土居豊&浦澄彬の2大エッセイ連載更新! テーマは教員不足、バブル崩壊後の教育現場
土居豊&浦澄彬の2大エッセイ連載更新! テーマは教員不足、バブル崩壊後の教育現場です
(1)
「バブル期高校教師盛衰記〜バブル真っ最中に超難関の教員採用合格した私だが?」第1章「バブル真っ最中に超難関の教員採用合格した私だが、同期たちは今どこに?」その2「悪名高かった新任教職員の初任者研修〜意外と楽しかったよ」
https://note.com/doiyutaka/n/n1478604f1114?flash_message_key=twitter_status_posted
《もっとも楽しんだのは、初任者研修と新任研修が合同で行う宿泊研修だった。この当時、大阪府教委の管轄する「青年の家」という宿泊施設が、大阪府の島本町にあった。そこで4泊5日、みっちりと合宿したのだ。宿泊行事は大学時代の延長のようで、年齢的にも二十代前半ばかりの教師たちは、昼間は真面目に研修したあと、夜はすっかり羽目を外して大いに騒いだり遊んだりしていた。》
(2)
『平成文学・私史』(浦澄彬 著)第2章「昭和64年=平成元年前後の文学系学生事情など」2「バブル真っ最中、競争倍率過去最高の教員採用試験に挑んだ非常勤講師はいかに合格したか?」
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2025/02/06/211136
《前段で書いたように、大阪芸大卒業後、高校教員を目指して採用試験浪人になった筆者は、大阪市立東淀工業高校(現・大阪府立東淀工科高校)で国語の授業を、現国と古典の両方担当した。》
#教員不足
#教育無償化
#学校現場
2025年大阪府立高校の希望調査、いよいよ危機的な状況
2025年大阪府立高校の希望調査、いよいよ危機的な状況
※資料
https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/62073/r07_shinrokibo1.pdf
写真のように、令和7年の大阪府立高校入試の希望調査で、なんと!
春日丘高校、1.89倍!
これはもう、頭おかしいレベルだ。
その逆に、同じ北摂地区の普通科高校の北摂つばさ高校は、0.59倍で定員割れだ。
大阪府では、橋下府知事時代以来の教育政策で、3年連続定員割れの公立高校は統廃合の対象になる。その一方で、現状、維新の会の推し進める私立高校の授業料無償化で、公立高校の滑り止めどころか、専願で中堅私立高校に進学する生徒数が増え続けている。
その結果、大阪府立高校の希望倍率はあまりに極端すぎる数字になってしまった。
原因は、明らかに私立高校授業料無償化と、過去10数年間で府立の中堅レベル校を次々統廃合したことにある。これらの結果は全て、橋下府知事&維新の会の教育改悪のせいだ。
以下、校種別に希望調査を見ていく。
エンパワメントスクールが軒並み定員割れがひどい。このエンパワメントとは、大阪府が鳴物入りで始めた子どもたちの学力サポート政策だったはずだ。大阪府民の子どもたちの学力底上げのために必須の学校だったはずなのに、なぜここまで希望倍率が下がるのか。
職業系も軒並み定員割れだ。園芸などもひどいが、工業(工科)も軒並み低い。なんと、あの(吹奏楽日本一の)淀川工科でさえ定員割れなのだ。
これらの結果は、明らかに公立高校の配置がおかしいということを示している。維新の教育政策の歪さが如実に現れているのだ。
一方で、府立高校トップ10校の文理学科はどこも高倍率だ。しかも、おそるべきことに、文理学科の茨木高校は希望倍率1.90!
これはもう、公立高校の倍率ではない。こんな倍率の差が出ること自体が、維新の教育政策が間違っていることの証明だ。
かつて大阪府立高校の中で花形扱いだった総合学科も、軒並み定員割れだ。以前、大阪府立の総合学科は、現在流行りの学際的な学び、探究的な学習方法を主体的に行う学科で、いわば時代を先取りした高校だったはずだ。大阪府は自分たちがせっかく育て上げた総合学科を見殺しにしているとしか言いようがない。
このままでは、大阪府立高校の大半が定員割れ統廃合の対象となり、もし機械的に適応されれば、大阪府立高校は半減してしまう。その分、私立高校への予算投入が続くのなら、授業料無償化で私立高校が大阪府の高校の主流となっていく。
大阪府民は、本当にこんな教育政策を望んでいるのか?
私立高校は、いくら授業料無償でも、その他の経費が高額であり、また通学も遠方となる場合が多い。大阪府の子どもたちは結局、高い教育費を保護者に負担させて毎日遠い学校に電車通学する羽目になるだろう。そういう教育を、保護者も本人たちも望んでいるのか?
もう一度、自分たちの下の世代がどういう教育を受けてほしいのか、自分たちの子どもがどんな高校生活を送ってほしいのか、よく考えるべきなのだ。
※過去の記事
2024年大阪府立高校の異常な倍率差、維新の会教育改悪はもう取り返しがつかない大混乱
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12843455985.html
※参考
2024年大阪府立高校受験倍率
※過去の関係記事
2023年度高校入試、大阪府立高校倍率は維新の会の教育政策の最悪の結末だ
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12792660974.html
2022年大阪府立高校入試の倍率、やはり維新の会の教育改悪の結果、子どもたちは苛烈な競争に追い立てられている
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12730121136.html
2021年度大阪府公立高校入試の倍率、確定。高倍率と定員割れの格差を作ったのは維新の会の教育政策だ。
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12660782281.html
2020年大阪府立高校の入試出願の中間発表と最終発表、今年は変だ
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12580614066.html
2020年春の大阪府立高校の難関大学合格結果を考察した。この10年の維新の会による大阪府教育改革はこれでいいのか?
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12589793890.html
(まとめ)2019年の大阪府立高校入試と大学入試の結果で、維新の会教育改革失敗が証明された
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12450639923.html
「エモい」日本アニメのOP演出と、クラシック音楽の先行例を考える
「エモい」日本アニメのOP演出と、クラシック音楽の先行例を考える
まず、以下のポストを書いたラトビアの日本アニメファンさんに、お礼を言います。
※引用
《私はアニメきっかけで日本を好きになったラトビア人なんですが、アニメが最終回に近づき、物語の終盤でエンディング曲ではなく、オープニングの曲が流れるという、激アツ展開に心が躍り、ついつい『うぉぉぉぉ!!!ありがとぉぉぉ!!』と雄叫びをあげてしまうほどのアニメにたくさん出会いたい。》
そこで、思ったのだが、その感覚を私たちに(というか全人類に)最初に教えてくれたのは、あなた方ヨーロッパ人だった。
その感覚の最も有名な例は、音楽の素人にもわかるように「エモい」感じを叩き込んでくれた、ベートーヴェンの第九交響曲の4楽章だ。それまで特にクラシック音楽を聴き慣れていなくても、ベートーヴェンの第九の楽章で、歓喜のメロディーが始まると、わけもわからず鳥肌立つ人が多いはずだ。その理由を多くの人は気づいていないかもしれないが、誰もが知る歓喜のメロディーが始まる前に、実はそれまでに聞いた1、2、3楽章のモチーフが、改めて紹介されていることにある。これがまさに、アニメのOPをクライマックスで使うのと似たような効果になっているのだ。どこかで聞き覚えのあるメロディーが改めて流れると、いよいよこれからクライマックスかな?と身構えさせる効果があるのではないかと、筆者は考えている。
さらに、ベートーヴェンの第九の先行例として、モーツァルトの歌劇「ドンジョバンニ」と、同じくジュピター交響曲(交響曲第41番)があることを、押さえておきたい。
例えば、「ドン・ジョバンニ」の序曲は、歌劇全体のクライマックスである騎士長の石像が登場する場面の音楽から始まるのだ。一番最初に聞いたメロディーが、いよいよクライマックスという時に再び鳴ることで、誰しもゾワゾワとすることだろう。
もともと、歌劇の序曲は、その歌劇の主なモチーフを組み合わせて、いわばミックスという感じでできているのだが、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」以前には、あれほどクライマックスを効果的に先取りした序曲はなかったのではあるまいか。イタリア・オペラでそういう例があるかもしれないが、寡聞にして知らない。
それに、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」は、それまでの交響曲と一味違って、終楽章に重点が置かれている。そこで天才の技をこれでもかと駆使して、唖然とするほどの楽曲展開が繰り広げられる。
ただ、こういったモーツァルトの例が高度すぎてわからない素人の聴衆にも、間違いなく「エモさ」が伝わるのが、ベートーヴェンの第九だった。
このパターンを意識的に、もっと露骨にリメイクしたのは、のちのブラームスの交響曲第1番と、ワーグナーの楽劇だ。それに同時並行したのが、ベルリオーズの幻想交響曲の例だといえる。
さらにブラームスとワーグナーの場合を踏まえて、ひとひねりしてリミックスしたのがマーラーの交響曲群だった。
こうして見ると、20世紀にマーラーの交響曲がリバイバルしたのは必然だったといえよう。「エモい」という感じは、我々のような異民族の、それも西洋音楽の素人でもよくわかるからだ。
以上を噛み砕いて説明すると、アニメOPがラストで「エモく」流れるパターンを、(おそらく)最初にやったのがモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」だった。序曲であらかじめ終幕のクライマックスの音楽を聴かせてあるから、当然「エモい」のだ。
同じモーツァルトのジュピター交響曲の場合は、音楽の素人には理解しにくいが、あの複雑な4楽章で何か異様な展開が起きたことは伝わるはずだ。
そこで、ベートーヴェンの第九の場合、さらにわかりやすく「これまでのベートーヴェン」、あるいは「これまでの西洋音楽」、を総集編でおさらいしてくれる。そうしておいて、おもむろに4楽章の歓喜のメロディーが登場するのが「エモい」のだ。
ところで、前述のラトビアの人が感動したアニメのOP抜きのパターンを、おそらく最初にやったのは宇宙戦艦ヤマトの最終話ではないか? それとも、他にあったかな?
そうだ、この話を、小中学の特別授業で、具体例をアニメで見せながらやったら、子どもたちにうけるかな。
どこか公立でも私立でも、校長さん、呼んでください。
連載更新! 土居豊の文芸批評 ドストエフスキー最大の問題作『悪霊』
連載更新!
土居豊の文芸批評
ドストエフスキー最大の問題作『悪霊』〜なぜ村上春樹は「悪霊」を「神の子どもたちはみな踊る」のエピグラフに選んだか?
https://note.com/doiyutaka/n/ne0e65cda3ffc?flash_message_key=twitter_status_posted
※土居豊の文芸批評
「ドストエフスキー『罪と罰』 ラスコーリニコフの老婆殺しは、妹推しの兄が切羽詰まってやっちまったこと」
https://note.com/doiyutaka/n/n347d83e2d083
《唐突だが、ドストエフスキーを語ることにする。それというのも、筆者は長らく村上春樹作品を批評してきたが、村上作品の根底には、ドストエフスキーからの影響が色濃いからだ。》
マガジン「土居豊の文芸批評」
https://note.com/doiyutaka/m/m8acfd4c1e7cc
作家・土居豊が「文芸批評」として各種ジャンルの作品を批評します。
マガジンとしてまとめる記事は、有料記事です。まとめ読みができるのと、記事単独で買うより安くなります。
作家・土居豊(浦澄彬)の著作紹介動画
作家・土居豊(浦澄彬)の著作紹介動画
その2
#なぜあのキャラは死ななければならなかったのか
フォレスト2545新書『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか? 名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』(浦澄彬)
《架空の人物の死がなぜこんなにも心を揺り動かすのか?フィクションの「死」を通して「社会」を探求する1冊。》
ネット書店(電子書籍版あり)
Amazon
その1
阪神淡路大震災30年にちなんで
ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する
ASシリーズ第5巻
『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』土居 豊(どい ゆたか) 著
定価:本体2,000円 + 税
2012/04/20発行
概要
《『涼宮ハルヒ』シリーズと村上春樹作品との意外な関連を読み解く。どちらも現代日本人が求めてやまない魅力的な物語を描き、世界的に大ヒットした、両者を並べて論じた初めての一冊。》
※大学教育出版
https://www.kyoiku.co.jp/00search/book-item.html?pk=875