 

近畿のスーパーあれこれ〜関東から安売りスーパー「おー○ー」が大阪上陸、その印象は?

近畿のスーパーあれこれ〜関東から安売りスーパー「おー○ー」が大阪上陸、その印象は?

 

鳴物入りで大阪上陸、ついに北摂地域にも開店した関東の安売りスーパー「おー○ー」。

しかし、売り場に魅力・ワクワク感が足りない。それでいて、そこまで安くもないので、他の安売りスーパーに見劣りする。喩えて言えば、「安くもないサンディ」という印象だ。

 

以下、関西が誇る?多種多様なスーパーの魅力を語ってみよう。

 

阪急オアシス:文句なしの高級感、ハイソなイメージ。何を買っても間違いなし。ただし割高。

 

関西スーパー:上記関東スーパーに買収されそうになった騒動は記憶に新しい。標準的なイメージで、価格帯はオアシスよりやや割安感。

 

イズミヤ:庶民的なイメージ。

 

マンダイ:特徴は少ないが、当たり外れのない安心感。

 

ロピア:安売りスーパーの代表格、売り場が支店によって違っていて、その店独自の「売り」がある。品物には当たり外れあり。

 

バロー:特に安くはないが、惣菜やパンが魅力的で、たまに行くとお得感あり。

 

サンディ:とにかく安い!

 

業務スーパー:とにかく安い!

 

全国巨大チェーンのスーパー

 

イオン系:独自のPB商品が多く、割安で高品質のものがそろうイメージ。

 

ライフ:とにかく安心、でもやや割高。

 

以上のような各スーパーがしのぎを削る近畿圏で、「おー○ー」が生き残るには、もうちょっと工夫が必要だろう。ちなみに、最近開店したこの店に、平日の昼間に行ってみたが、報道によるイメージとはかなり違って、なんだか閑散としていた。この店、大丈夫かな?

 

演奏会評「第30回 常翔ウインドコンサート」

演奏会評「第30回 常翔ウインドコンサート」

 

2026年6月7日

常翔ホール

 

 

大阪市立八阪中学校吹奏楽部

指揮:吉村一哉

オスカー・ファンタジア(樽屋雅徳 作曲)

Love so sweet(youth case 作曲 郷間幹男 編曲)

め組のひと(井上大輔 作曲 波田野直彦 編曲)

 

https://swa.city-osaka.ed.jp/j532060/weblog/133818073

 

 

大阪府立池田高校吹奏楽部

指揮:橋本翔太

夕映えの丘(森山至貴 作曲)

秘儀Ⅶ 不死鳥(西村朗 作曲)

銀河鉄道999(タケカワユキヒデ 作曲 樽屋雅徳 編曲)

ディープ・パープル・メドレー(佐橋俊彦 編曲)

 

https://ikeda-h.ed.jp/school_life/club/brassband.html

 

 

尼崎市立尼崎双星高校吹奏楽部

指揮:宮嵜三千男

あつまれおもちゃのマルチャ!(佐藤志恩 作曲)

ガイア・アナスタシス 〜マーラーへのオマージュ(樽屋雅徳 作曲)

ディープ・パープル・メドレー(佐橋俊彦 編曲)

学園天国(井上忠夫 作曲 山下国俊 編曲)

 

https://www.ama-net.ed.jp/school/h06/03_club/suisougakubu/suisougaku_top.htm

 

 

常翔学園高校吹奏楽部

指揮:上野洋平

あつまれおもちゃのマルチャ!(佐藤志恩 作曲)

とこしえの声〜いまここに立つ母の姿〜(樽屋雅徳 作曲)

ジャパニーズ・グラフィティーⅣ 〜弾厚作 作品集〜

J-Sounds Disney

風になりたい(宮沢和史 作曲 小島里美・北村潤 編曲)

 

https://www.highs.josho.ac.jp/club/719/

 

 

合同ステージ

1年生 アルセナール (指揮:橋本翔太)

2年生 オーメンズ・オブ・ラブ (指揮:宮嵜三千男)

3年生 宝島 (指揮:上野洋平)

 

 

 

 この合同演奏会に初めて足を運んだ。もちろん、贔屓の吹部、大阪府立池田高校吹奏楽部(通称:いけすい)の演奏が目当てである。だが、予想外に(見識不足なことに)、参加各校の演奏がそれぞれに素晴らしくて、久しぶりに学生吹奏楽の演奏そのものについてじっくり考えるきっかけにもなった。中でも、アンコール定番曲の「ディープ・パープル・メドレー」の聴き比べができたことは、思いがけない幸運だった。

 

 最初の、大阪市立八阪中学校吹奏楽部(指揮:吉村一哉)は、1〜3年生で総勢40数名。

 オスカー・ファンタジアは、ミュージカルの巨人、オスカー・ハマースタインⅡ世の有名曲を組み合わせたミュージカルメドレーで、雰囲気を表現するのがとても難しい曲だが、中学生とは思えないぐらい上手い演奏だ。

 続けて、嵐の「Love so sweet」、ラッツ&スターの「め組のひと」というポップスアレンジ。どちらもノリのいい演奏だ。

 中学生は、1年生を交えるとメンバー間の体格差が大きいハンデがあるが、そんなことは問題にならないぐらい、ハイレベルの演奏ぶりで、昭和のブラバン親父である筆者にとって、令和の中学校吹部のレベルの高さを思い知らされるステージだった。

 

 

 2番手、筆者の贔屓バンド、大阪府立池田高校吹奏楽部(いけすい)のステージは、今年5月に聴いた同校定演の楽曲をそのまま持ってきていたので、安定の演奏ぶりだった。特に、今年夏の吹奏楽コンクールを照準に合わせた課題曲と自由曲(と思しき)2曲は、5月からさらに進化した演奏が聴けた。

 具体的には、課題曲の「夕映えの丘」で、シンプルな構造の楽曲ゆえに逆に合わせるのが難しいアンサンブルが、しっかりとまとまってきている。最後のユーフォ・ソロも見事に歌い上げて、静かに曲を締めくくった。

 「秘儀Ⅶ 不死鳥」は大変な難曲だが、各パートが順次鳴らしていくテーマとリズムが、前に聴いた時よりもそろっており、そのおかげでこの複雑な楽曲の内容が理解しやすくなった。ストーリー的には、フェニックスが火に飛び込み、身を焼き尽くして、復活するというもの。冒頭のチャイムとヴィブラフォンが、最後の方でもう一度鳴るのが、復活の合図なのだろう。全員で一つの短音を繰り返す部分が何度かあり、その執拗なまでのアクセント音の持続が、まるで蘇る心臓の鼓動かと思わせる。

 後半2曲は、いけすいお得意のポップスで、1年生を交えて総勢110名越え!の大迫力だった。ゴダイゴの「銀河鉄道999」を人気吹奏楽作曲家の樽屋雅徳が編曲したバージョンだが、個人的に好きなのは有名なメロディにホルンがオブリガート的にかぶさるところだ。「ディープ・パープル・メドレー」は、次の出番の尼崎双星高校と聴き比べができて、興味深い体験となった。

 

 

 3番手、尼崎市立尼崎双星高校吹奏楽部(指揮:宮嵜三千男)は、知る人ぞ知る有名バンドだ。今回、たまたまだったが生演奏を初めて聴けたことはラッキーだった。

 まず、今年の吹奏楽コンクール課題曲「あつまれおもちゃのマルチャ!(佐藤志恩 作曲)」は、さすがの手堅い演奏だ。次に、おそらくはコンクールの自由曲候補?だろうと思われる「ガイア・アナスタシス 〜マーラーへのオマージュ(樽屋雅徳 作曲)」は、現代吹奏楽らしい楽曲だ。クラシック音楽を代表する交響曲の一つ、マーラーの交響曲第2番「復活」をモチーフに、自由な発想で原曲へのオマージュを散りばめてある。そのため、演奏技術的に非常に困難なだけでなく、原曲の持つ哲学的・宗教的な背景も理解した上で演奏する必要がある。そういった高いハードルに挑むのはおそらく大変だろうと推察するが、同校吹部は立派に高い壁を越えようと奮闘している。中でも、マーラーの原曲にもあるホルンのソリの高音部が、プロ並みに安定した響きを保っているのに驚嘆させられた。

 後半、ポップスの定番2曲はうって変わって自由な演奏かと思いきや、大胆な演出ではあるが完璧に足並みのそろったステージ演出は、本校のステージがいつどこでも完成形で仕上がっていることを感じさせる。

 「ディープ・パープル・メドレー(佐橋俊彦 編曲)」は、前段のいけすいの演奏と比較して、エンターテイメント・ステージとして構成も流れも完成されたパフォーマンスだ。一方のいけすいの場合、かなり自由自在に即興的なパフォーマンスがあり、演奏自体も勢いで会場全体を押し流すような迫力だ。まさに甲乙つけ難い演奏ぶりで、この両校を同時に鑑賞できたのは得難い機会だった。

 最後の「学園天国(井上忠夫 作曲 山下国俊 編曲)」でも、入門編の通称「オトハチ」楽譜と思われるのに、音圧が強く、響きが完全にそろっているのが素晴らしい。

 

 

 トリを務めた常翔学園高校吹奏楽部(指揮:上野洋平)は、この合同演奏会のホスト役だけあって見せ場もたっぷりだった。

 コンクール課題曲「あつまれおもちゃのマルチャ!(佐藤志恩 作曲)」は、前段の尼崎双星吹部との聴き比べができて、興味深い。

 「とこしえの声〜いまここに立つ母の姿〜(樽屋雅徳 作曲)」も、前段の尼崎双星吹部がやった「ガイア・アナスタシス 〜マーラーへのオマージュ」と同じ樽屋氏の楽曲だ。こちらも同じく追悼の音楽だが、前者のマーラーの場合と違って、太平洋戦争での日本軍特攻隊をテーマとする深刻な内容だ。重厚な音楽にふさわしく分厚いサウンドでこの難曲に挑んでいて、聴きごたえ十分だった。ハープとピアノの音が密かな救いを思わせるのだが、それらを掻き消すほどの戦場の阿鼻叫喚が、音楽表現で見事に奏でられていた。

 余談だが、アナウンスの生徒さんが「特攻戦法(せんぽう)」を「せんほう」と読んでいて、今時の子どもたちにとっては、太平洋戦争が遠くなってしまったのだと実感させられた。

 続いて、同校の十八番の曲目が3曲続く。「ジャパニーズ・グラフィティーⅣ 〜弾厚作 作品集〜」では、加山雄三と思しき昭和っぽい決め台詞を、今時の男子高校生が真面目に読み上げるのがとてもシュールだった。

 「J-Sounds Disney」はまさしくノリノリで、「風になりたい(宮沢和史 作曲 小島里美・北村潤 編曲)」では生徒たちが舞台を降りて客席の後方にまで走ってきて、客席全体を包み込むような体勢での演奏を間近で見せてくれた。まるでプロの劇団並みに、サービス精神旺盛なステージだった。

 残念ながら所用で最後の合同演奏は聴けずに帰ったのだが、きっと大いに盛り上がったことだろう。

 

 

 

 

 ところで今回、4校の中高生演奏を聴き比べた。その結果、筆者が最近上梓した吹奏楽エッセイではまだ書けなかったある疑問への決定的な仮説に思い至った。

 その疑問とは、なぜ現代学生吹奏楽が音圧にこだわり、いわゆる「爆音」系になりがちなのか?という疑問である。

 近年、あるきっかけで吹奏楽コンクールや自分に縁のある高校吹部の演奏会に足を運び、自分でも母校吹奏楽部の演奏会に参加演奏してみたりしてきた。その中で疑問だったのは、自分自身が昭和ブラバン少年時代に体験してきた吹奏楽とは異なり、現代吹奏楽部の演奏には何か根本的な違いがあるということだ。かつて10代〜20代に筆者が学生として、また指導者として演奏してきた20世紀の学生吹奏楽は、あくまでもバランスよく、どんな楽曲でもみんなで音楽作りをしていこうという姿勢が共通していた。ところが、最近筆者が体験した現代吹奏楽の学生演奏は、どうも昔の吹奏楽と何か違っていて、ある方向に極端に向かう感じがするところに違和感があった。

 世代の差、時代の違いであるのはもちろんだが、いったい何がどう変わったのだろう?という疑問が、なかなか解けなかった。

 今回、常翔ウインドコンサートで聴き比べた結果、その疑問を解決する仮説を思いついたのだ。この件については、noteでの別稿で書くので、引き続きぜひお読みいただきたい。

 

 

 

 

 

 

※近著

 

最新音楽エッセイ、電子版で発売開始!

『ブラバンから吹部へ  昭和、平成、令和の高校吹奏楽研究』(著者:浦澄彬 名義)

 

《公立高校の吹奏楽部の楽器問題は、これからますます悪化して、活動自体を難しくしていくかもしれない。世間で、アニメ作品やバラエティ番組の影響もあって吹奏楽部がもてはやされいている足元では、学生吹奏楽の根底が揺らぎ出している。

ブログ連載のエッセイ「吹奏楽今昔」と、吹奏楽レビュー多数。noteで連載した「昭和と平成の音楽教育がちっとも変わらない件について」の論考も含む。》

 

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※吹奏楽関連記事

 

吹奏楽コンクール・大阪北摂の結果と感想、さらに批判と提言

その1

https://note.com/doiyutaka/n/nec1d607eae8b

 

その2

https://note.com/doiyutaka/n/nc98addb0faae

 

レビュー「吹奏楽コンクール大阪府大会」〜高校Aの3部を途中まで聴いた

https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2025/08/10/121423

 

【大阪府立池田高校吹奏楽部の伝統と進化】

https://note.com/doiyutaka/n/n56c2da3ad15b?app_launch=false

 

 

 

※土居豊の吹奏楽小説

 

『サマータイム、ウィンターソング&モア』1巻(土居豊  作)

 

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《パート1では吹奏楽部の女子高生指揮者・立花かおるや、ホルンの谷山みすず達の高2の春から夏にかけて、エピソードを描く。

パート2では、高校二年の音楽活動、仲間と過ごす青春が過ぎていき、秋にはいよいよ演奏会へのカウントダウンが始まる。指揮者女子のかおるは卒業生の斎藤に言い寄られて困惑。幼なじみのみきおと、かおるが想いをよせるあきらは、斎藤と対決する。ホルン奏者のみすずはメロフォンでジャズを吹くことを思いつき、仲良しの知恵子と一緒にジャズアンサンブルに取り組む。高校二年の青春は、春先の演奏会でクライマックスへ。》

 

 

第2巻『サマータイム、ウィンターソング&モア パート2』(土居豊 作)

 

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BOOK☆WALKER版

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発売開始!評論『直子の井戸を探して〜フィールドワーク・村上春樹』(浦澄彬 名義)

発売開始!評論『直子の井戸を探して〜フィールドワーク・村上春樹』(浦澄彬 名義)

 

 

《『ノルウェイの森』の冒頭に、直子とワタナベがサナトリウムの近くの山の草原で語り合う場面があり、そこで直子は「井戸」の話をする。

「井戸」は、日常から異界へとつながる接点であり、人の心の意識から無意識への接点でもある。村上春樹の作品舞台、「井戸」が隠されている土地をフィールドワークすることで、村上春樹の作品世界を読み解こうと試みた》

 

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あとがきより

《Jonathan Dil氏の論考と、本人との談話を経て、現在筆者は、若書きの本稿の元バージョンを、いつか世界の村上春樹研究者たちにとって必須の1冊になるべき研究書だと再確認した。

 いくら若書きだといっても、1990年代後半のあの時期、村上春樹の作品世界と、村上氏本人のプライベートな部分の関係性を追究しようとした論考は、他になかったはずである。だからこそ、村上氏の側も驚いて、本書と筆者にクレームをつけてきたのだろう。

(中略)

本書の内容で、1999年当時、筆者が考えた村上作品の裏側について、今となってはその多くの部分が村上氏本人の書いたエッセイなどで裏付けられており、本書のほとんどは結局間違っていなかったということが明らかとなっている。であれば、もうそろそろ絶版状態を解除して再販してほしいものだ。版元は最近、社主がお亡くなりになったと聞く。もう、いいかげん、本書を自由にしてくれないだろうか? 結局今に至るまで、絶版状態・塩漬けのままなのだ。元のタイトルではなく別タイトルで別書籍という形で発売するのだが、世界中の村上春樹研究者は参考文献として『村上春樹を歩く』(浦澄彬)を探しているはずだから、本書が第3バージョンであることに気づかないだろう。だからといって、筆者も本書を大々的に宣伝することができない。このままでは、世界中の村上春樹研究者にとって、何もいいことがない。版元には再考を願いたいものだ。》

 

 

※参考資料

Jonathan Dil 著「Haruki Murakami and the Search for Self-Therapy: Stories from the Second Basement」

 

※引用

【『村上春樹とアダプテーション研究』Vol.2【書評】Jonathan Dil 著 Haruki Murakami and the Search for Self-Therapy: Stories from the Second Basement ダルミ・カタリン(広島大学(博士))】より

 

《まず、前者について氏が、村上が書き始めた動機を歴史的・文化的環境ではなく、作家の心の傷に見出しているのは特徴的である。 氏が着目しているのは、村上の父・千秋との葛藤と彼から引き継いだ世代横断的トラウマの他、村上の高校生時代の恋人だったと想定される〈K〉という女性との関係及び彼女の自殺である。『ノルウェイの森』の直子のモデルの存在については、『村上春樹を歩く―作品の舞台と暴力の影』(彩流社、2000 年)において浦澄彬氏が既に指摘したが、 〈K〉の友人に直接聞き取り調査を行ったディル氏は更に調査を進め、彼女の自殺を村上が執筆活動を始めた主な動機として位置づけている。》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記事更新!土居豊の文芸批評 映画編   映画『スター・ウォーズ』の思い出

記事更新!

土居豊の文芸批評 映画編

映画『スター・ウォーズ』の思い出

 

https://note.com/doiyutaka/n/nbf17842d9264?app_launch=false

 

《1978年、小説『スター・ウォーズ 第1部 ルーク・スカイウォーカーの冒険より』の方が先に翻訳されて単行本で発売されていた。著者はジョージ・ルーカス、翻訳は野田昌宏。この時、筆者はまだ小学生で、この本を買って読むような年頃ではなかった。しかし、小学校の担任の先生が、学級文庫の中にどういうわけだか、この単行本を置いていた。なにげなく手に取って、本文よりもその表紙カバーの映画スチル写真や、冒頭にはさみこまれた映画の場面写真に惹きつけられた。》

 

※画像は、角川文庫版『スター・ウォーズ 第1部 ルーク・スカイウォーカーの冒険より』

 

 

 

 

 

 

 

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