前回からの続き(5月3日のこと)です

神護寺を後にして、国道162号線を南下して行きます
その沿いに妙見めぐりのお寺があるので寄ることにしました
国道沿いに看板があり、そこを左折します
すると住宅街の細い(車1台分)坂を上がることになります
そんな道が少しだけ続くと、また広い道になります
最初に右手にあるお寺は目的とは違うお寺だったので、更に道なりに坂を上がって行きます
するとこのような塀があるので、ここからが目的のお寺のようでした

その手前左側に祠
その塀を少し上ると、右手に無料の駐車場があります

三寳寺(さんぽうじ)
住所・京都市右京区鳴滝松本町32
御本尊・十界大曼荼羅
札所・洛陽十二支妙見めぐり(戌)
駐車場・無料のがあり

駒札
  日蓮宗の寺院で、江戸時代初期の寛永5年(1628)に、右大臣・今出川経季(いまでがわつねすえ)と中納言・今城高尚(いましろたかひさ)が 後水尾上皇の内旨を受け、日護上人(にちごしょうにん)を開山として創建した。
  以後、両家の菩提寺として繁栄し、最盛期に は十二の塔頭を有し、千宗旦の弟子・山田宗偏(そうへん)も塔頭の涼池院で茶道の研究に努めた。
  本堂には釈迦如来像、千体佛堂には六尺坐像の釈迦佛と三寸立像の釈迦佛千体が安置され、ともに日護上人の作と伝えられている。本堂脇の桜は、京都御所の旧今出川邸から移植したもので、余りの美しさに帝の車を返したことから 「車返しの桜」といわれ、その名のとおり、毎年美しい花を咲かさている。
  境内には、仁孝天皇の皇子、常寂光院の墓を はじめ、豊臣秀頼、その子国松丸、定君の供養 塔などがある。
  毎年土用の丑の日には、ほうろく灸祈祷が行われ、暑気払いや悪病(頭痛)封じを願う多くの参拝者でにぎわう。
 京都市
(原文のまま)

山門辺りを見ると木々が繁っていますひらめき

その中でひときわ目立っていたのは、山門左手にある木
ご住職に確認してみたら、しだれ桜でした
一部の知ってる方は春に訪ねて来られるそうです
僕もこれは見てみたいと思いました爆笑
ちなみに開花は市内より4〜5日は遅れて咲くということでした指差し


山門のとこにも気になる木が

こんな感じで大きく曲がった木があります

これだったか聞いたと思うのですが失念しました😖



真っ直ぐ行ったとこに大黒さま

左側には車がえしの名桜
菊亭家邸内の名桜車がえしを賓暦年間に当山に移植されたのである。
境内の桜樹はことごとく繁植し移植したものである。
(原文のまま)

寺務所手前にも京都市指定ヤマザクラがありました

解説板
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ばら科 
 Prunus jamasakura
 落葉高木 
 江戸時代に京都御所菊亭・家邸内にあった桜
を下賜されたものと伝えられています。「御 車返」の品種名をもつヤマザクラで、御所の中で「牛車を返して」ご覧になったことが、 名前の由来です。株立の樹〇〇〇〇で、京都御所内には同種の桜があります。一重咲きと八重咲きの花が混ざり合って咲く姿は とても優雅です。
(原文のまま、〇の部分は読めず)

二手に分かれるとこにも大きな樹がありました
こちらは樹齢700年と言われるヤマモモ
このヤマモモは花は咲かないと言われてました

二手に分かれるとこを右に行って振り返る

手水舎

本堂
昭和44年、昭和天皇御即位式の建造物の一棟を下賜させたもの
(由緒書きより)


手水舎の先に浄行堂

解説
淨行堂 
 人々の煩悩や汚れ・罪障を洗い流すことを誓願された淨行菩薩を祀る
水大の徳を持っていられるところから水子供養の 「水かけ地蔵さま」としても 信仰されている
(原文のまま)

その前の山門側に建物が建ってました

そちらにも駒札がありました

駒札
茶道 山田宗偏 
 四方庵 旧跡 
 茶道 宗偏流の祖 山田宗備(1627~1708)は千利休の孫 千宗旦の四天王の一人で宗旦から「四方庵」の号を与えられ当山の東谷に茶室「四方庵」を建て茶道の奥義を究めた。
  明曆元年、三河城主小笠原家の茶頭となり、元禄10年江戸に出て吉良上野介義央邸に出入する。
  これを知って入門した赤穂義士大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え主君の仇討ちを助けたことは有名。
(原文のまま)

四方庵外観

玄関側から

こちらのお寺は山の裾野にありましたが、まだまだいろんなものがありましたあんぐり
三寳寺こと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ