作家・土居豊の批評 その他の文章 -5ページ目

映画「シン・ウルトラマン」は庵野秀明監督実写作品「巨神兵、東京に現る」の完全版か?(ネタバレあり

映画「シン・ウルトラマン」は、庵野秀明監督実写作品「巨神兵、東京に現る」の完全版か?

(ネタバレあり)

 

 

 

 

 

 

以下、映画のネタバレがあります

 

 

 

 

 

 

 

まず、仮説として、

【「巨神兵 東京に現る」が、「シン・ウルトラマン」のゼットンで具現化した】

と考えておく。

 

その上で、「シン・ウルトラマン」の世界観としては、

1)ウルトラマンとヒカリの星、は唯一神

2)ザラブとメフィラスは、多神教の神々

3)ウルトラマンと人間の融合、ベータシステムという「神の火」の扱いは、ギリシャ神話のプロメテウス

このような、多元世界としての地球とマルチバース宇宙を想定してみたい。

この映画「シン・ウルトラマン」は、前作「シン・ゴジラ」の継承というよりは、旧ウルトラマンとウルトラQの継承であり、庵野秀明作品の新劇場版エヴァ連作の世界観に近いものがある。

 

(1)異星人との恋愛関係?

シン・ウルトラマン(以下、シンマンと略す)と、早見隊員(旧作でのフジ隊員に該当)との関係は、異星人同士の恋愛関係、あるいは疑似恋愛、といえる。そのことは、映画パンフレット中のインタビューにも書かれている。

そこで、別次元・別宇宙の存在であるシンマンと、人類の女性がどうやって恋愛感情を表現できるだろう?

本作では、可能な限りの接触を両者が試みている。シンマンの側からは、匂いの把握、による擬似セックスの試みである。一方、浅見隊員側からは、「尻を叩く」接触による、「男性を奮い立たせる」行為が、女性側からのセックスの試みとなっている。

冒頭の仮説により、シンマン=人神、だとすると、早見はマグダラのマリアに擬されていると考えることも可能だ。

ただ、新約聖書のイエスの場合と異なり、別次元・別宇宙の存在であるシンマンを、浅見はどうやって愛するだろうか?

本作では、愛していても、物理的に性器を重ねることが不可能な相手に対し、可能な限り接近を試みる描写がなされている、と考えよう。

シンマンの方からは、浅見の「匂い」を把握することで、匂いと共にそのオーラ(のような何か)に接触し、自身の肉体に取り込む、という擬似セックスが行われた。

その一方、浅見の側からは、「尻を叩く」表面的な接触しか成し得ない。これは、より上位概念であるシンマンには可能な別次元の接触が可能だが、悲しいかな、人類にとっては上位概念に対するアプローチの手段は限られている、という非対称性の表れなのだろう。

 

(2)マルチバースSFとしての「シン・ウルトラマン 」

 

マルチバースの中のシンマンは、旧作のように人間の肉体に合体したのではなさそうだ。なぜなら、変身の際に、神永隊員(旧作のハヤタ隊員=ウルトラマン に変身する)を手に包み込んで巨大化している。

これはつまり、シンマンが別宇宙からベータシステムでやって来て、神永隊員の肉体に宿らせたシンマンの意識と、別宇宙のシンマンの肉体を合体させ、マンの完成体になる、というようなことだろう。

だから意識はシンマンの意識で、地球世界での肉体は神永の体を借りており、完全体のシンマンになったあとは、神永の肉体はマルチバース内で保護されている、というようなことだろうと考える。

ゾーフィ(旧作のゾフィーに該当)は、シンマンの命を神永隊員に与えてシンマンの肉体を持ち去った。

ここに登場するゾーフィは、体のラインが二重補助線つきだ。このイメージは、「帰ってきたウルトラマン(以下、帰マンと略す)に類似しているのは、ゾーフィがシンマンの肉体を再生して帰マンを生み出すという伏線になるのだろうか?

旧作のウルトラシリーズと違って、マルチバースの「光の星」(旧作でのひかりのくに、M78星雲)は、原作の宇宙警備隊より、むしろタイムパトロールに近い。恒星間ではなく、多元宇宙の時空間でのトラブル解決を担っているのではないか。

他の外星人も、旧作の星人というより、マルチバースの中で悪企みをする時空盗賊的なイメージだ。

地球人も、マルチバースの中の無数の知的生命の一つということになる。ゾーフィは最後、人類が自分たちのように進化、成長する可能性を認める発言をした。つまりこの物語は、時空的に先行する種族が、地球人類の成長を見守るというパターンなのだ。ハードSFでよくある物語の類型だ。

生物兵器としての禍威獣(怪獣)は単なる武器のような扱いで、物語の本筋は、あくまで生物兵器を使う外星人たちである。そういう意味合いでは、この映画のテーマは旧作ウルトラマンより、旧作ウルトラセブンに近いといえる。

マルチバースの中で独自に進化した外星人たちは、庵野秀明監督の代表作であるアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(エヴァ、と略す)の「シト」のような、多様な生の可能性を思わせる。

その中の一つの可能性が地球人類、ということなのだろう。つまり、「エヴァ」での人類が、多数のシトの中で最後に残った可能性であるのとは逆だ。この映画での人類は、滅ぼされる運命にあるシトの一種のような存在といえる。その人類を愛したシンマンは、我が身をもって人類が進化できる証拠を示し、光の星による抹殺の危機から救った。

このメタファーは、明らかにキリストを表すだろう。シンマンとは、神の子、人神である。

 

(3)まとめ

 

本作は、環境破壊と国際政治、コロナとウクライナ戦争までを包括し、人類史の先行きを考えさせるハードSFとして成立している。

例えば、日本政府と外星人メフィラスとの密約は、現実の日本国の陥っている対米追従路線の戯画化に見える。

そのような生真面目なSF作品であると同時に、本作は旧ウルトラシリーズへのオマージュでもあり、また、その他のSFアニメやマンガ、特撮作品へのオマージュが散りばめられている。

例えば、神と人間の融合体としてのシン・ウルトラマンは、一種の『デビルマン』のような存在としても考えることができる。

また、作中で言及される生物兵器としての禍威獣は、平成ガメラシリーズでのコンセプトを踏襲する。

最後に、本作の続きを大胆に予想してみたい。

メフィラスが去った後は、もう生物兵器としての禍威獣は現れないはずだ。そこで、次作では主に星人の地球侵略を描く旧作『ウルトラセブン』の時代に、スムーズに移行するのではないか?

また、本作での禍威獣の存在が、環境破壊の象徴という意味あいももつところから、旧作『帰ってきたウルトラマン』へのルートも可能となろう。

結論として、冒頭の仮説とややずれるのだが、庵野秀明は「ウルトラマン」の形を借りて、宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』における「火の七日間」前史を実写化した、と考えておく。

『風の谷のナウシカ』の庵野版リメイクの端緒なのだ、と言っておこう。

ところで、これは付け足しだが、本作の冒頭、禍威獣から逃げ遅れた少年は、その後、旧作のように少年隊員にならなかった。

この展開の差こそ、庵野版ウルトラシリーズが子ども向きではなく、あくまで大人たちへ向けたSFであるという証明なのではあるまいか。

 

※過去記事

 

「シン・ゴジラ」のネタバレ全開批評〜この映画は「東京ゴジラ」だ

http://ameblo.jp/takashihara/entry-12188472363.html

 

シン・ゴジラによせて政治を語る人たち

http://ameblo.jp/takashihara/entry-12197294712.html

 

テレビで観た『シン・ゴジラ』〜1年すぎて、「この国はまだまだ」やれるか?

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12328000657.html

 

映画「シン・ゴジラ」を久々に見て、あの内閣は安倍内閣よりよほどマシだと思った

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12396547298.html

 

生駒ビル読書会・村上春樹「ドライブ・マイ・カー」

生駒ビル読書会・村上春樹「ドライブ・マイ・カー」

 

 

昨年の夏にやって以来、1年近く延び延びになっていた「生駒ビル読書会」。前回よりもグレードアップしたオンラインセッティングで、リモート参加の方も増えました。

コロナ以降、お目にかかれなかった常連参加者の方々とも再会を喜び合い、いつもの生駒ビル読書会のノリをすぐに取り戻して、和気あいあいと語り合いました。

村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」を課題作品に取り上げたのは、アカデミー賞受賞で話題の映画「ドライブ・マイ・カー」の原作だという話題性も理由です。この短編が収録されている『女のいない男たち』の他の短編にも触れつつ、数多くある村上春樹原作の映画作品の話題も出ました。

コロナ禍の2年間、ご参加の方々にもプライベートで色々あり、大変だったエピソードの交換もできました。

 

この生駒ビル読書会は、定期開催とはいかないながら、数ヶ月ごとに開催を続けていきたいと思います。とりあえず次回は、7月の予定です。課題本を決めずに、「わたしの一押し春樹作品」という感じでやるつもりです。

次回の告知は、以下のページで行います。

 

※フェイスブックページ「生駒ビル読書会」

https://www.facebook.com/ikomabld.reading.circle

 

読書会の前、久しぶりの北浜、カフェで「ドライブ・マイ・カー」再読。

 

 

ビルの谷間に埋もれている生駒ビルヂング

 

 

 

会場の地下会議室。ガラスケースに、貴重な歴史的資料が。

 

 

 

 

 

※データ

生駒ビル読書会

【日時】2022年5月17日火曜日 19時〜21時

【課題本】村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(『女のいない男たち』所収)

【ZOOM参加】

現地参加・Zoom参加とも18時半から受付。聴くだけ、簡単な感想だけでの参加も歓迎します。まとまった発言を希望される方は事前にお申し出ください。

■生駒ビル・地下サロンへのリアル参加

【参加費】1000円

※現地参加は上限10名まで。予約先着順。

■Zoom meetingオンライン参加

【参加費】   無料

【会場】生駒ビルヂング 地下サロン

大阪市中央区平野町2丁目2番12号(最寄駅:大阪メトロ堺筋線北浜駅 南へ200m)

生駒ビルヂングHP

http://www.ikoma.ne.jp/

【講師】土居豊(作家・文芸ソムリエ)

 

 

※前回の記録

(報告)生駒ビル読書会、再開! 改めて村上春樹の1Q84を読む

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12688102850.html

 

 

※村上春樹読書会をもとに書いた連作評論

連載更新!土居豊のエッセイ「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」

第1部最終回

⒐ 『騎士団長殺し』と「キャラ読み」「アイテム読み」

https://note.com/doiyutaka/n/n0d3e5d457959

 

《第2部【コロナ前の村上春樹文学散歩では、仲間達と聖地巡礼を楽しみ、打ち上げの飲み会で作品の読みを深めた】は、まず電子版で第1部とまとめて刊行する予定です。画像・図が多数入るため、本稿はいずれ、ご興味のある版元さんが現れたら、単行本の形で上梓することを希望します。本稿にご興味のある版元さん、ぜひお声かけください!》

 

 

演奏会評)山下一史指揮、大阪交響楽団定期演奏会「常任指揮者就任記念」

演奏会評

山下一史指揮、大阪交響楽団定期演奏会「常任指揮者就任記念」R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

 

 

 

 

 

「山下一史 常任指揮者就任記念 “英雄とは”」

2022年5月13日(金)19時00分開演

ザ・シンフォニーホール

指揮/山下 一史(常任指揮者 2022年4月就任)

ソプラノ/石橋 栄実

◆ワーグナー/ジークフリート牧歌

◆R.シュトラウス /4つの最後の歌

◆R.シュトラウス/ 交響詩「英雄の生涯」

※大阪交響楽団

http://sym.jp/publics/index/641/

 

 

 

 

山下一史さんが指揮するプロのフルオケ演奏を聴くのは、2011年以来だ。

あの年、大阪での公演で、東日本大震災で被災した仙台フィルへの募金箱を同じザ ・シンフォニーホールのホワイエで持っていた姿を、今も思い出す。

それ以前から、山下さんにはずいぶんお世話になっていたのだが、長らく無沙汰してしまったお詫びを兼ねて、大阪交響楽団の指揮者就任を寿ぐ。

山下一史さんをずっと聴いていたのは、大阪音大オペラハウスの指揮者時代だ。その後、千葉交響楽団に行ってしまった山下さんの指揮を、一度は東大オケの演奏会で、次に新国立劇場のカルメン公演で聴いた。これからは、大阪交響楽団の指揮者としてどんどん聴く機会が増える。嬉しい限りだ。

その大阪交響楽団が大阪シンフォニカーという名称だった頃に、私は何度もコーラスで共演したことがある。懐かしい楽団であり、大阪市内のパドマ幼稚園でのコーラス合わせ練習を思い出す。あの頃は、私も20代だった。

その後多忙になり、大阪交響楽団になってからもほとんど実演を聴く機会がなかった。古馴染みのオケの音が、どう変わっただろうか。

1曲め、ワーグナーの『ジークフリート牧歌』。最初の一音から、弦の響きの温かみがある。常任就任記念への、オケからのあたたかな歓迎の気持ちが音に表れている。

2曲めはR.シュトラウス『4つの最後の歌』。ソプラノの石橋栄実さんは変わらず美声で、シュトラウスの最高傑作であるこの難しい歌曲、貫禄十分な歌いっぷりだった。

後半、R.シュトラウス『英雄の生涯』を、山下さんは暗譜で没入して指揮した。再現部からのクライマックスの壮大さには身が震える思いだった。とうとうと流れるレガートが、まるで山下さんの師匠筋にあたるカラヤンのように聞こえる。

その指揮姿も、下半身がどっしりと動かず、肩を中心に両腕で曲線を描き、強音があくまでなめらかに響く。山下さんが一段とスケールの大きなマエストロとなって、大阪に帰ってきたことを実感した。

R.シュトラウス『英雄の生涯』は、交響詩とはいえ、普通の物語の描写音楽ではなく、現実と仮想がないまぜとなった、いわば大人のためのエンタメ音楽とでもいう趣がある。そこを、コンマスの森下幸路さんのソロが諧謔とおかしみを醸し出して、まるでウィーンのオケのような味わい。

一方で、愛のテーマの箇所は、これでもかばかりにロマンティックに演奏する。

曲の終わりには「人生色々あったがもういいんだ」というような、穏やかな諦念の境地を描き出す。

この演奏会、ヴィオラに座るウラジミール・スミコフスキーさんはウクライナ出身の古参楽員で、ヴィオラ副首席奏者だった。今年2月に退団されたが、今日は客演している。昨今のウクライナ侵攻の悲劇に、さぞ心痛めていることだろう。

 

ただ、せっかくの就任記念なのに、客の入りは良くはない。大雨と、JR環状線の事故が重なったせいもあるのだろうけど。

この夜の、ものすごく充実した大人の音楽のステージを、もっと大勢聴きに来るようでないと、大阪人は近世以来の粋さを失ってしまう。山下&大阪響、地元愛に頼るだけでなく、大人の音楽ファンは全国から聴きにきてほしい。

 

ところで、私は今夜のこの演奏曲目を、かつて2007年、山下一史さんの指揮する仙台フィルの演奏で聴いている。

同演奏会はCDにもなっているのだが、思い返してみても、10数年まえの仙台フィルとのR.シュトラウスよりも、今回の大阪響との演奏は、一回りもふた回りも成熟し、味わいを増した演奏だった。まさしく、これからが聴きどきのコンビだと言える。

大阪響との人気は3年とのことだが、大阪の音楽ファンは、山下一史を一生懸命引き止めておかないと、あとで悔やむことになる。

共に応援しようではないか。

 

 

※山下一史メッセージ

http://sym.jp/publics/index/662/detail=1/c_id=1796/r_id=508/&anchor_link=page662_1796_508#page662_1796_508

 

 

※土居豊による、山下一史が旧・大阪シンフォニカー時代の大阪交響楽団を指揮した演奏会レポート

2006年06月12日

山下一史指揮大阪シンフォニカー交響楽団&吉田亜矢子(ヴァイオリン)

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12556750303.html

 

 

※土居豊による、過去の山下一史演奏評

2005-08-28

「創作鎮魂歌」大阪教育大学附属池田小学校事件~遺児の母の手記による~

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12556750012.html

 

 

※山下一史&大阪交響楽団の応援の気持ちを込めて、以下、過去の演奏会評などを改めて連載していく。乞うご期待!

 

 

 

 

 

 

最新動画公開!知床観光船沈没事故追悼。ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』を全ての子どもたちに

最新動画公開!

知床観光船沈没事故追悼。船遊びでトラブルが起きても生き延びるために。

【ランサム・サガ『海へ出るつもりじゃなかった』を、全ての子どもたちに読ませたい】

 

https://youtu.be/syZuFfZ1-j4

 

 

 

アーサー・ランサムの不朽の名作『ツバメ号とアマゾン号』シリーズの12冊の子どもの本、その中でも特に、多くの読者が最高傑作に挙げるのが『海へ出るつもりじゃなかった』です。

本作は、ツバメ号のウォーカー4人兄弟姉妹、ジョン、スーザン、ティティ、ロジャが大きなヨットで外海へ漂流してしまう、というリアルな設定の物語です。

 

 

 

お父さんのウォーカー中佐が海外勤務から帰宅するのを出迎えるため、一家でイングランド南部の港町ハリッジへ来ていたウォーカーの4人は、偶然、地元のヨットマンであるブラディング青年と知り合い、そのヨット「ゴブリン」号で数日、川を遊覧することになります。お母さんも、お父さんの出迎えの日に間に合うよう約束させて、子どもたちを船遊びに送り出すのです。

 

 

ところが、ブラディングはガソリンの補充に上陸したまま、船に戻ってきません。そのうちに港内は上げ潮のため水位が上がり、錨が外れてゴブリン号は漂流してしまいます。なすすべもなく、霧の中を漂って港外に出てしまったゴブリン号を、長兄ジョンはなんとか港に戻そうとしますが、慣れない大きな船を操るのに手こずり、そのままでは話に聞いていた浅瀬にいずれ座礁したり、他の船と衝突して沈んだりしかねない、と考えます。

そこでジョンは、兄弟たちの命を守るため、ブラディング青年に教わった話のままに、浅瀬を離れて外海で待機するという決断をするのです。

 

 

そのあと、嵐が吹き荒れ、夜になり、ますます港に引き返すのが困難になったゴブリン号は、兄弟のいさかいも繰り返しながら、とうとう北海を横断してオランダまで航海してしまいます。

その地では、なんと…。

 

 

このような、非常にリアルな冒険物語を、ランサムは自らの航海体験や、ハリッジの町での滞在を生かして、誰もが身近に感じるように生き生きとした物語に書いています。

特に、ランサム ・サガの12冊の中で最も子どもたちの心理が克明に、深掘りされて書かれており、長兄ジョンと、長女スーザンの感情の対立など、心にグイグイ突き刺さる心理描写となっています。

緊急時に最優先すべきことは何か? 親との約束を破っても身の安全を図るために、辛い葛藤に打ち勝つ心の強さを持つこと。兄弟で一致団結して危機に立ち向かう行動力。あらゆる命の危険を、自分たちの持つ知識と技術を総動員して、全力で生き残ること。

今の子どもたちみんなに、この物語を読んでほしいと願っています。

 

 

 

 

最後に、知床観光船の乗客や乗員たちみなさん、亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、行方不明の方々の発見を心より祈願します。

あの船も、船長や経営者がランサム・サガを読んでいたら、あんな無茶な航海をしなかったかもしれない、そう思えてなりません。

 

※過去の動画より

第1回〜アーカイブ公開!「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」書籍化企画

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12617363072.html

 

 

 

※前回の動画

「ハルヒとナンシイ」講座 ランサム『ツバメ号とアマゾン号』シリーズ番外編1『ヤマネコ号の冒険』

https://youtu.be/n2zNu2dn7ao

 

《作品のキャラクターたちが自分たちを主人公にして語り下ろした「物語中の物語」 20世紀初めの児童文学の中で、二次創作が行われていた!》

 

 

 

※作家・土居豊チャンネル(登録お願いします)

https://www.youtube.com/user/akiraurazumi/featured?view_as=subscriber

 

 

※参考

西宮市立鳴尾図書館講座『涼宮ハルヒ』とアーサー・ランサム&仮説「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」書籍化企画の発表

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12442428260.html

 

連載更新! コロナ禍2年を過ぎてますます混迷を増している『コロナ禍の下での文化芸術』

連載更新!

コロナ禍2年を過ぎて、ますます混迷を増している

『コロナ禍の下での文化芸術』4章その4

「コロナ第6波、学校感染多発でついに〈みなし感染判断〉という非科学的対応に、それでも各地で舞台公演は続いていた」

 

https://note.com/doiyutaka/n/n4eaa8c8af2db#BlAQ2

 

記事より

《学校感染の実情をみていると、コロナ感染の第6波は、現実には感染者数などの正確な記録は不可能だったと思える。そのぐらい、保健所と医療機関が崩壊状態、逼迫し過ぎていたということなのだろうが、それでも、コロナ感染症の拡大がこれで6回目というのに、2年も経つのに、感染者のデータが不正確にしか記録できないというのでは、今後、もっと強力な変異株が襲ってきたら、もう日本国の医療は完全にお手上げなのではないか?

それなのに、ちょうど第6波の最中、1月〜3月は中高大学の入試シーズン真っ只中だ。昨年の大学入試は、コロナ対応が十分できたとは言えなかったが、それでも、2020年の全国一斉休校の悪影響を考慮するという名目で、大学入試に関して複数日程などの受験生への配慮を行っていた。なのに、今年の受験シーズンは、そういう配慮はほとんどなかった。2021年の受験シーズンよりも、学校感染ははるかに多く、受験生の多くがコロナによる悪影響を受けていたはずなのに、その実態は、自治体も文科省も公表を控えるばかりで、そのために報道にもほとんど出ないまま、つまりは世間一般には、2022年の受験生がどれほどコロナ危機の悪影響を被ったか、全く伝わらないままで過ぎてしまった。》

 

《2021年末から2020年春にかけて、クラシック音楽界も懸命の演奏活動が継続されていた。その中でも、筆者がどうにもうなずけない話もあった。

指揮者のミッチーこと井上道義氏が、2021年の第九公演をキャンセルしたが、その理由が、ベートーヴェンの交響曲第9番に必要な合唱の人数で演奏できないのはダメだ、というものだった。それはコロナ感染対策で、合唱の人数を減らすということだったのだが、井上氏にとっては、人数を減らした合唱はダメだ、という判断だったという。

このことは、単なる演奏会キャンセルにとどまらない、クラシック音楽の演奏者の持つべきモラル、常識という内心の良心にも関わる問題だ。つまり、芸術のために、健康リスクをどこまで冒していいものか?という価値判断だ。

 

※井上道義ブログより引用

 

 

「井上はこのコンサートの指揮を執ることを断念しました。今日大フィル合唱団の人達に会って誤解のないように説明してきました。実はずっと以前からマスクで合唱をやるというような(特に第九のような喜びに満ちていなければならない作品ならなおさら)まるで弦楽器に弱音器を付けてスフォルツアンドを連打するような愚挙だ。そんなことは例え大金をつまれても私には出来ない!」

 

上記のように、井上氏は、「ホールは「何かあったら責任が取れない」と言う。責任はもう初めから彼ら一人一人が取っている。子供扱いするのは失礼ではないか。」と、もし合唱団から感染者が出ても団員一人一人が責任を取れる、もう取っている、という趣旨で大人数の合唱を実現させたいようだ。

だが、その認識は、コロナ感染症が空気感染するということを知らない人のもので、失礼ながら井上氏は、コロナ危機に関して考えが甘すぎる。

ご自身は感染しようが問題ないということであっても、合唱団の一人一人の健康、もし感染した場合の、それぞれの家族への感染拡大、というような、空気感染の2類感染症の危険性への認識がない。

その勢いで、大人数の合唱をやって、もしクラスターを起こしていたら、世間の合唱へのイメージは決定的に悪化し、もう当分、合唱曲は演奏できなくなりかねない。》

 

 

 

※記事をまとめ読みできます!マガジン発売中!

『コロナ禍の下での文化芸術』

https://note.com/doiyutaka/m/mbfe79043941d

 

《ここまで2年間、音楽家や団体は活動制限のかかったままでひたすら、経済面でも音楽面でも忍従を強いられてきた。多くの楽団が、国からの活動援助を受けてもまだ十分ではなく、クラウドファンディングなどでかろうじて資金を補填している。

2022年、またもや活動できなくなったら、その時には、どのくらいの楽団や音楽家が耐えられるだろうか?

今こそ、日本の音楽家や団体の直面する存亡の危機を直視して、なんとか生き延びる手段を探さなければならない。》

 

演奏会評) 日本センチュリー交響楽団定期  飯森範親&上原彩子 ベートーヴェンとブルックナー

(演奏会評)

日本センチュリー交響楽団263回定期演奏会 

飯森範親指揮、ピアノは上原彩子でベートーヴェンの協奏曲5番「皇帝」、ブルックナーの交響曲第1番

 

 

飯森範親指揮、日本センチュリー交響楽団の定期。ピアノは上原彩子でベートーヴェンの協奏曲5番「皇帝」を聴いた。

恥ずかしながら上原彩子を初めて聴く。彼女はチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で史上初の日本人優勝、しかも世界初の女性の優勝者だ、ということは知っていたが、実際に聴く機会はこれまでなかったのだ。

上原は強靭な手首で、高音まで強く硬くパワフルに響かせる。こんなにクリアに響くピアノの高音は珍しい。特にベートーヴェンだから、芯の通った硬質な響きが実に似つかわしい。2楽章の詩情あふれる歌心、アタッカで雪崩れ込む3楽章での歓喜の乱舞、これぞベートーヴェンだ。

センチュリー響も、飯森の見事な合わせ方にスムーズに従い、最後まで緊張感の途切れないコンチェルトとなった。飯森が鍛えたセンチュリー響は、「ハイドンマラソン」というハイドンの全交響曲演奏のシリーズで培った、きびきびしたリズム感と安定した和声感で、ベートーヴェンを激しく鳴らす。付点リズムの強調が、ベートーヴェンの生命感を弾けさせる。鋭角的なフレージングなのにオケの響きは決して細くはなく、どっしりと分厚い和音を保っていて、古典作品の理想的な演奏だといえる。

蛇足ながら、チャイコフスキー国際コンクールがなければ、今の上原はなかったのだ。報道によると、このコンクールが戦争の影響で国際団体から締め出されるという。悲しいことだ。このコンクール出身のあまたの名演奏家たちが、このニュースを知った時の心境や如何。

 

※上原彩子プロフィール

https://www.japanarts.co.jp/artist/ayakouehara/?=print

 

 

後半、ブルックナーの交響曲第1番。この曲は、改めて実演で聴いても、やはり1楽章が全曲の中心だと思える。この1楽章が見事な完成度で、第1番にしてあるいはブルックナーの交響曲最高の達成かも、と言いたくなる。

ブルックナーらしさがすでに溢れているこの曲、飯森の振るセンチュリー響は、まるでプログレみたいなモダンな響きを奏でる。シンメトリーとリズムと和声の構築感は、揺るぎない強靭さだ。

飯森はセンチュリー交響楽団をヴァイオリン対抗配置にして、コントラバスをなんと最上段に置いた。この配置が、完璧なシンメトリーの響きを作り出す秘訣だろうか。

第4楽章コーダの最後の一音が消えても、飯森は指揮台上でしばらく動かないままだった。手兵ながら、なんと素晴らしいオケ!という感慨があったのだろうか。会場からも、しばらく拍手を遠慮して静まりかえった数秒間、あの場にいた観客も演奏者も、みんなが一つの思いに溶け込んだような、稀有な時間だった。

 

 

※大阪・福島のザ・シンフォニーホールも最近はタワマンの谷間に埋もれている

 

 

 

※センチュリー響の新機軸、会場から最寄り駅までのバス送迎サービスが開始された

 

 

 

 

 

※過去の演奏会評

 

演奏会評)日本センチュリー交響楽団255回定期 飯森範親&三村奈々恵&吉松隆

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12732356261.html

 

演奏会評) 日本センチュリー交響楽団&飯森範親、新倉瞳(チェロ)のファジル・サイ新曲関西初演!

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12705404146.html

 

※NHK音楽祭 飯森範親(指揮)松田華音(ピアノ)日本センチュリー響、シチェドリン「ピアノ協奏曲第1番」&「シェヘラザード」

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12712397426.html

2年前に書いた、政府のコロナ対策への考察を改めて読む

2年前に書いた、政府のコロナ対策への考察を改めて読む

 

2年前、私は以下のような記事を書き、「新型コロナ対策・日本政府の失敗の研究」をやってみた。その後2年以上経ち、改めて振り返ると、けっこう的を射ている。

ちなみに私は完全文系人間で、ウイルス学など全く知らない人間だ。それでも、テレビやネット上の情報、何冊かの本を通じて、2年前の日本や世界が直面していたコロナ危機のおおよその状況を理解できた。

今、2年過ぎて状況はあの当時よりもっと悪化しているように思える。特に日本では、その後の2年間、自公政権が継続して無為無策を続けたせいで、いまや日本人の我々は、コロナ禍の生活に疲弊しきっている。

声を大にして言いたいのだが、上記のように、私のような完全素人でも2年前の段階で、コロナ対策を方向転換するべきだと理解できていた。

なぜ日本国政府の偉い人たちは、そのことに気づかなかったのか? 

あるいは、わかっていて、わざと無為無策を続けたのか? 

もしそうなら、過去2年間の日本政府の人間たち、自公政権の幹部や議員たちはもちろん、不作為の罪を犯した中央官庁の役人たちも、都道府県、各自治体の首長や役所の役人たちも、厳しく追及したい。

それというのも、この2年間、特に大阪府在住の私たちは、国と大阪府の維新の会の政策失敗で、本当に多くの人命を失ったのだ。身近な人間、というわけではないが、大阪でコロナ感染で亡くなった多数の人たちは、もし2年前、日本政府や都道府県、各自治体の幹部たちが考えを改めて、コロナ対応の方針転換をしていたら、死なずに済んだかもしれないのだ。

この恐るべき人災で失われた多くの生命に対して、現在、国と自治体と各役所の公職にある幹部たちは、全員、責を負っている。もしも良心があるなら、直ちに全員辞職するべきだ。そうして、政治家も役人も職員も、コロナ対応をもっと有効にうてる人材と交代しなければならない。

そうしないと、少なくとも日本でのコロナ危機はいつまでも終息しない。他国が着々と対策をとり、感染危機を乗り越えていく背中をただ見送るしかない。いつまでもいつまでも「コロナは風邪」だとか「マスクはいらない」とか言いながら、自分の周囲で親しい人たちが感染し重症化しても、じわじわ死んで行くのをなすすべもなくみているしかできない。

そういう2年間を、我々は強いられてきた。もう、いいかげん我慢できない。

 

以下、2年前の私の考察に、現在の知識から批判を加えてみる。

 

※2年前の筆者の記事

新型コロナ対策・日本政府の失敗の研究

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12590786037.html

 

※参考番組

NHKスペシャル 新型コロナウィルス瀬戸際の攻防

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20200414/index.htm

 

(1)最初からPCR検査を増やすことを放棄した戦略の失敗?

これは全くその通りだった。2年前の段階で、日本政府はPCR検査を大幅拡充し、先進国並みに「いつでも、どこでも、誰でも、無料で」検査できる体制をとるべきだった。

 

過去記事引用

《日本の場合は

PCR検査できる数が多くなく、最初から多数の検査をあきらめてクラスター対策に決めた、と

その判断をした責任はどこに(誰に)あるのか?》

 

 

(2)対策チームのバックアップがないという失敗

これも、その通りだった。政府も各自治体も、2020年当初からずっと同じ対策チームで失敗を繰り返し続けた。少なくとも2020年初夏、1回目の緊急事態宣言解除後に、当初からのその政策効果を検証し、もし方法が間違いだったとわかれば、対策チームを総入れ替えするべきだった。

 

過去記事引用

《対策チームは2月に発足して以来、働きづめで、果たして正しい判断力が維持できているか?

対策チームが疲弊している時点で、すでに太平洋戦争中の軍部の失敗を踏襲している

対策チームにバックアップがないのであれば、当然、疲労が重なってパフォーマンスが落ち、判断ミスする

現実対応を動かすため必死で働くべき政治家がのんびりして、冷静な判断を保つべき専門家集団が働きすぎで疲弊している》

 

 

(3)2月時点でPCR検査数を増やさなかった失敗

これも(1)と同じく、現在では大失敗だったことが証明されている。

 

 

(5)3月中旬まで東京五輪をやる前提で海外からの渡航を制限できていなかった失敗

これも、現在では大失敗だったと証明されている。

 

 

(6)安倍総理の全国一斉休校とイベント中止要請の失敗

これについては、はたして2020年3月時点で「全国一斉休校」が有効な感染対策だったのか、いまだにきちんと検証されていない。文科省なり厚労省なり、各自治体の対応ぶりを第3者委員会を立ち上げて検証するべきだ。そうでないと、また同じようなパンデミックに襲われた際に、また同じ失敗を繰り返しかねないからだ。

 

 

(7)緊急事態宣言とセットで生活補償しなかった失敗

これは、いまだに同じ失敗を続けている。日本政府は何度も緊急事態とマンボウを繰り返しながら、全国民への生活資金配布は2020年の10万円支給ただ1回だけで、その後は頑なにやろうとしない。

そのせいで、コロナ危機の2年間で国民の経済格差はますます拡大し、経済弱者がどんどん増えていっている。コロナ特需で富裕になっていく少数の層と、生活困窮に陥りかねない大多数の層、さらにもともと「アベノミクス」で経済的に痛めつけられていた貧困層が、生きる術をどんどん奪われて追い詰められている。

 

 

映画『ドライブ・マイ・カー』は公開断酒会映画だ

映画『ドライブ・マイ・カー』は公開断酒会映画だ

 

映画『ドライブ・マイ・カー』は公開断酒会だ、と私は言いたい。登場人物たちがいきなり告白を始めて、お互い過去の傷をなめあう謎展開だからだ。

そういうのが心地よい人にはいいが、それで3時間以上というのはつらい。私には、観るのが苦痛な映画だった。

これは、悪い方の日本映画だ。画面上の風景はきわめて美しいのに、台詞も演技もわざとらしいく、リアルさがない。

アカデミー賞で作品賞を取らなかったのは正解だったろう。

そもそもこの映画は、村上春樹の原作である必要がない。村上春樹の作品のエッセンスがない。

しかも、映画として悪い出来栄えだから、原作で名前のでる村上春樹にとっては不名誉でしかない。

映画としての構成でいうと、前半は不要だと感じた。

主役の西島秀俊演じる家福の妻役・霧島れいかの場面は、ほぼいらない。あれは、回想シーンでいい。

長い前半部分が余分だから、本来の主役であるはずの三浦透子演じる「みさき」の存在が、後半まで曖昧なままだ。

「みさき」が描かれないから、ラストに違和感がありすんなり入ってこない。

この映画版「ドライブ・マイ・カー」をみて、原作の村上春樹の短編を読んだ読者として、一番許せないのは、本来、とても魅力的な登場人物である「みさき」を、まるでロボットか奴隷のような扱い方にしたこと。

主役の家福(西島)が彼女を扱う態度が、とにかくいけない。

例えば彼女が、せっかく立ち稽古を見せてもらえたことにお礼を言ったのに、家福はわざと無視したのか、忘れていたのか、そっけない。少なくとも、この時点で、二人の間に、映画のクライマックスに描かれる心のふれあいの、前段階となるはずの感情のやり取りはない。

車中での、準主役の高槻(岡田将生)との際どい会話の際にも、家福は「彼女は大丈夫」と言って、まるで「みさき」がそこにいないかのような態度で扱う。

この場面、きわめてプライベートな会話の立会人としての「みさき」の存在は、一見両者にとって信頼できる人物だからというように見せようとしている。だが、そうではない。あの場面での家福は、「みさき」を問題外の下々扱い、奴隷民だから話を聞かれてもいい、という態度をとっている。

 

もう一つ、原作の村上春樹の短編が最初に文藝春秋で発表された際に、実名で登場する北海道中頓別町の町会議員からクレームをつけられた一件、もう多くの人は忘れただろうか。

映画の中でその地名は、クレームを受けて作者と出版社が架空の町名に変更したものに近い、「上十二滝村」として登場する。

このことで、実在の北海道中頓別町は、せっかくのアカデミー賞受賞映画に町名が登場できる千載一遇のチャンスを失った。

 

さて、映画版では、家福は「みさき」に「故郷を見せる気があるか?」と尋ねるのだが、このセリフもまたひどい。「みさき」の故郷である「上十二滝村」が、ひどい土地柄だという先入観を抱いているのだ。

もう一つ、解せないのは、準主役だったはずの高槻が、あろうことか殺人事件を起こしていきなり逮捕され、そのまま映画から消えることだ。

それなら高槻は何のために出てきた? 逮捕されてそれっきり、というのは、観客には何のことかさっぱりわからない。

 

配役の中で、国際演劇祭のコーディネーターであるコン・ユンス役のジン・デヨンが一番存在感があった。

この役柄として描かれる私生活でも、興業側の人間としても地に足がついていて、リアルに演じられている。

ただ、映画の脚本が全くリアリティに欠けるので、彼の懸命の演技も生きてこない。この脚本で展開が最も荒唐無稽である点、主要キャストが起こした殺人事件の影響で演劇公演が中止にならない、という謎展開だ。

これは、公演中止にならないはずはない。

また、最後の韓国シーンも疑問だ。なぜ「みさき」は家福の愛車であるサーブを一人運転して、韓国で暮らしているのか?

周囲も「みさき」もマスクをして、コロナ危機の時期であることを示唆してるが、その意図は?

せっかくのラストシーンも、「みさき」の描き方が中途半端なままだったため、観るものに響いてこない。未消化のままで終わってしまう。

この映画の前半は回想シーンで圧縮して、「みさき」の人生をきちんと描きこむ必要があったのだ。

最後に、原作の村上春樹「ドライブ・マイ・カー」は、非常にうまく書かれた短編だ。ぜひ読んでほしい。

 

 

※参考

ドライブ・マイ・カー

https://dmc.bitters.co.jp

 

 

※参考記事

「ドライブ・マイ・カー」に出演した俳優ジン・デヨン、「アカデミー賞」オスカー像を持って笑顔(韓国芸能)

https://www.wowkorea.jp/news/enter/2022/0328/10341430.html

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/b4d1bd6c9ee9e66a01eb6476a3ea1d52e0795199

 

 

※土居豊による村上春樹「ドライブ・マイ・カー」タバコクレーム問題の解読

 

『いま、村上春樹を読むこと』 

土居 豊(著)

発行:関西学院大学出版会

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784862831743

 

来年で没後15年、小川国夫を読む

来年で没後15年、小川国夫を読む

 

※筆者所蔵の小川国夫全集

 

 

4月8日、作家・小川国夫が亡くなって14年目。

来年で没後15年になるこの作家は、筆者の師匠だ。

それを抜きにしても、没後10年をすぎて小川国夫はどんどん忘れられていくように思えてならない。それが残念だ。

一つには、没後10年以上になるのに、小川国夫の全集が完成しないままだというのが、研究も復刊もほぼ全くといっていいほど進まない原因だ。

系統的に一人の文学者・小説家を研究しようというからには、定本となるべき全集が必要なのだが、小川国夫の場合、複雑な事情で全集が完成しなかったし、途中まで出た全集も版元の倒産で今では入手困難だ。

 

 

この小川国夫全集の未完について、筆者は小川本人から聞いているので、もうそろそろ事情を少し書いておこうと思う。というのも、小川国夫全集の版元の経営者だった人も、すでに故人となったからだ。

知る人ぞ知る文芸出版社の小沢書店が倒産して久しいが、小川国夫は生前、自分の全集をこの小沢書店から出していた。経営者の故・長谷川郁夫が小川に心酔しており、著作を多数、同社から出したという関係によるものだ。

だが、全盛期の小川国夫は、文芸関係の大手出版社の複数から著作を出しており、作品撰集は複数回、大手から出している。

 

 

 

だから、いよいよ全集を出そうという話は、実のところ、複数の大手から申し出があったのだという。だが、小川本人から筆者が聞いたところでは、小沢書店の経営者の意気込みを見込んで、あえて弱小の小沢から全集を出すことにしたのだという。

この関係性は、ちょうど、かつて夏目漱石が新興の岩波を見込んで自作の版元に選んだ例に、似ているといえば似ている。

だが、残念なことに、岩波と違って小沢書店は倒産してしまい、必然的に、小川国夫全集は版元を失って絶版となった。

本来なら、こういう場合、どこか他の出版社が版権を引き受けて、全集を復刊させるのだろう。

だが、小沢書店の場合、そうはならなかった。その辺りの事情は聞いていないが、筆者自身は、小川国夫本人から、小沢書店倒産後に全集を購入している。古書店にも当時はかなり出ていたようだが、現在はどうなのだろうか。

ともあれ、正規の販売ルートを失ったまま、著者の小川国夫は亡くなり、全集の元の版元経営者の長谷川も先年、亡くなってしまった。

故人についてどうこう言っても詮無いことだが、長谷川は小川国夫没後、未刊行だった原稿の刊行時に解説を数冊分書いており、本当は小川国夫全集を完成させたいという思いもあったのではないかと想像する。

けれど、出版界の様々な事情がそれを阻んだのだろう。

結果的には、絶版のままの小川国夫全集は入手困難なままだ。没後数年間に順次刊行された没後の原稿の数々も、決定稿とはいえず、事実上、小川国夫の晩年の大量の著作は、不安定なままで放置されている。

またそれが多数の上に、小川国夫の全著作中、注目すべき力作が複数、含まれるので、研究者にとっても読者にとっても、実にやっかいなことになっているのだ。

小沢書店版全集の収録は最終の14巻が1995年で終わっており、小川国夫唯一の大手新聞連載小説だった代表作の一つ『悲しみの港』も収録されていない。それ以後に小川は活発に作品を刊行しており、長編小説の代表作の数々は、小沢版全集以後に刊行されているのだ。

 

 

 

こうなると、小川国夫の研究者は、小沢版全集以後の大作の数々を、初版当時の単行本(一部は文庫本にもなっているが)に準拠するしかない。

このように、小川国夫ほどの昭和の大作家が、その全集を未完成のままに放置されている現状は、実にもったいないし、厄介なのだ。

ちなみに、小川国夫の文学史上の扱いは、20世紀後半には相当に大きなものとなっていた。戦後文学史の中でいうと、雑誌「近代文学」の本多秋五の推薦によりデビューしたという位置づけだった。長らく無名の時代が続いたのち、島尾敏雄が朝日新聞で激奨したのをきっかけに有名作家の一人となった。

壮年期は大きな文学賞と無縁のまま、熱烈な愛読者層に支えられた一種カルトな作家として評価は高かった。その晩年、数々の文学賞を受賞したのと、大阪芸術大学に迎えられたことで読者は着実に増えていった。亡くなる直前まで未完作品を抱えており、没後、残された作品群が数冊刊行されている。

これほどの大きな存在の作家が、出版サイドの事情でその全集を未完のままに放置されているのは、戦後文学史の研究にとっても大きな痛手であり、もちろん愛読者にとっても残念な現状だ。

没後10年には、主要文芸誌がどれも没後特集を組まなかったという、実に冷たい仕打ちを受けている。小川国夫を評価しないのは文芸誌編集長たちの勝手だが、愛読者はずっと読み続けており、全集が完成していないままでも作品研究は続けられている。

主要文芸誌の版元も、編集長たちも、没後10年の特集をやらなかった不見識を、いずれ後世の文学研究者から指弾されることになるだろう。

そこで、憚りながら提案したいのだが、没後20年を見据えて、小川国夫全集の完結を目指してほしい。どこの版元でも構わないが、できれば大手版元が小沢書店の絶版の版権を譲渡できるよう動いてほしい。

繰り返すが、本来なら、小川国夫全集は、小沢書店ではなく、大手出版社のいずれかから出るはずだったのだ。倒産した小沢書店経営者も、小川全集が未完のままである有り様を、泉下で嘆いているに違いない。

 

 

ちなみに、筆者は没後10年の文章を毎日新聞に寄稿した。他の媒体の編集の方々もご依頼いただければ、筆者はいつでも小川国夫について書く。小川国夫についての講演や文学講座も、いつでもやらせていただく。

 

※没後10年の記事

小川国夫の命日に寄せて 小川国夫没後10年・エッセイ「小川国夫のいた風景」

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12366773822.html

 

※(報告)「小川国夫没後10年記念」読書会in生駒ビルヂング

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12369875460.html

 

※筆者の小川国夫に関するブログなど

1)

小川国夫の肉声がよみがえる!~小川恵「銀色の月~小川国夫との日々」評

http://ameblo.jp/takashihara/entry-11305621118.html

 

2)

作家・小川国夫の命日(4月8日)によせて

http://ameblo.jp/takashihara/entry-11507605937.html

 

3)

最後の文士・小川国夫の命日

2011/04/08

http://takashi-hara.at.webry.info/theme/d1db4ac37d.html

作家・小川国夫、2008年4月8日没、享年80没

最後の文士、故・小川国夫は、私にとって小説の恩師であり、人生の師匠です。小川さんに「晩年の友人の一人」と呼んでいただいたことは、生涯の誇りです。

 

※参考

大阪・シネヌーヴォでの小川国夫原作映画『デルタ』上映&トークイベント報告。私がトークイベントの司会進行をさせていただきました。

http://takashi-hara.at.webry.info/201012/article_10.html

 

※はびきの市民大学で小川国夫文学を紹介する講座をやりました

http://ameblo.jp/takashihara/entry-12287121169.html

 

 

※2005年、筆者のデビュー小説刊行記念パーティにて、小川国夫と

 

 

プリキュア放映停止の示唆〜 世界のオザワ、世界のムラカミは日本文化最盛期の象徴だった

 

プリキュア新作放映ストップが示唆するもの〜

「世界のオザワと、世界のムラカミ」は日本文化最盛期の最後の輝きだった?

 

 

 

※9年前のブログ記事

世界のオザワと、世界のムラカミ、その圧倒的な存在感

https://ameblo.jp/takashihara/entry-11504536086.html

 

 

記事引用

《写真のように、小澤征爾のCDと、小澤征爾/村上春樹の対談本が並べてあるのをみて、あらためて、この二人は、現代日本を代表する芸術家の巨人なのだと感じました。

この二人は、日本人のアーティストとして、世界中の店頭で手近に売られている代表格ではないでしょうか。

世界中のCDショップで、オザワのCDが並んでいるのと同じように、世界中の書店やキオスクの書籍コーナーに、ハルキ・ムラカミの本が並んでいるということです。

こんな存在は、これまでの日本人の中で、いまだかつてなかったと思います。》

 

 

上記のような9年前の時点では、筆者は戦後日本を代表する文化芸術の例として、村上春樹と小澤征爾を取り上げている。

だが、現在ではこの例はもはや当てはまらない。

村上春樹の文学的な位置も、9年前とは比べものにならないほど、下がってしまった。

小澤征爾の、クラシック音楽の中での位置も、ほぼ名誉だけで、新譜が出ればメディア全てがほめたたえるが、実際にはもう、衰えが目立って痛々しい。

小澤征爾の全盛期を知る者としては、現在の小澤の演奏風景も、その音楽も、相当に無理を感じてしまう。

 

 

※参考記事

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第32回(最終回)小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年〜ベルリオーズ・フェスティバル〜

https://note.com/doiyutaka/n/n83909833b931

 

記事引用

《戦後日本を代表する指揮者であり、世界の誰もが名前を知る巨匠でもある小澤は、日本人として海外で活躍した指揮者の草分けである。もちろん、戦後、朝比奈隆など欧州オケを振った日本人指揮者は多くいるが、小澤以前には、欧米のメジャー・オケの音楽監督になった人はいない。

さらに、小澤の場合、日本人であることを超えて、真にグローバルなマエストロとして世界中に認知されていたことは、現在の時点から考えても驚異的である。音楽ジャンルで、世界中の誰もが知る日本人アーティストというのは数える程しかいないのだ。音楽以外のジャンルを含めても、そういう人は村上春樹などごく少数しかいない。》

 

 

 

 

ところで、筆者は以前から、村上春樹のノーベル文学賞予想の時期になると、各メディアからコメントを求められることが多かった。

そこで、もし村上春樹がノーベル文学賞をとることがあれば、先行例としての小澤征爾と対比して、以下のようにコメントを出すつもりだった。

 

 

※土居豊による、村上春樹ノーベル文学賞受賞予定コメント

《もし村上春樹がノーベル文学賞を受賞するとして、その際には、筆者は村上春樹を小澤征爾と対比してコメントを書こうと考えている。

筆者が考えている、「村上春樹のノーベル文学賞受賞に寄せるコメント・世界のオザワと、世界のムラカミ、その圧倒的な存在感」を抜粋して、書いておこう。

予定原稿

「小澤征爾のCDと、小澤征爾/村上春樹の対談本が並べてあるのをみて、あらためて、この二人は、現代日本を代表する芸術家の巨人なのだと感じました。

この二人は、日本人のアーティストとして、世界中の店頭で手近に売られている代表格ではないでしょうか。

世界中のCDショップで、オザワのCDが並んでいるのと同じように、世界中の書店やキオスクの書籍コーナーに、ハルキ・ムラカミの本が並んでいるということです。

こんな存在は、これまでの日本人の中で、いまだかつてなかったと思います。

いくら日本のマンガやアニメが世界中で人気だといっても、世界中、どこの店にも目立つように並べられているかどうか?となると、たぶん、そうではないでしょう。

オザワと、ムラカミ、日本が生んだこの二人のアーティストは、おそらく、同じジャンルの中では、現在、唯一無二の存在感を放っていると思います。

世界のクラシック音楽のCDの棚で、オザワのCDに匹敵する存在は、存命中の日本人ではおそらくいないでしょう。

同じく、文学の本の棚で、ムラカミの本に匹敵する日本人作家はなかなかいないと思います。

ところで、問題は、こういうことが、なぜ起きたのか?という点にあります。

ほぼ同時代(オザワの方がかなり年長ですが)を生きた二人のアーティストですが、この二人は、最近まで、実際に顔を合わせたことはほんの数回だったとのことです。

それが、たまたま、小澤征爾が病気療養しているときに、村上春樹がインタビューを試みたのがきっかけで、一冊の対談本になるぐらい意気投合したのだとか。

この二人のことを合わせて考えるとき、現代日本の生んだ芸術の真の力、本当の魅力が、明らかになると思います。

20世紀後半から21世紀初頭の世界に、なぜこの二人の日本人アーティストが圧倒的な支持を受けているのか?

この、だれもが知る事実を研究し、その謎を解明するところから、日本人アーティスト(創作であれ音楽演奏であれ)の魅力と実力、その本当の正体が明らかになるのだと考えます。」》

 

 

 

だが、あれから9年。

このコメントはもう、通用しなくなった。

9年間のうちに、日本の経済的な没落にしたがって、日本の文化芸術の価値も相対的に下がっていったように思える。それは音楽や文学だけなのかもしれないが、かつてのような、ジャパンマネーを背景にした強気の姿勢は、いまではもう通用しない。

かろうじて、アニメ・マンガがまだ日本文化の代表例として世界的に通用しているように思えるが、それもこの数年で、みるみる凋落しているように思える。

2022年に入って、非常にショッキングだったのは、国内的にも海外向けとしても鉄板のアニメである「プリキュア」が、サイバー上のトラブル(攻撃?)で、製作が滞り、なんと1ヶ月も新作番組が放映されないままであることだ。

日本のアニメ会社として一二を争う大手の東映が、こんな事態になったことはかつてなかったのではないか?

「プリキュア」製作と放映のストップというこの一台事件は、それだけアニメ制作現場が逼迫していることの表れではないだろうか?

様々な国内外の日本の停滞と失墜が、回り回って、ついに代表的な文化コンテンツとしてのアニメ新作にまで悪影響を及ぼしている、ということが、放映ストップという異常事態として現出しているのだとすると、もうこれは末期的だと言わざるを得ない。

もしそうであれば、「世界のオザワ」「世界のムラカミ」が通用した9年前は、日本文化の最盛期の最後の輝きだった、というように、後世の歴史家は振り返るのかもしれない。