前回からの続き(5月3日のこと)です
本堂の先にこの様な幟が立っていますこれを上がって行ったら妙見宮があるようなので、そちらに向かってみます
階段を上り初めてすぐ左側にこちらの建物
千躰釈迦堂
中央に六尺坐像、周囲には三寸立像の釈迦佛壱千躰を安置す 佛像は悉く御開山日護上人御作である世に「世継ぎ釈迦佛」と呼ばれ、この佛に願えば子宝を授かると言う
御堂は昭和59年度再建
(原文のまま)
更に階段を上がると、右手に鐘楼
忍辱の鐘
洛中 本山 本法寺御開山鍋かむり日親上人御作の古鐘で三世日逞上人の代に本法寺より譲り受けた名鐘である
(原文のまま)
昭和47年再建(由緒書きより)
鐘楼のとこで、90度に曲がって道が続きます
次にあったのは、左手に三十番神堂
更に建物が続いていたので驚きでした
次にあったのが大黒堂
駒札
大黒堂
「貧窮の衆生には福徳を授けん」と誓願された福徳の神、三面三宝(みたから) 大黒福寿尊天を祀る。伝教大師御作にして日蓮大聖人比叡山御遊学の折、 開眼入魂の三面六臂の秘佛で六十年 に一度甲子の年に御開帳される
御堂は平成7年再建
行事
大黒天初講会 正月第三日曜日 午後1時
甲子祭 六十日毎の甲子の日 午後一時半
(原文のまま)
その辺りから見た境内
その反対側くらいに茶道宗偏流 山田宗偏四方庵旧蹟とあったので行ってみました
少し先尼見てる左手の建物はトイレでした
山道を行ってみましたが、この辺りのことなのか?まだ先なのか分からないのっでひっ返しました🤣
再び坂道を上がって行きます
次に右手にあったのが最上稲荷殿
大黒福寿尊天の眷属で商売繁盛、五穀豊穣を成就し屋敷を守る法華経の守護神
(原文のまま)
昭和59年再建(由緒書きより)
やっと鳥居まで来ました💦
鳥居とお堂の途中にあったのが「子宝犬」
「子宝犬」緣起
平成六年甲戌歳を迎えるに当たり「洛陽十二支妙見戌、 満願妙見宮」に奉納された 「子宝犬」で、正面の語「破邪顕正」は邪気を破り正義を 顕す妙見大菩薩の誓願です。 洛陽十二支妙見の戌にふさ わしく十二支の方位盤を台座にしています。
この方位盤は磁石の逆に作られており、刻まれている
この方位盤は磁石の逆に作られており、刻まれている
エトの前に立てばその方向に向かうよう作られています。
例えば「子」の前に立てば 「子」の方向「北」に面します。 犬は太古から人間の忠実な伴侶として、番犬として又安産のシンボルとして愛さ れてまいりました。
この「子宝犬」も参詣の皆様の魔を払い、ここ掘れワンワンと福を招いてくれるものです。
(原文のまま)
そこからすぐにあるのが妙見堂
狛犬
戌の満願妙見宮緣起
人間の運気と寿福、方位を司る北辰妙見大菩薩を祀る、開山中正院日護上人の御作にして開闢以来当地にあり霊験あらたかなこと願望一つとして満足せざるもの無しと言う、よって「満願妙見宮」と尊崇される。江戸時代初期より「洛陽十二支妙見」の「戌の妙見宮」として開運厄除け、招福・特に戌歳生まれの人の祈願処として又戌が安産に通じることや人の守りとなって魔を払うことから安産、魔除けの名声高く京阪神の地に聞こえ賽者多く講社十数を数え天保年間には鳥居、石梯、茶所、 絵馬堂等が整えられた。しかし幕末、明治維新、廃仏棄釈等の激動により一時衰微したが妙見大菩薩の霊験益々輝き、昭和47年には宗祖降誕七百五十年を記念して現宮殿が新築された、又昭私61年秋、当妙見大菩薩の不思議な御縁を以って「洛陽十二支妙見」が二百年振りに復興された。参道両脇の「花梨の木」は東宮御所より下賜せられし花梨より実生にて育てたものである。
妙見宮年中行事
正月元旦 新年祝祷会
二月節介 節分星祭
四月第二日曜日 春季大祭
11月3日 秋季大祭
·每月1日午前十時より月例祈祷祭
(原文のまま)
本堂近くにも解説板が
満願妙見宮
北辰妙見大菩薩を祀る 開当日護上人の御作にして霊験のあらたかなること願望一つとして満足せざるものなし言われるより満願妙見大菩薩と尊崇せられる。
(原文のまま)
本堂辺りから振り返る
こんな感じで、妙見堂へ行くまでにもいろいろお堂が建っていて見所の多いお寺でした