読書の秋、土居豊の文芸批評が読書のご参考になれば幸いです! 「土居豊の文芸批評ラインナップ」
読書の秋、土居豊の文芸批評が読書のご参考になれば幸いです!
土居豊の文芸批評ラインナップ
⒈ マガジン
(1)
文芸批評「デュマのダルタニャン&モンテクリスト伯」(連載中)
https://note.com/doiyutaka/m/mfe0469a5a8f4
《アレキサンドル・デュマ(父)が書いた最大の小説「ダルタニャン物語」について語ろうと思う。デュマの代表作『三銃士』を読んだ人は多いが、実はこれが第1部で、その後の物語が2部、3部と続いていたことを知る人は少ない。しかも、続編の方が膨大で、物語としての面白さも、人物の掘り下げも、圧倒的に優れている。全部読んだ人はおそらく少数派だろう。この大作「ダルタニャン物語」を、この機会にぜひ手に取ってみてほしい。さらに、デュマの不朽の名作『モンテ・クリスト伯』を解説するシリーズも連載開始!》
※最新号
新連載予告!「デュマの『モンテ・クリスト伯』の魅力」〜映画化記念 「モンテ・クリスト伯を知っていますか?」
https://note.com/doiyutaka/n/n9454374ea904
(2)
「土居豊の文芸批評」(順次、記事を追加します)
https://note.com/doiyutaka/m/m8acfd4c1e7cc
作家・土居豊が「文芸批評」として各種ジャンルの作品を批評します。
マガジンとしてまとめる記事は、有料記事です。まとめ読みができるのと、記事単独で買うより安くなります。
一例)
ドストエフスキー最大の問題作『悪霊』〜なぜ村上春樹は「悪霊」を「神の子どもたちはみな踊る」のエピグラフに選んだか?
https://note.com/doiyutaka/n/ne0e65cda3ffc?flash_message_key=twitter_status_posted
※土居豊の論考ラインナップ
最新の寄稿
【京アニ事件と、藤本タツキ『ルックバック』を考える】
https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/7/1/7_55/_pdf/-char/ja
青春編完結! 作家・土居豊の音楽批評コンプリート版「青春編 全12回」
作家・土居豊の音楽批評コンプリート版「青春編 全12回」
《これまで、作家・土居豊(ペンネーム:浦澄彬のものも含む)がネット上と紙媒体で発表、あるいは未発表も含めて書いた音楽記事を、2025年バージョン、コンプリート版として集大成します。個別記事は期間限定無料で後日有料設定、同時にまとめ読み用の無料マガジンバージョンも作ります。
今回のコンプリート版では、これまでテーマ別の記事まとめをしてきたため、クラシック音楽(吹奏楽や合唱を含む)とポピュラー、舞台音楽、演劇などが別々になり、その時々に筆者が接してきた数多くの舞台芸術やライブについて、時代の変化やジャンルの変化がたどれなかったのを、時系列順にまとめ直します。そうすることで、バブル期とバブル崩壊後の日本の舞台芸術シーンと、その後の20世紀末、21世紀のゼロ年代、さらに2010年代から最近の令和時代の舞台芸術へ、と筆者が生きてきた時間軸に沿って、舞台芸術や音楽のあり方がどう変化してきたか、再考してみるきっかけとしたいのです。
いずれ、このコンプリート版を底本として、紙書籍での商業出版も実現したいと考えています。出版各社の方々、ぜひご注目をお願い申し上げます。》
第1回【昭和世代クラシック愛好家はいかにしてクラオタになったか】
https://note.com/doiyutaka/n/n668c1eff2e6d
第2回【昭和世代クラシック愛好家はいかにしてクラオタになったか】その2
https://note.com/doiyutaka/n/n670068c08d32
第3回【昭和末期の音楽ファンはどんな音を聴いて(演奏して)いたか〜「軽さ・根明VS重さ・根暗」】
https://note.com/doiyutaka/n/n33b9527ebdc4
第4回【80年代前半、大阪(関西)でのオーケストラ演奏会事情】その1「初めてのクラシック専用ホール体験と、初めての海外オケ体験」
https://note.com/doiyutaka/n/n56929cfc84e6
第5回【80年代前半、大阪(関西)でのオーケストラ演奏会事情】その2「大阪国際フェスティバルの学生券はありがたかった」
https://note.com/doiyutaka/n/n465c5de3dd81
第6回【80年代前半、大阪(関西)でのオーケストラ演奏会事情】その3「ベテラン指揮者たちと、関西のオーケストラに接して」
https://note.com/doiyutaka/n/n518dd7c14979
第7回【80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い】その1・1985年、関西でのオケ演奏会
https://note.com/doiyutaka/n/n418cbcb91aca
第8回【80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い】その2「1986年1月、ウィーン第九合唱団の現地公演体験、初めての欧州(海外)旅行」
https://note.com/doiyutaka/n/n9ea8cf6258c3
第9回【80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い】その3「クラオタ大学生の日常、初めてのシンフォニーホール出演」
https://note.com/doiyutaka/n/n40cb4e24d120
第10回【80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い】その4「海外有名オケに負けじと、大阪フィルも健闘」
https://note.com/doiyutaka/n/nf318abda42c4
第11回【80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い】その5「シノーポリのマーラー8番に出演 & 大フィルと関西歌劇団のアイーダにも出演!」
https://note.com/doiyutaka/n/nb492222db95e
第12回【80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い】その6「テンシュテットもノイマンも、イルジ・ビエロフラーヴェクもみな逝ってしまった」
https://note.com/doiyutaka/n/n301d48dc362b
※無料マガジン版
作家・土居豊の音楽批評コンプリート版
https://note.com/doiyutaka/m/m1acdb538e704
引き続き、「社会人編」へ続く
連載中! 作家・土居豊の音楽批評 コンプリート版
連載中!
作家・土居豊の音楽批評 コンプリート版
(過去記事も加筆修正してまとめています)
《今回のコンプリート版では、これまでテーマ別の記事まとめをしてきたため、クラシック音楽(吹奏楽や合唱を含む)とポピュラー、舞台音楽、演劇などが別々になり、その時々に筆者が接してきた数多くの舞台芸術やライブについて、時代の変化やジャンルの変化がたどれなかったのを、時系列順にまとめ直します。そうすることで、バブル期とバブル崩壊後の日本の舞台芸術シーンと、その後の20世紀末、21世紀のゼロ年代、さらに2010年代から最近の令和時代の舞台芸術へ、と筆者が生きてきた時間軸に沿って、舞台芸術や音楽のあり方がどう変化してきたか、再考してみるきっかけとしたいのです。》
ラインナップ
作家・土居豊の音楽批評 コンプリート版
第1回【昭和世代クラシック愛好家はいかにしてクラオタになったか】
https://note.com/doiyutaka/n/n668c1eff2e6d
その2
https://note.com/doiyutaka/n/n670068c08d32
第3回【昭和末期の音楽ファンはどんな音を聴いて(演奏して)いたか】「軽さ・根明VS重さ・根暗」
https://note.com/doiyutaka/n/n33b9527ebdc4
第4回【80年代前半、大阪(関西)でのオーケストラ演奏会事情】その1「初めてのクラシック専用ホール体験と、初めての海外オケ体験」
https://note.com/doiyutaka/n/n56929cfc84e6
第5回 80年代前半、大阪(関西)でのオーケストラ演奏会事情
その2「大阪国際フェスティバルの学生券はありがたかった」
https://note.com/doiyutaka/n/n465c5de3dd81
第6回 80年代前半、大阪(関西)でのオーケストラ演奏会事情
その3「ベテラン指揮者たちと、関西のオーケストラに接して」
https://note.com/doiyutaka/n/n518dd7c14979
第7回「80年代後半にかけて、関西でのオーケストラ演奏会通いを続けた」その1・1985年、関西でのオケ演奏会
https://note.com/doiyutaka/n/n418cbcb91aca
第8回「80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い」その2《1986年1月、ウィーン第九合唱団の現地公演体験、初めての欧州(海外)旅行》
https://note.com/doiyutaka/n/n9ea8cf6258c3
第9回「80年代後半、関西でのオーケストラ演奏会通い」その3「クラオタ大学生の日常、初めてのシンフォニーホール出演」
https://note.com/doiyutaka/n/n40cb4e24d120
※マガジン版
作家・土居豊の音楽批評 コンプリート版
(過去記事も加筆修正してまとめます)
https://note.com/doiyutaka/m/m1acdb538e704
これまで、作家・土居豊(ペンネーム:浦澄彬のものも含む)がネット上と紙媒体で発表、あるいは未発表も含めて書いた音楽記事を、2025年バージョン、コンプリート版として集大成します。
個別記事は原則無料で、特別なものは有料設定にし、同時にまとめ読み用のマガジンバージョンも作ります。
今回のコンプリート版では、これまでテーマ別の記事まとめをしてきたため、クラシック音楽(吹奏楽や合唱を含む)とポピュラー、舞台音楽、演劇などが別々になり、その時々に筆者が接してきた数多くの舞台芸術やライブについて、時代の変化やジャンルの変化がたどれなかったのを、時系列順にまとめ直します。
そうすることで、バブル期とバブル崩壊後の日本の舞台芸術シーンと、その後の20世紀末、21世紀のゼロ年代、さらに2010年代から最近の令和時代の舞台芸術へ、と筆者が生きてきた時間軸に沿って、舞台芸術や音楽のあり方がどう変化してきたか、再考してみるきっかけとしたいのです。
いずれ、このコンプリート版を底本として、紙書籍での商業出版も実現したいと考えています。出版各社の方々、ぜひご注目をお願い申し上げます。
昭和レトロがまた一つ消える〜ダイエー曽根店、54年目の閉店
昭和レトロがまた一つ消える。現在営業中の最古の店舗・ダイエー曽根店、54年目の閉店
知る人ぞ知る、阪急電鉄宝塚線の曽根駅前にあるダイエー曽根店は、現役で最も古いダイエー店舗だそうだ。そのダイエー曽根店も、ついに閉店、建替で、駅前再開発となる。
関西で育った昭和世代の人なら、多かれ少なかれダイエーで買い物した思い出があるだろう。筆者も生まれ育った大阪府茨木市のダイエーで、幼い頃から家族で買い物に来た記憶がある。小学生ぐらいになると、子ども同士でお小遣いを握りしめて買い物に来たり、お金がなくてもただぶらぶらしに来たりしたものだ。
曽根のダイエーは、筆者が豊中市に引っ越してきた当初、日々の買い物でよく使った。その当時はプロ野球のダイエー・ホークスが強くて、優勝した時は89円(王貞治監督の背番号)セールに行った。毎日の買い物の時にいつも「ダイエー・ホークスの歌」が流れていて、知らず知らず歌詞を覚えてしまった。
そのダイエー曽根店も、ついに駅前再開発の流れで閉店となる。正真正銘、昭和レトロの建物と店内で、今どきなかなか見られない場所だ。閉店最終日の7月31日には、おそらくローカル局のテレビ取材も来るに違いない。
名残を惜しむお客で長蛇の列の飲食店
踊り場の窓から、伊丹空港に降りる飛行機が見える
阪急曽根駅周辺は、この辺りではかなり広い空間があって、写真のように園児のクリスマスキャロルがあったり、選挙のたびに演説場所(この場合はおそらく公職選挙法違反ではないか?と思うが)になったり、公共空間としての役割を果たしている。
この曽根駅周辺、ダイエーが昔からあるせいだろうと思うが、飲食店などは大きな店がない。駅が高架化されてからは、高架下に数店、入れ替わりが激しいが飲食や小さなスーパーなどが入っている。しかも、ダイエーの真裏に、同じぐらいの高さのテナントビルが古くから建っていて、そのせいで、駅前広場の背後は完全に視界が塞がれている。
実は、曽根駅前の広場の向こう、ダイエーと巨大テナントビルの対角線上に、昔から豊中市民会館があった。これももうずいぶん前に、老朽化で建て替えとなって、今は豊中市立文化芸術センターという現代的なホール施設に生まれ変わった。
それなのに、せっかくの立派なホールも、駅前からダイエーとテナントビルの陰になって、全く目立たないロケーションなのだ。
このホール、新しいのはもちろんだが、近隣に本拠地のある日本センチュリー交響楽団の演奏会場として、北摂のクラシック音楽の一角を担っている。近日中には大阪府の吹奏楽コンクール地区予選会場にもなり、北摂一帯の吹奏楽学生が集結する場所ともなる。
今回、ダイエー跡地の再開発がどのようになるのか、噂では中央図書館ができるというのだが、一住民として希望を言えば、せっかくの市民ホールとうまく接続させる工夫をしてもらいたい。曽根駅からホールまでの動線を、なるべくわかりやすく作り直してほしいものだ。
さらに言えば、せっかくの市民ホールの周辺に、適当な飲食店がないことも、このホールの欠点だから、ぜひ、再開発事業の中に、演奏会前後の食事や喫茶にふさわしい、ちょっとおしゃれな場所を作ってもらいたい。
などと、勝手な要望を書いているが、長年、曽根駅周辺に住む市民としては、この界隈が大阪府内でも特に珍しい場所だというのを、強調しておこう。それは、近隣の空港に着陸してくる旅客機が間近に見られるということだ。特に、市民ホールの広いバルコニーからは、大阪市内方面から市街地の上空をゆっくり降下してきて、阪急曽根駅の向こうに降りていく旅客機の姿を眺めることができる。日本広しといえども、空港に降りる旅客機と電車を同時に眺められる市民ホールというのは、なかなかない。
曽根駅前のランドマークだったバイキングビルも建て替え予定
ホールのバルコニーから、伊丹空港に降りる飛行機が見える
※過去記事
大阪府立池田高校吹奏楽部第59回定期演奏会を聴く
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12902164338.html
飯森範親指揮の日本センチュリー交響楽団・豊中市民第九演奏会を聴きに来た
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12558582293.html
旧・豊中市民会館の建て替え完成「豊中市立文化芸術センター」
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12208270812.html
公開開始! 文芸批評 デュマ「ダルタニャン物語」
公開開始!
文芸批評 デュマ「ダルタニャン物語」 第4回
「三銃士続々編『十年後 ブラジュロンヌ子爵』まさかの!ダルタニャン50代! 初老でも大活躍」
https://note.com/doiyutaka/n/ndbce6c592ce3
鈴木力衛訳『将軍と二つの影』〜ダルタニャンとアトスの大活躍
本作『十年後 ブラジュロンヌ子爵』を、講談社文庫の鈴木力衛訳では、全6巻に分割しているが、まず『将軍と二つの影』の巻をみていこう。
流浪の英国王チャールズ2世を、ダルタニャンとアトスがそれぞれ別個に、お互いそうと知らないまま救うべく行動を開始したところから、物語の展開に加速度がついていく。
本文より
《「朕は国家なり」で知られるフランス王国のルイ14世、この肖像でも知られているが、この絵は晩年のものだ。本作でのルイ14世は、若い国王として宰相マザラン枢機卿の支配を脱し、国王親政を始めようという時期の直前である。前作『二十年後』での幼いルイは、母親の大后アンヌ・ドートリッシュと宰相マザランの操り人形だった。その後十年、マザランは年老いて病魔に苦しんでおり、青年国王ルイは自身の権力を模索している。
そんな折り、英国のチャールズ2世が内乱からの亡命状態で密かにフランスを訪れ、若きルイ14世に助力を求めにやってくる。ちょうど国王警護に当たっていた銃士隊副隊長ダルタニャン(前作で隊長になれたはずが、マザランに反故にされていた)は、若き英国王をみて驚き、かつてその父親チャールズ1世のために奮戦した過去を思い出す。この辺のエピソードは、前作『二十年後』で紹介されている。
ルイ14世は隣国のおちぶれた王に同情するが、頼まれた援助は宰相マザランがあっさり拒否する。まだルイにはマザランに逆らうことはできなかった。
最後の希望を断たれたチャールズ2世をみて、ダルタニャンは一計を思いつく。不甲斐ない国王とずるい宰相に見切りをつけ、一世一代の賭けに打って出るべく、銃士隊の職を辞するのだった。ここで、前作のプランシェとの友情が伏線となって、物語に絡んでくる。
一方、そうとは知らないチャールズ2世は、帰路、偶然にアトス=ラ・フェール伯爵と出会う。アトスは前作で、チャールズの父・1世の処刑の直前、息子のために残した資金を遺言として教えられていた。今こそ、その遺言に従う時と思って、アトスはチャールズ2世に父親の遺産のことを教え、その資金を取りに行って王座に復帰するための戦いを始めることを提案する。
こうして、前作からの約束を守ろうとするアトスと、それと知らずに同じ目的のために動き出すダルタニャンの、両者の同時進行で物語は進み始まるのだ。》
※前回まで
土居豊の文芸批評 デュマ「ダルタニャン物語」
第1回「デュマ(父)は、フランスの司馬遼太郎か?〜 三銃士VS竜馬がゆく」
https://note.com/doiyutaka/n/ndc19e8d728cb
第2回「誰もが知る『三銃士』はなぜ4人? 実は『ダルタニャンと三銃士』ということ」
https://note.com/doiyutaka/n/n37020eadaffd
第3回「三銃士続編『二十年後』 まさかの!ダルタニャン40代! 男盛りの大活躍」
https://note.com/doiyutaka/n/necbe7c12620a













































