薩摩の西郷隆盛と会津の西郷頼母は同族だった!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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幕末の会津の筆頭家老の西郷頼母は薩摩の西郷隆盛に、同族のよしみで子供の世話を依頼する手紙を送っているとか!

会津の西郷氏と鹿児島の西郷氏は遠い昔に熊本(肥後)の菊池氏がルーツと言う程度の関係のようだ。途中に養子が入っている場合もあり、遺伝子的なつながりははっきりしない。

例えば、ややこしいことに西郷頼母の西郷氏には保科氏からの養子が入っており、西郷頼母は保科頼母と名乗っている時期もある。その保科氏の嫡流には徳川家光の異母弟の正之が養子に入って、初代会津藩主保科正之を名乗っている。


雑談
著者の妹の子すなわち甥っ子の父方のルーツは群馬県あたりであるが、西郷隆盛の妹の末裔を自称している。しかし、彼らの親戚の叔父さんは福島県の出身であった。西郷頼母の関係を疑い質問したが、よく分かっていない。どちらをルーツにしても、さらに遡れば同族になりそうだ。ちなみに、祖父は宮内庁に勤めていた。


参考

① 国宝の武家文書群「島津家文書」内書状 西郷頼母の手紙 大河ドラマで注目再燃

福島民報社(2018.5.5、参考)


旧薩摩藩主島津家に代々伝わる大規模な武家文書群で国宝に指定されている「島津家文書」には、戊辰戦争後、会津藩家老だった西郷頼母が鹿児島藩大参事の西郷隆盛に宛てた手紙が含まれている。戊辰戦争150周年の節目とNHK大河ドラマ「西郷どん」の放映が重なり、改めて注目を集めている。

手紙は島津家文書の中の約20通の手紙などからなる「達書・書状等一括」にある。頼母は1871(明治4)年5月21日の日付で「必定御同宗と拝し奉り候(きっと同族であると敬意を示します)」と前置きし、戊辰戦争の鶴ケ城籠城戦などを踏まえて自己紹介した上で、同族のよしみで、函館から東京に行くこととなった息子吉十郎の学費の援助を願い出ている。

島津家文書は平安時代後期から明治時代初期まで受け継がれた藩政文書、系図、絵図などからなり、2002(平成14)年に国宝に指定された。

頼母が隆盛に宛てた手紙が含まれている理由について、文書を所蔵する東大史料編纂(へんさん)所の山本博文教授は当時の隆盛が鹿児島藩大参事を務めていた点を踏まえ、「私信ではあるが、隆盛が藩政に携わる立場として受け取り、文書に保管したのではないか」とみている。隆盛は西軍(新政府軍)に最後まで抵抗した庄内藩に寛大な処置をするなどし、東軍(旧幕府軍)側からも慕われていたと指摘し、「頼母が息子の教育を心配し、助けを得るには新政府で重要な役割を果たすであろう隆盛が適任と判断したのだろう。隆盛を慕う思いが伝わる」としている。

同編纂所で手紙の原本を確認した歴史家の伊藤哲也さん(さいたま市)は「会津藩家老の手紙で国宝に指定されている唯一の史料で、戦火を逃れて存在する大変貴重な書状だ」と評している。

■西郷頼母書状・一部訳

ここ数年、ご尊名を伺っておりましたが、御意見を伺ったこともありません。景気の節、ますます御健勝でいらっしゃるとお祝いを申し上げます。

…我が家の遠祖の出身は西国であります。きっと同族であると敬意を示します。…去る辰年(慶応4年)、旧会津藩が新政府軍に攻められた時、自宅は焼け、家族たち皆が国難により自刃しました。幼い息子(吉十郎)は藩主のお供で、会津若松城内におりました。私が籠城中、(容保から)用事を命じられると共に城を出て、箱館に渡航しました。… …今年の春、(息子が)東京に参りました。如何に生活していくか、戸惑っている身です。(息子の)勉学などにも手が回りません。何分にも困り果てているという事情でございます。

…せめて我が子を天下の英雄に託したく、他ならぬその人を尋ねた次第です。同じ一族の中、貴君(西郷隆盛)に任せることができました。そのこと、実に天の恵みと申しましょう。戊辰戦争の次第はお互いの藩主のためとして、罪を軽くしてくださいました。同じ先祖をもつ者を見捨てられるということはないでしょう。

何卒、現状を理解された配慮をいただきたいのです。我が子について、貴方に似ていない他人と思ってください。… このことを聴き入れ下されば、父子の幸福もこれ以上のものはございません。…  匆々拝白 5月21日二伸、…学費が賄えるよう何分にも力添えいただきたくお願いいたします。再拝。(伊藤哲也訳)


② 肥後守護菊池家がルーツ(参考)

肥後守護職菊池家庶流西郷氏の末裔が薩摩に移って西郷隆盛へ。肥後西郷氏から末裔が肥前諫早をへて三河西郷氏へ。会津藩家老西郷頼母は三河西郷氏の一族。


③ 会津の保科氏(参考)

西郷頼母は会津藩の筆頭家老で保科を名乗り、また会津藩初代藩主の保科正之は徳川家康の孫、第3代将軍・徳川家光の異母弟である。

実は西郷頼母の祖先の西郷氏に保科氏の末裔が養子に入っている。保科氏の嫡流には徳川家光の弟の正之が養子に入っている。