作家・土居豊の批評 その他の文章 -274ページ目

オペラ「沈黙」

来週、東京の新国立劇場で、松村禎三のオペラ「沈黙」が上演される。これは遠藤周作の小説「沈黙」を題材に、松村氏が13年をかけて作曲した大作である。1993年の初演以来、何度も再演されて、宗教をテーマにした日本のオペラの代表作ともいうべき存在になっている。今回の公演は、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスの引越し公演であり、新国立劇場としては初めての地方プロダクションの招聘である。カレッジ・オペラハウスの常任指揮者山下一史と、「沈黙」の再演に大きな貢献を果たしてきた演出家中村敬一のコンビで、キャストは関西のオペラ歌手の実力派がそろった。
夏の初めからずっと、このプロダクションを取材してきたのだが、いよいよ公演を一週間後にひかえ、稽古にも油がのってきた観がある。演出家・中村敬一氏は、こう語った。「オペラは生き物だから、彫刻を作るように順番に仕上げて、本番前に完璧に仕上がる、というわけにはいかない。舞台というのは、本番中でさえ、なおも生成していき、決して完成ということはない」
指揮者・山下一史氏は、こう語った。「このオペラは、確かに宗教がテーマだが、だからといって信仰がないと理解できないなんてことはない。松村さんの音楽はすばらしい。最後のシーンで、司祭ロドリゴが踏み絵を踏んだあと、まるで魂を救うようなソのシャープ音が美しく鳴って、作品のテーマがそこに明らかにされている」
キャストたちは、ほとんどが前回のカレッジオペラハウス公演と同じで、その分、作品を熟知しているはずである。しかし、みな、口をそろえたように言う。「この作品は、やればやるほど難しい。やりがいのある曲だ」と。
宗教の混迷が、かつてなく世界情勢に暗い影を落としているこの世紀の初めに、再び遠藤=松村両氏の信仰への問いかけを目の当たりにし、耳を傾けることは、大いに意味のあることではあるまいか。それ以上に、日本の20世紀音楽が到達した一つの極点ともいうべき松村氏の音楽を、じっくり味わう絶好の機会でもある。
9月10日

公演情報;オペラ「沈黙」 新国立劇場中劇場 2005年9月16日(金)18:30
                           9月18日(日)14:00
     同、ザ・カレッジオペラハウス公演 2005年10月24日、26日

陰謀のセオリー2

結局、私への陰謀は天の助けにより回避された模様。台風は近畿をそれ、私は無事バカンスを楽しんだ。
それにしても、台風の被害は甚大である。毎年必ずやってくるのだから、日本人は古来その備えを厳重にしていたし、今もそういう意識が高い。台風が元寇を追い払ったというのは本当は違うらしいのだが、それでも、はるか太平洋の彼方から迫ってくる巨大な嵐の存在は、神風そのものである。ホテルのバルコニーから、海が荒れ狂い、雲が飛ぶのをながめて、台風特有の湿った強風に吹かれていると、地球の呼吸というものを実感する。
日本は、本当に季節感がくっきりしている。台風一過、雲の切れ目からのぞいた青空は、数日前の夏の名残をもはやとどめず、明らかに深みを増して秋の高い空になっていた。
9月9日

陰謀のセオリー

という題の、メル・ギブソンとジュリア・ロバーツの映画があった。あれはカルトやとんでも科学を皮肉った実におもしろいサスペンスだった。しかし、今や私は、映画中のギブソンの気分である。そのこころは、「私をつけ狙う秘密組織が、赤道直下の孤島に台風発生装置を作って、次々に台風を日本列島に送り込み、私のヴァカンスをめちゃめちゃにしようとしている」に違いないのだ。
いったい何を言っているのかというと、前に書いたように、先月、台風が上陸してくるので旅行をキャンセルしたことがあった。その代わり、来週にヴァカンスを延期して、あるリゾートホテルを予約しているのだ。ところが、またまた台風である。しかもまたまた、旅行当日に上陸してくるという。なんとふざけた台風だ。いったい私のヴァカンスをどうしてくれるのだ!
などとわめいている私は、アメリカのハリケーンの被害者のことなど考えてもみない大ばか者にみえることだろう。
しかし、暴言ついでに発言すれば、あのハリケーンの被害は、当然予測できたはずなのに、対策を怠ったという意味で、あきらかに人災である。アメリカ合衆国というお国柄の、文明至上主義、自然に対する驕りの意識が白日のもとにさらされた災害だ。火星や土星に探査衛星を送り込む国が、ハリケーンに負けている。かくも自然は侮りがたいものだし、危機への備えを怠ると、どんな科学力があろうと、無意味なのだ。
しかも、どうみてもあの被害の拡大ぶりは、人種差別の産物としか思えない。これは9・11テロのようには同情できない事件だ。昨年末のインド洋津波とも違う。あの津波はめったに起こらないところをいきなり襲った。ハリケーンは毎年来る。備えがおろそかだったのだ。政府は、言い訳せずにひたすら手をつくすべきだ。見栄を捨てて、国連にも助けを求めたらどうだ。まったく、かわいげがない国だ。
などと、自分のヴァカンスが危機にさらされている怒りを八つ当たりしているように見えるかもしれないが、違うのだ。無能なアメリカ政府に憤りをおぼえているだけなのだ。
9月3日

上質の宿

東京は御茶ノ水の有名な山の上ホテルに泊まった。このホテルは、文士の宿としてあまりにも名高く、あえて泊まるのが畏れ多い気がしていた。
けれど、さすがというべきか、本当に上等な宿だった。
何がよいといって、従業員の態度がいい。部屋数の少ないホテルだからこそ可能なのだが、初めての客でも、すぐに顔を覚えてくれた。
くわしくは、常盤新平『山の上ホテル物語』を読んでいただきたいが、特筆すべきは、足場のよさと、人肌のサービスの両立である。
たいてい、足場のよいホテルは巨大で、サービスはないに等しい。一方、こじんまりとサービスの行き届いた宿は、交通の不便なところにあることが多い。
この宿は、東京駅から中央線でおよそ10分もかからない。そのくせ、手作り感のある上質のサービスが受けられる。こんな宿は、めったにあるまい。料金も妥当な線である。
しかしながら、昔はいざ知らず、昨今の御茶ノ水界隈の混雑ぶりで、さすがに閑静な雰囲気とはいいがたい。いたしかたあるまいが。
あと、朝食が実にすばらしかった。このごろ、どこでも朝食バイキングがはやりだが、こんなに手の込んだ、しかもあっさりとした朝ごはんを食べると、一日中お腹がすっきりして心地よかった。だいたい、朝から食べ放題といっても、そうそう食べられやしない。
9月2日

「創作鎮魂歌」大阪教育大学附属池田小学校事件~遺児の母の手記による~

2005年8月27日、大阪のザ・シンフォニーホールにて、このコンサートは行われた。
2002年6月の「池附事件」の被害児童の母が書いた手記をもとに、権代敦彦氏が作曲した鎮魂歌を、山下一史氏が大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して初演した。メゾ・ソプラノの寺谷千枝子氏、ピアノの稲垣聡氏、合唱に池田ジュニア合唱団、柏原市少年少女合唱団、此花少年少女合唱団、西成少年少女合唱団という大編成の演奏だった。主催の22世紀クラブが900円メセナコンサートと銘うって行っている企画の一環で、客席はほぼ満席、マスコミも大きく扱っていた。
この世界初演は、本当に心のこもったレクイエムとなったものと思う。現代曲で非常に演奏が困難そうな、大編成の、30分近い大曲である。特に、200名を超す児童合唱を集めるのは難しいだろう。しかし、初演だけではなく、何度も何度も再演されるべき曲である。少なくとも、毎年、被害児童の命日には、地元大阪でぜひ演奏してほしい。
指揮の山下氏は、常に情熱あふれる音楽作りをする人だが、この曲を指揮する後姿からは、これまでにみたことのないほどの気迫と深い感情移入がうかがえた。歌詞には、被害児童の母が、わが子に呼びかける言葉がそのまま出てくるのだが、その言葉を寺谷氏が歌うと、オーケストラのメンバーにも涙を拭う姿がみられた。山下氏も、汗だか涙だかを拭いつつ、タクトを振っていた。200名以上の子供たちが、大人でも難しい現代曲を一心に歌う姿は、それだけでなにかしらこの世ならぬ天上の気配を感じさせた。もちろん、その歌声は大編成のオーケストラに負けずに力強く、また美しく響いていた。
自分のことで恐縮だが、ある事情で、「池附事件」には強い思い入れがある。このコンサートで、鎮魂歌が演奏されている間、幼いころ以来初めてというぐらいの涙が流れて止まらなかった。思わずしゃくりあげそうで、唇をきつく噛んでこらえ続けた。なんだか背筋が寒いような感触と震えがずっと続いて、この曲にこめられたあまりにも深く強い悲しみに、自分の神経が激しく共鳴しているのがわかった。なにかが、あの時間、あの空間に、確かに顕れていた。
子供の死、それを多くの宗教は祈りで救おうとする。この曲の歌詞に使われた聖書の教えも、またそうである。その言葉で、肉親の悲しみや苦しみがどれほど癒されるかはわからない。しかし、少なくとも、この事件で死んだ子供たちを語りつぐ行為や思い出すことが、子供たちとその近しい人々の魂にわずかでも救いとなることを信じたい。
8月28日

台風とその余波・続

前回の続きだが、妙なオチがついた。
旅行をキャンセルして、今日はのんびり買い物をした。夜、くつろいでいると電話だ。「はい」「もしもし、こちら奥琵琶湖にあります~ホテルですが」「は?」
さっそく何だろう?それにこの声、確か昨日の親切な女性フロント係だ。
「今日のご宿泊は、ご到着は何時くらいになるでしょうか」「は?」
何か重大なミスをしたのだろうか?
「あの、昨日、キャンセルしたはずなんですが」「え?」
今度は向こうがしばし沈黙した。
「ええっと、そうでございますか。あの、それは何時ころのことでしょう?」
何時もなにも、あんたが電話受けたんだろうが! しかし、あえてそれは言わず、繰り返しキャンセルした時間や事情を話した。
「そうでございますか。それでしたら結構でございます」
あたふたした気配が、受話器からリアルに伝わってくる。
それにしても、のんきというか、まぬけというか。「ご到着は何時」だなんて、夜の7時に家にまだいること自体、おかしいじゃないか。まさか食事の準備も整っていたのだろうか。哀れというか、気の毒というか。
それでもまあ、好感のもてる抜け方ではあった。しかし、待てよ。明日また電話かかってこないだろうな。「ご連絡なしにキャンセルなさったので、料金を・・・」なあんて、まさかね。
8月25日

台風とその余波

などと大げさなタイトルをつけたが、ようするに旅行をキャンセルした話である。奥琵琶湖のリゾートホテルに、某旅行社を通じて予約していた。ところが、台風が日に日に迫ってきて、ちょうど旅行当日に上陸してくるという。
迷ったあげく、キャンセルすることにした。まずは某旅行社に電話する。対応した若い女の社員は、非常にてきぱきしていたのはいいのだが、こちらがキャンセルのことを相談しようとすると、あっさりと「出発~日前ですので、キャンセル料はこれこれです」という。まあ、マニュアル通りの対応なのだろう。
しかし、今回、台風が迫ってきているのをまさか知らないわけでもないだろうし、直前のキャンセルには事情がつきものなのだから、もうちょっと、なんとかならないものか。まるで待ってましたとばかり、キャンセル料の話をされて、誠に不愉快だった。それでなくても、楽しみにしていた旅行を中止するので気分が塞いでいるのに、少しは同情してもいいのではないか。
それにひきかえ、当のリゾートホテルは見事なホスピタリティだった。こちらの説明にきちんと耳を貸してくれたばかりか、本来かかるはずのキャンセル料を、事情を察して免除してくれたのである。やはり、これは、接客業と仲介業者の差というものだ。今度からは、できるだけ旅行社を通さずに予約しようと心に決めた。
旅行は、安いにこしたことはないが、業者を通して安くなるプランには、必ず落とし穴がある。それがわかっていながら、ついつい安さに目がくらんでそちらを選んでしまう。でも、旅行は金がかかって当然と思えば、せっかく行くのだから、なるべく不愉快な思いをしないように方法を選んだほうがよい。
ともあれ、その旅行社はもう使うまい、ということと、そのホテルに必ず次は泊まろう、と二つのことを誓ったのであった。
8月24日

吹奏楽と高校野球

朝、ふとFMをつけたら、いきなり吹奏楽の曲が鳴っていた。懐かしくて、つい聴き入ってしまった。昨年の吹奏楽コンクールの全国大会の録音だった。
昔は自分も吹奏楽少年だったので、聴くと当時の気分が蘇ってくる。しかし、今ではもっと音楽の好みの幅が広がったので、毎日毎日吹奏楽ばかり聴いていると飽きてくる。特に、ドビュッシーやラベルの管弦楽曲を吹奏楽アレンジで聴くと、どうしても弦楽器の響きが欲しくなって、なんだかもどかしくていたたまれない感じがして、聴くのがいやになる。
そんな偏った吹奏楽の聴き手だが、やはり日本の少年少女たちにとって、今のような吹奏楽花盛りの環境は、実に喜ばしい。
自分が学生のときには、吹奏楽はもっとマイナーな存在だった。だいたい、吹奏楽部がある中学高校の数もしれていたし、部員数も少なかった。クラスの中で、そもそも吹奏楽の存在を知っているやつの方が少なかったぐらいだ。
それでも、やっている方は毎日飽きもせず、楽器を吹き鳴らしていた。学校が町なかにあって、楽器の音がうるさいと苦情がくるため、夏でも教室の窓を閉めなければならなかった。今から思えば、よく熱中症にならなかったものだ。そういえば、みんなしょっちゅうナチュラル・ハイになってわけのわからないことを口走っていたが、あれは熱中症の初期症状だったのかもしれない。もっとも、冬でも同じだったが。
ところで、高校生のとき、自分の学校の野球部が甲子園に出場した。予選の決勝戦が、ちょうど吹奏楽コンクールの日と重なっていた。こちらは野球部の応援どころではなく、朝から手分けして楽器をホールまで運んで、出演の準備に忙しかった。ホールの隣が、野球の決勝戦をやっている球場だった。重いティンパニーやチューバを、一人分の運賃を追加で払って電車に載せ、数人がかりで運んだ。駅からホールまでのだらだら坂を、ティンパニーを担いで昇っていると、「おーい」とだれかに呼ばれた。みると、昨日まで練習を指導してくれていたOBの先輩が、球場の入り口に並んでいる。もちろん、後輩のへたな演奏を聴くより、野球部の応援を選んだわけだ。
しかしながら、吹奏楽部は健闘して、金賞を受賞した。野球部もがんばったらしく、決勝戦で勝って甲子園出場を決めた。コンクールが終わって、またえっちらおっちら楽器を運んで学校に帰る途中、地元の国鉄駅(当時)を出たら、号外を渡された。もちろん、吹奏楽部の金賞ではなく、野球部の甲子園出場のニュースだった。学校に戻って、楽器を運び上げていても、誰も金賞のことなんか言ってくれない。みんな、野球部のことで頭が一杯なのだ。
とまあ、こんなのが当時の吹奏楽の認知度だった。しかし、今でも状況はたいして変わっていないかもしれない。甲子園出場と、吹奏楽コンクール地方大会のBランク金賞とを比べるほうが間違っているのだろう。
それでも、いまや、高校野球を描いたドラマや映画に負けず、吹奏楽のドラマも出来たし、中沢けいさんの小説も人気だ。次は私が、吹奏楽小説でベストセラーを出してやろうかしら。
8月21日

サクラの服

知り合いのサクラが今、京都の藤井大丸で期間限定のショップを出している。親子3人で、遊びがてらのぞきに行った。
藤井大丸というから、てっきり大丸のカジュアルだと思い込んでいたら、どうも高島屋系らしい。別にどっちでもいいのだが。3階のエレベーター前の通路に、ワゴンみたいなものと簡易ハンガーで服を売っている。季節柄、秋冬もので、今回はメンズはないため、買えない。しかし、もとはさる大手の下着メーカーにいて、最近独立したデザイナーとしては、よく健闘していると思う。アダルト向けの服も何点かあり、商品に幅が出てきたようだ。
ファッション業界はそれこそ日々競争だろうに、そこで一人で生きていこうという心意気は大いに買える。私もシャツとニットを持っているが、いつか彼女がメジャーになったら、レアなアイテムの所有者として自慢したい。
8月18日

スノッブ

以前、小泉氏と森氏の、首相官邸での珍問答について書いた。その後日譚だが、新聞にこんな記事がでていた。曰く、森氏がぼやいた、かたくて食べられないチーズとは、実はフランスの高級チーズだったとのこと。小泉氏が、ワイン片手に自慢したそうだ。
しかし、これはなんとも、お里が知れるというか、語るに落ちるというか。ようするに、小泉氏は自分の高級好みを自慢したかっただけではないか。よっぽど森氏の無知をばらしたかったのか。
あの缶ビールとチーズのエピソードは、ある新聞が、「めざしの土光」に喩えていたように、その気があれば、大いに小泉氏のイメージアップに使えたはずなのに、これではまるで、自分がただのスノッブだと宣伝しているようなものだ。
男やもめの官邸暮らしのわびしい雰囲気が、なんだか古武士風に思えて、けっこう日本的で気に入っていたのに、いささかがっかりである。
まあ、どっちでもいいことではあるが。
8月17日