古事記の方が本当のことを書いてあるのかも知れない!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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『古事記』は日本の古語を書き記すために崩れた漢文体(変格漢文、日本語語順)を用い、国内向けの文章で書かれています。

これに対し、『日本書紀』は中国の唐を意識してか、本格的な歴史書を作ろうという意図か、一応は正格漢文で書かれている。

しかし、残念なことに、厳密には日本書紀でさえ変格漢文で書かれた部分が半分近くあり、また、和習(日本語的な癖)のある著者が全体をまとめている。また、歌謡や訓注を書くときは万葉仮名(古事記は呉音、日本書紀は漢音)を使っていた。

すなわち、古事記と日本書紀はともに国内向け、もしくは中国大陸の唐の日本語を読める人々を意識したものであった。漢音で正格漢文を読むことの出来る漢民族に読んでもらうことは特に意識はしていなかったのである。

國學院大学の谷口雅博先生は、「古事記は宮中内部向けのもので、広くは読まれてはいない」、「日本書紀は読書会が開かれたり、中央政府の官人が勉強目的で読んでいた」ことがうかがえると指摘している。

すなわち、古事記は天皇家と一族の為の内向けのもので、日本書紀は日本国内と日本語を話せる唐の支配層を対象とした外部向けのものだったのかも知れない。

その意味では、古事記の方が本当の事を書いてあるのかも知れない。例えば、出雲神話に関する記述が多いのは、天皇家のルーツは出雲であったからかも知れない。これに対し、日本書紀では「一書曰く」として複数の説を併記しており、どの説が最もらしいのかよく分からない。


雑談

中国の史書は現王朝が前王朝の歴史をまとめて世間に公表することで、現王朝が前王朝の正統な後継者であることを主張した。

日本書紀も、前王朝(蘇我氏の王朝)の歴史に背乗りして、現王朝(天皇家)の歴史にしてしまう為のものだったかも知れない。だから、広く読まれる必要があった。


参考

① 古事記は誰のために作られたもの?―古事記の成り立ちを知る―(國學院大学、参考)

古事記の不思議を探る

文学部教授 谷口 雅博

2018年8月24日更新

日本最古の書物『古事記』。世界のはじまりから神様の出現、皇位の継承まで、日本の成り立ちがドラマチックに描かれています。それぞれの印象的なエピソードには今日でも解明されていない「不思議」がたくさん潜んでいます。その1つ1つを探ることで、日本の信仰や文化のはじまりについて考えていきます。

出雲大社の大国主命像~後に神の世界から国譲りを受け、日本の国造りを担う大国主

『古事記』は日本に現存する最古の書物(作品)です。序文と上・中・下の3巻からなり、世界のはじまりから神々の出現、そして天皇家の皇位継承の様子が描かれています。序文には『古事記』の成立過程が記されています。それによると、『古事記』はまず天武天皇(在位673~686)の意志によって作成がはじまり、約30年後の元明天皇(在位707~715)在世中の712年に太安万侶(?生~723没)が完成したといいます。

では『古事記』は何のために作られたのでしょうか?同時期に成立をした歴史書『日本書紀』と比較をしてみましょう。

『日本書紀』は中国の歴史書に倣って、日本でも本格的な歴史書を作ろうという動きの中で作られたものです。そのため、中国でも読めるものを意図して、漢文体で、時系列順に記録されています。『日本書紀』は成立の翌年から宮中において読書会が行われた記録があり、中央政府の官人が勉強目的で読んでいたことがうかがえます。

一方で『古事記』はどうでしょうか。『古事記』は、日本の古語を書き記すために、崩れた漢文体を用い、国内向けの文章で書かれています。内容は、神々の世界から各天皇の時代の出来事を描く点では『日本書紀』と変わらないのですが、登場する神々や人々が個性豊かに描かれ、それぞれの物語がドラマチックに描かれています。そのため皇后の娯楽用、または皇子の教育用に作られたという見方があります。完成後に広く読まれた形跡がないのも、宮中内部の私的な文書であったからとも言われます。しかし一方で、氏族系譜に対してこだわりを見せているところから、天皇家と各氏族との関係性を明示し、天皇中心の国家体制を確立するために作られたという見方等もあります。

いずれにしても、国の正史と位置づけられる『日本書紀』と比較すると、『古事記』は成立の意図や性格など、謎に包まれた部分が多くあり、それが逆に魅力となって読み継がれているのでしょう。

~國學院大學は平成28年度文部科学省私立大学研究ブランディング事業に「『古事記学』の推進拠点形成」として選定されています。~

谷口 雅博

研究分野
日本上代文学(古事記・日本書紀・万葉集・風土記)

論文

『古事記』天孫降臨神話の文脈(2018/04/02)
旅ー『万葉集』挽歌の「旅人」ー(2018/03/25)詳しく見る

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② 日本書紀について(参考)

日本書紀の著者が少なくとも四人と全体の加筆者が一人いる。

唐代の中国大陸出身で漢音の正格漢文を扱える中国人が二人、和音(呉音)で和習(日本的癖や誤用)がある変格漢文を書く朝鮮半島からの移民が一人、そして和習の少ないまあまあの漢文を扱う一人と加筆に和習をもった一人が地元の日本人であった。


③ 変格漢文について(参考)、、、日本語語順で、送り仮名や助詞などを削除した漢字文



④『古事記』は古典中国語を基本に日本独特の表記を交えた、いわゆる「変体漢文」であり、『日本書紀』は純然たる古典中国語の文体で書かれている(参考)


⑤ 宮下文書の支那震旦国皇代暦記(参考)も和風漢文で、送り仮名を漢字で書いている。


⑥ 漢字、漢文は元々、それぞれ真名、真名文と呼ばれていた(参考)


⑦-1 漢字の起源(参考)、、、殷人が甲骨文字を作った。


⑦-2 彼ら殷人は縄文人と同族であり(参考)、日本語を喋っていた。


⑦-3 『甲骨文合集』8884では、甲骨文字の文章は左が書き出しで、日本語と語順が異なる部分はないので上から順に読んでいけばよい(参考)。


⑧ 日本語の起源(参考)、、、殷人の末裔の秦や斉など、東アジアで広く喋られていた。


⑨ 漢字のルーツの甲骨文字を発明した殷人がやはり漢文訓読法を作った(参考)


10 殷王朝の甲骨文字に音読みと訓読みがあった(参考)


11 日本や朝鮮半島を含めた東夷諸国では日本語が喋られていた(参考)


12 韓国・朝鮮人のルーツ(参考)、、、朝鮮半島より北の沿海州あたりにかつてあった挹婁とか靺鞨と呼ばれた国が朝鮮語を喋る人々のルーツであった。


13 唐の長安では中古日本語が喋られていた(参考)


14 変体漢文(変格漢文、コトバンクより)

正格の漢文(純漢文)に対する概念。和化漢文ともいう。

とくに平安時代以降、公家 (くげ)日記など、記録の作成に採用された文章様式のものを記録体、また東鏡体(あづまかがみたい)と称する。その文章表記には、原則として漢字がもっぱら使用され、漢文様式をもつ文章でありながら、表記、語彙(ごい)、構文のうえで、漢籍、漢訳仏典など、中国古典の文章にはみいだしがたい要素を含むものをいう。

たとえば、(1)原則として漢字専用表記であるが、ときに万葉仮名、片仮名、平仮名を混用することがある。(2)漢字の用字法が比較的単純であり、また「候」「条」字など、中国古典の文章における本来の用法から逸脱したものがある。(3)「然間(しかるあいだ)」「物騒」など、その語彙のなかに、和語をはじめ、日本で造語された漢語(和製漢語)など、純漢文では用いない用語がある。(4)「逐電(ちくてん)」など、中国古典の文章における本来の用法から派生した語義、用法のものがある、などである。

『古事記』の文章などもこの文体のものであるが、平安時代に入り、『小右記(しょうゆうき)』『御堂(みどう)関白記』などの古記録、『明衡(めいごう)往来』などの書状文範集や古文書、『江談抄(ごうだんしょう)』などの故実説話集、その他この文体で記された文献は多い。

鎌倉時代以降、『吾妻鏡(あづまかがみ)』などにみるように、これが公的な文体として採用され、江戸時代末まで公文書の文章様式として広く行われた。書簡文体としての「候文」もその一体である。[峰岸 明]