作家・土居豊の批評 その他の文章
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

南海なんば駅前のなんば広場が、維新の会によるイベント会場化で市民の分断の象徴に

南海なんば駅前のなんば広場が、維新の会によるイベント会場化で市民の分断の象徴に

 

2024年4月26日、連休手前の朝早く、たまたま通ったら、南海なんば駅前のなんば広場が、こんなことに。

 

 

 

 

 

 

 

連休イベントの準備でしょうけど、なんだこの閉鎖感は?

広場じゃなくて、単なるイベント会場。

特に、丸井側が通りにくい。

 

 

イベント会場優先で、広場になってない。イベントに関係ない人は、排除されてる雰囲気。

これが、維新の会のやり方。市民を分断する。だから、維新に投票してはいけないのだ。

 

ちなみに、なんば広場は、普段は、こういう感じでがらんとしている。時々、イスとテーブルが置かれたりするが、観光客の休憩場所にしかならない。

 

2023年11月

まだこの頃は、歩道を歩く必要がなくなって、観光客が高島屋側から戎橋筋側へ自由に行き来している。

 

 

 

 

少なくとも、車椅子の人には、通行が便利になっていた。

 

2024年1月

なんば広場に、イスとテーブルが配置された。

 

 

 

 

相変わらず、自転車の通行もあって、歩行者にとっては危険である。

 

 

元々、この場所は道路で(今も法的には道路なのだそうだ)、南海なんば駅を出たところでタクシーをひろえるロータリーだった。

2012年のなんば駅前は、こんな感じで、大いに賑わっていた。

 

 

 

 

 

 

今は、広場にされてしまったので、タクシーをひろうのはぐるっと反対側に回らなければならない。

しかも、南海なんば駅周辺の、御堂筋からの交通が、駅前ロータリーを潰したことで完全に行き止まりの失敗道路になってしまっている。

 

 

 

このように、なんば広場の手前で道路が遮断され、事実上、御堂筋と日本橋側から繋がるこの道路は死んでしまっている。

 

 

ちなみに、この広場、賃貸料金は100万単位でかかるという。

まさか、この広場、選挙になったら維新の会がずっと占領するんじゃないだろうな?

 

 

関連記事

なんば広場の例にみる、維新の会の大阪府政・市政の失敗〜 せっかくのミナミの魅力が失われ、広場は自転車事故の危険も

 

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12830578189.html

 

 

 

 

リアタイ視聴の感想〜NHKBS 小澤指揮ベルリン・フィル演奏会 1986年来日

 

 

 

小澤征爾の指揮、ベルリン・フィルの演奏、サントリーホールのオープニング記念演奏会をNHKが収録生放送していた1986年の映像を、NHK-BSで深夜放送していたので、リアタイした。

これは、元々はカラヤンが指揮するはずだった演奏会だが、病気キャンセルで小澤が代役で登場したもの。

 

※【BS】2024年3月18日 午前0:05~ 

小澤征爾 指揮 

ベルリン・フィル演奏会 

1986年来日公演

 

この時のNHK生放送(だったようだが)は、実のところ、試聴した記憶がない。当時、大学2年生で、勉学やアルバイトや音楽活動に多忙だったので、見逃したのだろう。しかし、その後も、再放送などで見た記憶もないし、もちろんディスク化もない。

これは、「N響事件」以来、関係断絶した小澤とNHKがまだこの86年当時、険悪だったということなのだろうか。小澤とNHK(とN響)が関係を修復したのは、1995年の、阪神大震災チャリティでの小澤&N響の共演だったので、それより10年も前のこの段階では、いろいろと複雑だったのだろう。

 

以下、3月17日深夜の再放送をリアタイした感想をまとめる。

 

 

#小澤征爾指揮 

#ベルリン・フィル演奏会 

1986年来日公演

このNHKの放送、ついに小澤征爾のインタビューはなかった。これはNHK側が依頼しなかったのか? 小澤が断ったのか? いずれにせよ、「N響事件」がまだ尾を引いている感じがありありと伝わってくる。

そもそも、ベルリン・フィル演奏会の放送で、指揮者のコメントがない、という事態はあり得ないはずだ。

 

この演奏会は、1986年サントリーホールのオープニングコンサートで、小澤征爾はベルリン・フィルを指揮するはずだったカラヤンの病気キャンセルの代役だった。

演奏開始前、来賓の、当時の浩宮様が着席するのをきちんと映している。

この公演、コンマスは、日本人初のベルリン・フィルコンマスの安永徹だ。

曲目は、シューベルト「未完成」、R.シュトラウス「英雄の生涯」。これは本来、カラヤンが振る曲目そのままだったのだろうか?

もしこの時カラヤンの来日が叶っていたら、まさに彼の晩年の絶頂期における日本での演奏が実現していたはず。その後の最後の来日では、さすがのカラヤンも健康状態の悪化と、演奏の雑さが目立っていた。

 

小澤とシューベルト「未完成」は、相性のいい曲だ。何度も録音しているが、今回の86年ベルリン・フィルは、小澤にしては異例なほどルバートを効かせて、超ロマンティックな演奏となっている。

それにしても、86年当時のベルリン・フィルはやはり音が分厚い!

その後のアバドの音楽監督時代の音とは全然違う。NHKのテレビ用収録だが、非常に奥行きのある音響がとらえられている。低弦の深い響きまではっきり聴こえる。この演奏、小澤としては異例なほど、響きの重心が低い。

こうして改めて聴くと、小澤はベルリン・フィルと相性が良かったように思える。

小澤の「未完成」、他の録音ではこんなに金管を朗々と鳴らさなかった気がする。あるいはカラヤンとベルリン・フィルのやり方を尊重したのだろうか。

それにしても、86年のベルリン・フィルの金管は分厚い響きで、カラヤン時代の絶頂期の音そのものだった。

最後、消え入るように締めくくられる「未完成」の曲終わりで、今の聴衆のような「ブラボー屋」がいなくてよかった!

 

番組は、生中継だったようで、演奏会の休憩時間の幕間に、同じサントリーホールで展示されているベルリン・フィルの歴史を見ながら、楽団員のインタビューを交えて解説している。なんと、会場にはカラヤンの肖像画!も展示されている!

やはり、このNHKの番組作りは、あくまでカラヤンとベルリン・フィル来日、というのがメインテーマだったのだろう。もしや、この放送で小澤のインタビューは、ないのか?

幕間、コンマスの安永徹のインタビューもあった。まだ、就任3年の時期だった!

だがやはり、小澤征爾のインタビューは、ない!

NHK、露骨だなあ。

 

さて、リアタイ後半は、R.シュトラウス「英雄の生涯」。

小澤とベルリン・フィルの「英雄の生涯」は、「未完成」の時とは違って、安全運転だ。長丁場をいかにもたせるか、という感じで進む。

小澤の指揮は、「未完成」でのタクトを持たない振り方とは違い、いつもの長めのタクトを持って、実に細かく振り分けている。まだ50代、若かった当時の小澤の指揮は本当に機能的で、オケのコントロールを隅々までつかんでいる。だがその分、いささか窮屈でもある。

あるいは、小澤はカラヤンの十八番である「英雄の生涯」をベルリンフィルと演奏することに、ものすごいプレッシャーを感じて、あくまで小澤のR.シュトラウスを実現しようと、過剰に細かい振り方になっているのだろうか。

そういえば、この当時、小澤がカラヤンの後継者でベルリンフィルの常任になるかも?と噂されていた頃だったかも?

「英雄の生涯」の「戦闘」のところで、ずっと律儀に右手で拍を刻み続ける小澤の指揮ぶり、なるほどオケは安心して弾けるのだろう。ただ、細部にこだわるあまり、大きなフレーズの流れが分断されているという感じもする。

比較してみると、小澤がボストン交響楽団と録音した「英雄の生涯」は、この当時の小澤&ボストン響らしく、非常に明快で透明度が高い反面、R.シュトラウスというにはちょっと軽すぎ、薄味すぎ、という印象だった。それに比べると、やはり今回はベルリン・フィルの重厚さがプラスに働いていたようだ。

ベルリン・フィル86年当時のホルン・セクションは、これこそドイツ本流のホルンという分厚い響きだ。このような厚みのあるホルン・セクションは、90年代以降、ベルリン・フィルだけでなく他の欧州のオケからも、失われていったように思う。

 

「英雄の生涯」演奏終了後は、直ちに舞台袖にカメラが切り替わる。ステージから戻る指揮者を、ピッタリと追う。小澤は水を一口飲むと、怖い表情のまま、演奏者の誰を答礼させるか周囲に尋ねる。このカメラ撮影は、明らかにカラヤンが指揮する予定だった時のままなのだろう。カラヤンの指揮後の姿を、なんとしてもカメラに映そうという意図を感じる。

すぐに舞台に引き返して、順番に奏者に答礼させたのち、小澤は意外なほどあっさりと、ベルリン・フィルの楽員たちを舞台から引き下がらせた。これは最初からの予定だったのか? それともベルリン・フィルの演奏会はいつもこのぐらい、あっさりと退いていたのだろうか?

舞台袖に引っ込んだ小澤は、いかにも疲労困憊だ。引き上げてきたベルリン・フィル団員たちと言葉をかわしながらも、あまり笑顔はない。思ったような演奏にはならなかったのか? それとも、舞台袖の姿をカメラで追いかけられているのが気に入らないのかも?

はたしてカラヤンが指揮していたら、NHKのこのカメラワークは実現しただろうか? カラヤンは舞台袖の表情など、撮らせてくれただろうか?

ともあれ、86年のサントリーホールのオープニングで、小澤とベルリン・フィルの生演奏を聴けた人は、なんと幸運だったことか。

そういえば、86年にはまだ、客席から花束を指揮者に手渡すことができたのだ、と感心した。思えばのどかな時代だった。しかし、小澤は花束を指揮台に載せたっきり、そのまま置き去りにして舞台袖に引っ込んだ。このことも、いささかそっけないステージマナーに思える。そのぐらい疲労していたのか、あるいは、やはり演奏が今一だったのだろうか。

 

これはぜひ実現してほしいのだが、NHKはベルリン・フィル側と交渉して、今回のサントリーホールオープニング演奏会の、小澤&ベルリン・フィルの映像と音盤を、ブルーレイやCDで発売してほしい。時代の記録として、実に貴重な生収録だったことは間違い無いのだ。

 

 

 

 

※【小澤征爾追悼】

「世界の」小澤と「世界の」村上春樹

https://note.com/doiyutaka/n/nda901739a5dc

 

※小澤征爾のオペラの思い出 ヘネシー・オペラ・シリーズ・ヴェルディ『ファルスタッフ』

https://note.com/doiyutaka/n/nacb8f06204e0

 

ヴェルディ『ファルスタッフ』

指揮:小澤征爾、演出:デイヴィッド・ニース、舞台デザイン:ジャン=ピエール・ポネル

サー・ジョン・ファルスタッフ:ベンジャミン・ラクソン、クイックリー夫人:フィオレンツァ・コソット、ナネッタ:ドーン・アプショー 他

新日本フィルハーモニー交響楽団

1993年5月16日、尼崎・アルカイックホールにて

 

 

※エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第32回小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年〜ベルリオーズ・フェスティバル〜

(期間限定・無料公開中)

https://note.com/doiyutaka/n/n83909833b931

 

小澤&ボストン響来日公演

第22回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1989年

https://note.mu/doiyutaka/n/n2cc998df03fa

2024年大阪府立高校の異常な倍率差、維新の会教育改悪はもう取り返しがつかない大混乱

2024年大阪府立高校の異常な倍率差、維新の会教育改悪はもう取り返しがつかない大混乱

 

2024年大阪府立高校受験倍率(全体)

https://www.sankei.com/common/js/lib/pdfjs/web/viewer.html?file=https://www.sankei.com/module/edit/pdf/202401/osaka_syutugan20240306.pdf

 

※2024年大阪府立高校受験倍率

資料1

 

 

旧1、2学区は、文理学科の北野・豊中・茨木が君臨し、その下の普通科高校も異常な高倍率で、成績中堅レベルの生徒の行き先が少なすぎる。

旧2学区時代から人気だった春日丘高校の1.44倍は、相変わらずめちゃくちゃ高いが、旧2学区で中堅だった山田高校が1.24倍というのは、ちょっと異常な高倍率だ。

大阪府立高校トップ10である文理学科以外で、本来なら中堅私大進学を狙えていた中堅クラスの府立高校が軒並み、維新の府立高校統廃合政策で次々に減らされた。そこで、成績中堅層の生徒は、これまた維新の会主導による私立高校授業料無償によって、結果的に私立へ流れる仕組みである。これが、維新の会の政策による一部私立高校への利益誘導を疑わせる理由だ。

 

だが、2024年春の府立高校受験の様相は、これまでよりひどい。さらに今後、私立高校授業料無償の所得制限が撤廃される予定で、これによってますます混乱が増すだろう。大阪府下の高校進学は、完全にカオス状態で、中学校による進路指導はもはや不可能な有様だ。

もし、維新の会の大阪府政が今後も引き続き、定員割れの府立高校を統廃合の対象にし続けるなら、旧1、2学区では渋谷、北摂つばさ、高槻北、阿武野、摂津といったかつての中堅校が軒並み潰されかねない。これからも中ぐらいの成績の生徒の進学先は、ますます選択肢が狭まる一方で、授業料無償に引っ張られて私立へ誘導されるだろう。

 

 

一方で、大阪府立高校の成績上位校も、現状、展望は明るくない。大阪府立高校トップ10の文理学科のうち、豊中高校1.57倍、高津高校1.56倍という異常な高倍率は、いくらなんでもひどすぎる。これはさすがに、高校受験の倍率ではありえない。大学入試と違って、高校受験は基本的にやり直しがきかないので、進学希望者全員の進路を保証することが教育行政に求められるからだ。

成績上位の受験生徒は、もちろん事前に相応レベルの私立を滑り止めにキープしているだろうが、府立トップ10の高倍率加熱が、結果的に大量の成績上位者を確実に私立に流す仕組みとなっているのである。これは、一部私立への露骨な利益誘導だといえる。

 

※2024年大阪府立高校受験倍率

資料2

 

 

もう一つ、維新の教育改悪のとばっちりで定員割れになってしまったのが、平成の頃には花形の学科だった総合学科の各校だ。本来、総合学科は現在の文理学科を先取りしたような、学校裁量で文系理系横断の多種多様な教育ができるのが持ち味だった。ところが、維新の会支配下でいびつな府立高校ランク分けが進行した結果、どんどん定員割れが増えてきて、今やすっかり凋落させられてしまった。柴島高校の総合学科は、唯一の高倍率1.24倍を保っているのだが、大阪市内、特に東淀川区の特殊事情もあって、希望者が集中しているのかもしれない。

 

 

※2024年大阪府立高校受験倍率

資料3

 

さらにひどいのが、大阪のものづくりを支えるはずの工業や商業など職業高校の定員割れだ。あの全国一の吹奏楽部で有名な大阪府立淀川工科高校でさえ、今年は定員割れだ。今宮工科と佐野工科はまだ希望者が多いようだが、今のうちにテコ入れしていかないと、工業系が総崩れになってしまってからでは、職業高校の立て直しは教員の人材的にも難しいのだ。

また最近、維新の会の政策で大阪市立の高校から府立に移管させられた、元の大阪市立の工業系・商業系の高校も見る影もなく定員割れ続出だ。

本来は地元・大阪の経済を先々支えるための人材育成に注力していた職業高校を、こんな無残な状態にした維新の会の教育政策は、完全に間違いだったのが明白である。

 

 

 

 

 

※過去の関係記事

2023年度高校入試、大阪府立高校倍率は維新の会の教育政策の最悪の結末だ

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12792660974.html

 

2023年の大阪府立高校希望調査と、私立高校希望調査をみて

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12786413545.html

 

2022年大阪府立高校入試の倍率、やはり維新の会の教育改悪の結果、子どもたちは苛烈な競争に追い立てられている

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12730121136.html

 

2021年度大阪府公立高校入試の倍率、確定。高倍率と定員割れの格差を作ったのは維新の会の教育政策だ。

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12660782281.html

 

2020年大阪府立高校の入試出願の中間発表と最終発表、今年は変だ

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12580614066.html

 

2020年春の大阪府立高校の難関大学合格結果を考察した。この10年の維新の会による大阪府教育改革はこれでいいのか?

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12589793890.html

 

(まとめ)2019年の大阪府立高校入試と大学入試の結果で、維新の会教育改革失敗が証明された

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12450639923.html

 

大阪府立のハイレベル高校、大学入試の結果は維新の会教育改革の失敗を示している

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12449967911.html

小澤征爾追悼

小澤征爾追悼

(再録記事)

【小沢征爾指揮のウィーン・フィルを聴いて】

2000年11月12日

 

小沢指揮のウィーン・フィルのコンサート、曲目はブラームスの交響曲第4番と第1番。

もちろん満席で、立ち見も大勢いた。期待に身を乗り出す聴衆の前に小沢が登場、割れんばかりの拍手が沸き起こる。小沢は両手を上げてそれを制した。おもむろにこう語りだした。

「昨日、オーストリアで悲しい出来事がありました。アルプスのケーブルの事故で、百何十名もの人が亡くなりました」
これは、オーストリアのキッツシュタインホルン山で起こったケーブルカー事故のことである。同じオーストリア人として、ウィーン・フィルのメンバーは大きな衝撃を受けていたのだろう。小沢は、その事故の犠牲者と遺族に哀悼の意を表して、この夜のコンサートを、バッハの『G線上のアリア』で始めた。大変心のこもった、胸にしみる演奏だった。その後、オーケストラのメンバーが立ち上がり、満場の聴衆もみな立ち上がって、じっと黙祷を捧げたのだった。

これが、小沢の人間性なのである。その場にいた全ての人の心に影響を与える力を持っている、自然とにじみでる人格の魅力である。

その後、コンサートは始まった。もちろん、ブラームスはすばらしかった。特に、第1番では、小沢の指揮にウィーン・フィルは見事に応え、白熱した演奏をくりひろげた。アンコールにJ・シュトラウスⅡの『ウィーン気質』が演奏されて、満席の聴衆はすっかり満足した。

だが、この夜、最後まで心に響いていたのは、最初に哀悼の意をこめて演奏された『G線上のアリア』だった。コンサートのあと、シンフォニーホールを出て公園の木々の間を歩きながら、まだ『アリア』のメロディが鳴っていた。音楽は心で奏でるものなのだと、改めて知った夜だった。

 

 

 

 

※土居豊のエッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第32回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年〜ベルリオーズ・フェスティバル〜(期間限定・無料公開中)

https://note.com/doiyutaka/n/n83909833b931

 

 

映画「ガンダムSEED フリーダム」初見の感想 (ネタバレします

映画「ガンダムSEED フリーダム」初見の感想

(ネタバレします。まだ鑑賞していない方はご注意ください)

 

ガンダムSEEDとSEED Destinyの両方を観てきた人は、絶対に観るべき映画だ。

これまでガンダムSEEDシリーズを観なかった人も、これを機会に、ダイジェスト版で予習してからぜひ観てほしい。

シリーズ完結編としては、実に秀逸な締めくくりだった。

あまりに情報量が多いため、細かい部分をまだ消化しきれないが、結末も文句なしだし、展開も王道のエンタメ映画。しかも、コミカルな演出があちこちにあって、SEEDテレビシリーズのコミカルな部分をしっかり引き継いでいる。

Destinyの陰鬱な展開に辟易して、観ていなかった人も、SEED無印のテレビシリーズの完結編としてみることができるはずだ。

主要キャラたちの特徴をデフォルメして、初見にもわかりやすい描き分けがされているが、昔からの視聴者には、懐かしさで思わず声が出そうになるだろう。

1本の映画にまとめるには、あまりにエピソード要素が多すぎるため、詰め込みすぎなのは仕方がないが、それでも可能な限り練り上げられたシナリオで、とにかくもDestinyテレビシリーズで残された懸念を、うまく解決していた。

 

 

 

 

 

 

 

以下、ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この物語で、コズミック・イラの物語はめでたし、となるはずなのだが、唯一の懸念は、各カップルに子孫ができるのかどうか、だけだ。

すでにテレビシリーズで、この世界でのコーディネーターに、なかなか子どもが生まれないという少子化の危機感が語られていた。コズミック・イラ世界の人々が、少子化をどう克服するか、もちろんそれはまた別の物語である。

 

 

以下は、SEEDテレビシリーズの視聴者として、本作映画で注目した点を列挙する。

 

 

 

 

 

 

 

以下、映画本編のネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、筆者はメイリン推しなのだが、十分満足できる展開だったことが嬉しい。

(一人言:映画の構図として、彼女のお尻が妙に目立つ角度での場面が気になった)

 

 

ラクスが最後にキラと合流した際の、ノーマルスーツ?は、「エヴァ」のプラグスーツや、あるいは「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のスーツとコクピットを連想させるデザインだった。

最後のキラとラクスの2人コクピットも、敵方の二人乗りも、「エヴァ」のダブル・エントリープラグを踏まえていることがうかがえる。2人の共同作業で戦うスタイルが、「ガンダム」シリーズにも定着していることに感心した。

 

 

ステラのゴーストが最強だった。ルナマリアは、シンと一緒に寝ていて夜な夜なあれに脅されてないのかな?

 

 

アスランの思考遮断術は妄想全開で、シンはそもそも何も考えてない、この対比は、まるで技の剣と無想の剣。

 

 

アスランの「俺の知ってるラクス」発言に皆がザワザワするのは、もしかして元婚約者だというのを忘れているのか?

 

 

シンが撃墜され帰ってこないかもしれない時、2人の部屋でルナマリアが悲しむベッドの手前のデスクに、シンの妹マユのガラケーがまだ置いてあるのが、泣けた。

 

 

化けて出た?ステラのことを考えてふと、思ったのだが、ムウの記憶が戻った時点で、ネオの頃の記憶は保たれていたのだろうか。つまり、ネオだった頃の、ステラの記憶は今のムウにあるのだろうか。シンとステラのいきさつを、ムウはちゃんとわかっているのだろうか。

 

本作についての考察は、引き続き考えて、文芸批評で書き継ぐつもりだ。

 

 

 

各方面で大変お世話になりありがとうございました。 土居豊の2023年、主な仕事など

各方面で大変お世話になり、ありがとうございました。

2023年の主な仕事

 

※トピックス

和泉市の市民大学で、作家・土居豊の文学講座を開催中!

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12833798758.html

 

講座ラインナップ

 

 

(1)

学会誌掲載

オンラインジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』Vol.5

(2023/5/15グーグルサイト公開。同年6/2Jstage公開)

映像メディア時評「京アニ作品の死生観」論2

【音楽アニメの死生観~『けいおん!』『響け!ユーフォニアム』の場合】

土居豊 著

https://drive.google.com/file/d/1LiQMddCzsAct4Bk_WlSMwxgXbAAkWEDX/view

 

(2)

新作評論刊行

『村上春樹を歩く・その後 〜読書会と文学聖地巡礼の試み〜』土居豊 著

Kindle版

https://amzn.asia/d/eGw3d5I

 

 

『村上春樹の猿〜獣と嫉妬と謎の死の系譜』(浦澄彬 名義)

Kindle版

https://amzn.asia/d/9btJDxZ

 

 

(3)

マガジン「土居豊の文芸批評」不定期連載中

《作家・土居豊が「文芸批評」として各種ジャンルの作品を批評》

https://note.com/doiyutaka/m/m8acfd4c1e7cc

 

※最近の批評例

土居豊の文芸批評・アニメ編【『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』は21世紀の混迷を先取りしたアニメ】

https://note.com/doiyutaka/n/n635eacda21a8

 

(4)

時事通信配信の書評多数

 

2024年も、ご贔屓いただきますよう、どうぞお願い申し上げます。

 

土居豊のフェイスブックページ

http://www.facebook.com/yutaka.doi

 

Amazon著者ページ

http://www.amazon.co.jp/-/e/B00491B5TQ

 

土居豊のX(旧ツィッター)

https://twitter.com/urazumi

 

 

【作家・土居豊 経歴】

2000年、村上春樹論の連載で関西文学選奨奨励賞受賞、評論『村上春樹を歩く』(浦澄彬名義/彩流社)刊行

 

2005年、音楽小説『トリオ・ソナタ』(図書新聞)で小説家としてもデビュー

 

小説『トリオ・ソナタ』ジュンク堂大阪本店で面ちん。自筆のポップ付き。

 

 

2009年、評論『村上春樹を読むヒント』(KKロングセラーズ)刊行、評論『坂の上の雲を読み解く! これで全部わかる、秋山兄弟と正岡子規』(講談社)刊行

 

NHKドラマ『坂の上の雲』関連本の一つで、平積みに。

 

 

2010年、評論『村上春樹のエロス』(KKロングセラーズ)刊行

 

 

 

紀伊国屋書店新宿本店の店頭の特別売り場に、面ちんとなった。

 

 

2011年、第2回ブクログ大賞にノミネート

 

2012年、評論『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』(大学教育出版)刊行

 

 

2013年、評論『沿線文学の聖地巡礼 川端康成から涼宮ハルヒまで』(関西学院大学出版会)刊行

 

 

2014年、『いま、村上春樹を読むこと』(関西学院大学出版会)刊行、毎日新聞夕刊に小説『傘』を掲載

 

 

2015年、評論『司馬遼太郎の文学を読む 『坂の上の雲』と幕末・明治の大阪』(電子書籍版)刊行

 

2016年、評論『ミリオンセラーの生まれ方 「君の名は。」はセカチューかノルウェイか?』(電子書籍版)刊行、小説『供犠 トリオソナタ2』(電子書籍版)刊行、小説『オレンジ Motojiro Kajiiに捧ぐ』を総合マンガ誌「キッチュ」第七号(ワイズ出版創刊号)に掲載

 

漫画家ムライさんにイラスト提供いただく。

 

 

2017年、評論『真田幸村VS徳川家康 なぜ司馬遼太郎は幸村贔屓でアンチ家康だったのか?』(電子書籍版)刊行、評論『村上春樹で味わう世界の名著』(電子書籍版)刊行、共著『西宮文学案内』(河内厚郎監修 関西学院大学出版会)刊行

 

2018年、『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会)刊行、地方新聞に土居豊の連載エッセイ掲載(時事通信社の配信)

 

 

2019年、小説『名探偵ブロッくんとお城のおばけ』を総合マンガ誌「キッチュ」第八号(ワイズ出版2号)に掲載、新聞書評を担当し時事通信社から各地方新聞へ配信、小説『彼女たちのフーガ』(電子書籍版)刊行、小説『ウイ・ガット・サマータイム!』(電子書籍版)刊行

 

 

2020年、エッセイ『関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで』、『コロナ禍の下での文化芸術』など連載、YouTube講座・作家・土居豊チャンネル【「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」書籍化企画講座】、【司馬遼太郎「翔ぶが如く」を読んで、現代日本を語る】など配信開始、学会誌掲載オープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』2号:映像メディア時評 人文死生学研究会番外編「涼宮ハルヒ」+京都アニメーションお別れの会参列報告、明治安田生命PR誌「関西を考える会」に執筆

 

2021年、地方新聞に「土居豊の社会時評」を掲載(時事通信社の配信)、時事通信社の配信で書評を多数掲載

 

2022年、学会誌掲載J-STAGE:こころの科学とエピステモロジー4巻 (2022) 1号:映像メディア時評「京アニ作品の死生観」論その1【ミステリーアニメの死生観〜『涼宮ハルヒ』とP.A.WORKSの『Another』、そして『氷菓』】

 

2023年、学会誌掲載オンラインジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』最新号Vol.5(2023/5/15グーグルサイト公開。同年6/2Jstage公開)映像メディア時評(特集)「京アニ作品の死生観」論 その2【音楽アニメの死生観~『けいおん!』『響け!ユーフォニアム』の場合】、評論『村上春樹を歩く・その後 〜読書会と文学聖地巡礼の試み〜』刊行、『村上春樹の猿〜獣と嫉妬と謎の死の系譜』(浦澄彬 名義)刊行、マガジン「土居豊の文芸批評」不定期連載中《作家・土居豊が「文芸批評」として各種ジャンルの作品を批評》第1回「村上春樹『街とその不確かな壁』のオリジナル版と新作」

 

以下、2024年へ続く

 

 

和泉市の市民大学で、作家・土居豊の文学講座を開催中!

和泉市の市民大学で、作家・土居豊の文学講座を開催中!

 

 

※概要

令和5年度いずみ市民大学

土居豊の担当講座

日時:毎火曜日 午後14時〜15時30分

計10回

 

【大阪発のエンタメ小説を読む〜江戸川乱歩から司馬遼太郎、小松左京、東野圭吾まで】

 

講座内容《大阪は、エンタメ小説の聖地です。江戸川乱歩以来、戦後のエンタメ小説を代表するミステリー作家たち、SF作家たちに加え、最新のイヤミス(読後、イヤな気持ちになるミステリーのこと)作家も輩出しています。さらに大阪の生んだ国民作家・司馬遼太郎と、特別編として、京都生まれ阪神間育ちの村上春樹の最新作も扱います】

 

以下は終了

 

第1回 江戸川乱歩『D坂の殺人事件』

名探偵・明智小五郎の最初の事件は大阪だった

第2回 山崎豊子『白い巨塔』 

戦後エンタメ小説の代表格

第3回 大阪ゆかりのミステリー(1)

高村薫『照柿』は大阪ミステリーの名作

第4回 大阪ゆかりのミステリー(2)

大阪在住の有栖川有栖が描く、同姓同名キャラの語り部と名探偵・火村の活躍

第5回 大阪ゆかりのミステリー(3)

イヤミスの新鋭!秋吉理香子が描く新時代のミステリー

 

以下、来年2024年1月〜2月まで、後半の講座が続きます

 

2024年1月9日

第6回 大阪が生んだ国民作家・司馬遼太郎

『ひとびとの跫音』に描かれた阪急

 

1月30日

第7回 大阪は日本SFの聖地

小松左京・筒井康隆・眉村卓そして手塚治虫

 

2月6日

第8回 大阪から世界へ

東野圭吾『白夜行』は20世紀ミステリー最後の傑作

 

2月20日

第9回

村上春樹はどうして関西弁で小説を書かない?

 

2月27日

第10回

村上春樹の最新長編『街とその不確かな壁』は大阪が舞台?

 

以上です。

 

主催のいずみ市民大学によると、まだ若干名、空きがあるとのことですので、もしご興味あれば、お申し込みいただけますと光栄です。

 

 

(参考)

次回、第6回「大阪が生んだ国民作家・司馬遼太郎 『ひとびとの跫音』に描かれた阪急」の内容について、土居による前置きです。

《国民作家・司馬遼太郎の唯一(ほぼ)の純文学長編

『ひとびとの跫音』は、ほぼエッセイのような作品だが、あくまで小説として書かれている。

昭和の私小説のように、まるで作者本人のような司馬遼太郎という語り手が、歴史上の人物である正岡子規の子孫と、西沢隆二(詩人の、ぬやま・ひろし)との交流と思い出を語る小説だ。

司馬は、直木賞受賞の『梟の城』以後、一貫して歴史小説ばかり発表しており、紀行エッセイ「街道をゆく」シリーズと晩年のエッセイのほか、一般に入手しやすい作品の中に純文学小説的なものはない。

新聞記者時代の初期作品としては、全集に収録された「白い歓喜天」という私小説的な短編もあるが、流行作家として活躍し始めたのちは、この私小説は短編集に収録されていない。

だから、『ひとびとの跫音』は司馬の私小説的な側面を垣間見る貴重な例外の長編だといえる。》

 

 

※いずみ市民大学 公式HP

https://www.izumicityplaza.or.jp/college/

 

https://www.izumicityplaza.or.jp/wp-content/uploads/2023/08/485bbaec265a38c3d4d4e5324e412f97.pdf

 

 

 

いずみ市民大学最寄りの泉北高速線・和泉中央駅から見る景色

 

 

 

なんば広場にみる維新の会の大阪府政・市政の失敗〜ミナミの魅力が失われ、広場は自転車事故の危険も

なんば広場の例にみる、維新の会の大阪府政・市政の失敗〜 せっかくのミナミの魅力が失われ、広場は自転車事故の危険も

 

 

何かと話題のなんば広場、さっそく偵察してきた。

だが、やはりこの空間は大きな失敗だ。

せっかくのミナミの魅力が失われ、広場では自転車事故の危険も大きい。

 

例えば、

この写真の状況のあと自転車が数台、広場をかなりのスピードで斜め横断した。

 

 

早急に柵か何か設置しないと重大事故が起きる。

みんな写真撮ったりして周囲に気がついてない。車椅子や白杖の人には極めて危険。乳幼児も危ない。

そもそも、ここは自転車は侵入禁止ではないのだろうか? しかしこの位置関係では、間違いなく自転車は斜め横断したくなる。なぜならこれまでタクシーのロータリーだった場所が、広場になって自転車はショートカットできるのだ。まるでこの広場は、自転車の近道のためにわざわざ作ったようなものだ。

維新の会の政治家たちや大阪市役所、警察、誰も想像しなかったのか?

これまで歩道をぐるっと回らなければ御堂筋側から商店街やなんば駅まで行けなかったのが、広場になれば自転車はショートカットしたくなる。

自転車だけでなくこのままではキックボードも侵入しかねない。

この大金かけた広場に、自転車やキックボードが侵入しないようにするには、歩道との間にフェンスを作るか、車両が走れないように柵を細かく設けるか、あるいは走行しにくい段差や凸凹を作るか?

いずれにせよ、想定したような?歩行者天国の広場にはなりにくい。危険だからだ。

位置を考えれば、以上のことは容易に想像できたはずだ。

 

 

 

 

 

自転車にとって、御堂筋から歩道を通ってなんば駅ビルか丸井の側をぐるっと回らないと、商店街や千日前、日本橋方面へ突っ切れなかったところに、巨大な斜め横断空間ができたのだ。それは近道に斜めに突っ切りたくなるだろう。

つまりこの場所は本来、御堂筋と日本橋側をつなぐための駅前ロータリーだったのだから、そこを広場にしてもよほど厳重に仕切りを作らないと、自転車などは近道したくなるという構造になっているのだ。

 

 

だがせっかくの広場に、厳重な仕切りを作ると自由な歩行者天国にはならない。それは本末転倒だ。

つまりは、この大金かけた広場は、失敗作だということだ。

 

かつてのなんば駅前の空間は、長年、地元の商売人たちが工夫を重ねて、魅力的な空間になっていた。

 

 

 

 

 

これらの道頓堀や戎橋商店街が、ミナミの歓楽街の中心地であり、なんば駅前からの導線は、以下のように駅前ロータリーをはさんで、多方向に向けてつながっていた。

 

 

 

導線としては、まず最初に大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)のなんば駅から、地下を通ってミナミの各所へつながる、地下街の広大な広がりがある。

 

 

 

 

もう一つは、南海なんば駅を出て、地上から各所へ向かう導線がある。

 

 

昔は、南海駅前のこの吹き抜け空間に、巨大なロケットが飾ってあり、通称「ロケット広場」といって、待ち合わせの名所だった。

今はただの吹き抜けになってしまったが、それでも、なんば駅を見晴かす気持ちのいい空間を形成している。

 

 

 

 

かつては、なんば駅から一階を歩いてすぐ、タクシー乗り場があった。現状、広場になってしまったため、タクシーを拾いたい人はかなり遠くまで歩く羽目になる。

また、南海なんば駅は、道頓堀に通じる高島屋がわだけでなく、中央口から直結のショッピングモールも、大きなホテルもある。こちら側の整備は、関西空港への玄関口としての再開発から生まれた、なんば駅のもう一つの顔だ。

 

 

 

元々は、大阪球場が南海電車に密接して建っていたのだが、その跡地に、球場あとの再利用としてはおそらく初の「なんばパークス」という複合施設ができた。このショッピングモールは、外側が階段上の公園になっており、名前の通り、都会のオアシス的な公園として季節の植物の彩りが楽しめる。

 

もう一方の、3つ目のなんばの顔は、こちらの日本橋がわの方面にある、「オタロード」だ。

実際のところ、インバウンドの観光客の多くは、このオタロード目当てで買い物にきていると推定される。アニメ・ゲーム・マンガなどサブカルの様々な店がひしめくこの一角は、日本で今、唯一無二といっていい海外向けの売りであるサブカル商品の集積地として、東京の秋葉原や池袋、中野と並んで、西のオタグッズ聖地なのだ。

 

 

 

 

さらに、大阪ミナミの難波という巨大な地域には、もう一つの玄関口もある。JR難波駅の方面だ。

こちらも、関西国際空港への玄関口として再開発されてきた地域で、JR駅の周辺には、道頓堀と直接つながる水路の周囲に、歓楽街が栄えている。

 

 

 

 

このように、多面的な繁栄ぶりを形成してきた大阪難波の巨大な空間には、御堂筋の一角にある「なんば広場」など、屋上屋をかすぐらいの意味しかないと言える。

それどころか、最初に述べたように、広場が自転車の近道に利用されることで、重大事故の可能性が非常に高まった。それどころか、もしあの広場のニュースを見て、暴走族があそこでひと暴れしようと思いついたら、なかなかに大変なことになるだろう。

以下の図のように、元々が駅前ロータリーであるなんば広場は、御堂筋側と日本橋側を接続しているため、バイクや車で容易に侵入でき、逃げるのも簡単だ。

 

 

願わくば、大阪の暴走族たちが騒ぎを起こすに格好のこの場所を、気づかないでいてほしいものだが、おそらく無理だろう。

 

森山氏”いろんな建築事件が多発しているので、ブログ更新再開します。「大阪万博がピンチらしい」”

 

 

森山氏の以下のブログ、全くその通り。 

大阪関西万博は再来年の4月開催、もはやあと2年ないので今から修学旅行誘致しても無駄です。

 通常、修学旅行先を変更するには前年度の同じ時期に下見して、トラブルなく行けるよう計画を立てます。

 1年前の同じ時期に下見しようにもまだ夢洲は工事中でしょう? 

修学旅行の計画立てようがない。

 

土居が寄稿した電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』がJstageでも公開

土居が寄稿した電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』がJstageでも公開されました。京アニ作品のみならず、音楽アニメを愛する多くの皆さんへお届けしたい論考です。ご興味ありましたらアクセスしてみてください。

以下

 

オンラインジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』最新号(Vol.5)

(2023/5/15グーグルサイト公開。同年6/2Jstage公開)

 

https://www.jstage.jst.go.jp/browse/epstemindsci/-char/ja

 

映像メディア時評(特集)「京アニ作品の死生観」論 その2【音楽アニメの死生観~『けいおん!』『響け!ユーフォニアム』の場合】土居豊 著

PDFダウンロード

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/5/1/5_131/_pdf/-char/ja

 

※序文より

《京アニ作品『けいおん!』(第2期、劇場版も含む)と、同じく京アニの音楽アニメの集大成『響け!ユーフォニアム』諸作を今改めて振り返ると、ゼロ年代(2000年代)で終わりをむかえてしまった平和な日常を描く、最後の作品群だったと感じさせられる。2010年代後半から今にいたる日本の日常からは、京アニ作品に代表される平穏な学生生活のリアリティが失われつつある。2020年代、新型コロナ危機やウクライナ戦争などの影響も相まって、ゼロ年代的な日常感覚、「世はなべてこともなし」という10代の青春物語は完全に現実味を失ったといっていいだろう。》

 

 

 

 

※以前の掲載論考

(1)

こころの科学とエピステモロジー4巻 (2022) 1号

映像メディア時評「京アニ作品の死生観」論その1【ミステリーアニメの死生観〜『涼宮ハルヒ』とP.A.WORKSの『Another』、そして『氷菓』】

土居豊(作家)

PDFでダウンロード

https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/4/1/4_103/_pdf/-char/ja

 

(2)

電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』3号

土居豊の担当した文章へのリンク

『京アニ事件の深層―京アニ事件総論』

https://drive.google.com/file/d/1KAcE6n04c3W726AhAgcMRSUttvPKfVIl/view

 

『京アニ事件の深層―「京アニ作品の死生観」試論』

https://drive.google.com/file/d/1bz3WOIykQOJUwpssYShbbdp60Ug-jllz/view

 

(3)

映像メディア時評『人文死生学研究会番外編「涼宮ハルヒ」+付記:京都アニメーションお別れの会参列報告』

執筆者

土居豊(作家)

渡辺恒夫(東邦大学名誉教授/心理学・現象学)

三浦俊彦(東京大学文学部教授。専門は芸術学・分析哲学)

 

https://drive.google.com/file/d/1nLmDGHfDji2Si6u5kduqCCbbsv8OBXgq/view

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>