作家・土居豊の批評 その他の文章 -272ページ目

大阪音楽大学学生演奏会・ヴァイオリンの小山亜希とクラリネットの原田恵美

2日連続の第2夜を聴いた。
この大学は、以前から出入りしているが、改めて学生の演奏を聴いてみた。しかし、結論から言えば、玉石混交である。
まずは玉から。学生の前田恵美作曲による『コントラバス二重奏・60~戦場での祈り~』が、大変すぐれた作品であり、またすばらしい演奏だった。戦後六〇年をきっかけに、一人の兵士の写真からインスピレーションを得て、コントラバス2本とピアノ、という変わった編成で作られた曲で、コントラバスの二人は、敵同士の二人の兵士を表すという。平易な楽曲構成だが、そこに込められた祈りの心情が、ストレートに表現されていて、若い女性の感性が伝わってきた。演奏者のコントラバス二人は、戦場の兵士さながらの熱演で、おそらく友人とおぼしき作曲者の女性を称えた。
もう一人、ヴァイオリンの小山亜希。サンサーンスの『序奏とロンド・カプリチオーソ』
初め、高校生が出てきたのかと思ったほど、幼い容姿に、七五三みたいな子供じみたドレス。しかし、演奏はタフで筋金入り。多少アンバランスで不安定な箇所もあるが、18歳にしては前途有望である。
もう一人、クラリネットの原田恵美。アーノルドのソナタ。
こちらも18歳。それなのに、小難しい現代曲を、いとも楽々と吹きこなし、多彩な音色で管楽器の楽しさを歌い上げた。
こうしてみると、大学一年だからといって、決して侮ってはいけない。才能のある奏者は、やはり早熟なのだ。一方、上級生なのに、ぱっとしない奏者もいる。
疑問だが、きっとオーディションをしているはずなのに、どうしてこう、演奏者の実力に差があるのだろう? 楽器や学年が偏らないよう、人数枠を設けているのだろうか?
もしそうなら、公開演奏にする意味はない。一般客は、優れた学生の演奏を聴きたいのだ。ピアノ教室の発表会のつもりで、内輪に向けてやっているなら、この音大はいつまでもレベルアップは望めまい。腕達者は日本にも世界にもたくさんいるのだ。
11月2日

兵庫県立芸術文化センター杮落とし・佐渡裕指揮「第9コンサート」

期待に反して、意外なくらい平凡な演奏だった。佐渡裕の指揮に、オーディションで選りすぐりの若手国際色オーケストラの面々が、もっとハッスルして演奏するかと思っていた。
佐渡氏のベートーヴェンは、師のバーンスタイン譲りの極めてロマンティックな解釈で、テンポもダイナミックスも自在に揺れ動く。その表現意図に奏者がついていけていないのか、リハーサル不足なのか。コーラスはプロアマ混成だから、細かい表情を求めても無理だったろう。ソリスト4人の美声が救いだった。
だが、何といっても誕生したばかりのオーケストラだ。これからじっくり音を磨いていってもらえばよい。それには、佐渡氏が地道にトレーニングをするしかない。オーケストラ・ビルダーとしても評価の高い佐渡氏の手腕に期待しよう。
この劇場は、阪神間文化の地盤沈下を食い止める一つの起爆剤となる使命を背負っているかもしれない。しかし、経済効果ばかり追い求めていると、せっかく造った劇場もオーケストラも、十分生かせないことになる。芸術文化の育成に手をつけたからには、県民も長いスパンで見守ってほしい。佐渡氏がこの地に腰を落ち着けて10年単位で劇場運営に取り組んでくれたなら、30年後、おそらく世界に誇りうる劇場に成長しているだろう。
そう考えると、オープニング・シリーズのラインナップは、いささか浮薄に過ぎるように見える。第9を何度もやって客を呼ぼうというのは、まあよい。しかし、佐渡氏の人脈か、世界的アーティストをずらりと呼び集めてみせたとしても、今後10年、ずっと彼らが毎年のように来てくれるとはいくまい。それだけの予算も、プロモーション力も、地方の公共施設に求めるのは無理だろう。大きく花火を打ち上げて、それでおしまい、とならないよう切に祈る。
10月30日

音楽批評への批判

このところ、オペラやオーケストラの公演の舞台裏を取材し続けて、その本番を聴くことを続けている。その公演の批評が新聞や雑誌に載る。ところが、明らかに出演者たちも失敗だったと認めている演奏を、やたらに褒め称えていたりする。また、主観的な印象を列記しただけのものもある。
特に目立つのは、失敗を大成功と言いくるめる提灯記事だ。はたして、そんなことで日本の音楽界が健全に成長していけるのか。
文芸批評も質の低下は否めないが、音楽評、劇評ほどは堕落していないと思う。
おそらく、音楽や劇の場合、酷評されることによってその演奏者が、次の仕事をとれなくなるということがあって、書く側も配慮しているのだろう。または、書く側も音楽業界の一員なので、お互い利害関係があって、わざと褒めるのかもしれない。
しかし、それなら何のために批評するのか。たとえば、批評が音楽家一人を葬りさる結果となったとしよう。芸能の世界とは、そういう生き死にの過酷な世界ではなかったのか。文芸批評も、かつてはそういう真剣勝負の場であった。だから、批評に対して作家は死に物狂いで立ち向かい、新たな作品を血を流して創っていったのだ。
音楽や劇の批評が、業界内部の馴れ合いに堕していて、健全な批評精神が機能しないままなら、いつまでも日本の芸能は世界水準から取り残されたままで、志ある芸術家は海外でしか育たない、という悪循環が続くだろう。業界内の公然の秘密として、公的資金の詐欺行為も続くに違いない。ないしろ、お金をかけた分が、公演にどう生かされたのか、外部からは判断のしようがないではないか。
芸術の育成には時間と労力がかかる。しかし、だからといって、内部の人間のみで仲良しクラブをやっていては、甘えとなあなあが続くだけで、拍手の絶賛も嘘くさく思えてしまう。
ぜひとも、音楽批評を志すもの書きが鋭い批評を展開し、それが音楽業界にいささかなりとも影響を与えるような場が形成されてほしい。そのためには、音楽製作の側が、きちんと批評を読んで、自分の耳で演奏を聴き、判断力と先見性をもって音楽製作を企画することが必要である。
10月23日

レ・ヴァン・フランセ演奏会と、エマニュエル・パユ公開レッスン

木管5重奏として世界の頂点に立つこのアンサンブルは、フルートのエマニュエル・パユ以下錚々たるメンバーで、フランス室内楽の魅力を満喫させてくれた。
ザ・シンフォニーホールをほぼ満席に埋めた聴衆は、音楽学生が多いのはもちろんだが、クラシックの玄人といった感じの年配の方がたくさんいて、落ち着いて音楽にひたれる雰囲気だった。
曲目は、プーランク、モーツアルトの定番に、テュイレ、タファネル、ジョリヴェという専門的な名前が並ぶ。しかし、聴いてみると、どれもいかにも軽妙洒脱で歌心あふれた曲ばかり。また、ジョリヴェは現代の作曲家らしく、斬新な音作りに魅力があった。
なにしろ、奏者たちがみな世界的ソリストで、それぞれにハンサムガイなので、女性ファンがたくさん来ているようだった。最前列に振袖姿のお嬢さんコンビががんばっていて、曲に合わせて頭を振るものだから、髪飾りの動きが妙に気になった。しかし、格好は目立っていたものの、きちんと鑑賞してらっしゃったので、結構なことだった。
ちなみに、そのあと、知り合いの音大生がフルートのパユの公開レッスンを受けることになっていて、そっちにも顔を出した。コンサートは3時からで、レッスンのほうは7時。十分余裕があるから、ゆっくり夕食を楽しんでから行こうなどと、たかをくくっていたら、コンサートは結構長くかかって、おまけにアンコールも2曲。ぎりぎりにダッシュして、レッスンに滑り込んだ。もっとも、レッスンするはずのパユ氏が、ぎりぎりまでコンサートに出演しているのだ。仕方がない。それにしても、6曲も演奏して、その直後に別の会場で公開レッスンとは、さすが世界のトップ・プレーヤーは体力が違う。
10月22日

ローマよ、ローマ

今さらながら、塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んでいる。めっぽう面白い。ちょうど、カエサルの「ルビコン以後」に入ったところ。結末がわかっていても、ひっぱられる。
ところで、ギリシャ・ローマ文明は、ヨーロッパ文明の源泉には違いないが、ローマ史をたどっていくと、多神教の社会の持つ融通性がはっきり現れていて興味深い。考えてみれば、キリスト教を公認するまでのローマ人は、実にたくみに現実を処理して難問を乗り越えてきたようである。
共和制ローマのころの人から見れば、ユダヤの一神教など、なんと頑迷な田舎くさいものに見えただろうか。
キリスト教がヨーロッパの文明を支配して以来2000年、おかげで世界はどれほど迷惑をこうむっただろう。日本も、16世紀のポルトガルの宣教師たちによって、あやうく植民地化されるところだった。よくぞ戦国大名たちが武力を誇示して、白人たちを追い出してくれたものだ。祖先に感謝しなければならない。
今になって、つくづく鎖国の先見性が理解できる。それも、完全な孤立ではなく、細々とではあっても巧みに世界情勢を吸収しつつ、自国の独立を維持してきたのだ。江戸300年は、日本人の宝といっていい。
惜しむらくは、明治維新以来、欧化を急ぎすぎたことか。換骨奪胎して吸収したはずの文明に、いつの間にかミイラ取りがミイラ状態で、知らず知らず洗脳されてしまったらしい。多神教の文明感覚を、今からでも思い出すことは可能だろうか。

信仰心

この時期、休みの日には、どこの道を通っても、にぎやかに太鼓を叩きながら、お神輿が行列している。普段聞いたことのない小さな神社の秋祭りが、きちんと氏子たちの手で行われている。たいてい、子供たちはかわいい子供みこしをせっせと引っ張っていく。田んぼに実った稲穂が頭を垂れ、豊穣の秋である。
ここしばらく、日本人の信仰をテーマとして考えてきた。小説『トリオ・ソナタ』の中にも、その問題がでてくる。
しかし、信仰心は日本人にもちゃんとあるではないか。それも、ひょっとしたら、世界中のどこの国よりも豊富に。
神仏混交の日本の文化は、一神教の信徒たちにいわせれば、信仰ではない、ということになるかもしれない。しかし、土俗的で素朴な信仰の形が、どこの国でも必ずあり、それは民族の農耕文化や狩猟文化に直接根をおろしている。そこから発した独自の文化を、きちんと意識して大切にすることが、グローバリズムの害に対抗する一つの有効な方法ではなかろうか。
だいたい、日本人は文明開化いらい、一神教に卑屈になりすぎたのではあるまいか。神仏混交のほうが、不毛な戦争を繰り返す一神教よりよっぽど文明的に優れている、と声を大にして言ってもよいと思う。
日本の四季それぞれの祭りや、盆暮れ正月、生活の隅々に、素朴で古い信仰が無意識に根付いている。その根があるかぎり、倫理の乱れにもバランスが作用するはずである。むしろ、素朴な信仰に自信を持って、変な平和主義などに偏らず、歴史に裏打ちされた真の叡智でもって、混迷のこの世紀を切り抜けていくのがいい。そういう思いが、おみこしを引く子供たちのかわいい掛け声を聞いていて頭をよぎった。
10月16日

リッカルド・ムーティ指揮、ウィーンフィル演奏会

ウィーンの音楽家たちの驕りか、キッチュか、それとも我々日本人の音楽ファンのどうしようもないスノッブさか。
今回のウィーンフィル・ウィーク・ジャパンはリッカルド・ムーティを指揮者に、シューベルトとモーツアルトをプログラムとして行われた。それはよい。何といっても、モーツアルトとシューベルトはウィーンの誇りなのだ。本場ものといえば、これほどしっくりくるものはない。特にシューベルトは、モーツアルトやベートーヴェンのようによそ者ではなく、生粋のウィーンっ子なのだ。
しかし、完全に満席のお客、そして超高額料金、チケットを取るために抽選申し込みまでしたこのステージは、それだけの値打ちがあったのか。
さすがにウィーンフィル、さすがにムーティ、それは確かに立派な演奏だった。ちゃんとアンコールもやってくれたし、突然の客席からの花束に、ムーティはにこやかに握手して受け取っていた。キスまではしなかったが。
だが、前半に未完成交響曲と協奏交響曲、後半はシューベルトの3番の交響曲というプログラム。前半は実に見事だったが、いかにシューベルトでも3番はメインにはいささか軽すぎた。前半重視のプログラムだといえばそれまでだが、どうしても物足りなさが残った。
やはり、日本人がこの音楽にお金をかけすぎたのだ。だから、彼らはよかれと思って、こういう玄人好みのプログラムを組んだのか。まあ、もしこれが、いかにも、の有名曲ばかりだったら、それはそれで、馬鹿にすんな、の世界だが。
結局、こんな贅沢な催しが成立するのは日本だけだ。彼らの音楽を、ジャパンマネーが支えているといって、間違いはなかろう。だからといって、本当にクラシックが好きで、みんな大枚はたいて聴きにくるのだ。仕方がないといえばそれまでだ。
しかし、どうにも腑に落ちない気がしてしょうがない。きっと、大金に見合うだけのボリュームが不足していたことへの不満と、ムーティの年を感じさせないダンディぶりへの嫉妬、ウィーンフィル関連グッズを売っていた関係者への軽蔑、そんな感情が入り混じっているだけなのだ。
それはそうと、どうみても場所を間違えて入り込んだようにしか見えなかった超ヤンキーの女子高生コンビは、あれでも音楽の勉強をしているのか、それともムーティが目当てか、謎だった。
10月13日

羊をめぐる冒険など

3連休の中日、六甲山牧場に家族で行き、のんびり休日を過ごした。
お昼のお弁当を草のうえにシートを広げて食べていると、雄羊がやってきた。周りの家族やカップルのお弁当を、しきりに意地汚く食べようとしている。羊は雑食ではないはずだが、けっこう平気でお弁当を漁るらしい。きゃあきゃあいって追い払おうとするが、その羊はふてぶてしく弁当の横取りを繰り返している。
幸い、そいつが我々のところに来るまでに、弁当を食べ終えていた。ところが、ずうずうしくも羊は、みかんの皮が残っているのを見つけて、しきりにねらってきた。いくらごみでも、羊に弁当箱をなめられるのはいやなので、手で叩いて追い払おうとした。しかし、面の皮の厚いそいつは、叩こうがひっぱろうが平気で、せっせとみかんの皮を食べてしまった。
食べている間ずっと、目はうつろに見開いたまま、当然のことながら表情ひとつ変えない。恐るべき鉄面皮である。村上春樹の『羊をめぐる冒険』に、たくさんの羊が無表情に草をはむ不気味な描写がでてくるが、なるほど、あの通りの情景だった。
もっとも、村上春樹が『羊』を執筆するときは、北海道まで取材に行っているので、あの羊は、村上の地元の六甲山のものではない。だが、もし幼いころ、六甲山牧場に遊びに行って、弁当を羊に横取りされた経験があったとしたら、あの羊のイメージも、さもありなん、である。

関西文学52号

以前、編集委員をさせてもらっていた文芸雑誌の最新号が出た。「戦後60年の文学」という特集を私が担当して、新旧の優れた書き手の方々に原稿を寄稿していただいた。篠原一氏にも、「ライトノベル論」を依頼して、すぐれた論考をいただいた。
もちろん、近頃ニュースになっている篠原氏の盗作問題は承知している。原稿依頼したのは、氏の盗作が問題になる前だが、氏がすぐれた書き手であることには変わりはない。
現在、盗作の件に関しては、掲載誌の「すばる」が謝罪を載せている。しかし、篠原氏自身の言葉はない。願わくば、ご自身で読者や社会に対して、きちんとご説明をなされますことを。
10月7日

サクラの服

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知り合いのファッション・デザイナー、サクラの個展が、心斎橋のT.K.ARTで開催中だ。オープニングパーティーに顔を出した。相変わらずの人脈の広さで、いろんなつながりの人が訪れている。秋・冬の展示で、コラボレーションのフラワー・デコレーションを、フラワー・アーティストのすみれさんがしっとりと創っていた。
心斎橋は、そごうの再オープンや阪神の優勝セールの余波か、小雨のぱらつくウィークデイの夕方でも、とても賑わっていた。白亜の殿堂のイメージでライトアップされた新そごうの巨大なビルは、御堂筋に新鮮な雰囲気を醸し出していた。
ファッションの世界は、流行の先端を走っていなければならない宿命をもつ。もちろん、サクラの服も、最新の感覚を取り入れている。しかし、それでいながら、作者の人柄を反映してか、素朴さがにじみ出る。技術的には問題もあるのだろうが、服というのは、着る人の人格をサポートする働きが大切だ。サクラの服は、都会の真ん中で、常にストレスに責められている女性たちに、ほっと息をつかせる安心感がある。サクラ服をまとった彼女たちは、ふっとくつろいだ表情をみせるに違いない。
心斎橋界隈を歩く勤め帰りの女性たちは、ガラス張りのギャラリーの中で、ときならぬワイン・パーティーに興じている彼女たちを、まぶしそうにながめて通って行った。ふらりと立ち寄って、思わず好みの服に手を触れてみる人もいた。心斎橋はやはりおしゃれの街である。
10月5日