阪神間の奥深さ | 作家・土居豊の批評 その他の文章

阪神間の奥深さ

友人の知人の経営するカフェに行って、土曜日の夜を、まったりと語りつつ飲みつつ過ごした。かつて、高校生のころの村上春樹がよく食べたという水野屋コロッケを立ち食いして、延々と続く水道橋筋商店街を端まで歩いて、オープンカフェのその店に。どういうわけだか隣のお好み焼きやのメニューからたこ焼きを選んで持ってきてもらったり、なごやかなアバウトさが心地よい。
来る途中の阪急電車の中で、10代のカップルがしゃべっていた。
「おれも、いちおう宮っ子やし」「なにそれ」「西宮の人のこと」「えー、そうなん。西宮って、神戸やろ」「ちゃうよ。神戸は神戸や」
なんだか、横から突っ込み入れたくなる会話だった。なるほど、よその人から見れば、このあたりは、ようするに全部神戸なのだ。けれど、阪神間という土地は、神戸と大阪の間、ということなのだが。
阪神間はそれぞれにアイデンティティーが強く、土地柄というものがある。宮っ子が西宮の地元民であるように、尼っこは尼崎の人の自称だ。神戸っ子というのは、これらの真似かもしれない。神戸はちょっと巨大になりすぎたかもしれないが、かつての神戸の持っていたローカルでありながら国際色豊かで人情味あふれる魅力が、今も阪神間のちょっとした商店街や路地に息づいている。
6月19日