吹奏楽と高校野球 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

吹奏楽と高校野球

朝、ふとFMをつけたら、いきなり吹奏楽の曲が鳴っていた。懐かしくて、つい聴き入ってしまった。昨年の吹奏楽コンクールの全国大会の録音だった。
昔は自分も吹奏楽少年だったので、聴くと当時の気分が蘇ってくる。しかし、今ではもっと音楽の好みの幅が広がったので、毎日毎日吹奏楽ばかり聴いていると飽きてくる。特に、ドビュッシーやラベルの管弦楽曲を吹奏楽アレンジで聴くと、どうしても弦楽器の響きが欲しくなって、なんだかもどかしくていたたまれない感じがして、聴くのがいやになる。
そんな偏った吹奏楽の聴き手だが、やはり日本の少年少女たちにとって、今のような吹奏楽花盛りの環境は、実に喜ばしい。
自分が学生のときには、吹奏楽はもっとマイナーな存在だった。だいたい、吹奏楽部がある中学高校の数もしれていたし、部員数も少なかった。クラスの中で、そもそも吹奏楽の存在を知っているやつの方が少なかったぐらいだ。
それでも、やっている方は毎日飽きもせず、楽器を吹き鳴らしていた。学校が町なかにあって、楽器の音がうるさいと苦情がくるため、夏でも教室の窓を閉めなければならなかった。今から思えば、よく熱中症にならなかったものだ。そういえば、みんなしょっちゅうナチュラル・ハイになってわけのわからないことを口走っていたが、あれは熱中症の初期症状だったのかもしれない。もっとも、冬でも同じだったが。
ところで、高校生のとき、自分の学校の野球部が甲子園に出場した。予選の決勝戦が、ちょうど吹奏楽コンクールの日と重なっていた。こちらは野球部の応援どころではなく、朝から手分けして楽器をホールまで運んで、出演の準備に忙しかった。ホールの隣が、野球の決勝戦をやっている球場だった。重いティンパニーやチューバを、一人分の運賃を追加で払って電車に載せ、数人がかりで運んだ。駅からホールまでのだらだら坂を、ティンパニーを担いで昇っていると、「おーい」とだれかに呼ばれた。みると、昨日まで練習を指導してくれていたOBの先輩が、球場の入り口に並んでいる。もちろん、後輩のへたな演奏を聴くより、野球部の応援を選んだわけだ。
しかしながら、吹奏楽部は健闘して、金賞を受賞した。野球部もがんばったらしく、決勝戦で勝って甲子園出場を決めた。コンクールが終わって、またえっちらおっちら楽器を運んで学校に帰る途中、地元の国鉄駅(当時)を出たら、号外を渡された。もちろん、吹奏楽部の金賞ではなく、野球部の甲子園出場のニュースだった。学校に戻って、楽器を運び上げていても、誰も金賞のことなんか言ってくれない。みんな、野球部のことで頭が一杯なのだ。
とまあ、こんなのが当時の吹奏楽の認知度だった。しかし、今でも状況はたいして変わっていないかもしれない。甲子園出場と、吹奏楽コンクール地方大会のBランク金賞とを比べるほうが間違っているのだろう。
それでも、いまや、高校野球を描いたドラマや映画に負けず、吹奏楽のドラマも出来たし、中沢けいさんの小説も人気だ。次は私が、吹奏楽小説でベストセラーを出してやろうかしら。
8月21日