作家・土居豊の批評 その他の文章 -274ページ目

上質の宿

東京は御茶ノ水の有名な山の上ホテルに泊まった。このホテルは、文士の宿としてあまりにも名高く、あえて泊まるのが畏れ多い気がしていた。
けれど、さすがというべきか、本当に上等な宿だった。
何がよいといって、従業員の態度がいい。部屋数の少ないホテルだからこそ可能なのだが、初めての客でも、すぐに顔を覚えてくれた。
くわしくは、常盤新平『山の上ホテル物語』を読んでいただきたいが、特筆すべきは、足場のよさと、人肌のサービスの両立である。
たいてい、足場のよいホテルは巨大で、サービスはないに等しい。一方、こじんまりとサービスの行き届いた宿は、交通の不便なところにあることが多い。
この宿は、東京駅から中央線でおよそ10分もかからない。そのくせ、手作り感のある上質のサービスが受けられる。こんな宿は、めったにあるまい。料金も妥当な線である。
しかしながら、昔はいざ知らず、昨今の御茶ノ水界隈の混雑ぶりで、さすがに閑静な雰囲気とはいいがたい。いたしかたあるまいが。
あと、朝食が実にすばらしかった。このごろ、どこでも朝食バイキングがはやりだが、こんなに手の込んだ、しかもあっさりとした朝ごはんを食べると、一日中お腹がすっきりして心地よかった。だいたい、朝から食べ放題といっても、そうそう食べられやしない。
9月2日

「創作鎮魂歌」大阪教育大学附属池田小学校事件~遺児の母の手記による~

2005年8月27日、大阪のザ・シンフォニーホールにて、このコンサートは行われた。
2002年6月の「池附事件」の被害児童の母が書いた手記をもとに、権代敦彦氏が作曲した鎮魂歌を、山下一史氏が大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して初演した。メゾ・ソプラノの寺谷千枝子氏、ピアノの稲垣聡氏、合唱に池田ジュニア合唱団、柏原市少年少女合唱団、此花少年少女合唱団、西成少年少女合唱団という大編成の演奏だった。主催の22世紀クラブが900円メセナコンサートと銘うって行っている企画の一環で、客席はほぼ満席、マスコミも大きく扱っていた。
この世界初演は、本当に心のこもったレクイエムとなったものと思う。現代曲で非常に演奏が困難そうな、大編成の、30分近い大曲である。特に、200名を超す児童合唱を集めるのは難しいだろう。しかし、初演だけではなく、何度も何度も再演されるべき曲である。少なくとも、毎年、被害児童の命日には、地元大阪でぜひ演奏してほしい。
指揮の山下氏は、常に情熱あふれる音楽作りをする人だが、この曲を指揮する後姿からは、これまでにみたことのないほどの気迫と深い感情移入がうかがえた。歌詞には、被害児童の母が、わが子に呼びかける言葉がそのまま出てくるのだが、その言葉を寺谷氏が歌うと、オーケストラのメンバーにも涙を拭う姿がみられた。山下氏も、汗だか涙だかを拭いつつ、タクトを振っていた。200名以上の子供たちが、大人でも難しい現代曲を一心に歌う姿は、それだけでなにかしらこの世ならぬ天上の気配を感じさせた。もちろん、その歌声は大編成のオーケストラに負けずに力強く、また美しく響いていた。
自分のことで恐縮だが、ある事情で、「池附事件」には強い思い入れがある。このコンサートで、鎮魂歌が演奏されている間、幼いころ以来初めてというぐらいの涙が流れて止まらなかった。思わずしゃくりあげそうで、唇をきつく噛んでこらえ続けた。なんだか背筋が寒いような感触と震えがずっと続いて、この曲にこめられたあまりにも深く強い悲しみに、自分の神経が激しく共鳴しているのがわかった。なにかが、あの時間、あの空間に、確かに顕れていた。
子供の死、それを多くの宗教は祈りで救おうとする。この曲の歌詞に使われた聖書の教えも、またそうである。その言葉で、肉親の悲しみや苦しみがどれほど癒されるかはわからない。しかし、少なくとも、この事件で死んだ子供たちを語りつぐ行為や思い出すことが、子供たちとその近しい人々の魂にわずかでも救いとなることを信じたい。
8月28日

台風とその余波・続

前回の続きだが、妙なオチがついた。
旅行をキャンセルして、今日はのんびり買い物をした。夜、くつろいでいると電話だ。「はい」「もしもし、こちら奥琵琶湖にあります~ホテルですが」「は?」
さっそく何だろう?それにこの声、確か昨日の親切な女性フロント係だ。
「今日のご宿泊は、ご到着は何時くらいになるでしょうか」「は?」
何か重大なミスをしたのだろうか?
「あの、昨日、キャンセルしたはずなんですが」「え?」
今度は向こうがしばし沈黙した。
「ええっと、そうでございますか。あの、それは何時ころのことでしょう?」
何時もなにも、あんたが電話受けたんだろうが! しかし、あえてそれは言わず、繰り返しキャンセルした時間や事情を話した。
「そうでございますか。それでしたら結構でございます」
あたふたした気配が、受話器からリアルに伝わってくる。
それにしても、のんきというか、まぬけというか。「ご到着は何時」だなんて、夜の7時に家にまだいること自体、おかしいじゃないか。まさか食事の準備も整っていたのだろうか。哀れというか、気の毒というか。
それでもまあ、好感のもてる抜け方ではあった。しかし、待てよ。明日また電話かかってこないだろうな。「ご連絡なしにキャンセルなさったので、料金を・・・」なあんて、まさかね。
8月25日

台風とその余波

などと大げさなタイトルをつけたが、ようするに旅行をキャンセルした話である。奥琵琶湖のリゾートホテルに、某旅行社を通じて予約していた。ところが、台風が日に日に迫ってきて、ちょうど旅行当日に上陸してくるという。
迷ったあげく、キャンセルすることにした。まずは某旅行社に電話する。対応した若い女の社員は、非常にてきぱきしていたのはいいのだが、こちらがキャンセルのことを相談しようとすると、あっさりと「出発~日前ですので、キャンセル料はこれこれです」という。まあ、マニュアル通りの対応なのだろう。
しかし、今回、台風が迫ってきているのをまさか知らないわけでもないだろうし、直前のキャンセルには事情がつきものなのだから、もうちょっと、なんとかならないものか。まるで待ってましたとばかり、キャンセル料の話をされて、誠に不愉快だった。それでなくても、楽しみにしていた旅行を中止するので気分が塞いでいるのに、少しは同情してもいいのではないか。
それにひきかえ、当のリゾートホテルは見事なホスピタリティだった。こちらの説明にきちんと耳を貸してくれたばかりか、本来かかるはずのキャンセル料を、事情を察して免除してくれたのである。やはり、これは、接客業と仲介業者の差というものだ。今度からは、できるだけ旅行社を通さずに予約しようと心に決めた。
旅行は、安いにこしたことはないが、業者を通して安くなるプランには、必ず落とし穴がある。それがわかっていながら、ついつい安さに目がくらんでそちらを選んでしまう。でも、旅行は金がかかって当然と思えば、せっかく行くのだから、なるべく不愉快な思いをしないように方法を選んだほうがよい。
ともあれ、その旅行社はもう使うまい、ということと、そのホテルに必ず次は泊まろう、と二つのことを誓ったのであった。
8月24日

吹奏楽と高校野球

朝、ふとFMをつけたら、いきなり吹奏楽の曲が鳴っていた。懐かしくて、つい聴き入ってしまった。昨年の吹奏楽コンクールの全国大会の録音だった。
昔は自分も吹奏楽少年だったので、聴くと当時の気分が蘇ってくる。しかし、今ではもっと音楽の好みの幅が広がったので、毎日毎日吹奏楽ばかり聴いていると飽きてくる。特に、ドビュッシーやラベルの管弦楽曲を吹奏楽アレンジで聴くと、どうしても弦楽器の響きが欲しくなって、なんだかもどかしくていたたまれない感じがして、聴くのがいやになる。
そんな偏った吹奏楽の聴き手だが、やはり日本の少年少女たちにとって、今のような吹奏楽花盛りの環境は、実に喜ばしい。
自分が学生のときには、吹奏楽はもっとマイナーな存在だった。だいたい、吹奏楽部がある中学高校の数もしれていたし、部員数も少なかった。クラスの中で、そもそも吹奏楽の存在を知っているやつの方が少なかったぐらいだ。
それでも、やっている方は毎日飽きもせず、楽器を吹き鳴らしていた。学校が町なかにあって、楽器の音がうるさいと苦情がくるため、夏でも教室の窓を閉めなければならなかった。今から思えば、よく熱中症にならなかったものだ。そういえば、みんなしょっちゅうナチュラル・ハイになってわけのわからないことを口走っていたが、あれは熱中症の初期症状だったのかもしれない。もっとも、冬でも同じだったが。
ところで、高校生のとき、自分の学校の野球部が甲子園に出場した。予選の決勝戦が、ちょうど吹奏楽コンクールの日と重なっていた。こちらは野球部の応援どころではなく、朝から手分けして楽器をホールまで運んで、出演の準備に忙しかった。ホールの隣が、野球の決勝戦をやっている球場だった。重いティンパニーやチューバを、一人分の運賃を追加で払って電車に載せ、数人がかりで運んだ。駅からホールまでのだらだら坂を、ティンパニーを担いで昇っていると、「おーい」とだれかに呼ばれた。みると、昨日まで練習を指導してくれていたOBの先輩が、球場の入り口に並んでいる。もちろん、後輩のへたな演奏を聴くより、野球部の応援を選んだわけだ。
しかしながら、吹奏楽部は健闘して、金賞を受賞した。野球部もがんばったらしく、決勝戦で勝って甲子園出場を決めた。コンクールが終わって、またえっちらおっちら楽器を運んで学校に帰る途中、地元の国鉄駅(当時)を出たら、号外を渡された。もちろん、吹奏楽部の金賞ではなく、野球部の甲子園出場のニュースだった。学校に戻って、楽器を運び上げていても、誰も金賞のことなんか言ってくれない。みんな、野球部のことで頭が一杯なのだ。
とまあ、こんなのが当時の吹奏楽の認知度だった。しかし、今でも状況はたいして変わっていないかもしれない。甲子園出場と、吹奏楽コンクール地方大会のBランク金賞とを比べるほうが間違っているのだろう。
それでも、いまや、高校野球を描いたドラマや映画に負けず、吹奏楽のドラマも出来たし、中沢けいさんの小説も人気だ。次は私が、吹奏楽小説でベストセラーを出してやろうかしら。
8月21日

サクラの服

知り合いのサクラが今、京都の藤井大丸で期間限定のショップを出している。親子3人で、遊びがてらのぞきに行った。
藤井大丸というから、てっきり大丸のカジュアルだと思い込んでいたら、どうも高島屋系らしい。別にどっちでもいいのだが。3階のエレベーター前の通路に、ワゴンみたいなものと簡易ハンガーで服を売っている。季節柄、秋冬もので、今回はメンズはないため、買えない。しかし、もとはさる大手の下着メーカーにいて、最近独立したデザイナーとしては、よく健闘していると思う。アダルト向けの服も何点かあり、商品に幅が出てきたようだ。
ファッション業界はそれこそ日々競争だろうに、そこで一人で生きていこうという心意気は大いに買える。私もシャツとニットを持っているが、いつか彼女がメジャーになったら、レアなアイテムの所有者として自慢したい。
8月18日

スノッブ

以前、小泉氏と森氏の、首相官邸での珍問答について書いた。その後日譚だが、新聞にこんな記事がでていた。曰く、森氏がぼやいた、かたくて食べられないチーズとは、実はフランスの高級チーズだったとのこと。小泉氏が、ワイン片手に自慢したそうだ。
しかし、これはなんとも、お里が知れるというか、語るに落ちるというか。ようするに、小泉氏は自分の高級好みを自慢したかっただけではないか。よっぽど森氏の無知をばらしたかったのか。
あの缶ビールとチーズのエピソードは、ある新聞が、「めざしの土光」に喩えていたように、その気があれば、大いに小泉氏のイメージアップに使えたはずなのに、これではまるで、自分がただのスノッブだと宣伝しているようなものだ。
男やもめの官邸暮らしのわびしい雰囲気が、なんだか古武士風に思えて、けっこう日本的で気に入っていたのに、いささかがっかりである。
まあ、どっちでもいいことではあるが。
8月17日

アナログとデジタル

実家に行くたびに、古いステレオでLPレコードやSPレコードを聴く。父親が若い頃買ったSPには、今にしてみればお宝みたいなのが混ざっている。もちろん、なんじゃこりゃ的なものもあるが。
たとえば、シューベルトの未完成でカール・ベームがまだ中堅どころとして紹介されていたり、トスカニーニの最晩年のレコードで、まだ存命中だからコメントもえらく気をつかって、無理にほめていたりする。リヒテルのは、幻のピアニストとして紹介されていて、時代の雰囲気がひしひし伝わってくる。
ところで、アナログのレコードの音が、デジタルよりも好まれる場合、その理由として、デジタル信号ではカットされている人間の可聴周波数外までアナログは再現するため、脳によい刺激が得られるからだという。もちろん、本来、耳が捉えないはずの波長の部分だから、本当にアナログを聞いて、なるほどこれは脳によい刺激だ、などということはわからないはずだ。しかし、確かに、気のせいであっても、LPやSPで音楽を聴くという行為は、コンサートでライブで聴く次に、現在望みうる最良の、音楽体験であろう。
現代の音楽体験は、限りなく分秒刻みの、細切れの時間で構成される。その象徴がipodのようなデジタルオーディオだ。もはや音楽はデジタル信号としてしか存在せず、CDやMDといった固体の物体ですらなくなっている。音楽、楽曲をデータ、信号として取り込んでしまうと、もしその機械をだれも再生しなければ、もはや音楽は物体の形として存在しないのと同じだ。
その対極にあるのが、LPやSPのレコードである。これはプレーヤーに大きな丸いプラスチックを載せて、針を置いて、ぐるぐる回転するのを見て、ようやく音楽が始まるというものだ。スピーカーから流れる音楽は、あの黒い円盤を針がこすって、その回転運動から発生してくるのだ、という、確固たる手触りがある。その一連の過程、再生行為が、もしその音源がアナログであれ、デジタルであれ、聴く人に音楽体験への意識の焦点をあらかじめ合わせさせるのだ。だから、ターンテーブルでレコードを聴いている時間は、明らかに音楽を体験しているという認識を生む。
携帯型の機器で音楽を聴くという行為は、それとは根本的に異なる。だから、コンサートしか音楽体験の方法がなかった時代から、レコード鑑賞という簡易手段が普及した時代への移行を一つの決定的な変化とすれば、ウオークマンの普及は、新しい時代の音楽体験の始まりであったといえる。
しかし、音楽を聴くことを楽しむために、レコードをかけるという行為をするのは、ほんの少しの動作だが、確実に自分を音楽に集中させてくれる。せっかく聴くのなら、たまにはそういう深い音楽体験をしたいものだ。コンサートに行く時間がなくても、レコード鑑賞なら、機械さえあればいつでもできるのだから。
8月16日

山下一史指揮・大阪市音楽団定期演奏会

指揮者の山下一史さんと知り合って、そのステージを見せてもらうために大阪市音楽団の定期演奏会に行った。その昔、アルフレッド・リードが指揮したときに聴いて以来だったが、ずいぶん楽員が若返っていて驚いた。曲目は、世界初演曲を2曲、本邦初演曲も一曲、とおそるべき意欲的なプログラム。あとで山下さんは、さすがに初演曲をこんなにやると死にそうになる、と語っていたが。
その世界初演の曲を作曲したスパーク氏が客席にいて、熱心な聴衆が、休憩時間に取り囲んでサインをねだっていたのも、微笑ましかった。作曲者は、当夜の演奏にいたくご満足の様子で、演奏後の舞台挨拶で、興奮気味の早口でしゃべりまくり、同時通訳が追いつかないぐらいだった。
客席は、吹奏楽少年少女たちが大勢、制服姿で占領し、また、この楽団の固定ファンらしき人たちも多く、音楽大学生のような、楽器ケースを担いでかけつけた若い人たちもいて、ザ・シンフォニーホールは満席だった。けっして聴きやすくはない、現代曲的なプログラムなのに、10代20代の聴衆は、食い入るようにステージを見つめ、魅せられたように熱狂的な拍手を送る。その場は、まさに吹奏楽王国たる日本の、音楽現場そのものだった。この男の子女の子たちの中から何人かが、おそらくはその夜の興奮覚めやらず、何か決定的な影響を心に刻み付けられて、音楽の道、プロの奏者への道を選ぶだろう。
指揮者の山下さんは、世界をまたにかけて活躍する中堅のマエストロで、サックス奏者の須川展也さんとの共演で多くの吹奏楽のアルバムを出している。そのマエストロが、世界初演をこの大阪のシンフォニーホールでやる。初演という世界でただ一回きりの音楽創造の現場に居合わせた10代の子供たちが、やがてプロの奏者を目指して、またよきアマチュアとして、次の世代の管楽器音楽を背負っていく。こういう幸福な芸術創造の場が、東京だけでなく、関西にも、また他の地方にも、いくつもあるのだ。今の日本が、音楽の世界でコンプレックスを感じる必要がどこにあるだろうか。もうそろそろ、舶来礼賛は終わりにしてもいいのではないのか。
8月14日

「クラリネットフェスト」に大阪音楽大学クラリネットオーケストラが出演

ところで、ここ数ヶ月、小説の取材のためにあちこちの音楽活動の現場をのぞいてきた。一休みしている間、そのいくつかを報告しておこう。
まず、最近のものから。
さる7月18日、東京は多摩市にあるパルテノン多摩で行われた国際クラリネットフェストについて。
これはなかなか権威ある国際音楽祭で、毎年違うところで開催されているらしい。日本でやるのはこれが初めてだそうだ。チラシをみると、クラ吹きでもない私でも知っている錚々たる顔ぶれが多摩に集結するようだ。面白そうだから行ってみた。もっとも、その前日、ちょうど東京は新宿で、あるサックス奏者のライブを聴いていたから、ちょうどスケジュールがよかったのだ。それと、日ごろお世話になっている大阪音大のクラリネットオーケストラが出演するというので、それも渡りに船、というところ。
さて、新宿から京王線で小一時間、車窓風景は、行けども行けども東京の郊外特有の退屈さ、つまり、山ありマンション街あり、また山あり町あり、の繰り返し。いったいどっちに向かって進んでいるのかもわからない。
着いた多摩センターというところは、まあ、いってみれば巨大なショッピングモールとマンションの複合体か。駅からダラダラ坂を登りつめたところに、古代ギリシャの神殿を模したらしい、いかにもバブルの遺跡といったホールがある。ふと気がつくと、すぐちかくにサンリオのテーマパークがある。どおりで親子連れが多いと思った。まさかこの小さな子供づれがみんな、クラリネットを聴きにいくわけはないと思っていたが。
しかし、フェストそのものは、いかにも手づくり感があって、素朴でよかった。なんだか関連グッズも売れてなさそうだし、せっかくロビーでくつろいで座っていたら、スタッフの兄ちゃんが無慈悲に椅子を取り上げてどこかへ運んでいってしまったり、まあ、いろいろありそうではあったが。
なにしろ、司会のおじさんが、よくみるとさっき受け付けにすわっていたのと同じ人だったし、どうやら出演者が席のほとんどを埋めていたみたいで、代わりばんこに出入りして演奏している様子が、いかにも学生イベントみたいだったし。
しかし、企画はやはり国際音楽祭だけあって、世界的に名の通ったクラリネット演奏をこれだけまとめて、一箇所で一週間ぶっ通しで聴けるというのは、なかなかないだろう。だからといって、万人にお勧めとはいわないが。そうとう音楽が好きな私も、一日中、クラリネットだけのアンサンブルを聴き続けたおかげで、その後10日ぐらい、クラリネットを見る気もしなかった。一年分は聴いた、という満腹感だった。
ところで、各国から来ていた音楽家たちが、このことを知っていたらいいなと思ったのだが。その地、多摩は、ジブリの映画の舞台となった悪名高きニュータウンで、森を切り開いてその古代ギリシャみたいな神殿ホールやら、テーマパークやらマンションを建てたということだ。なんとも、日本の明暗の両極を象徴する場所ではあるまいか。ついでに、多摩は新撰組発祥の地でもあったが。
8月8日