妙法院

 

 

天台宗  門跡寺院  妙法院

 

 

山号 : 南叡山

宗派 : 天台宗

寺格 : 門跡寺院

本尊 : 普賢菩薩

創建年 : 延暦年間 (782~806)

開基 : 最澄

別称 : 日吉門跡、皇居門跡

 


所在地 : 京都府京都市東山区妙法院前側町447

 

 

妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である。
もと比叡山西塔妙香院に起源し、1160年(永暦1)法住寺離宮のそばに
日吉山王を勧請したとき、護持僧として招かれた妙法院昌雲の住房として移し、
これを新日吉と称した。
1164年(長寛2)後白河法皇が法住寺殿内に建てた蓮華王院と、法住寺とを昌雲が管掌した。
後を継いだ実全が1202年(建仁2)天台座主となり初めて妙法院の号をたてた。
高倉天皇第2子尊性法親王が入寺し、1227年(安貞1)天台座主となり、
綾小路小坂に移建され、天台座主三門跡の一となる。
以来法親王が入り、新日吉門跡、皇門跡、綾小路門跡などと称され、
法住寺・蓮華王院の法燈を嗣(つ)いだ。
1467年(応仁1)の兵火で焼失後、1586年(天正14)豊臣秀吉が法住寺跡に方広寺を創建、
1614年(慶長19)豊臣秀頼によって鋳造された梵鐘の銘文が徳川家康によって責められる。
その紛議後、家康は常胤法親王を迎えて、1615年(元和1)ふたたび現在地に移転し、
方広寺豊国廟と蓮華王院をも管領させ、寺領一千六百十三石を与え、
寺域22万余坪を有し栄えた。
現在は本堂、寝殿、護摩堂、唐門、大書院、小書院のほか、
境外仏堂の蓮華王院(三十三間堂)などがすばらしい。
庫裡は桃山時代の豪壮な建築である。
絹本着色後白河法皇御影、秋草蒔絵文台、狩野永徳・光信らの筆とされる金碧障壁画のほか、
多くの古文書類がある。

 

『大門』

 

『寺務所』

 

『庫裏』

 

『大玄関』

 

『大書院』

 

『唐門』

 

『七卿碑』

 

『宸殿』

 

『本堂(普賢堂)』

 

『白龍弁財天堂』

 

 

境外仏堂

 

<蓮華王院三十三間堂>


蓮華王院本堂の俗称。
内陣の柱の間数 が 33あることに由来する。
約120mの長大な単層入母屋造,本瓦ぶきである。
湛慶作本尊『千手観音坐像』ならびにその一派による『千手観音立像』 1001体,
『二十八部衆』『風神雷神像』などを安置する。
後白河法皇の命により長寛2 (1164) 年創建。
現存遺構は文永3 (1266) 年の再建。
鎌倉時代和様寺院建築の代表で国宝建造物。
現在は妙法院に所属する。

江戸時代には西側の廊下で通し矢 (大矢数) が行われた。

 

 

所在地 : 京都府京都市東山区三十三間堂廻リ657

 

『法然塔』

 

『夜泣泉』

 

『蓮華王院東大門』

 

『鐘楼』

 

『蓮華王院本堂(三十三間堂)』

 

『太閤塀』

 

『南大門』

 

『三十三間堂通し矢射場』

 

『稲荷社』

 

 

門跡寺院とは
古くより皇室と関わりのある、格式高い特別な寺院のことです。
門跡とは、一般の僧侶とは違い、皇族その他の出身者が住職をつとめる寺院をいいます。
全国20万あまり言われるお寺の中で、たった17ヶ寺しかない貴重な寺院です。

 

輪王寺   東京都台東区上野 東叡山輪王寺 天台宗
輪王寺   栃木県日光市山内 日光山輪王寺 天台宗
圓満院   大津市園城寺町 天台宗
青蓮院   京都市東山区粟田口 別称粟田御所 天台宗
毘沙門堂 京都市山科区 天台宗
曼殊院   京都市左京区一乗寺 別称竹内門跡 天台宗
三千院   京都市左京区大原 別称円融院梶井門跡 天台宗
妙法院   京都市東山区東大路七条 別称日吉門跡 天台宗
聖護院  京都市左京区聖護院 天台宗
実相院   京都市左京区岩倉 別称岩倉門跡 天台宗
滋賀院   大津市坂本 天台宗
仁和寺   京都市右京区御室 真言宗
大覚寺  京都市右京区嵯峨大沢町 通称嵯峨御所 真言宗
随心院   京都市山科区小野 通称小野門跡 真言宗
勧修寺  京都市山科区勧修寺 別称山階門跡 真言宗
三宝院   京都市伏見区醍醐東大路 真言宗
知恩院   京都市東山区 別称吉水禅房 浄土宗