三韓について | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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3世紀から4世紀の朝鮮半島の国、馬韓、辰韓、弁韓について確認する。

・馬韓の多数派は後の百済人、すなわち秦氏(倭人と同族、D2)と考えて良く、百済が滅亡後は百済人は日本列島に亡命することになる。これを百済系渡来人と呼ぶ。

・辰韓の支配階級は馬韓人や倭人である。秦からの移民と呼ばれるのは、この馬韓人のことである。新羅勢力(O2b、O3)が台頭するに従い、支配階級は日本列島に亡命する。

・弁韓は馬韓とは異なり、辰韓に近いが、後に倭国支配の加羅(任那または伽耶、参考)となり、後に新羅に滅ぼされる。

この辺の加羅の時代が神功皇后の三韓征伐の時代であり、新羅勢力の台頭に伴い、加羅から辰韓(新羅)辺りの支配階級だった秦氏を日本列島に招いた。応神天皇とこの秦氏を新羅系渡来人と従来呼んでいる。

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3世紀から4世紀の三韓時代

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4世紀末から7世紀後半

7世紀末、統一新羅になった時点で、滅びた百済、高句麗などの支配階級は皆、日本列島に亡命した。彼らは皆、倭人と同族の秦氏(D2)であった。


参考

① 百済国が存在した前後の朝鮮半島の歴史(参考)

中国の東北地方では、ツングース系の夫余族(扶余族。ふよぞく)がB.C.37年頃(?)に高句麗(こうくり。B.C.37?~668)を建国した。高句麗は次第に朝鮮半島北部へ進出し、313年楽浪郡を滅ぼして、同地を領有した。第19代王・広開土王(こうかいどおう。好太王。こうたいおう。位391~412)の時、領域は朝鮮半島中部にまで及び、次の長寿王(ちょうじゅおう。位413~491)の時、首都を丸都城(がんとじょう。現在の中国吉林省集安。鴨緑江(おうりょっこう)中流)から平壌(ピョンヤン)に遷都し(427)、高句麗の全盛期を迎えた。

朝鮮半島南部では、アルタイ語系ともいわれている韓族が、3世期頃、馬韓(ばかん。西南部。)、辰韓(しんかん。南東部)、弁韓(べんかん。馬韓と辰韓の間)の三韓をおこした。三韓はそれぞれ小部族国家群をおこしていたが、4世紀半ばに統一が進んで、馬韓は百済(くだら。ひゃくさい。345頃~660)となり、辰韓は新羅(しらぎ。しんら。356~935)、弁韓は加羅(から。任那。にんな。みまな。伽耶。かや。4C後半~562)となって成立した。加羅は日本・大和政権の半島進出の拠点ともなったが、562年新羅に滅ぼされ、結局朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の3つの大国を中心に形成された(三国時代。~7C)。

中国・隋(581~618)の時、皇帝煬帝(ようだい。位604~618)は、3度の高句麗遠征を強行した(第1回610、第2回612、第3回614)が、高句麗によって阻まれ、遠征は失敗した。次の唐(618~907)の高宗(位649~683)は、新羅の武烈王(ぶれつおう。太祖。位604~661。)と組んで、660年百済の首都泗沘城(しびじょう)を陥落させ、百済を滅ぼした。百済の遺民は日本に再興の援助を求め、663年、日本の水軍は朝鮮へ赴いて唐・新羅の連合軍と錦江(きんこう)河口の白村江(はくそんこう。はくすきのえ。)で戦い、大敗し、日本の朝鮮政策は挫折した(白村江の戦い)。さらに唐と新羅の連合軍は高句麗も滅ぼしたが(668)、その後は唐と新羅との間に、7年近くにわたって抗争が続いた。676年、新羅は唐勢力を一掃し、朝鮮半島を統一させた(統一新羅樹立)。統一後、慶州(金城。きんじょう。)に都を置いたが、慶州は仏教文化が大いに栄え、仏教寺院の仏国寺の石造多宝塔や、石窟寺院の石窟庵(せっくつあん)など、多くの傑作を残した。また半跏思惟(はんかしゆい。足を組んで、手を頬に当てて考える姿)に代表される金銅仏は、日本の飛鳥文化にも伝わった。また体制は律令制度を主とし、郡県制を採用、また骨品(こっぴん)と呼ばれる身分社会制度を確立し、平和がおとずれた。しかし8C後半から王位継承をめぐって内紛が激化し、地方の有力豪族は後百済(892~936)・後高句麗(901~936)をそれぞれ興し、新羅・後高句麗・後百済の後三国時代になっていく。


② 馬韓

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③ 辰韓

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④ 弁韓

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⑤ 百済人は倭人と同族(参考)


⑥  百済人は秦の末裔で、倭語をしゃべった(参考)


⑦ 百済人のルーツはヘブライ語を喋り、その末裔が応神天皇(参考)


⑧ 三韓時代以前の朝鮮半島、衛氏朝鮮

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春秋戦国時代の燕の末裔(O2b)の亡命人の国で、日本列島の九州の倭国に製鉄技術をつたえた(参考)


⑨ 男性Y-DNA遺伝子について、秦氏、斉系弥生人、縄文人がD2、海人族がC1(参考)、呉系弥生人、燕系弥生人がO2b、越系弥生人がO2a(参考)、漢民族、新羅系がO3とO2b。

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10 4世紀末、神功皇后の三韓征伐と好太王碑(参考)


11 三韓征伐は鉄資源の確保が目的では無い(参考)