日本語は他によく似た近縁の言語が無く、どの語族にも属していない孤立した言語であると言われている。wikiに日本語の起源について多くの説が紹介されているが、どの説もうまく説明していなく、互いの説を否定・矛盾し合って定説が無い。
このような日本語について、旧石器時代以来の古い言語であると考える研究がある!また、日本語は2200年前に大挙してやって来た渡来人から始まっており、以前の言語は置き換えられたと考える研究もある。以上の2説は互いに矛盾している。しかし、共に正しい科学的な研究である。すなわち、互いに矛盾する主張を包含する新学説が必要となる。
実は、旧石器時代から縄文時代の原日本語は広く東アジアに分布していたのである。そして、2200年前、中国大陸の歴史区分で言う春秋戦国時代の戦乱を逃れて日本列島に渡って来た渡来人(渡来系弥生人)や古墳時代に渡来した秦氏は実は原日本語を喋り、現地の縄文人の原日本語と言葉が通じたのである。完璧に同じではなくとも、容易に融合できる語族の範疇にあったのである。だから、渡来人と縄文人との摩擦が無く、共存出来たのである。
男性遺伝子(Y-DNA)のD2の分布が琉球から北海道に渡る日本列島に限られているが、この遺伝子が日本列島に古くから住む原日本人のものであろうとの説が定説となっている。この遺伝子D2を持った原日本人の言葉が原日本語であり、男性遺伝子O2やO3を持った人々(漢民族や朝鮮民族)が東アジアに広く分布する前までは、D2が東アジアに広く分布していたと考えられる。
① 現在の日本語は2200年前に渡来した。以前の言語は置き換えられた(参考)
【2011年5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。
日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。
主要な説は2つある。
1つ目は、定住が始まった3万年~1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。
もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、いずれもこちらの説が有力であることを示している。
② 日本語は旧石器時代からの生き残りの言語だった(参考)
『孤立言語』と呼ばれる言語の中には、日本海を取り囲むように緑色で塗られた言語群がある。
これらの朝鮮語、日本語、アイヌ語、ギリヤーク語という言語は、「環日本海諸語」と名付けられているが、これらはユーラシア内陸型孤立言語の「点在型」とは対照的に、「塊」となって現存している。
ユーラシア内陸型孤立言語とは成立過程が違うのであろうが、太平洋沿岸型孤立言語とも言うべき環日本海諸語も、後期旧石器時代に世界を覆っていた古代の言語のうちの“生き残り”であるに違いない。
後期旧石器時代の言語分布想定図の中の環日本海諸語
③ 日本人は古くからの遺伝子を蓄えていることが明らかにされた。また、人類古来の共同体を保持しているのはやはり日本人である。言語についても、アジアの古い形を保持していると考えるべきだろう。変化したのは、大陸の言語のほうと考えるのが自然ではないか(参考)。
④ 縄文人が増えて現代人になったと言う考古学者の主張は誤りであった(参考)。しかし、考古学的には縄文時代から稲作が始まっており、連続的に弥生時代に移行している。
⑤ 男性遺伝子D2で判明、古墳時代の秦氏は中東から渡来した(参考)
⑥ 弥生時代に渡来した斉系弥生人や古墳時代の渡来人秦氏が男性遺伝子(Y-DNA)がD2を持っていたのに対し、縄文人の男性遺伝子(Y-DNA)がやはりD2であった(参考)。鳥取市の青谷上寺地遺跡の渡来人の男性がD2であったことがDNA分析で分かった(2019.3.4)。
⑦ 大野晋のタミール語説
日本語、韓国語とタミール語の間で文法などが共通し、稲作用語などが若干残存している。
その他wikiにある諸説も、太古、原日本語が広く分布して、影響を及ぼしていた傍証とも考えられる。
⑧ wikiによると、中国大陸の漢民族は2200年前の秦の始皇帝の国家統一以降にまとまり、漢時代から急激に発展したようだ。すなわち、2200年前の秦の始皇帝の国家統一の前後で、東アジアの民族が大幅に入れ替わったことが想像される。
⑨ 秦氏の由来(参考)
10 倭人と日本人(参考)
考古学、人類学、遺伝学などから得たものを総合すれば、日本人とは、北方系の縄文人、南方系の縄文人、倭人(南方系弥生人)、北東アジア系弥生人そして古墳人の、北東アジア系の強い無数の混血割合を持った混血人の延長線上にある集団、ということになる。倭人が日本人になったとするのは間違いなのである。
著者注:
日本人の男性遺伝子で分類すると、日本人は海人族C1、呉・越系弥生人O2、縄文人D2、斉系弥生人D2、秦氏D2からなっており、ここで言う倭人とは日本に大規模な稲作をもたらした呉・越系弥生人のことである。
日本語の起源を述べた拙著では、古くから日本列島に住んだD2と言う男性遺伝子をもった縄文人などの話した言葉が原日本語とし、弥生時代に渡来した男性遺伝子D2をもった斉系弥生人や秦氏がやはり原日本語を喋ったと説明している。男性遺伝子C1を持った海人族も古くから日本列島周辺に住み、陸上に住むD2の縄文人達と同時に存在していた。原日本語が共通語であったと考えられ、日本語の語彙にスンダランドあたりの南方系が多いのはその為であろう。
揚子江河口あたりに居た男性遺伝子O2をもった呉・越系弥生人は独自の古い言語を持った民族であろうが、日本列島(先ずは北九州)に渡った人々は縄文人達と融合して日本語を形成した。そして漢人から倭人と呼ばれたのであろう。また、現在の中国人の男性遺伝子はO3とO2からなっており、中国大陸に残ったO2の民族はO3と共に漢人になったのであろう。
著者注:
万葉仮名は8母音を識別できる人々が使用したが、本来も現在も日本語は5母音であることを根拠に、白村江の戦いの後に渡来した百済人が記紀や万葉集を書いたと主張する論文がある。
この主張は受け入れられるが、この百済人が現代朝鮮人であるとの主張は強引な推測であり、受け入れられない。また、古代の言語が現在の方言に変化無く残存していると言う仮定、そして民族集団は移動しないと言う仮定なども強引である。
著者の推測では、識別できる母音数などの変異は、例えば後期旧石器時代以降の環日本海諸語(日本語、朝鮮語、アイヌ語、ギリヤーク語など)の中で長い進化過程で生じたと考えられる。従って、当時の百済語が8母音を持ち、当時の日本列島内の日本語は5母音を持っていたと言うことは出来る。
著者雑談:
上代特殊仮名遣の8母音説は国語学における定説となっている。こう考えると、いわゆる古史古伝の竹内文書などに使用されている神代文字も「上代には8母音あったはずなのに、なぜか5母音のままで上代の仮名遣いに配慮していない」ということから、そうした仮名遣いの区別がなくなった後世の偽書として否定されることになる(参考)。しかし、元々の日本語は5母音で亡命百済人が書いた『記紀万葉』だけが8母音であったとすれば、5母音の神代文字で書かれた古史古伝は偽書とは言い切れないことになる。
13 ウイルス学専門の崎谷満は「ハプログループDに属する人々は、日本語の文法の特徴である、SOV型の語順の言語を話していた」とする説を唱えている(wikiより)。
ハプログループDは日本で多数の人口を占めていて、私達が持つのはD2と呼ばれるサブグループです。地域で多少のばらつきがありますが30~40%がこのハプログループを持っています。日本の近隣集団ではDをこれだけの高頻度でもっている集団はありませんが、チベットで人口の30%程度を占めていることが知られています。このことはもともと北東アジアに広く分布していたこのハプログループが、その後ハプログループOの系統により周辺に押しやられた結果を見ているように思えます。
16 渡来人と日本人が仲良く同居出来たのは、言語、価値観、文化、生活レベルなどがほぼ同じだった為である(参考)
18 旧石器時代から縄文時代、日本列島周辺には山の民と海の民が共存し、交流し、そして通婚していた。彼らの交流から日本語が生まれたのである。
ここでは山の民を縄文人、海の民を海人族安曇氏と呼んでいたが、考古学的には区別が難しく一括して縄文人とすることが多かった。山の民がハプログループD2、海の民がハプログループC1であった。後者の男性の腕は骨太で(参考)、南回りの海沿いのルートでやってきた(参考)。また、この海の民は太平洋を越えて南米のインディオになった(参考)
19 日本語で身体に関する主な12の名詞は上古から1300年程は殆ど変わっていなかった。日本語の方言の観点から見ても、これら身体の名詞は共通して存在し、別の言い換え(代替)は粗無いようだ。日本古来の基本的な名詞と考えられ、日本に旧石器時代からの在来人も渡来人も共通して使用していたようだ(参考)
古代の関東平野は関東から東北地方を開拓する渡来人達の混住の地であり、渡来人達の争いから武士団が発生した。しかし、彼ら相互に言葉が違って通訳が要ったと言う類の伝承は無い。
また、現在の方言の観点で他地域と比較してもアクセントに特徴が出たくらいで、そんなに違いはない。また、現在の関東平野の土着の老人の言葉に東西南北の地域で方言的な違いを聞き分けられるが、同一の日本語であることは断言出来る。
江上波夫の騎馬民族征服王朝説にヒントを得た東巌夫は、日本語の元となった言語として騎馬民族の喋る古代チュルク語を想定して、末裔の言語としてウイグル語などを研究して、古代チュルク語と日本語に関係があると指摘している。
すなわち、古代の原日本語がアジア全域にまで影響していたことの傍証である。
27 漢字の起源(参考)