漢字を創造したのは天皇陛下の先祖であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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紀元前17世紀から紀元前11世紀末頃(縄文時代に相当する)の中国大陸にあった殷と言う国で、亀卜と言う占い神事があった。神事における亀の甲羅などに刻んだ甲骨文字が漢字のルーツと言われている。この殷の時代の甲骨文字が刻まれた亀甲や獣骨のかけらが発見されたのは1899年、清朝末年のことであり、現代でも中国で解読作業が進められている。

ところが、この亀卜と言う神事を今でも途切れることなく続けている唯一の国があった。それは日本である。中国大陸では殷の次の周と言う国では廃れ、易にとって代わられた。そして、亀卜を行う最も重要な神事は皇位継承に伴う皇室の儀式「大嘗祭」に引き継がれた。この亀卜の神事は大宝律令が制定された西暦701年には行われていたという。

卜骨による占いなら弥生時代から邪馬台国の卑弥呼の時代にも実施しており、殷の文化は殷の滅亡後、速やかに日本列島に伝播していたと考えて良さそうだ。

占いのルールと言うものは自己流に勝手に定めことは出来ない、神聖で権威ある先祖が定めたルールを頑なに守ることで正しい占い結果を得ることが出来る。すなわち、天皇陛下の大嘗祭で行う亀卜の神事を遡れば、中国大陸にあった殷の国の儀式にまで3000年の間、途切れることが無かったことになる。


雑談1

興味を引くことは、大嘗祭で行う亀卜で亀の甲羅に刻む文字は現代の漢字であろうか?それとも、甲骨文字まで頑なに守っているのであろうか?


雑談2

伊勢神宮に神代文字のアヒル草文字が残っているが、このアヒル草文字は殷の甲骨文字の一部に対応している。このアヒル草文字は天皇の先祖が殷の時代から受け継いで伊勢神宮にもたらしたと考えられる。


雑談3

日本の皇祖神の天照大神が太陽神とされるが、殷にも太陽信仰があった(参考)。


雑談4

殷の貨幣は貝の一種のタカラガイであったが、同時代の縄文人もタカラガイを装飾品として珍重して、台湾・沖縄あたりから輸入していた(参考)。


雑談5

漆の文化は縄文時代の日本から殷に伝わった(参考)。


参考

① 古代の占い:亀ト(きぼく)

兵庫県立武庫荘総合高等学校(参考)

古代国家において占いとは、政治的に必要な行事として重要視されてきました。古墳時代以前の日本では、鹿の肩甲骨を焼いてひびの入り方によって吉凶を占う方法が行われていました。これを太占(ふとまに)といいます。

しかし、律令期に入るとウミガメの甲羅を用いて占うようになります。亀の甲羅を焼いて占うことを「亀卜」といいます。これまでは、亀の甲羅を火であぶりながら焼くと考えられてきましたが、最近になってそのやり方が間違っていたことが大江先生の研究で明らかになってきました。 

律令期での占いは、国家の行く末を導くものとして重要視され、特に神祇官が管轄をしていました。その職業集団を卜部(うらべ)といいます。平安時代になると、他の占いを行う職業集団(陰陽寮=おんみょうりょう)である陰陽師が活躍します。このなかで有名な人として安倍晴明がいますが、晴明などの陰陽師を管轄していたのは、太政官の中の八省の一つである中務省(なかつかさしょう)がおこなっていました。これらのことから考えると、陰陽師が占うことよりも、格式が上である卜部が亀卜で占う方が国家にとってより重要であることが分かります。亀卜での占いは、天皇の病気に関することや政治のために行うものです。そこで、伊豆・壱岐・対馬などで専門の卜部に命じて占いが行われていたようです。


② き‐ぼく【亀×卜】(コトバンクより)

②-1 亀の甲を焼き、そのひび割れの入り方で吉凶を占う卜占術。中国では竜山文化時代から殷(いん)時代にかけて盛行。日本には奈良時代に伝来し、卜部(うらべ)が担当した。かめうら。

②-2 古代中国で行われた占いの方法。亀の甲に錐(きり)で穴をあけ,そこに焼けた棒を差し込み,その時生ずるひび割れによって吉凶を占う。殷代には占いのなかで最も重要な位置を占めたが,周代に入ってに取って代わられた。日本にも伝わり,神奈川県三浦市の間口洞穴より5世紀の遺物が出土しているのをはじめ,平安時代には重大事に際して用いられた。


③ 対馬の卜部と嶽の神

対馬のビックリ箱(2016.9.23、参考)

神々の降臨した嶽と大平

対馬市厳原町豆酘では旧暦1月3日、集落北端の雷神社でサンゾーロー祭が開かれます。

卜部の子孫である岩佐氏が亀卜神事で吉凶を占いました。伝統行事の亀卜は古代に中国から
伝来したとされ、亀甲に火を当てて亀裂の形状をデーターと照合して占います。

雷神社にはいくつかの謎があります。江戸期に編纂された『対州神社誌』には社名は「嶽之神大明神」です。そして当時は神山に社殿は無く、御神体は岩となっています。
周囲には槻の雑木があるとしているので嶽の頂が神域だったのです。嶽の神です。

嶽の神祭は同町安神でも行われており神職や氏子総代らが山頂で祭祀をします。美津島町でも嶽祭はあり、氏子総代らが山頂まで登って神事を行うのです。豆酘のサンゾーロー祭も本来は山頂で祭祀があったとみています。また神主は岩佐甚吉となっているので現在も亀卜の奥義を継承している岩佐氏の御先祖でしょう。岩佐氏は卜部の家系でもあります。『延喜式』に
朝廷に登用された卜部は対馬十人、壱岐五人、伊豆五人とあります。

古代には対馬の卜部は山頂の嶽之大明神で祭祀をし卜占したのでしょう。山の頂で神事を行う意味は天空の神に少しでも接近して祈願した方が効験あると考えたと推理しています。そして頂に神様の降臨する祠を設け山海の珍味を奉納します。
神様に祈願する内容は航海安全だったでしょう。北部九州と朝鮮半島を往来する当時の船は
小さく荒天時には海難事故が起きます。これは船乗りの家族の問題であるばかりでなく
船を派遣する朝廷や権力者にとっても重大な関心事でした。

そのため卜術に優れた卜部を対馬、壱岐、伊豆に置いたのでしょう。これらの地は古代における海上航路の要衝でした。卜部たちは山頂から気象、海象を司るとされる
天空の神様に航海安全を祈祷し出港日時などを占っていたのかも知れません。

島内では山頂付近の祭祀場を大平とか高平とか呼んでいます。大平山もあります。全国には平塚を冠する平塚古墳が多いのですが、このヒラ(平)は平らな塚の
意味ではなく、祭祀する塚と考える方に合理性がありそうに思えます。


④ 奈良・纒向遺跡、占いの獣骨「卜骨」出土 

日経新聞(2015.1.29、参考)

邪馬台国のあった場所として有力とみられている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀後半~4世紀初頭に占いに使われた獣骨「卜骨(ぼっこつ)」が出土し、調査した同市教育委員会が29日発表した。同遺跡では祭祀(さいし)に関連した様々な遺構や遺物が見つかっているが、卜骨の発見は初めて。

魏志倭人伝は3世紀の日本の習俗として「物事を始めたり旅をしたりする際、骨を焼いて吉凶を占う」と記述している。

見つかった卜骨はイノシシの右肩甲骨で長さ約17センチ、幅約7センチ。一部を平らに薄く削り、火の付いた棒を押し当てるなどしたとみられる痕跡が少なくとも3カ所あった。

獣骨を加熱し、ひび割れの形で占う卜骨は亀の甲羅を使う卜甲(ぼっこう)と共に古代東アジアで広く見られる。日本では弥生時代以降、シカやイノシシなどの骨を使った例が各地で出土している。


⑤ 占い儀式のカメ甲羅確保…宮内庁、大嘗祭へ準備

読売新聞(2018.11.01、参考)


平成の大嘗祭の亀卜で使われた甲羅

来年5月1日の天皇の代替わりまであと半年。宮内庁では皇位継承に伴う皇室の儀式「大嘗祭だいじょうさい」の準備が進んでいる。代替わり直後にカメの甲羅を使う占いの儀式を控えており、東京・小笠原で希少なアオウミガメの甲羅を確保した。年度内に加工を終えるため、近く委託業者を選定する。

占いの儀式は来年5月にも行われる「斎田点定さいでんてんていの儀」。カメの甲羅を焼き、ひび割れの具合をみる古来の占い「亀卜きぼく」で、同11月に皇居で行われる大嘗祭の中心儀式「大嘗宮だいじょうきゅうの儀」に使う新穀を収穫する都道府県を東西から一つずつ選ぶ。

亀卜は大宝律令が制定された701年には行われていたという。

宮内庁は天皇陛下の退位日が決定した昨年12月にはウミガメ保護・研究の拠点がある東京都小笠原村に協力を依頼。今年春に捕獲されたアオウミガメ8頭分の甲羅を確保した。

アオウミガメの甲羅は1987年にワシントン条約で輸入が禁止され、各自治体では捕獲の規制が進むが、村の担当者は「長年の保護活動で産卵数が増加傾向にあり、皇室行事への提供も理解が得られると判断した」と説明する。

62年ぶりとなった90年の大嘗祭では同庁職員らが甲羅探しに奔走。小笠原村でようやく確保したが、元職員三木そうぎ善明さん(70)は「昭和天皇の崩御に伴う代替わりで表立った準備ができず、綱渡りだった」と振り返る。同庁が「斎田点定の儀」の約1年半前から動き出したのは、このときの経験があったためだ。

今後は亀卜に使う甲羅を加工する段階に移る。同庁が業者を選定するが、熟練の技術が必要だ。平成の大嘗祭で加工に携わった元べっ甲職人高橋秀治さん(56)は「甲羅を極限まで薄くする必要があった」と明かす。

亀卜でヒビが入りやすいよう、厚さ1ミリ程度にまで削るよう求められた。高橋さんは1928年の昭和の大嘗祭を経験した職人から古来の技を学び、約1か月かけて将棋の駒の形(縦24センチ、横15センチ)の甲羅を完成させた。職人は辞めて現在は会社員だが、「求められれば伝統技術の継承に協力したい」と話している。

◆大嘗祭=新天皇が五穀豊穣(ほうじょう)と国家の安寧を祈る儀式。天皇が一代一度だけ臨む。初例は7世紀後半の天武天皇とされる。宗教的性格が濃いため、国事行為の「即位の礼」とは別に、皇室の行事として行われる。


⑤ 中国の殷墟から出土した、世界最古の漢字である甲骨文字が書かれた亀の甲羅は亀卜と言う占いに使われていた。この甲骨文字には神代文字の一つアヒル草文字が含まれ、大陸に居住した縄文人が亀卜を行った