尼崎その2 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

尼崎その2

この地名をみて、どうしてもあの事故を連想せざるをえないのは、人情というものだろう。しかし、そこに住む人にとっては、複雑な思いがあるに違いない。というのも、かつて、池田市の大阪教育大付属小学校での忌まわしい事件の際、似たような経験をした覚えがあるからだ。
当時、私は池田市内に勤務していた。あの事件以来、世界中の人たちが、池田という地名から、幼い子供たちの無残な死を連想するようになった。大げさではない。とあるインド料理店で、インド人のシェフとそのことをおしゃべりしていて、インドなら親は子供を殺されたら必ず復讐する、という話を聞かされたりした。
池田であれ、尼崎であれ、神戸、阪神間、淡路、これらの地名が、人々に事故や大災害の悲しみのイメージばかり連想させるとしたら、それは被害に合われた方々にとっても、本意ではあるまい。不幸の記憶は、忘れられてはならないが、人々の死を、悲しみを語り継ぎつつも、魂を癒す何事かが必要なのである。
その意味で、先日、尼崎のアルカイックホールで行われた尼崎市吹奏楽団の演奏会では、心からの祈りが行われた。コンサートの冒頭、薄暗くしたままのステージに並んだ楽員と指揮者は、静かにしめやかに、バッハのG線上のアリアを演奏した。欧米での追悼の習慣にならったものだが、市民バンドがごく自然にこういう追悼を行うあたりに、この土地の成熟した市民文化を感じ取ることができた。音楽による鎮魂は、宗教の違いを超えて、人々の魂を鎮める力を持つと信じたい。
5月30日