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お酒、グルメ、ときどき健康と雑学

TVや雑誌、本などから得た、お酒や料理、ご当地グルメ、かわったグルメなどの情報と、それらに関するプチトリビアや面白い話をお届けするブログです。

 

 

スーパーやコンビニで、パンを売っていないお店はありません。
それくらい、パンは日本に浸透しています。

食パンは、8枚、6枚と、きれいに何枚かに切り分けられたものが並んでしますが、
スライスしたパンを販売するというのは、京都から始まったと、
NHKBS『“いけず”な京都旅 ~ おいしいパンと古都の秘密』では教えてくれました。

ときは1952年(昭和27年)。

先代の時、本格的なフランスパンをいち早く売り出したというパン屋さんの2代目の続木さん。
パン作りの近代化を進めていました。

ある時、アメリカのパンの業界紙を見ていた時、そこに、スライスされたパンが売られているのをみつけ、びっくり仰天しました。

当時の日本では、スライスされたパンは、なかったからです。

2代目はすぐに社員を技術を学ばせにアメリカに派遣しました。
同時に、自動スライス機と自動包装機を取り寄せ、
さっそくスライスしたパンを売りだしました。

これがバカあたり!
生産が間に合わないほど売れたそうです。

 アメリカ ⇒ 京都 ⇒ 日本全国

これがスライス食パンの広がりかたの流れというわけです。

このスライス食パンは、
新しくて、便利で、おしゃれなものが好きな京都人の心をつかみました。

「パンの歴史に京都あり」

京都人がパンの好きな理由は、こういうところにもあると、番組は言っています。

京都というと、古い伝統の街というイメージが強いですが、先入見にとらわれた目でしか見ていないと、新しい物と古いものが融合している街という本当の京都の姿を見誤ってしまうかもしれません。

そういえば、京都には、和食の店よりもイタリアンレストランの方が多いとぼやいていた老舗和食の主人の言葉を思い出します。

「京都のパン屋は潰れない。」というのは、どうも都市伝説ではなく、事実のようです。

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パン屋さんの悩みの種は、ロスパン。

パンを作るとき、ロスを見越して多く作らないといけないんだそうで、それが売れ残ると、棄てるしかありません。
お店にとって大きなロスになってしまいます。

売れ残りといっても、品質にはまったく問題はないのですから、
どうしても出てしまうロスパンをセットにして、お店の美味しさはそのままに、少しでもお得な価格でお届できれば。

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学生のころ、バイトでマヨネーズを何度か作らされた記憶があります。

かなり昔のことですから、うる覚えなんですが、
ボールに卵の黄身とオイルを入れ、氷で冷やしながらかき混ぜました。
固まるまで、結構時間がかかったのを覚えています。

今は簡単に手に入るので、そんな手間は必要なくなりましたが、
昔は夜になるとお店は空いてなかったので、仕方なくマヨネーズに醤油を混ぜて、ご飯を食べた記憶も、なきにしもあらずで…

 

 

 

前回の投稿で、世界でも人気の高いジャパニーズクラフトウイスキーの歴史の中で、
笹の川酒造の名前は欠かすことができないと紹介しましたが、
ジャパニーズクラフトウイスキーの礎を築いた秩父蒸留所の原点がここにあるからです。

というのも、笹の川酒造がなかったら、
香港のオークションで8000万円の価格をつけ、世界にその名を知らしめたイチローズモルトの原酒が、存在しなかったかもしれないからです。

秩父蒸留所の設立者、肥土(あくと)一郎さんは、老舗酒蔵に生まれました。


日本のうい


大学を卒業後、ほかの会社に勤めていたのですが、
父から業績が思わしくないので、戻って助けてほしいと呼び戻されたそうです。

そのころ、日本酒の売り上げはどんどん落ちていて、
安く、大量にさばくことに活路を見出そうとしていたようです。

しかし安かろマズかろで、負のスパイラルに入ってしまいました。

結局父の酒蔵は他人の手に渡ることになったのですが、
肥土さんの父親は、かつて、ウイスキーの販売も行おうと思って、多くの原酒の樽を手にいれていました。

一郎さんが戻ってきたとき、蔵人はまずい酒だ、といっていたそうです。

日本で初めて造られたスコッチタイプのウイスキーは、まだ日本人の舌にはなじんでおらず、全く売れませんでしたが、
一郎さんの時代には、ウイスキーは広く飲まれていました。

一郎さんもウイスキーを飲んでいて、当時のことを思い出して、味がどうのではなく、ただ酔うために飲んでいたといってました。

そんな一郎さんが、
蔵人はまずいといっていたウイスキーを、面白いと思ったそうです。

たしかに飲みやすいウイスキーではなかったようです。

が、たしかな個性、存在感があって、こういうウイスキーを好む人は、必ずいるはずだと、
モルトウイスキーの息づかいを感じ取っていたようです。

しかし、その原酒は、いま行き場を失っていました。
このままでは、廃棄処分しかありません。

父が残したこの遺産を、何とか救うことはでいないか。
必ずいつか認められる日が来るに違いないこの原酒を、できれば残した。

一郎さんは、いろいろなつてを頼って、ひき受け手を探しました。

そこに、福島県の笹の川酒造が手を挙げたのです。

じつは笹の川酒造も以前、ウイスキー造りをしていました。

しかし世はウイスキーの冬の時代。
やむを得ずウイスキー造りは中断。

そういう素地があったからこそ、笹の川酒造が引き受けてくれたのかもしれません。
(*あくまで投稿者の勝手な思い込みで、もっと複雑な事情があったとは思いますが…)

イチローズモルトが世界の注目を浴びるまでには、まだまだ様々な紆余曲折があるのですが、
本投稿のテーマではないので、スルー。

しかし、笹の川酒造が引き受けてくれなかったら、今の秩父蒸留所は存在しなかったもしれないし、
ジャパニーズクラフトウイスキーの世界的人気も、どうなっていたかわかりません。

一郎さんの後押しと協力がって、笹の川酒造はウイスキー造りを再開しました。
いまでは、世界的なウイスキーコンペで金賞を獲得するまでになっています。

 



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日本のクラフト蒸留所については、こちら

 

 

 

 

 

 

 

福島県郡山市にある老舗、笹の川酒造。

tvk(テレビ神奈川)の『酒(しゅ)に交われば』という番組で、
案内役の福島県出身の俳優、神尾佑さんが訪れたとき、
「瞬香秀凍(しゅんかしゅうとう)」という、-30℃の液体に入れて、急速冷凍させた大吟醸搾りたて生原酒を試飲させてもらいました。

日本酒 種類

大吟醸は、華やかに香り立つフルーティさが特徴ですが、搾りたて生原酒は、それにフレッシュさが加わります。

それを超低温で急速凍結し、搾りたてそのままに瓶の中に閉じ込めてあります。

その華やかさゆえか、笹の川酒造の人は、乾杯のお酒、場を盛り上げるお酒として、最適だとすすめていました。

大手の日本酒メーカーでは1年中搾っているところもありますが、
ほとんどの酒蔵は寒搾りで、寒い時期にしか搾りません。

たまたまその時期に巡り合えた幸運な人しか、搾りたて生原酒は口にできないわけです。

では、どれくらいうまいのか。

人それぞれ好みがあるので、こればかりは飲んでみないとわかりません。

ニューヨークのブルックリンで、日本酒を造っているアメリカ人たちがいます。
日本を旅行した時に酒蔵で飲んだ、できたての日本酒のおいさが忘れられず、
アメリカでも飲みたいと思って醸造所を造ったというのです。

アメリカでも日本酒を造りたい、と発起させるほどの衝撃的うまさだったようです。

日本酒が世界酒になる? 今、世界で日本酒革命が起きている! そうです。』でこのことを紹介してありますので、見てください。

笹の川酒造といえば、ウイスキーファンにとっては、なじみのある名前かもしれません。

笹の川酒造がなければ、海外でウイスキーの賞を総なめにしているイチローズモルトの秩父蒸留所は、存在していなかったかもしれないのです。

世界でも人気の高いジャパニーズクラフトウイスキーの登場は、30年以上遅れていたかもしれません。
それくらい浅からぬかかわりがあり、
その原点が、郡山の笹の川酒造にあるのです。

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急速凍結については、
全国の隠れた"うまい"に出会えるサイト/急速凍結』を見てください。
急速冷凍

 

 

 

テtvk(テレビ神奈川)の『酒(しゅ)に交われば』という番組で、
福島県郡山市にある笹の川酒造が紹介されました。



明和2(1765)年創業の老舗酒蔵ですが、
明治の初めごろまで、郡山は宿場町として栄えていただけで、
現在の郡山のような大都市になるとは、想像もできなかったかもしれません。

西側には、安積原野という水利が悪い広大な荒れ地が広がっているばかりでした。

明治の初めに、ここを開発しようという一大プロジェクトがおこり、地元の商人たちの有志が集まり、「開成社」が結成されました。

創立メンバーは25人。
その中の一人に、笹の川酒造の5代目当主も入っていたそうです。

笹の川酒造は、この5代目のDNAを引きついているらしく、
伝統的、保守的傾向の強い酒造業界にいおいて、いろいろ新しいことにチャレンジする開拓者精神が旺盛だといいます。

その一つが、液体急速冷凍。

搾りたてのお酒を、-30℃の液体に入れて、急速冷凍させたものです。

急速冷凍は、お酒よりも、食材の新鮮さを保つために、いろいろ開発されていますが、
詳しくは、『全国の隠れた"うまい"に出会えるサイト/急速凍結』で紹介していますので、見てください。

「開成社」は、猪苗代湖から水を引く安積疎水を完成させ、
原野を一大穀倉地帯に変えました。

これがいまの郡山の発展の基となりました。

日本酒ではあまり耳にしない液体急速冷凍ですが、
当ブログでは、液体急速冷凍について紹介しています。

液体(-35℃のアルコール)で、生凍結パック!!!!

それを日本酒に使ったのは、アル中ル氏が知る限りほかには聞きませんが、
ほかの酒蔵でも使っているかもしれません。

お肉やお魚では、解凍してもドリップがきわめて少ない優れもので、
特に液体急速凍結は、フルーツに使われることが多くなっています。

これで日本酒を造るということは、酒蔵でしか飲めない搾りたてのお酒を、
フレッシュさそのまま飲めるという、やや贅沢な体験ができるということです。

採れたのフレッシュさそのままが凍結保存。
別の言い方をすれば、“おいしさ”の時間を止めるわけです。

生産地で止められて時間が、家庭で溶けて、動き出す。
なんともロマンチックな話です。

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B級グルメ、ご当地グルメから始まって、
主に、グルメとお酒についてブログ投稿をしてきました。

投稿数が一番多いのが日本酒で、2位のワインの倍弱、投稿しています。

ところが今年に入って、すでにクオーター(3ヶ月)が過ぎたというのに、
日本酒に関する投稿は1稿だけでした。

そん時の気分次第で何を投稿するか決めているので、
日本酒についての投稿の少ないことに、意図があるわけではないのですが、
そうかぁ~。1編だけかぁ。
という思いはあります。

そのせいではないのですが、最近録画した番組に、tvkの『酒(しゅ)に交われば』がありました。

福島県出身の俳優、神尾佑さんが、県内の酒蔵を訪ね歩く酒旅番組ですが、
この番組の前に、『どうしても吞みたい夜がある』というミニドラマがあったんだそうです。

神尾さんは、そのドラマで日本酒ダイニングのマスター役をしたそうで、
どうもその流れで、『酒に交われば』の企画が決まって、神尾さんが案内役になったようです。

あるいはその逆、神尾さんの案内役が決まっていて、『酒に交われば』の企画ができたのかもしれませんが、投稿者としては知りようがありません。

が、とにかく、番組はあります。

『どうしても~』は、郡山のアーケードの一角のお話らしく、
『酒に交われば』はその流れにのって、郡山の酒蔵から始める、という趣(酒)向になっています。

郡山にある酒蔵といえば、「笹の川酒造」です。

「笹の川」の由来は、古来日本酒を「酒々(ささ)」といったことだそうです。

創業は明和2(1765)年。

郡山は奥州街道の宿場町として知られたくらいで、
政治・交通の要所としては、長く福島市が中心でした。

しかし安積盆地の面積は福島盆地など比較にならないほど大きく、立地も県のど真ん中で、
今や人工30万を超える大都市に変貌しています。

条件的にはもっと早くから拓けていてもよかったはずなのですが、
実は水がありませんでした。

阿武隈川があり、「笹の川酒造」がある東側と違って、
広大に広がる西部には、水源がなく、
水のないことが、この町の発展を阻害してきたのです。

ただただ広がっているばかりの原野を、
大きな人口を支える豊かな耕作地に変えたのが、安積疎水でした。

 

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伝統工芸に携わる人が多い京都で、職人さんたちに支持されてきたのがパンでした。

昔からの職人さんたちは、職場の近くに居を構えていたので、
家族も一緒に暮らしていました。

つまり、職住接近。
ほかの都市との大きな違いが、ここにありました。

自宅待機やリーモートワークになって、人影がぱったり途絶えた都会の街とは違って、
京都では、街角から人が消えていなくなったりはしませんでした。

野菜やお肉のように、町のパン屋さんは、毎日の生活に必要なものだったわけです。

しかも個人経営の多いパン屋さん、特に京都のパン屋さんには、
コロナ禍で自粛を叫ばれているとき、あえて店を空ける勇気を持った人が多かったと、
NHKBS『“いけず”な京都旅~おいしいパンと古都の秘密』ではいいます。

どこぞの都会のように、自粛警察みたいな野暮の極みみたいな人は、京都にはいなかったようです。

それどころか、コロナ下で、客足は増えたといいます。

京都は自転車の多い町で、外出を控えなければならないときに、
町をまたいでちょっと遠くまで買いに行く、それが息抜きにもなり、楽しみにもなったようだというのです。

そして京都のパン屋さんが目指したのが、どんな料理に合うパン。
毎日食べても飽きないパンです。

この話を聞いたとき、ジャパニーズウィスキーを思い出しました。

スコットランドでウイスキー造りを学び、
そのノウハウを活かして日本で最初にできたウイスキーは、本場スコッチウイスキーに似たスモーキーなもので、
日本人の口に合わず、全く売れませんでした。

そこで日本のウイスキー人たちが目指したのは、日本酒のような食中酒。
料理を邪魔しない、料理と一緒に楽しむウイスキー造りでした。

わずか100年にも満たない間に、ジャパニーズウィスキーは世界に認知され、5大ウイスキーの一つに数えられるまでになりました。

数々のコンペで賞を取り、オークッションでは高値を呼んでいます。

ジャパニーズクラフトブレッドも、いつかそういう日が来るのかもしれませんが、
その前にもう一つ付け加えておきます。

伝統工芸の職人さんたちに支持されてきた京都のパンですが、
じつは、舞妓さんにも大人気なのだそうです。

帯できっちっと締めらて、お化粧もキメた姿では、うどんをすするわけにはいきません。

小腹がすいた合間に、舞妓さんたちはパンを口にするのが楽しみなんだそうです。

パン屋さんも心得たもので、一口サイスにして届けてくれます。

観光用の笑顔でフレームに収まる舞妓さんより、
いたずらっぽくパンを口にする舞妓さんの方が、はるかに絵になると思うのですが…

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NHKBSに『“いけず”な京都旅』という番組え、「おいしいパンと古都の秘密」をテーマにしたときがありました。

「京都のパン屋は潰れない。」とい都市伝説(?)があり、
なんと、全国で、45000軒近くの飲食関係店がなくなったというコロナ禍でも、
京都のパン屋は潰れず、それどころか、新しく出店した店さえあったのです。

店舗数が増えるということは、それだけ売れるということ。
売れるということは、それだけ好まれているということになります。

実際、個人消費量では、神戸と一二を争っているそうです。

国際港神戸なら、外国人も多いでしょうからわかりますが、
古の伝統を守り続ける京都が、なぜ?
という素朴な疑問が起こります。

実は、伝統を守る職人さんたちに愛されていたのです。

高度成長期、京都の西陣織などの職人さんは、寝る間もないほど忙しかったそうです。

今日も夜なべ、そんな時、片手でちょっとつまめるパンは、最適だったわけです。

例えば、汁ものだったら、もしも汁が飛んで商品についてしまったら…

答え;真っ青、です。

しかも箸を使わなければならないので、両手がふさがります。

片手で食べれるおにぎりでは?

今でこそおにぎりとご飯粒の関係は密ではありませんが、
かつてはおにぎりと手についたご飯粒は、切っても切れないものだったのです。

ご飯の1粒でも残って商品にまぎれたら…

したがって、これも No Good です。

職人さんたちに愛されたパンは、職人さんたちの家族にも食べられ、そこの子が大きくなって結婚したら、子ができてその子もパンを食べる。

「京都のパン屋は潰れない。」の言葉の裏には、
こうして3代にわたって根付いてきたパン食への地盤ができていたのです。

日本の伝統文化の発信地京都で、
パンは、ほかのところとは違った形で進化してきたようです。

”京にはパン食がよく似合う”

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パン

 

 

 

NHKBに、『“いけず”な京都旅』という番組があります。

NHKBでは、10年近く、『京都人のひそかな愉しみ』という、京都に特化した、変化球的テレビドラマ+ドキュメンタリーという番組を、シリーズ化して放送してきました。

一応『京都人のひそかな愉しみ』は終わりを見たので、その後継番組というわけではないのでしょうが、
『“いけず”な京都旅』は、京都人がよく口にする“いけず”をキーワードにして、
京都人の文化・気質を紹介する、教養番組みたいな旅番組で、ドラマ仕立てにはなっていません。

すでに何作かは放送されていますが、
最近のものに、「おいしいパンと古都の秘密」をテーマにしたものがありました。

なんと、「コロナ禍でも、京都のパン屋は潰れなかった」。
それどころか、新しく出店した店さえあるらしいのです。

「京都のパン屋は潰れない。」
それがたんなる都市伝説なのか、市内のパン屋さんを巡って、その真偽のほどを探ろうというわけです。

番組の始まりは、平安神宮からでした。

平安神宮が造られたのは、明治28年。
まだ100年ちょぼしか経っていません。

明治維新のときに、京はほとんどが焼けてしまいましたから、
明治神宮も灰になっています。

明治28年に、平安遷都1000年を記念した国内勧業博覧会が開かれ、
そのパビリオンとして平安神宮も造られたのですが、あまりに評判がよかったので、そのまま残されたということらしいです。

そして、そのころ京都に入ってきた食べものが、パンでした。

タメかどうかはわかりませんが、ほぼ同年代ということで、
番組的つかみに使われたようです。

ここから、「京都のパン屋は潰れなかった」のかどうかをさぐる街巡りが始まります。

案内役は歌手の西川貴教さん。
現在、糖質で制限のため、パンは食べれないそうで、
食べれない人に、おいしいパン屋さんを探らせるというあたりが、
いかにも“いけず”を前面に出している番組らしいとこころです。

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パンが造られたのは、7,8千年前の古代メソポタミアといわれているそうです。

農耕が始まったところとされ、当時は小麦でしたから、パンが作られるようになったのは、歴史の必然だったかもしれません。

我が国日本で最初にパン屋さんができたのは、明治の初めの横浜で、食パンだったと記憶しています。

日本初の菓子パン、いや、世界初の菓子パンは、銀座木村屋のアンパンです。
(だと思います。それ以前に、どこぞの国で、アンパンみたいな菓子パンを作っていたかどうかは、知りません。)

アンパンは、どう見ても、もとは大福です。
日本人にしかできない発想です。

日本人しか思いつかないパンに、イチゴサンドがあります。
生イチゴを生クリームいれて、パンで挟むというアレです。

NHKBの『クールジャパン』でイチゴサンドが出てきた時、
外国人の驚きの反応は、日本人には意外でしたし、
テレ東の『YOUは何しに日本へ』では、羽田でインタビューしたアメリカ人は、
友人があまりにすすめるので、コンビニのメロンパンを食べに来たといい、実際に食べて感激していました。

同じテレ東の『ニッポンに行きたい人応援団』では、メロンパンにはまり、母国でも広めたいと熊本のメロンパンで有名な店で作り方を教わって帰りました。

ちなみにメロンパンは、ひびの入った外観がメロンに似ているからで、
メロン味だからではありません。

メロンパンばかりでなく、日本のパン屋さんには、実に多くのパンの種類があります。

大きく3つに分けられるそうで、
食事パン、惣菜パン、菓子パンです。

菓子パンはアンパンのようなスイーツ系で、
惣菜パンはいろいろな具ののった(はさんだ)パンで、それだけで食事として完結してしまう、いわば丼ぶりもの。

食事パンというのは、食パンと違います。
料理と一緒に食べる、ご飯の代わりのパンです。

欧米人にはない発想です。

欧米人にとってのパンは、お皿に残ったスープなどをすくって食べるための添え物で、主役ではありません。

料理をおいしくするのは、ワインです。

欧米人の中では、どうやったって、食事のメインコースの中にパンは入ってこないし、イチゴとパンがコンビを組むなんてことは、考えられません。

日本で作られるパンは、中華料理のように、
その出生にはかかわらず、独自の進化を遂げはじめているようです。

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全国にたくさんあるパン屋さん。
その中には、こんなおいしいパンがあったのか、と驚くようなパンが埋もれてます。

しかし、それとは別に、多くのパン屋さんには悩みがあります。
それはロスパン。

ロスパンとは?
閉店後まで売れ残ってしまい、まだ食べられるのにどうしても捨てざるを得ないパンをロスパンといいます。
パンを多く作るとき、ロスを見越して作らないといけないというのがお店にとっての大きなロスになっていす。

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