自転車と飛行機 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

自転車と飛行機

このところ、自転車で出かけることが多い。住んでいるところから、取材先まで自転車でおよそ20分。下町をゆっくり流していると、町の別の顔が見えてくる。意外なところに大きなマンションがあって、たくさんの子供が小学校に向かって歩いていたり。人気のない不思議なだだっぴろい原っぱに変な柱が立ち並んでいて、何かなと思っていると、その真上をジャンボ機が空港へ降りていったので、着陸のための標識だとわかったり。
この町に住んで6年、ずっと電車の路線を中心に動いてきた。しかし、生まれ育った町では、まず物心ついてからは徒歩で、それから自転車の目線で、町を把握してきたのだ。だから、生まれた町に久しぶりに帰っても、まず鼻や肌がそこの空気をたちまち思い出す。
ところで、今、自転車で流している町は、すぐ近くに大きな空港があって、一日中ジャンボ機が頭上すれすれを下りてくる、そんな土地だ。この町に生まれ育った息子は、おそらく、故郷を鼻や肌の感触よりも、耳を聾するジェット機の轟音で記憶するだろう。そんな息子が不憫ではあるが、回らない舌で「ゴウゴウ、ゴウゴウ」とジャンボ機を見上げて手を振っていた姿を思い、これもまた、この子のかけがえのない記憶なのだと、そう考える。
5月28日