信仰心 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

信仰心

この時期、休みの日には、どこの道を通っても、にぎやかに太鼓を叩きながら、お神輿が行列している。普段聞いたことのない小さな神社の秋祭りが、きちんと氏子たちの手で行われている。たいてい、子供たちはかわいい子供みこしをせっせと引っ張っていく。田んぼに実った稲穂が頭を垂れ、豊穣の秋である。
ここしばらく、日本人の信仰をテーマとして考えてきた。小説『トリオ・ソナタ』の中にも、その問題がでてくる。
しかし、信仰心は日本人にもちゃんとあるではないか。それも、ひょっとしたら、世界中のどこの国よりも豊富に。
神仏混交の日本の文化は、一神教の信徒たちにいわせれば、信仰ではない、ということになるかもしれない。しかし、土俗的で素朴な信仰の形が、どこの国でも必ずあり、それは民族の農耕文化や狩猟文化に直接根をおろしている。そこから発した独自の文化を、きちんと意識して大切にすることが、グローバリズムの害に対抗する一つの有効な方法ではなかろうか。
だいたい、日本人は文明開化いらい、一神教に卑屈になりすぎたのではあるまいか。神仏混交のほうが、不毛な戦争を繰り返す一神教よりよっぽど文明的に優れている、と声を大にして言ってもよいと思う。
日本の四季それぞれの祭りや、盆暮れ正月、生活の隅々に、素朴で古い信仰が無意識に根付いている。その根があるかぎり、倫理の乱れにもバランスが作用するはずである。むしろ、素朴な信仰に自信を持って、変な平和主義などに偏らず、歴史に裏打ちされた真の叡智でもって、混迷のこの世紀を切り抜けていくのがいい。そういう思いが、おみこしを引く子供たちのかわいい掛け声を聞いていて頭をよぎった。
10月16日