拙稿「京アニ事件と、藤本タツキ『ルックバック』を考える」がオンラインジャーナルに掲載!
拙稿「京アニ事件と、藤本タツキ『ルックバック』を考える」がオンラインジャーナルに掲載!
映像メディア時評 特集「京アニ事件と、藤本タツキ『ルックバック』を考える」(土居 豊 著)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/7/1/7_55/_pdf/-char/ja
本文より
《京アニ事件と青葉被告の問題について違う角度から考える手掛かりとなりそうな映画作品が、2024年に公開された。原作は非常に評価の高いマンガの中編作品であり、近年世界中で大ヒットしている『チェンソーマン』の作者・藤本タツキが発表した『ルックバック』のアニメ映画化である。このマンガ原作の重要なモチーフに京アニ事件が使われたことは、発表当時から指摘されており、一読してすぐにわかるはずだ。実際に本作がネット上で発表されたのも、京アニ事件から2年後の翌日にあたる2021年7月19日というタイミングだった。この原作を未読の人でも、アニメ映画化された『ルックバック』を観ると、作品が京アニ事件の犠牲者への深い思いによって作られているのが明確にわかるだろう。
そこで今回は、本作の内容や評価を論じてみることで、京アニ事件についての考察を少しでも進めてみようと思う。》
※掲載元オンラインジャーナル
「こころの科学とエピステモロジー2025年7巻1号
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/epstemindsci/-char/ja
※オンラインジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』("Revue d'épistémologie et des sciences de l'esprit", or "Journal of Epistemology and Mind Sciences")
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/home
《『こころの科学とエピステモロジー』誌はオンラインフリージャーナルです。》
作家・土居豊(浦澄彬)の本を紹介します〜『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか?』と「涼宮ハルヒ」など京アニ作品
※『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか? 名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』(浦澄彬)
《本書の中で、著者がもっとも力を入れたのは2章です。そもそも、この2章はオンラインジャーナルに寄稿した論文が初出でした。》
※電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』3号
映像メディア時評特集「京アニ作品の死生観」試論(土居豊)
https://drive.google.com/file/d/1bz3WOIykQOJUwpssYShbbdp60Ug-jllz/view
教育ジャンル23位にランクイン!→ ”大阪府立池田高校吹奏楽部第59回定期演奏会を聴く”
大阪府立池田高校吹奏楽部の定演を聴きに行った記事が、アメブロ教育ジャンル23位!
お読みいただいた皆様、ありがとうございます。
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大阪府立池田高校吹奏楽部第59回定期演奏会を聴く
大阪府立池田高校吹奏楽部第59回定期演奏会を聴く
昨年の第58回に続いて、今年も「いけすい」定演を聴いた。その感想と、昨今の吹奏楽部の演奏会について少し書く。
プログラムは以下のようなものだった。
1部
メモリーズ・リフレイン(伊藤士恩)
大いなる約束の大地〜チンギス・ハーン(鈴木英史)
宇宙の音楽(スパーク)
2部
演劇でつなぐジブリの音楽
3部
サウス・ランパート・ストリート・パレード
レ・ミゼラブル
青春の輝き
アンコール
ウィ・アー・ザ・ワールド
ディープパープルメドレー
昨年もほぼ同じような構成だった。この高校の吹奏楽部は大所帯で、今年度は1年生を加えると100名を超える。それでいてメンバーは和気藹々とした雰囲気であり、指導者の橋本翔太氏の個性もあるのだろうが、どの曲でもメロディ重視のロマンティックな音楽作りをしている。
今回、注目したのは、演奏会の組み立てが他校の場合と大きく違う点だ。
昨年の場合も同じだったが、この高校の吹奏楽部の演奏会では、3年生のメンバー、特に幹部(部長や〜〜係といった部内の役職)だった生徒たちを労うための工夫が凝らされている。特に今年の場合、3部では3年生だけの演奏「青春の輝き」を最後に持ってきて、それぞれソロをとらせて卒業演奏のように作ってあった。ある意味、非常にセンチメンタルであり、卒業ステージそのものだ。あくまでも3部は3年生が主役であり、しかも幹部生徒のソロだということをちゃんと紹介する心づかいもあった。
アンコールの「ウイ・アー・ザ・ワールド」では、今回特に、入学後長く闘病した部員の紹介もして、会場の涙を誘った。そうしてアンコールの最後の「ディープパープルメドレー」では、1年生も加わって総勢100名以上の大迫力で演奏会を締めくくった。
このように、「いけすい」の定演は構成が完成されている。
他校と違うかもしれないのは、顧問教師の個性が前面に出ている点だ。これは、観客が身内であることを前提にしないと成り立たない。指揮をする先生ならともかく、部活動の顧問の教師という役割は、校内と部活動関係の場所でしか通用しないからだ。一般の客にとって、この高校の顧問が誰先生であるかは、ほぼ関心の外だ。
さらにこの高校の場合、指導者の音楽性も大きく影響している。どこの高校でもそうだとはいえないのが、指導者の存在だ。昨今は公立学校でも吹奏楽部に音楽教師だけでなく、指導者が雇われる例が増えたかもしれない。それでも、演奏会で全ての曲(劇などを含むポップスステージを除いてだが)を指揮するパターンは、それほど多くないだろう。生徒指揮者の役割がどの程度あるのか不明だが、この高校の場合、指導者の音楽性がバンドを強く引っ張っていることは明らかだ。その一方、2部の劇ステージは毎年ノリが良く、この高校の昔からの伝統が受け継がれているように思える。
このバンドは、指導者に鍛えられて基礎がしっかりできている。大編成の難しい楽曲でも、中音部がよく分離して聞こえ、低音部の支えも確かなものだ。トランペットとトロンボーンの金管群の響きも、鮮やかな音響で振り切れた演奏振りだ。
さて、今回の演奏会で気づいたことがいくつかある。
まず、この定演が今年の夏の吹奏楽コンクールのリハーサルにもなっている点だ。定演の会場、豊中市文化芸術センターは、実はコンクール会場でもあるのだ。この会場でやった今回の定演第1部で、池田高校吹奏楽部はコンクールの課題曲と自由曲(だと思われる)曲を演奏した。こういうラッキーな学校は「いけすい」だけではないかもしれないが、コンクール会場の同じホールで、課題曲も自由曲も演奏できる機会は得難い。
もう一つは、演奏会の構成が非常にうまくできていることだ。吹奏楽専門の真面目で難しい曲は、第1部に集約させてある。2部は劇を含んでリラックスできるステージ。第3部はノリのいい曲で盛り上げ、ラストをお別れムードでしんみり浸らせる構成だ。
ただ、これは前述したように、客がほぼ身内である前提のステージ作りであり、その分センチメンタルさを100%出せるような全振りが可能だと言える。もし一般客がもっと多い前提であれば、校内行事のような演出はおそらく邪魔になるかもしれないからだ。
ちなみに、筆者自身もこの高校に若干の関係があるため、校内行事のノリでしんみりと別れの演出をされても、他の保護者や卒業生の観客と同じ気持ちで雰囲気に浸ることができた。
今回の「いけすい」と、最近よく聴いている筆者の母校・大阪府立春日丘高校の吹奏楽部を少し比較してみたい。
以下の記事のように最近、自分自身も定期演奏会にキャストとして参加した印象から、この2校を比べることができる。
※母校・大阪府立春日丘高校吹奏楽部の第50回記念の定演に参加した
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12892039117.html
この2校は、大阪府の旧学校では1学区と2学区の代表的な高校で、北摂地域では昔から名の通った高校だ。立ち位置もよく似ていて、それぞれの学区(今は撤廃されたが)で2番手、3番手の偏差値を維持している。つまり、生徒の層は、ほぼ似たようなものであるはずなのだ。
それでも、どちらも伝統校であるせいか、吹奏楽部だけを比べても、それぞれの校風がよく表れていて興味深い。簡単にいうと、池田高校はきっちりとして生真面目で、それでいてノリがいい(だだし上品なノリだ)。春日丘高校の方は雑だが自由奔放で、ノリがとてもよく、ひたすら楽しませる。
演奏会の位置付けも、対照的だ。池田は前述のように、身内むけの構成で学校行事の延長のような作りをする。春日丘は一般客を意識しており、選曲の上でも一般向けに興味を引くような変わった楽曲をやる。
例えば、今年の3月末にあった第50回定演で、春日丘高校吹奏楽部「かすすい」は、こんな変わった楽曲の初演をしている。
YouTubeで話題になった面白い曲なのだが、れっきとしたプロの作曲家の作品だ。
↓
※ピアノ協奏曲「放課後にピアノを練習していると隣の部屋で練習を始める吹奏楽部」(初演)
https://youtu.be/q09VijWNnVI?si=SpfkjUT8cuFAa-7d
00:00 チャイム
00:23 序奏
00:53 放課後にピアノの練習をしている人
01:02 隣の部屋で練習し始める吹奏楽部
01:14 チューニング
01:25 音階練習
02:09 コラール練習
02:26 あまりのうるささについにブチギレるピアノ
02:44 ピアノと吹奏楽部の攻防
04:07 なんだかんだで仲良くコーダへ
《ピアノ協奏曲「放課後にピアノを練習していると隣の部屋で練習を始める吹奏楽部(2020)」
演奏:春日丘高等学校吹奏楽部
指揮&バンドトレーナー:森山慎也
大阪府立春日丘高等学校吹奏楽部 第50回定期演奏会
日:2025年3月30日(日)
場所:茨木市文化・子育て複合施設 おにクル 4Fゴウダホール
松﨑国生 Kunio Matsuzaki
クラシック音楽の作曲家
https://www.kuni0.com
高知県出身。高知県立高知丸の内高等学校音楽科卒業。くらしき作陽大学音楽学部音楽学科卒業。これまでにNHK交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、岡山フィルハーモニック管弦楽団、瀬戸フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、ズーラシアンブラス、Alto de Campagne、著名な演奏家多数に作曲・編曲作品を提供。NHK音楽祭2016〜2019「シンフォニック・ゲーマーズ 1〜4」に編曲家として参加(NHK BSプレミアムにて放送)。2017年、岡山県にて個展を開催。長岡京室内アンサンブルなど多数の公演に出演。ヴァイオリンを宮内康恵、森悠子の各氏に師事。》
池田と春日丘、どちらのあり方も一長一短であり、まさに校風というほかない。吹奏楽としての演奏自体は、明らかに池田高校が実力は上だ。しかし、春日丘の方は生徒の指揮者が多くの曲を指揮していて、指導者の先生が指揮する曲は難しい楽曲に限られる。同じような条件の高校生同士であり、似たような位置付けの高校なのに、吹奏楽部のあり方がずいぶん違う。こういうのが、日本の吹奏楽部文化の多様さだといえる。
音楽演奏の面だけでなく部活動・スクールバンドのバラエティ豊かなあり方は、日本の長い吹奏楽の歴史の中で培われたものであり、いずれの方向性も残ってほしいと思う。
もちろん、現状の高校吹奏楽部のあり方がどのぐらい続けられるものか、先々に不安は多い。それでも、戦後日本の音楽文化の一端を間違いなく担ってきたスクールバンドの伝統を、国の教育政策のあれこれや、自治体の教育予算といった瑣末な問題で潰すようなことは、してほしくない。
それというのも、不安を感じさせる兆候が、この両校の定演で同じように見受けられたのだ。
どちらも、高校生たちが学校の部活動の運営資金を演奏会の会場で募金として募っていた。本来は、学校の部活動なのだからあくまで学校の予算、自治体の教育予算が割り振られるべきなのはいうまでもない。それが不足している場合、これまではPTAの予算や、卒業生中心の後援会の寄付などで補助されてきたはずだ。
現在これほど少子化なのに、昔と比べて数少なくなった生徒の部活を支える予算がなぜ足りないのだろう? 生徒自身が活動資金を募金で募る必要があるとは、おかしな話だ。そこは大人の責任ではなかろうか。
近年、コンクールや演奏会だけでなく、ネット音源、テレビ番組などで高校生の吹奏楽部の音楽を聴く機会が増えた。高校生たちの優れた音楽演奏をもっと聴きたいならば、高校生自身が募金活動しなくても済むような学校現場の予算財源を、きちんと考えて実施できる自治体の首長、議員、国の政治家たちを選ぶ必要がある。少子化がものすごい速度で進行中である現状、全国の高校、特に公立学校の吹奏楽部がいつまで存続できるか、予断を許さないのだ。特に大阪府内では、公立高校を片っ端から統廃合しているため、想像以上の早さで、多くの府民の母校が消滅していっている。学校がなくなるなら吹奏楽部もなくなる。これまで当たり前に楽しんできた学校の吹奏楽文化は、実は存亡の危機にあるといっていいだろう。
※参考記事
大阪府立高校の吹奏楽部の演奏会がこんなに変わった?それとも変わってない?〜大阪府立池田高校吹奏楽部定期演奏会
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12851214037.html
母校吹奏楽部の創部60周年記念演奏会を聴く
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12874769066.html
※母校・春日丘高校を再発見するブログ連載
吹奏楽今昔シリーズその1
https://note.com/doiyutaka/n/n17a071fa190d
その2〜チューナー見ながら演奏する
https://note.com/doiyutaka/n/n438cb3361e8e
その3〜指揮法のレベルアップ(斉藤メソッドの浸透?)
https://note.com/doiyutaka/n/nb76e33a7640c
その4〜オーケストラ今昔・斉藤メソッドVS朝比奈隆
https://note.com/doiyutaka/n/n0f9b64b84d4c
その5 ホールの差〜ザ・シンフォニーホールVS大阪フェスティバルホール、新しいホールVS昔の市民会館
https://note.com/doiyutaka/n/naddc2bbec35c
(最終回)その6 ホールの差と録音の差がもたらす音楽感の違い〜 昭和(20世紀中〜後半)の音源の魅力を再発見する
https://note.com/doiyutaka/n/nfea7c1644a6c
(特別編)母校・春日丘高校を再発見する
(特別編)母校・春日丘高校を再発見する
昨年秋以来、以下の連載を書く中で、母校・大阪府立春日丘高校の現在の姿と、自分が通っていた40年前の校舎の接点を見つけた。かつて、10代だった自分が過ごした校舎が、今はずいぶん違う形で、それでも面影を残してまだ建っているのを見つけた時、時間が突然、逆戻りしたような気持ちになった。
まるで、プルーストの『失われた時を求めて』の、紅茶に浸したマドレーヌのエピソードのような、過去の時間を再発見した瞬間の衝撃を、自分も体験したらしい。
(1)建て替え前にもあった「藤蔭の庭」
(2)校舎側から、かつての正門(現在は通用門?)を見る
(3)かつての正門から6号館(新館)を見る。右手の杉の木立は昔のまま
(4)昔の校舎
(5)かつての4号館(ピン館)は自転車置き場に
(6)元の6号館(新館)は、新校舎と接続され、特別教室棟に
(7)昔の本館にあったレリーフ
(8)昔の本館を描いた卒業生の絵
(9)昔の本館のトイレの壁にあったレリーフ
(10)かつての中庭のあと。この向かい側に、本館が建っていた
(11)昔の本館。
(12)昔の本館と5号館、背後はプール。
昔の6号館は現在は特別教室棟だが、どうやら旧・教室を大幅に拡張して、大きな教室に改築したようにみえる。
しかし、階段や非常階段、それに窓のサッシは昔のままだ。
私が通っていた40年前に初めて建った6号館が、今は最も古い校舎として生き残っている。それだけの時間が、母校に流れていったのだということを、現在の6号館に入ると感じ取ることができた。
※母校・春日丘高校を再発見するブログ連載
吹奏楽今昔シリーズその1
https://note.com/doiyutaka/n/n17a071fa190d
その2〜チューナー見ながら演奏する
https://note.com/doiyutaka/n/n438cb3361e8e
その3〜指揮法のレベルアップ(斉藤メソッドの浸透?)
https://note.com/doiyutaka/n/nb76e33a7640c
その4〜オーケストラ今昔・斉藤メソッドVS朝比奈隆
https://note.com/doiyutaka/n/n0f9b64b84d4c
その5 ホールの差〜ザ・シンフォニーホールVS大阪フェスティバルホール、新しいホールVS昔の市民会館
https://note.com/doiyutaka/n/naddc2bbec35c
(最終回)その6 ホールの差と録音の差がもたらす音楽感の違い〜 昭和(20世紀中〜後半)の音源の魅力を再発見する
https://note.com/doiyutaka/n/nfea7c1644a6c
※参考記事
母校・大阪府立春日丘高校吹奏楽部の第50回記念の定演に参加した
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12892039117.html
母校吹奏楽部の創部60周年記念演奏会を聴く
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12874769066.html
小川国夫没後17年 追悼
小川国夫没後17年 追悼
※「アポロンの島」と「スプートニクの恋人」〜エーゲ海をめぐる小川国夫と村上春樹の差
https://note.com/doiyutaka/n/n27489b4a2376
《ギリシャの同じ風景を描いた小川作品と村上作品、いずれかを読むなら迷うことなく小川作品を読みたい。だがそれは万人に向く選択ではなく、小説の読書に慣れた人にだけ通用する。まだそれほど小説を読んでいない人なら、村上作品が無難だ。ただもし『スプートニクの恋人』を読んで感心したのなら、ぜひ、同じミコノス島を背景に描いた小川国夫の『アポロンの島』を読んでみてほしい。》
《小川文学は文字通り、読者を選ぶ。そのわずかな気配を察知できる者だけに、小川国夫の異界の扉は開かれる。それに対して、村上春樹の小説に描かれる異界は、誰にでも広く開かれている。だからこそ日本語読者のみならず、多数の他国言語への翻訳でも広く読まれているのだ。
その意味で小川国夫の小説は、他国言語への翻訳ではよほど文体に繊細な感覚のある訳者でないと、元の文章に隠された異界への通路を他国の読者に感じ取らせるのは至難だ。幸い、我々日本人読者なら、注意深く読み込めば、小川文学の奥深い道筋を辿ることは可能であろう。心ある読者はぜひ、これからも小川国夫の小説を読み、異界へ続く通路を探索しようではないか。》
小川国夫と接していた日々を思い起こすたび、懐かしさと慕わしさがこみ上げてくる。
※小川国夫に案内されて藤枝近郊の海岸へ
※小川国夫『悲しみの港』の舞台となった小川(こがわ)港
※小川国夫を訪ねていくとき、いつも待ち合わせに使った藤枝駅前の喫茶店
※街道筋に面した小川国夫邸
※小川邸で、小沢書店版「小川国夫全集」にサインをいただく
※小川国夫のお供をして飲み歩いたあとは、必ずカラオケ
※過去記事
土居豊の文芸批評 特別編
【(追悼)小川国夫没後16年、今の若い人に薦める小川作品】
https://note.com/doiyutaka/n/n619268c7feb8
小川国夫没後15年
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12797439580.html
来年で没後15年、小川国夫を読む
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12736290617.html
※没後10年の記事
小川国夫の命日に寄せて 小川国夫没後10年・エッセイ「小川国夫のいた風景」
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12366773822.html
※筆者の小川国夫に関するブログ
作家・小川国夫の命日(4月8日)によせて
http://ameblo.jp/takashihara/entry-11507605937.html