仁和寺

 

 

真言宗 御室派 総本山 仁和寺

 


山号 : 大内山

宗派 : 真言宗御室派

寺格 : 総本山

本尊 : 阿弥陀如来

創建年 : 仁和4年(888年)

開基 : 宇多天皇

正式名 : 大内山 仁和寺

別称 : 旧御室御所、 仁和寺門跡

 


所在地 : 京都府京都市右京区御室大内33

 

 

京都市右京区御室大内町にある真言宗御室派の総本山。
大内山と号する。
古くは「にわじ」とよび、御室御所、また仁和寺門跡と称した。
本尊は阿弥陀三尊。光孝天皇の勅願により、

886年(仁和2)起工されたが、完成をみず天皇は翌年死去。
宇多天皇が遺志を継いで888年に完成、

真然を導師として供養を営み、年号をとって仁和寺と号し、

観賢が別当職についた。
宇多天皇はのち東寺の益信について出家して法皇となり、
当寺の南に一宇を創建して住したので、
以来、御室御所といわれた。
そののち代々皇族の法親王が住職となり、
また寛朝、寛空、済信、寛助らの高僧も住して、
真言宗の学問と修法の両面の発展に努めたが、

1119年(元永2)諸堂焼失した。
しかしその後も朝廷、貴族の信仰はいよいよ厚く、

諸堂伽藍の創建も相次ぎ、
平安末期に覚性法親王が初めて総法務職に任ぜられ、
このとき寺門大いに繁栄し、門跡寺院として

諸宗各本山の最上位を占めた。
鎌倉時代にもなおこの繁栄は続いたが、

室町時代にはやや衰微した。
ついで応仁の乱(1467~77)で堂宇が全焼し、久しく荒廃したが、
江戸時代の初めに徳川家光が20万両を下付し、
また1637年(寛永14)皇居改造に際し、紫宸殿、清涼殿、常御殿、
唐門、四脚門などが下賜され、堂塔30余、真光院など

10余院が重建された。
明治維新に至って皇統門跡が断絶し、

1887年(明治20)諸堂が焼失したが、数年後には諸堂の

一部を修営し、ついで1909年(明治42)再建の工を起こし、
1814年(大正3)重興された。
 現在、金堂(国宝)、御影堂、仁王門、五重塔、観音堂、
中門、鐘楼、茶室の飛濤亭、遼廓亭などがある。

 

 

二王門

 

中門

 

五重塔

 

金堂

 

経蔵

 

御影堂

 

九所明神拝殿

 

観音堂

 

鐘楼

 

本坊表門

 

勅使門

 

御殿玄関

 

 

門跡寺院とは
古くより皇室と関わりのある、格式高い特別な寺院のことです。
門跡とは、一般の僧侶とは違い、皇族その他の出身者が住職をつとめる寺院をいいます。
全国20万あまり言われるお寺の中で、たった17ヶ寺しかない貴重な寺院です。

 

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輪王寺   栃木県日光市山内 日光山輪王寺 天台宗
圓満院   大津市園城寺町 天台宗
青蓮院   京都市東山区粟田口 別称粟田御所 天台宗
毘沙門堂 京都市山科区 天台宗
曼殊院   京都市左京区一乗寺 別称竹内門跡 天台宗
三千院   京都市左京区大原 別称円融院梶井門跡 天台宗
妙法院   京都市東山区東大路七条 別称日吉門跡 天台宗
聖護院  京都市左京区聖護院 天台宗
実相院   京都市左京区岩倉 別称岩倉門跡 天台宗
滋賀院   大津市坂本 天台宗
仁和寺   京都市右京区御室 真言宗
大覚寺  京都市右京区嵯峨大沢町 通称嵯峨御所 真言宗
随心院   京都市山科区小野 通称小野門跡 真言宗
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三宝院   京都市伏見区醍醐東大路 真言宗
知恩院   京都市東山区 別称吉水禅房 浄土宗