お陰様で教育ジャンル31位!→”演奏会レビュー「大阪府立池田高校吹奏楽部第60回定期演奏会」”
この記事、おかげさまで教育ジャンル31位になっています。
多くの方に読んでいただいて、大阪府立池田高校高校吹奏楽部を応援する人がさらに増えることを願っています。
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作家・土居豊の音楽批評「平成日本のオケ、吹奏楽、アニメ音楽」特別編【大阪府立池田高校吹奏楽部の伝統と進化】
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《ここ数年、筆者は家族の縁で府立池田高校吹奏楽部の定演を連続して鑑賞した。だから、いけすいの存在価値をよく知っている。この吹部は、偏差値の高い公立高校ならどこでもそうであるように、生徒自身の運営で年間行事をこなしている。その活動の多彩さ、多さは大人でもたじろぐほどだ。10代の子どもたちのパワーに圧倒される。》
演奏会レビュー「大阪府立池田高校吹奏楽部第60回定期演奏会」
演奏会レビュー「大阪府立池田高校吹奏楽部第60回定期演奏会」
この数年、ご縁あって毎年、池田高校の吹奏楽部定演を聴きに行っている。今回は、記念すべき60回目の定演、だがそういう改まった感じではなく、いつものノリノリの演奏会だった。
2026年5月4日
豊中市立文化芸術センター大ホール
曲目
第1部
「青のファンファーレ」横田祥作曲
「夕映えの丘」森山至貴作曲
「秘儀Ⅶ 不死鳥」西村朗作曲
「GRより シンフォニックセレクション」天野正道作曲
第2部
アニメステージ
「ドラえもん」「鬼滅の刃」「妖怪ウォッチ」「セーラームーン」「君の名は。」
第3部
「レトロ」天野正道作曲
「銀河鉄道999」タケカワユキヒデ作曲(樽屋雅徳 編曲)
「オペラ座の怪人」ロイド=ウェバー作曲(W・バーカー編曲)
「let it be」
アンコール「ディープ・パープル・メドレー」
以下、簡単に感想を書く。
まず、チケット完売なのに、入場誘導がスムーズで驚いた。それに、高校の吹部とは思えないほど気配りがきいている。車椅子スペースにも車椅子利用の観客が数人いて、スタッフが付き添っていた。さらに視覚障害の人も数人いて、スタッフが1人ずつ付き添っていた。プロの演奏会でも、ここまでホスピタリティの高い演奏会は少ないだろう。
曲目と演奏について。
この高校の定演は毎年3部構成で、第1部は吹奏楽オリジナル曲、2部は劇をまじえたエンタメステージ、3部はポップス・ステージ。
まず第1部、最初に60周年記念のファンファーレを、バンドトレーナーの作曲、高校生たち自身の作詞で、この春入部したての1年生たちも交えて演奏した。
続いて、今年のコンクール課題曲、「夕映えの丘」森山至貴作曲。これは意外なほどオーソドックスな吹奏楽曲だった。
この曲と3曲目の「GR」という調性の確かな2曲にはさまれた、現代音楽そのものの西村朗「秘儀Ⅶ 不死鳥」が今回の白眉だった。変拍子連発で無調的な難曲を、高校生たちは構成をしっかり把握し、理解して演奏していた。この曲は、譜面だけをなぞっていても、おそらく音楽にならないだろう。指揮者の優れた指導ももちろんだが、高校生一人一人が楽曲を読み込み、自分の吹くパート譜の意味を理解していないと、全体としての楽曲が完成しない。その点でも、池田高校の吹奏楽部は秀逸な演奏ぶりだった。
3曲目の「GR」は、旋律線が見事に繋がっていて、中音域がきちんとつき抜けて聴こえるのが素晴らしい。終わって、コンミスの子が感極まり泣いているのが清々しく思えた。
次に第2部、アニメ曲のメドレーを生徒指揮者の指揮で、劇をまじえてつないでいく。この吹部のステージでいつも感心させられるのは、こういったエンタメ趣向のステージでも寸劇の工夫だけじゃなく、演奏もきちんとやれているところだ。今回は、特に『君の名は。』の演奏のかっこよさが印象的だった。
続く第3部、ポップス・ステージだが、珍しくコンクール課題曲をもう一つ入れている。これはポップス曲の課題曲で話題の「レトロ」。次に『銀河鉄道999』の、凝ったアレンジのバージョン。そしてメイン曲『オペラ座の怪人』。
いずれもリズム感が正確で、ダイナミックな演奏ぶりだった。『999』で、最初のファンファーレと同様に新入生の部員たちが花道に並び、歌って参加しているのが微笑ましかった。
最後の『let it be』の前に現3年生の部長の挨拶があるのも、例年通りだったが、今回は一層感動的な挨拶だった。やはり部員100名を超える吹部の部長は大変だろうと想像できるが、そのことを正直に話してくれて、それでも仲間たちに支えられたことへの感謝を語っており、高校生らしい純粋さがまぶしかった。
この「いけすい」池田高校吹部は、定演では100名近い大編成だが、各パートが音の立ち上がりのアタックと、フレーズの吹き終わりをきちんと揃えている点が見事だ。つまり、基本がしっかりできているということだ。それだけでなく、金管やサックスの歌い方でさりげなくビブラートをかけるのが上手い。パートごとの歌い方にも統一感があり、木管のフレージングの揃い方はいかにも鍛えられている。この大編成の中からでも、中音域の要所がつき抜けて聴こえてくることに驚かされる。バンド全体のバランスがよく、吹き方がきちんと調整されている成果だ。これは、とりもなおさず指揮者の橋本氏の功績であろう。
演奏会の締めくくりは、例年の通りに、1年生部員も舞台上に並んで全員で「ディープ・パープル・メドレー」だった。このアンコールのノリの良さもいけすいの特徴だが、それだけでなく、ともすればハメを外しすぎて「爆音」演奏になりがちなこの曲を、もちろん大音量ではあるが、うるさすぎないバランスの良さで演奏するところが、まさしくいけすいらしさだと思える。
※過去記事
大阪府立池田高校吹奏楽部第59回定期演奏会を聴く
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大阪府立高校の吹奏楽部の演奏会がこんなに変わった?それとも変わってない?〜大阪府立池田高校吹奏楽部定期演奏会
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吹奏楽コンクール・大阪北摂の結果と感想、さらに批判と提言
その1
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その2
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レビュー「吹奏楽コンクール大阪府大会」〜高校Aの3部を途中まで聴いた
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2025/08/10/121423
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アルテミスⅡの月の裏側飛行と、イラン戦争と、フェイク本『第三の選択』の思い出
アルテミスⅡの月の裏側飛行と、イラン戦争と、フェイク本『第三の選択』の思い出
アルテミスⅡの宇宙船オリオンが月の裏側に接近、NASAの中継を見守った。このアルテミス計画は、米国とカナダの合同で月の裏側への着陸を目指すものだ。
これまで、月の裏側への着陸がなぜ難しいのか、いまいち理解できていなかった。しかし、今回、オリオンの飛行をNASAが生中継してくれていて、明け方、その中継を眺めていると、なるほど!と実感できた。
それというのも、写真のように、中継が突然、途切れたのだ。これはもちろん事前に予告されていたことで、宇宙船と地球の間に月があるため、電波がさえぎられてしまうのだ。
実は、この状態を以前、映画『アポロ13』で見ていたはずなのだが、この映画の中では、電波が途切れる状態をそこまで深刻に描いていなかった。だが、今回のアルテミスⅡの飛行のなかで、おそらくこの電波途絶の間が最も危険だったのではなかろうか。
とにかく、この通信できない状態が数十分間続いて、その後、突然また画像が回復した時は、生中継だったため余計に感慨深い気分を味わった。そうして、なるほどと理解したのだ。月の裏側に着陸する時、おそらく今回のように地球と宇宙船の通信は途絶するのだろう。ということは、宇宙船は全く単独で、地球からのバックアップなしで着陸しなければならないのだろう。
つまり、何かトラブルが起きても、そのことを地球上のバックアップチームは知ることができないのではあるまいか? もし着陸に失敗して再び浮上できない事態となれば、地球の側からは何が起きたのか、宇宙船がどういう状態なのか、知ることができないのではないか?
あるいは、月の軌道上に宇宙船本体がいて、着陸に失敗した場合は地球に連絡できる仕組みなのかもしれない。それでも、月面上でトラブった側のチームには、助けが必要でも救援は困難なのではなかろうか。このように考えると、月の裏側に着陸するというのは本当に困難な作戦なのだと理解できた。
それはそれとして、今回のアルテミスⅡをNASAの中継で見ながら、並行して別の世界的大事件が進行しているのを、タイムラインで追いかけざるを得なかったので、実に複雑な心境だった。その事件とは、もちろん米国とイスラエルのイラン攻撃が最悪の結果に突き進みつつあったことだ。トランプ大統領がイランを壊滅させるようなことをXにポストして、期限が過ぎたらもしかしてイランを核攻撃するのではないか?という疑惑が世界中に広がっていた。
この最悪の事態を見守りつつ、一方では人類の叡智の結晶のようなアルテミスⅡのオリオンが月の裏側を飛行している。どちらも米国の作戦なのに、これほど180度違う作戦があるだろうか。
いったい、どんな分裂した心理が、一方で人類滅亡のような核攻撃をほのめかしながら、一方で人類の科学力の勝利を実証する月周回飛行を実行できるものだろうか?
そういう180度異なる作戦進行を追いながら、私はどうしても中二病的な昔の感覚を想起させられた。まさに中学生だった頃、今回の事態と似たような出来事(もちろんフィクションだったが)を書いた本に夢中になっていたのだ。陰謀説の代名詞のような本、『第三の選択』という本で、私が中学生だった時、この本の元ネタだった英国のフェイク番組について、日本のバラエティー番組が紹介したことがあった。
内容は、1980年当初、地球が温暖化で近い将来住めなくなることを知った米国などの先進諸国の支配者層が、密かに月面に基地を作り、そこから火星移住を実行しつつある、というお話だった。これはもちろんフィクションだが、いかにも本当らしく設えられていて、フェイク物語のお手本のような代物だった。日本のテレビ番組側は、このフェイク番組と本を、いかにも本物らしく扱って、当時人気があったUFO作家の矢追純一氏も一枚噛み、日本版の本も書かれていた。
中二病真っ最中の中学生だった私は、友達にこの本を教えられて、一読し、大変ショックを受けた。それで、一気に陰謀説にハマり、この手の陰謀説本を片っ端から読んでいって、ますます中二病的な妄想にはまりこんでいった。
だが、今にして思うと、あのフェイク本は、21世紀の現在の危機的な世界情勢と宇宙開発を、意外によく射抜いていたのかもしれない。『第三の選択』のような月面基地はまだできていないが、地球環境の変化はまさにあの本に書かれたように、温暖化で人類存亡の危機が現出しつつある。一方で、NASAの宇宙開発は月面基地を足がかりに、火星への人類到達を目指している。
さらに、もし地球環境の悪化で人類の存亡が危ぶまれるとしても、火星に移住するようなことは、たとえできたとしても支配者層のごく一部の人間しか、地球脱出はできないだろう。このストーリーは、まさしくかつての『第三の選択』そのものだ。
しかも、現在の方がかつての陰謀説よりも悪いのは、温暖化と地球脱出の計画の上に、人類滅亡の核戦争まで現実になりかねないのだ。
私や友達のように中二病に、現実の中学生時代に感染して、それを卒業して免疫ができてしまった者から見ると、現在のトランプ大統領やイスラエルのネタニヤフのような最高権力者が妄想していることは、完全に中二病の悪化した病状に思える。この人たちは、中学生時代に中二病を卒業していなかったに違いない。
つまり、オタクの趣味、中二病的陰謀説は、思春期に感染しておくことで免疫獲得して、その後の人生を過つことを防いでくれるということだ。
かつて、オウム真理教に取り込まれたスーパーエリートたちの末路を見ても、わかるだろう。
願わくば、『第三の選択』を乗り越えて、第四の選択に人類が辿り着いていけるように、及ばずながら物書きとして警鐘を鳴らし続けようと思う。
余談だが、月面基地、というともう一つ思い浮かぶのは、村上春樹『1Q84』だ。この小説の中にも、月面基地の話が出てくる。小説の中のパラレルワールド、1Q84世界では、月が二つあり、月面基地ができている。今回のアルテミスⅡの月面飛行を見ていて、ふと思いついたのだが、村上春樹の描いた小説の中の二つの月とは、月の表側と、裏側の二つの姿をイメージしたものではなかろうか。実際、我々人類が見慣れた月の表側と、20世紀になって初めて目撃できた月の裏側は、ずいぶん印象が違う。同じ月といっても、裏側はもう一つの月、というイメージなのかもしれない。
没後18年、小川国夫の再評価を待つ
没後18年、小川国夫の再評価を待つ
※もうすぐ没後18年・小川国夫を偲ぶ
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12961184353.html
※読売文学賞受賞の『ハシッシ・ギャング』
今年の4月8日で、小川国夫没後18年だ。
初めて小川国夫に会った日、私は幸運にも、いきなり酒の席に連なることができた。1999年の秋、自費出版した初めての小説を、出身大学である大阪芸術大学の文芸学科の恩師に届けに行った。
実をいうと、小川国夫という作家のことは、芸大在学中に課題図書として知っていた。実物も一度、見たことがあった。小川が特別講義で講演に来たとき、広い会場で遠目にだったが姿を見たのだが、その語る声があまりに小さく、話し方も訥々としすぎて、正直、全く印象に残らなかったのだ。
卒業後は芸大にほとんど足を向けなかったせいもあり、ここに小川国夫が教授で教えに来ていることも知らなかったぐらいだ。
ところが、自作を届けたあとで恩師がふと、小川先生の講義を聞いていかないかと誘ってくれた。それで、小川国夫のゼミを見学させてもらったのだが、当時の自分はなかなか真面目だったようで、日記に、この時の小川国夫の講義内容がメモしてあった。以下のような講義だった。
課題作品:ヘミングウェイ「移動祝祭日」
《小説の内容は、パリに着いたその日がお祭りであったという単純なもの。
ヘミングウェイはハードボイルド作家にあらず、詩人である。
いかに言葉をキャッチして、詩的言語に昇華するか。
作者とは構想力の主体である。》
講義の後、小川国夫はこの大学の文芸学科の本拠である合同研究室に学生や他の先生方と引き上げて、一息ついていた。私は遠くに座って、その様子を眺めていたのだが、この時、年齢は七十歳をこえたばかりだったはずなのに、小川はもっと年老いた感じに見えた。長身で、巨大な頭に彫りの深い風貌、やや腰の曲がった感じで、歩き方はそれまで見たことがないほどゆっくりだった。講義の間も手放さなかった小さな牛乳パックから、時々ストローで飲んでいる。それまでも、その後も、小川国夫ほど異彩を放つ人物と会ったことはない。
それから学生たちに混じって、小川国夫を囲んで大阪府南河内郡の芸大から大阪市内の天王寺まで、電車で移動した。天王寺の定宿である天王寺都ホテルで、小川の担当の編集者(のちにこの人とも私は浅からぬ関係になる)と合流し、小川の行きつけの飲み屋に移動した。初対面の私も、当然のように飲み席にお邪魔した。これは、そののち毎度のことになるのだが、小川国夫という人は、酒の席に関しては来る者拒まずで、誰でも気さくに一緒のテーブルにつくことができた。
この夜は、JR天王寺駅から少し離れた路地裏の小汚い飲み屋で結局、深夜過ぎまで飲み続けた。最初のうちは、小川と学生や教授たちの話を聞いていた。夜半を過ぎて、学生たちや先生方も大方帰ると、付き添っていた担当の編集者が小川国夫の話し相手になっていた。その場にしつこく居残っていた私に、小川国夫は優しく話を振ってくれた。そこで厚かましくも自分の小説を手渡して、自費出版したことを話すことができたのだった。
※小川国夫は晩年、大阪芸術大学文芸学科で教鞭をとった
今から思うと、小川国夫が私に目をかけてくれたきっかけは、自費出版の処女小説を手渡したことだったに違いない。その小説自体は、小川の目にはいかにも稚拙に映っただろうし、おそらく読んではいなかっただろう。けれど、20代後半の私が、自費出版小説を手渡す姿に、小川は自身の若い頃の姿を重ねていたのではなかろうか、と思うのだ。
小川国夫はフランス留学後、同人雑誌「青銅時代」を立ち上げ、そこに連載した「アポロンの島」の連作を、のちに自費出版した。その初版の「アポロンの島」は、その後長らく押入れの肥やしとなっていたのだが、偶然、作家の島尾敏雄の目にとまり、小川が作品を続けて刊行するきっかけとなった。
私の場合は、自費出版の処女小説はその後も日の目を見なかったが、小川にとっては自費出版小説というのが懐かしく思われたのではないかと思う。
この時の小川は、生涯の頂点にあったといっていい。同年に読売文学賞をもらい、それまでに朝日新聞夕刊連載の小説『悲しき港』など長編・短編集を数冊刊行、小川国夫全集も刊行中という時期だった。そんな多忙を極めていたこの時期、私が厚かましく手渡した自費出版小説を、小川は読みはしなかっただろうけど、かつての自分のように文学に賭けようとしている20代の私に、興味を持ったのだろう。
※小川国夫全集を出した小沢書店は、小川の旧友・長谷川郁夫の会社だった
この時、小川は私に次のようなことを語りかけてくれた。
「自分の得手を自覚して、それを押す。尻込みしない」
「小説はサッカーと同じで、狙ったところに狙ったように蹴れるかどうか」
「作者は自分の世界を創り、それを奥底まで支配しなければならない」
「できるだけ家にいて、書くようにしている」
「文学は、文章とは別にハートの方が大事である。土居くんは文学をあまり真面目に考えすぎる」
などと、親切な話をしてくれたのだ。
小川の話を、私は律儀に日記に記録してあった。当時はさほどピンとこなかったのだが、今振り返ると、小川がこの夜、語ってくれた言葉は、小川国夫という作家の本質を、簡明に伝えてくれるものだったとわかる。
「得手」の自覚。
「サッカー」の喩え。
「自分の世界」の創造。
「ハート」が大事。
真面目すぎないこと。
これらは、小川国夫の小説、あるいは小川国夫という「最後の文士」の生き様そのもののエッセンスだといえるのだ。
思えば、小川国夫は一期一会となったかもしれないこの夜、駆け出しの小説書きである私に、その後ずっと生きて響くはずの小説書きの奥義を授けてくれていた。結果的に、こののち10年近く、私は小川国夫の押しかけ弟子となって、彼が大阪に来て大阪芸大で講義する機会を逃さず、夜の飲みの席についていくようになった。それだけで飽き足らず、小川の自宅を訪ねて静岡県藤枝市までたびたび遠征し、小川の東京での仕事にもひっついていくようになった。やがて、小川の編集者であった小沢書店(倒産)の長谷川郁夫の面識も得て、小説の商業出版デビューとなる小説『トリオ・ソナタ』を上梓することになる。このデビュー小説の記念パーティに小川国夫を招待し、『トリオ・ソナタ』に対しても私自身についても、過分な高評価のスピーチを頂戴することになった。
いってみれば、このデビュー小説へのスピーチでの絶賛は、かつて小川自身が若い頃、先輩作家の島尾敏雄から得た高評価と同じ意味合いがあったはずである。小川は、初対面で自費出版小説を押し付けてきた私を面白がってくれていたのだろう。その私の商業デビュー小説をしっかりと読み込んでくれ、絶賛の言葉を残してくれた。小川国夫のせっかくの高評価は、その後、私の小説家としてのキャリアを後押したとはいえない。しかし、私淑した偉大な作家からいただいた絶賛は、私の心の支えである。
※2005年、拙作『トリオ・ソナタ』刊行パーティー席上での小川国夫と筆者
※過去記事
追悼・小川国夫 没後17年
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12893067555.html
文芸批評【「アポロンの島」と「スプートニクの恋人」〜エーゲ海をめぐる小川国夫と村上春樹の差】
https://note.com/doiyutaka/n/n27489b4a2376
土居豊の文芸批評 特別編
【(追悼)小川国夫没後16年、今の若い人に薦める小川作品】
https://note.com/doiyutaka/n/n619268c7feb8
※小川国夫が編集を手伝った大阪芸大の文芸雑誌
※藤枝市の旧・東海道に面した旧・小川国夫邸
※小川が毎夜歩いた蓮華寺池
※小川国夫も通った静岡県立藤枝東高校は、サッカーで有名だ































