菊池の名字が証明する武士のルーツ | 日本の歴史と日本人のルーツ

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菊の代表的な名字である菊池と菊地のほとんどが茨城県北部から東北地方に分布しているが、菊池と菊地のルーツは、肥後国(現在の熊本県菊池市)で、この地の武士が菊池を名乗ったのが始まりであるとされている。菊池氏は武力に優れて大いに活躍したが、後醍醐天皇の南朝方に付き、東北地方にまで派遣され戦ったが負けて、東北地方各地に散った菊池氏の一部が菊地に変えたとか!また、幕末の会津藩の家老の西郷頼母と薩摩藩の西郷隆盛は同族でルーツは肥後国の菊池氏であった。

実は、北関東から北へ会津・仙台あたりの幕末の戊辰戦争の戦場になった地域と、明治初期の大規模な不平士族の反乱の地の佐賀・福岡・熊本・宮崎・鹿児島の地域とも一致し、そして、日本語の方言のアクセント分布に着目すると、無アクセントの地域が九州中央部と北関東から会津・仙台あたりの二つの地域になっている。

すなわち、九州中央部の人達と北関東から北へ会津・仙台あたりの人達が武力に優れた武士達の地で、気質や価値観が共通していたと考えられる。だから、九州の菊池氏が北関東から北へ会津・仙台あたりの地域に定住出来たと考えられる。


参考

① 「菊池」さんと「菊地」さんが分かれた歴史的経緯

BEST TIMES(2018.11.28、参考)

文/高信 幸男

日本全国に数多ある名字に高校生の時から興味を持ち、研究を始めた高信幸男さん。自身が全国を行脚し出会ってきた珍名とそれにまつわるエピソードを紹介する。

■「菊」が入っている名字


11月は、全国各地で菊まつりが行われている。菊は、天皇家の紋章にも使用されているなど、日本人にとても馴染みのある花である。日本にも野生の野菊が自生していたが、今日のような菊は中国が原産で、平安時代に日本に伝わったとされている。天皇家の紋章に菊が使われるようになったのもこの頃からで、当時、後鳥羽上皇が大の菊好きであったからとも言われている。

名字の中でも、菊のついたものは菊池・菊地(きくち)や、菊一(きくいち)・菊入(きくいり)・菊子(きくこ)・菊崎(きくざき)・菊水(きくすい)・菊次(きくじ・きくつぎ)・菊妻(きくづま)・菊名(きくな)・菊盛(きくもり)・菊地原(きくちばら)などたくさんある。

菊の代表的な名字である菊池は全国に約29,000軒あり、菊地は約32,000軒ある。そのほとんどが茨城県北部から東北地方に分布している。菊池と菊地のルーツは、肥後国(現在の熊本県菊池市)で、平安時代に肥後国菊池郡の武士が菊池を名乗ったのが始まりである。菊池氏は武力に優れ、大いに活躍した。南北朝時代には後醍醐天皇の南朝方に付き、東北地方にまで派遣され戦ったが負けてしまう。その時、東北地方各地に散った菊池氏の一部が、菊地に変えたと言われている。理由は、「このまま菊池を名乗っていては敵から追われ命が危ない」と感じ、「池」を「地」に変え菊地にしたとされている。「地」の「つちへん」を武士の「士」に見立て、今は農民になり身を潜めているが、やがて再び「士(武士)」に「也(な)」り活躍するとの意味が込められている。


②-1 九州中央部と北関東から北へ会津・仙台あたりの無アクセント分布(参考)

日本語のアクセント分布を見ると、大部分は京阪式アクセントの地域と東京式アクセントの地域に分類されるが、北関東から北へ会津・仙台あたりが無アクセントの地域となっている。すなわち、北関東周辺以北は多民族の文化が融合したと考えられる。九州中央部にも無アクセントの地域があるが、同様に説明できそうである。

実は、薩摩藩の西郷隆盛と会津藩の西郷頼母のルーツが九州肥後の菊池氏であった(参考)。また、明治維新の前後、戊辰戦争の戦場となった新潟・福島・山形・仙台などを中心とした地域、佐賀の乱から神風連の乱そして西南戦争の戦場となった佐賀・福岡・熊本・宮崎・鹿児島の地域が、この二ヶ所の無アクセントの地域にほぼ一致する。


荒唐無稽な神話時代の物語と思われて来た日本書紀の神功皇后の時代に遡ると、穴門豊浦宮に滞在していた神功皇后と仲哀天皇を九州の熊襲と朝鮮半島の新羅が連合して来襲したが追い払い、次いで熊襲を征伐し、さらに海を渡って新羅征伐に向かったことを思い出す(参考)。そして、東国の武士は新羅からの渡来人であった(参考)。


さらに弥生時代に遡ると、九州中央部からは銅剣などの武器類が大量に出土し、吉野ヶ里遺跡の様な環濠集落跡が多く発見され、争いが絶えなかったようだ(参考)。




②-2 九州中央部(熊襲の国)と朝鮮半島(新羅)は同族であった

呉から九州へ渡来した呉系弥生人と朝鮮半島の新羅人は共に男性遺伝子(Y-DNA O2b)を持っていた(参考)。


②-3 弥生人の渡来ルート(参考)


②-4 九州と朝鮮半島に渡る呉系弥生人(参考)



②-5 武士達は呉の太白の末裔(参考)



③ 薩摩藩の西郷隆盛と会津藩の西郷頼母のルーツは熊本県の菊池氏で、同族であった