中国の古代国家の殷は縄文時代の日本から漆の文化を受け入れていた! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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漆も漆器も漆工芸も縄文時代の日本から中国大陸に伝わったようだ。

縄文時代と同じ年代の中国大陸には縄文人の同族が生活し、歴史を下ると殷、宋、秦を経由して再度、日本に還流(渡来)したと考えられる。

よく、日本文化は中国から渡来したとされるが、殷から時代を降って宋や秦などの国からの渡来人を受け入れたからである。実は、これらの国の人々は縄文人と同族であり、相互に文化交流があったようだ。


参考

① 中国の殷と縄文時代の日本の漆器文化

三島里山倶楽部(参考)

下記に詳細を述べるが漆は日本独自の自生植物であり、中国の殷遺跡より発掘された漆器より数千年も遡る縄文遺跡から籃胎漆器が発掘され、漆文化の中国への輸出説も語られ始めている。


中国の殷(いん)(約3600~3000年前)の遺跡から漆器の一部が発掘されていた(紀元前13世紀の棺桶の塗料として用いられていた)ので、漆器は中国が発祥地で、漆器の技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。

ところが、北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から中国の物を大幅に遡る約9000年前の縄文時代前期の漆器が見つかり、また漆木のDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認された。このことから、漆器の日本起源説も主張されるなど漆器の起源については議論が続いている。

日本では垣ノ島B遺跡の出土品に次いで約6000年前の朱塗りの櫛(鳥浜遺跡)も発掘されている。現在、中国で最古の物は長江河口にある河姆渡遺跡から発掘された約7000年前の漆椀である。(日本で縄文時代に作られていた漆器は朱のみ。黒の漆器は弥生時代以降)。河姆渡遺跡や殷王朝の漆DNA分析が進めば倭人(縄文人)の足跡が更にクローズアップされるかもしれない。


② 最古の漆器(wikiより)


長江河口にある河姆渡遺跡で発掘された木弓は、放射性炭素年代測定で約7500~7400年前と確認されたことから、漆器は中国が発祥地で技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。

ところが、北海道函館市南茅部地区から出土した漆の装飾品6点が、米国での放射性炭素年代測定により中国の漆器を大幅に遡る約9000年前の縄文時代早期前半の装飾品であると確認された。縄文時代の集落と生活様式の変遷が確認できる垣ノ島遺跡からは、赤漆を染み込ませた糸で加工された装飾品の他に、黒漆の上に赤漆を塗った漆塗りの注口土器なども発見されている。さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土したの枝は、放射性炭素(C14)年代測定法による分析の結果、世界最古の約 12600年前のものであると確認された。更なる調査で技術的に高度な漆工芸品である「赤色漆の櫛」も出土、 この他に、木製品、丸木船、縄、編物、その加工に用いられた工具なども相次いで出土しており、漆工芸品も含めた木材加工の関連品が発見されている。こういった遺構、遺品から、日本では縄文時代早期末以降にはウルシが生育していたとされる。


③ わが国から伝わった漆器、日本で「すごいこと」になっていた・・・中国驚愕

SEARCHINA(2015-03-05、参考)


中国では日本の伝統工芸品に対する関心も高まっている。多くの場合には中国で生み出された技術だとした上で、日本の「学習」と「改善」能力に改めて注目する論調も多い。漆器の場合にはネット通販でも出品されることが多くなった。

中国共産党機関紙の人民日報系のニュースサイト「人民網」は2日、「組図:日本の漆器芸術鑑賞」の見出しの記事を配信した。西側国家が日本を「漆の国」と称するのは“誤解”と主張し、理由として中国では2000年前に、漆器が高い水準に達しており、日本には唐代に伝わったと紹介した。ただし日本が「中国から学んだものを消化吸収し、自らの民族的特徴がある芸術として深め、新たな領域を不断に開拓した」と、日本の漆器の水準の高さを全面的に認めた。

江戸時代には「蒔絵(まきえ)」の完成により、日本の漆器は「世界最高」になったと紹介。明治以降は、日本の工芸技術は伝統と現代の間で「徘徊」することになり、経済性と生活への適応性も意識されたと説明し、日本の工芸品は中国など東方国家の文化を吸収し、西欧のデザイン文化も取り入れ、「極めて特徴的な『日本の風格』を形成することになった」と評価した。

文章は「漆関連の仕事には、陶磁器関連についで多くの人が従事している。彼らは漆技術の芸術性や実用性だけでなく、歴史や科学技術を含めて総合的に研究をし続けている。彼らの不断の研究と更新が、日本の漆技術の発展を推進している」と紹介した。

同ページは写真も多く掲載した。伝統的な器などだけでなく、漆を使った万年筆や腕時計なども紹介されている。

中国の大手通販サイトのアリババでは、「日本漆器(日本の漆器)」として、多くの品が出品されている。ただし、日本円に換算して数百円以下のものが主流で、主に合成漆器と思われる。出品者が中国国内の漆器工場である場合も多く、日本向けの品を中国国内向けに販売している可能性がある。中国大陸で日本の「本物の漆器」が広く知られるようになるには、まだ多少の時間がかかると考えられる。

台湾ヤフーのオークションでも日本の漆器が多く出品されている。それほど高価でないが、日本統治時代から残っていたとみられる品が目立つ。「台湾総督府の紀元(皇紀)2600年記念の漆の酒杯」には4日午後1時現在、7500台湾ドル(約2万8600円)の値がついている。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)


④ 殷にも太陽信仰があった(参考)


⑤ 殷の神事に日本の天皇家と同じ亀卜があった(参考)


⑥ 漢字発祥の地、殷(参考)


⑦ 漢字の起源、殷の甲骨文字(参考)


⑧ 日本語の起源(参考)


⑨ 殷人は縄文人と同じ趣味を持っていた