アフリカから最初に出てきた現生人類とは日本人だった!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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アフリカから最初に脱出した現生人類は8万5000年前に遡るとか!

日本人のルーツの縄文人や更に古い旧石器時代人は、日本列島に住み始めて4万年位と言われているが、更に4万年5000年位かけて、アラビア半島あたりから東に日本列島に向けて居住範囲を移動させてきたことになる。さらに、太平洋を越えてアメリカ大陸に到達した(参考)。

日本人のルーツの主な男性遺伝子(精子に存在するY-DNA、ハプログループ)が、アフリカ大陸内のA、Bに次いでC、Dであり、アフリカを脱出した後に最初に進化・分岐した人類であった。また、女性から伝わるミトコンドリアDNAに関しても、アフリカ人女性に最も近い階層に日本人女性が位置している。

ヒトT 細胞白血病ウイルスI 型(HTLV-1)のキャリアの分布を見ると、アフリカを起源としてスンダランド、日本列島、南米に分布し、海の民(ハプログループCの日本人)が真っ先にアフリカを脱出したことを示唆している(参考)。

さらに、現生人類より前に出現し、そして滅びたネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人で、他のどの集団よりも高く、約51%が持っていた。すなわち、日本人がアフリカを出た現生人類の中で最も早く出現して、ネアンデルタール人と最も長く交際していたことになる(参考、参考⑨)。このネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布していた(wikiより)。

すなわち、アフリカから最初に脱出した現生人類のグループとは日本人の直接の祖先と考えられ、アラビア半島で見つかった8万5000年前の現生人類の指の骨は日本人のご先祖様であろう。

そうであるなら、日本人の夫婦は他民族との混合をほとんどせずに今日まで至っていることになる。すなわち、弥生時代から古墳時代にかけてあった大陸からの渡来人達は実は同じ日本語を喋る同族の仲間であり、遺伝的にほぼ同じであったことになる。

もちろん例外はあり、男性については旧分類のO2やO3が混じっているし、女性のミトコンドリアDNAについてもアフリカ人女性から遠い階層にあるものもある。しかし、核DNA全体の分析では、日本人としてまとまってほぼ純血を保ちながら多様化していた。

ところが、HLAハプログループの観点で見ると東アジア大陸全域から日本列島への渡来が証明されているが、長い年月と広大な土地の中で多様性を獲得し、他民族に影響を残したことが示唆される(参考)。

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① 緑丸: 従来説、レパント経由での人類の出アフリカ、6万年前
② 赤丸: 新説、アラビア半島ネフド砂漠経由での人類の出アフリカ、8万5千年前


追加

旧人のネアンデルタール人と兄弟関係にある南シベリアあたりで出土した旧人のデニソワ人のEPAS1遺伝子は現在のチベット人からは見出されたが、漢民族からは見つかっていない。漢民族が現在地とは異なる地域から遅れて来たことを示唆している。

現在のチベット人の中で日本人と同じDを持つ者が広く濃く分布しており、やはり日本人の祖先が旧人のデニソワ人と関わったと期待される。
ハプログループDは日本列島とチベットに色濃く分布するが、東アジアに広く薄く分布している。O2やO3はチベットでは薄い。


雑談1

日ユ同祖論ではユダヤ12支族の一つが日本人であろう!とされているが、実は反対で、出アフリカを最初に行った日本人の直後に出てきたのがユダヤ人だったと考えることも出来る。


雑談2

古史古伝、例えば竹内文書などに、超古代の日本の天皇が天の浮船で世界を行幸していたと言う荒唐無稽な物語が出てくるが、嘘では無かったかも知れない。天の浮船とは、海上では帆走カヌー、陸上では秦の始皇帝が乗った馬車の類と考えられる。


雑談3

言語的には、エチオピアあたりから紅海を渡ってアラビア半島に脱出したようだ(参考)。


参考

① 現生人類の指の骨、アラビア半島最古 アフリカから移住か

CNN(2018.4.10、参考)

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2018.04.10 Tue posted at 16:14 JST


(CNN) アラビア半島の砂漠で見つかった現生人類(ホモ・サピエンス)のものとみられる指の骨の化石について、少なくとも8万5000年前にさかのぼることが9日刊行の学会誌の論文で明らかになった。


従来の学説では、現在の人類につながるヒトの祖先が起源であるアフリカ大陸から隣接するレバント(東部地中海沿岸地方)を越えてアラビア半島など別の地域への移住を開始したのはおよそ6万年前とされているが、今回の発見でその年代が繰り上がる可能性がある。


当該の指の化石は、サウジアラビア国内にあるネフド砂漠の中心部で2016年に見つかった。長さは3.2センチほどで、その形状により発見直後から現生人類のものであることは明らかだったという。


分析の結果、化石の年代はアフリカとレバント以外から出土した現生人類のもので最も古いことが判明。これまでアフリカ及びレバントを越えての現生人類による大規模移住は約6万年前に起きたとみられていたが、実際にはそれより2万~2万5000年早く、こうした移住が複数回にわたって行われていた可能性が示された形だ。


化石の見つかった地域は現在でこそ砂漠だが、8万5000年前は川や湖が存在する草原地帯だったことが分かっている。現地からはガゼルやカバといった動物の化石も800点以上発見された。


今回の論文を主導した英オックスフォード大学のフウ・グル―カット氏は、動物の分布の多くがアフリカに共通していると指摘。当時の人類は、環境的に似通った北アフリカとアラビア半島を移動していた可能性があると述べた。



② Y染色体ハプログループの分布(参考)


日本人はC(C1a1: 旧分類のC1)、D(D1b: 旧分類のD2)、そしてO(O1b2、O1b1: 旧分類のO2bとO2a)が主流となっている。


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③ 人類の移動ルート(参考)

非出アフリカ:A,B,E ⇒ネグロイド 
南ルート:C1b,C1c,F1~4,K*,M,S,H,L ⇒オーストラロイド 
北ルート:D,C1a1,C2,N,O,Q ⇒モンゴロイド 
西ルート:I,J,G,R ⇒コーカソイド

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著者注: ここではC1a1は北回りとしているが、C1bと共に南回りと考えた方が正しい。


④ Cは世界の大陸を股に掛け、さらに海にまで進出している。CとDは最初の現生東アジア人(参考)。

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著者注: ここでは、C、D共に南回りになっているが、Dは北回りと考えた方が正しい。


⑤ アフリカを出た人類はハプログループC以降

日本人の多くの男性(ハプログループC、D)はアフリカから出てきた男性に最も近い。

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⑥ ミトコンドリアDNAから見た出アフリカ

日本人女性はアフリカから出てきた最初の女性に最も近い階層にある。



⑦ DNA全体の分析を行うと、日本人と他国の人々とは区別出来ることが分かった(参考)

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人類の進化などを研究している齋藤成也教授は、これまで500人以上の日本人と、更にアジアの数千人のDNA解析を行ってきました。
そして、DNAの特徴を元に1人1人の人を座標に起こしてどれ位違いがあるのかを調べました。

するとアジアの大陸の人は比較的分布が纏まるのに対し、日本人はそれと大きく違う範囲に分布している事がわかりました。そしてこの違いは日本人の中でも沖縄の人達、そしてアイヌの人達という順に大きい事も分かりました。 

コメント1: 
日本人の分布の広がりは、出アフリカ以来の8万5000年の長期間のDNA変異の蓄積よる多様化が大きいと考えられる。大陸の人々との混血があるなら、彼らの分布をも飲み込む大きな広がりを示すと思われる。

コメント2:
日本人以外の東アジアの人々のDNA変異のバラツキが小さくまとまっているのは、何度か絶滅の危機に瀕して少数の祖先から再出発した後の歴史が浅いとか、近親相姦の習慣があったと考えられる。


⑧ ハツカネズミが証明する日本人の渡来ルート(参考)

ハツカネズミは人間の家に巣を作って人間と一緒に移動し、東南アジア経由の海のルートと大陸を直接横断した陸のルートの二系統があった。


⑨ 最もネアンデルタールに近いのは日本人? 免疫システムに残る人類の歴史

多くの人を悩ます花粉症。その原因は免疫システムの暴走だが、免疫システムの一部がネアンデルタールからの「プレゼント」だと判明した。

サイエンスニュース(2016.2.22、参考)
山下祐司| Photo by Getty Images

免疫に重要な役割をもつTLRの遺伝子


とうとう今年も花粉症の「季節」がはじまった。2月にはいると首都圏でもスギ花粉が観測されはじめ、ドラッグストアでは対策商品の陳列に余念がない。

花粉症を含めたアレルギーは、もともと体に侵入した細菌やウィルスなどから体を守る免疫システムが過剰に反応しておこる。

花粉症も大変だが、生物が生きていくには欠かせないシステムである。この免疫に関わるいくつかの遺伝子はネアンデルタール人とデニソワ人からの「プレゼント」だったと今年の1月に明らかになった。

遺伝学の科学誌「The American Journal of Human Genetics」で独の研究チームが発表した。日本人の遺伝子の中にネアンデルタール人が「潜んで」いる。

ヒトはネアンデルタール人を滅ばして今の繁栄を築いた。独・マックスプランク研究所のJanet Kelsoのチームは現代人の遺伝子の中に、ネンデルタール人やデニソワ人との交配によって残り続けている「彼ら」の遺伝子をさがしていた。

人類の進化でエポックメイキングな最近の発見といえば、ヒトが絶滅させたと考えられているネアンデルタール人と人間が交配していたことと第3の人類デニソワ人の発見だ。

この3種は50万年前に共通祖先から分かれたと考えられ、ネアンデルタール人はヒトより数十万年前にアフリカを出て主にヨーロッパに広がった。

研究チームが目をつけたのがTLRの遺伝子。これまでの研究データもとにピックアップした。TLR(Toll Like Receptor)は細胞の表面にニョキニョキと生えているタンパク質。免疫で非常に重要な役割を果たす。

体を外敵から守るには、まず外敵の侵入を関知しなくてはならない。この防犯センサーの役割を担うのがTLRというタンパク質なのだ。

体内に侵入した細菌や菌類、寄生虫の一部がこのTLRにくっつくとセンサーが作動し、外敵をやっつける細胞が集まったりと、さまざまな免疫システムが動く仕組みだ。

ネアンデルタール人の遺伝子を最も多く持つ日本人


複数あるTLRのうちTLR1とTLR6、TLR10は染色体上に隣接している。ネンデルタール人やデニソワ人の3つのTLRを含む領域を現代人と比較する。

ヨーロッパ人と東アジア人、アフリカ人など現代人の14集団のこの領域を調べると7つのタイプに分類された。このうち2つがネンデルタール人由来、ひとつがデニソワ人由来だと判明する。

理論的にはヒトより数十万年先にアフリカを出て、中東を経由してヨーロッパに広がったネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカに残った祖先由来のアフリカ人には存在しない。

調べると、確かにアフリカ人にはネンデルタール人由来のTLRを含む領域がほとんどみられなかった。

このように、現代人のTLRを含む領域のゲノム配列を詳細に調べ比較してネンデルタール人とデニソワ人由来だと突き止めた。

そして、機能が非常に重要性なので、数万年という自然選択を受けてもほとんど変わらずに高頻度で残っていたと考えた。

実はこのネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人。どの集団よりも高く、約51%が持っていた。

花粉症の最大の要因にTLR1とTLR6、TLR10が直接関与するわけではないが、免疫システムを通して人類の壮大な進化を想像し、内なるネアンデルタール人を思うことで少しは症状が軽くなるかもしれない(そんなことはありません)。

取材・文 山下 祐司【了】


10 チベット人の高地適応はデニソワ人由来

NATIONAL GIOGRAPHIC(2014.07.03、参考)

中国のカイラス山付近で巡礼の旅をするチベット人の父親と息子。 PHOTOGRAPH BY LYNN JOHNSON / NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE

現生人類における自然環境への適応の特に顕著な事例は、近縁種との異種交配によって起こった可能性がある。チベット人の生理機能は、大気中の酸素濃度の低い高地での生活に適応している。これはネアンデルタール人と共通の祖先を持つ初期人類のデニソワ人との異種交配の結果である可能性が高いことが、最新の研究によって明らかになった。 

今年はじめにも、現代人の多くがDNAの一部をネアンデルタール人から受け継いでいるという研究結果が発表されている。これと並んで今回の研究も、現代人のゲノムがさまざまな人類種の“複雑なタペストリー”であることを示すものだ。また今回の研究は、現生人類の繁栄の一因として、これまで見過ごされてきた要素を指摘している。現生人類は近縁種との異種交配によって、その土地に適応しやすい身体的特性を手に入れてきた可能性があるというのだ。 

「こうしたことは人類史の中でたびたび起こっており、今回たまたまこの事例を確認できただけ、と考えるべきであろう。近縁種からの遺伝子の継承は、私たちの進化にとって重要であったと考えられる」と、カリフォルニア大学バークレー校のラスムス・ニールセン(Rasmus Nielsen)氏は言う。 

◆高地での生活に適した遺伝子 

ニールセン氏らのグループはこれまでの研究で、現代のチベット人には、代謝経路に関係する遺伝子「EPAS1」に変異が見られることが明らかになっていた。低酸素環境における身体反応を制御するものであるため、ニールセン氏らはこのことが、チベット人が高地で生き延びる上で重要な役割を果たしてきたのではないかと推測した。 

海抜の低い地域に住む人が高地に行くと、その身体は血中で酸素を運ぶタンパク質であるヘモグロビンの量を増やして適応しようとする。ところがチベット人のヘモグロビン量はそれほど多くないので、ヘモグロビン濃度の上昇に伴う心臓への負担を避けられている可能性がある。 

チベット人の女性にはさらにメリットがある。妊娠中も高血圧になりにくく、高地での出産がさほど負担にならないのだ。 

ところが、チベット人のこの遺伝子の変異は、これまで知られている人類の移動のパターンに当てはまらず、遺伝子の出どころを突き止められなかったとニールセン氏は言う。 

そんな中、シベリア南部の洞窟で見つかった骨の断片から、デニソワ人という人類の近縁種の存在が2010年に確認された。発見された骨は小さかったが、ゲノムをほぼ完全に確認できた。

今回の研究で、ニールセン氏のグループはチベット人40人と、中国の漢民族40人からDNAを採取し、デニソワ人のゲノムと比較した。その結果、デニソワ人のEPAS1遺伝子は、チベット人のものとほとんど同一であることが確認された。 

「(異種交配による)遺伝子移入なしにこれほどの一致が見られる可能性はゼロだ」とニールセン氏は言う。 

現生人類とデニソワ人の異種交配が起こったのは3万~4万年前のことだろうとニールセン氏は言う。親しく交流していたかは不明だが、デニソワ人のDNAがその周辺の地域で現生人類の遺伝子プールに流入するのに十分なだけの関係はあったようだ。その後、現生人類がチベット高原に移り住む際に、デニソワ人に由来するEPAS1の変異が有利に働いたようで、自然選択の結果、現在この地域に住む人の大部分にこの変異が見られるのだという。 

以下省略

文=Brandon Keim


11 Y-DNAハプログループDに関する最新情報(wikiより)



12 日本語の起源