漢字のルーツとされる甲骨文字、これは亀の甲羅に刻まれたもので、紀元前1700年から紀元前1046年にあった中国大陸の殷と言う国で、亀卜(亀の甲羅の割れ方で占う神事)の結果を記録するために使われたものであった。
日本の神代文字の一つで伊勢神宮で見ることのできるアヒル草文字に対応する甲骨文字があることが指摘されている。すなわち、ンを除く47音の仮名に相当する文字(ある種の万葉仮名)があることになる。また、文法は漢文調であるが、全てでは無かろうが日本語と語順が同じ文章があり、素直に読み下せる(参考)。
紀元前1700年から紀元前1046年とは日本では縄文時代に相当するが、実は、当時の中国大陸においては、漢民族の祖先よりむしろ日本の縄文人(Y-DNAハプログループD2)が多く住んでおり(参考)、日本列島と同じ言語、すなわち原日本語が喋られていたのである。だから、甲骨文字は当時の縄文人によって作られ、亀の甲羅に刻まれたと考えられ、神代文字の一つアヒル草文字に対応する甲骨文字があってもおかしくない。
実は日本列島でのアヒル草文字は伊勢神宮などの神社に奉納され、また、同時に斎王を選ぶために亀卜が行われていた(参考)。さらに、天皇が執行する大嘗祭においても亀卜が行われている(参考)。すなわち、日本の伊勢神宮のアヒル草文字も殷の甲骨文字も共に亀卜の神事の用途に使われていたことになる。
そして、殷の甲骨文字は書体を進化させ、秦の始皇帝により現代の漢字につながる書体が完成することになる。
雑談
現在の中国での甲骨文字の研究は行き詰まっており、文字の解読に成功したら懸賞金を出すと広告を出している。
参考
③ 甲骨文字(wikiより)
甲骨文字(こうこつもじ)とは、中国・インカ(商)時代の遺跡から出土する古代文字。
漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖形を伝えている。古代中国で生まれ発達してきた文字(漢字)と獣骨を用いる占卜とが結びついて文字記録となったものである。亀甲獣骨文字、甲骨文ともいう。
殷後期(第22代殷王武丁以降)の考古学資料が小屯村(殷墟)で大量に出土した。亀の甲羅(腹甲)や牛や鹿の骨(肩胛骨)に刻まれた。
④ アヒル草文字(wikiより)
各地の神社において神璽や守符に用いられ阿伎留神社には神符の発行に用いられた版木が残されている。伊勢神宮に奉納された神代文字によ奉納文の中では、最も多く用いられている。 また、幾つかの書体がある。
日本語の五十音に基本的に対応しているが、歴史的仮名遣いである為に濁音や半濁音を表す文字はなく、「ん」に相当する文字も存在しない。
左の例は『甲骨文合集』8884,第1期のものである。右の図は楷書に書き直したもので,文章は左が書き出しである。日本語と語順が異なる部分はないので,上から順に読んでいけばよい。
最初の5文字が前辞(占いをした際の状況)であり,「丁丑の日に占卜をおこない賓が占った」という意味である。「卜」が左右反転字であるが意味は変わらない。次の2文字が命辞(占卜の対象)であり,朿という人物が何かを得るかどうかを占ったものである。それに続く𦅸辞(ちゅうじ,吉凶判断)は,王が占い,「庚の日であれば得られるが,丙の日であれば歯(凶の意味)である」と判断したことが記されている。そして験辞(結果)では,実際に(𦅸辞の通りに),占卜をした丁丑の日から数えて4日目の庚辰の日に得られたという内容になっている。文章の末尾には,記時(末尾に記す月次)として「十二月」が記されている。(落合淳思(2011)『甲骨文字小字典』(筑摩書房))
⑥ アフリカから真っ先に出てきた現生人類は日本人だった(参考)
⑧ 日本語の起源(参考)
14 殷(商)は漢民族(華夏族)の国では無い(wikiより)
漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、華夏族と称されていたとされる。漢民族という名称は漢王朝(紀元前206年 - 220年)の時代から今日まで使われてきてはいるが、今でも本土の中国人は中国のことを華夏、中華文明を華夏文明と呼ぶことがある。
周王朝(紀元前1066年 - 256年)の創立者である武王が殷(商)王朝(紀元前16世紀 - 紀元前1066年)の末代の帝辛(紂王)を討ち取った後、中原に定住し、その一族を中国の伝説上の先聖王である神農・黄帝・尭・舜に因んで「華族」と称した。また夏王朝(起源前21世紀 - 紀元前16世紀)の創立者の大禹の末裔が「夏族」と称されていたことから、中原に居住していた族群を「華夏族」と称するようになったと言われている。
注: 殷(商)より前の夏王朝は存在自体ハッキリしないが河姆渡文化(ハプログループ O2の系統、呉・越系の稲作農民)、周王朝が現在の漢民族(ハプログループ O3)であるようだ(参考)。契丹古伝では夏、殷、東胡、匈奴、倭は同祖・同族という(参考)。
15 殷の時代の遺跡分布(wikiより)
甲骨文字の出土した殷墟
17-1 中国最古の蒼頡碑文は日本の神代文字で解読出来ると主張する本が出版されていた。科学的なアプローチではなさそう。ご参考まで。
「漢字を発明したのは日本人だった!―虚構の中国4000年史」
幸 沙代子 (著)
出版社:徳間書店 発売日:1995/03
目次
第1章 謎の蒼頡碑文
第2章 沈黙の神代文字が語りはじめた
第3章 太古日本の王は世界を治めた
第4章 戦国時代の斉は日本神話の出雲だった
第5章 見直し迫られる漢字成立史
第6章 殷周の青銅器は出雲の宝だった
第7章 漢字の発明者は日本人だった
第7章 漢字の発明者は日本人だった
17-2 蒼頡(そうけつ、 wikiより)
伝説によれば、蒼頡は黄帝に仕える史官であった。それまで中国の人々は、インカ帝国のキープのような縄の結び目を記録に用いていたが、蒼頡は鳥や獣の足跡の形によって元の動物を推測できることから、文字によって概念を表現できることに気付いたという。
戦国時代には蒼頡の伝説は既に一般化していた。淮南子には「蒼頡が文字を作ったとき、天は粟を降らせ、鬼は夜に泣いた」と記されている。また説文解字は、「蒼頡ははじめに作った文字はみな象形文字であり、これを「文」と呼ぶ。その後に形声文字が作られ、これを「字」と呼ぶ」としている。
18 殷の貨幣は貝の一種のタカラガイであったが、同時代の縄文人もタカラガイを装飾品として珍重して、台湾・沖縄あたりから輸入していた(参考)。
20 何故、神代の日本に文字が無かったとされたのか??