タミル語ゆかりの日本語は九州弁に相当?! | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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大野晋先生の研究により、タミル語は稲作に関わる語彙について特に日本語に関わりがあることが指摘された。弥生時代に稲作の故郷である揚子江流域から日本列島(特に九州)に渡来した稲作農民(呉系弥生人Y-DNA O2b、越系弥生人O2a)の言葉であろう。このタミル語は文法・テニヲハは日本語と全く同じの膠着語であった。

著者は、原日本語は東アジア全域に広がるY-DNA D2を持つ秦氏、羌族、扶余族(百済人、参考)の北方アジアの膠着語であることを既に指摘した(参考)これに文法が同じ膠着語の揚子江流域の稲作農民Y-DNA O2の言葉が弥生時代の日本列島で融合したことになる。共に膠着語ということで、さらに過去に遡る2、3万年前は同じ祖語にたどり着くことが推測される。

稲作農民であった渡来系弥生人の日本列島の最初の上陸地としては、九州の西半分の水田地帯、すなわち筑後平野あたりが想定可能である。傍証として、タミル地方と北九州の間のよく似た埋葬様式として弥生時代の甕棺墓がある(参考)。また、この辺りには徐福の上陸伝説も残っている(参考)。

まとめ

日本語の故郷としては四つの地域が想定出来、①橙色が扶余から百済経由で日本に渡来した関西弁、②黄色も同じく山の民と海の民から成立した日本列島内の縄文系の言葉、③ピンクが秦氏+羌族の東アジアの言葉、そして④水色がここで検討した揚子江流域から北九州に渡来する稲作農民の言葉に、それぞれ相当する。

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参考

① タミルの稲作の陸上伝播説(参考)

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② タミル語入門1 これほど日本語に近いとは知らなかった(参考)

日本語と言葉の順番が同じで、文化的にも近い言語は、多くはない。日本語に近いのは、チベット語、アイヌ語であるが、それ以上にタミル語である。朝鮮語は日本語とはかなり遠い。

サンスクリットが入る前のインドは、日本と文化的に近い。祭りで山車を曳いて回るのも似ているし、それを海の中に流すのも似ている。日本でも私が知る範囲で少なくとも長崎と青森では、祭りの山車を海の中に流していた。

DNAからみても、Y遺伝子でD2という縄文人の遺伝子が、おそらくインド南部を通って海沿いに東へ広がっている。なお、インド南部には甕棺の時代があるが、日本にもある。これは朝鮮にはない文化である。

大野晋の「日本語はどこからきたのか ことばと文明のつながりを考える」中公文庫
は、古代タミル語の単語との対応を示している。古代というのは、紀元前200年から紀元後200年頃のサンガムという、万葉集に相当する歌集の単語を基礎にしている。

大野晋氏は、遺伝子から見て、これほど対応があるとは知らなかったのではないか。


タミル語の構造は、ほとんどアルタイ語と同じで、すべて日本語と同じである。
助詞は、日本語と完全に対応し、細かい言い回しも同じである。

以下省略


③ 久留米の方言(参考)

久留米の方言は北筑後方言で、共通の多い南筑後方言や筑前方言・肥前肥後方言と共に肥後方言に属しています。特徴としてバイ、タイ、カイ、ケン、クサイ等が普通に使われています。

過去の歴史で久留米では方言を無くす運動もあったそうですが、現在は方言とはその地域の特色や住む人の心情が通じるものということで使われています。

一般的に筑後弁という場合、福岡県筑後地方全体の方言を総称する場合(筑後方言と同義)と、筑後地方北部の久留米市や筑後市を中心とした地域で使われる方言(久留米弁)をさし、久留米弁は大牟田市で使われる大牟田弁とはイントネーションや単語などに違いがみられるますが、佐賀県鳥栖市の方言とは良く似ています。

方言の例と標準語

「7時までには来るたい」⇢「7時までには行きます」
・「どんこんしようなか」⇢「どうしようもありません」
・「こちょぐる」⇢「くすぐる」
・「ほんなこつ」⇢「本当のこと、本当に」
・「でけん」⇢「駄目」
・「すらごつ」⇢「嘘、虚言」
・「しぇからしか」⇢「気ぜわしい」「煩しい」
・「しょんなか」⇢「しょうがない」
・「なんばしよっと?」⇢「何をしているの?」
・「それ、よかね」⇢「それいいね」
・久留米弁は博多弁や佐賀、筑後弁も使われていると思います。

例はごく一例でまだたくさんありますし、お年を召した方の方言は私でも聞き取れないときがあるほどです(笑)

この中で「よか」は使い方がとても特殊で「いいね〜」という意味で使われるときもあれば、「せんでよか!(しないでよい)」という使い方あるので言い方で内容が異なる時があります。

これわかるかな?「つ」ができる

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上記、写真のように転んだりして、すり傷などが治ってきて『「つ」のできとー』と言うと嫁さんが何それ!?と言われたことがありました。

標準語では「かさぶた」というのですが、私は小さい頃から「つ」と言っていました(笑)もしかするとこの記事を読んで同じように「え?!『つ』じゃないの!?」と思われる方もいるかもしれません。

ずっーと前に福岡県久留米市出身の藤井フミヤさんも「つ」と言っていたと掲載されていました。

これが通じるのは九州地方の限られた地域のようです。

日本国語大辞典によると、かさぶたのことを「つ」と方言で採録されている場所は佐世保市、熊本県、鹿児島県のようです。

「かさぶた」を「つ」と表現した由来には複数、説があるようです。
・「ち(血)」の後にできるから、「つ」
・「痛(つう)」からの変化
・固いものを「つぅ」と呼ぶ肥後弁(熊本)からの影響(その語源は固い虫のことだとか)

ただし、どれも俗説の域を出ず、確かなことは分かっていません。


「血(ち)」の後にできるから「つ」という説には正直、吹き出しそうになりました(笑)


③ アクセント分布(wikiより)

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九州西半分の筑前の東京III式アクセント、無アクセントそして九州二形式アクセントの地域(九州二形式アクセントは縄文人、東京III式アクセントは秦の影響が考えられる)


④ 日本文化の原点-日本語の起源の研究がつきとめたインドとの接点

(大野晋先生のタミル語研究、参考)

前半省略

日本語と同じ文法構造をもつ言語としては、アルタイ語がある。アルタイ語とは、ツングース語・モンゴル語・トルコ語を包含する言語群である。従来、日本語はアルタイ語に属するといわれてきたが、文法上の共通性の他に基礎的な単語の共通性が発見できなかった。氏の研究によると、文法構造の共通性、助詞・助動詞の音韻法則の対応、単語350語以上の共通性をひっくるめて考察したところ、日本周辺のアイヌ語・朝鮮語・トルコ語・中国語などどれ一つとしてあてはまる言語はなかったという。唯一上の条件をすべてそなえている言語があった。それがタミル語であった。インドの最南端に、現在5000万人の使用人口をもち、BC200~AD200年間の、詩2400首を持つ言語である。タミル語は、日本語との間に500の対応語を持つが、それだけではなく朝鮮語との間にも何百という多数の対応語を持つことがわかってきている。

また、弥生時代の北九州の水田耕作・金属(鉄)・機織・大規模な特異な墓地の造営という四つの文明要素が、BC1000年~AD300年にわたる南インドのタミル地域の巨石文化(Megalithic Culture) の文明要素と共通であることも判明した。また、その時期の土器の表面に付けられている記号文 (Graffiti) に、何百という全く同形の記号が共通に存在することもわかった。BC1000年に、既に南インドに日本の原文明が存在したことになる。

どのような歴史があったのか、今の段階では判然としない。しかし、言語という人間の文化と切っても切れない根本的な要素を研究した結果判明した事実は、多くの示唆に富むものである。

大野晋氏は、古代日本語とタミル語との間には、さまざまな単語につよい共通性が見出されるという。カミ(神)、マツル(祭る)、ハラウ(祓う)、ノム(祈む)、などの宗教史上で重要と思われる単語、コメ(米)、アハ(粟)、モチ(餅)、ナへ(苗)、ハタケ(畑)、タンボ(田)、アゼ(畔)、クロ(畦)、ツク(搗く)などといった農耕の基本に関わる単語、アハレ(哀れ)、スキ(好き)、モノ(物)、コト(事)、などの思想史上の重要語、テ(手)、アシ(足)、ハ(歯)、ワタ(腸)、ホト(女陰)などの人体語等々500に達する対応語が見出された。これは、従来どこの言語のとの比較でも見つかっていないものであった。(「日本語の形成」2000のあとがき)

私は、言語学については全く素人であるが、氏が語られる古代日本語とタミル語の類似性について、氏の見解を少し紹介する。言語の対応性については、一見相違が大きいように見えるものもあるが、これは厳密な「音韻の対応」という言語学的な吟味を経ているものだそうである。また、証拠となる資料は、タミル語の最古の歌集サンガム(BC200~AD200に成立)から採ることを原則とし、日本語については記紀万葉から平安時代の作品群にまで及ぶ中から採り、言語の対応を検証されている。

①カミをめぐることば

1-1、マツル  日本語「祭る」(mat-uru) 、 タミル語(maţ-u)。 飲ませるあるいは食わせるの意。日本語の「祭る」の本質は、神に「飲ませる、食わせる」ことであるから、同じ意味に当たる。派生語として、タミル語に(maţ-ai)という言葉がある。この言葉は、現在でも日常使う言葉で、小さい神々あるいは木とか岩とか山とかに対する捧げものをいう。

1-2、ハラフ  日本語「祓ふ、払ふ」(har-aufar-afu)、タミル語(par-avu)。「おはらい」とは今日でもけがれ・邪悪などを払いのけるために、神社などで行われる行事・神事である。古代、「ハラへ」は、既に生じたあるいは生じるかもしれないケガレ・ワザワヒを無くすために、事の度合いに応じて神や相手に物を差し出し、罪過穢災を捨て去り、また吉事を招くためにする祈りごとであった。タミル語の(par-avu)は、神に祈る。敬意を表す。神を讃える。歌う。物をひろげる。物を差し出す、の意。(par-avu)は、過去の罪を消して吉事を求める際や、将来の吉事を求めて行う行為である。その時、言葉を申し上げたり、神を讃える歌を歌ったり、物を捧げたりする。

1-3、コフ  日本語「乞ふ」(kÖf-u)、タミル語(kūpp-u)。日本語では、「神、仏、主君、親、夫に対し、人、臣下、子、妻などが祈る。祈って何かを求める」ことである。タミル語のkūpp-uは、儀礼の時に手を合わすの意。●柔らかい指を合わせて祈り(kūpp-i)、家に住む神様に差し上げよう、食物を<Akam.282>

1-4、バカス  日本語「化かす」(bak-asu)、タミル語(pak-aţţu)。日本語では、「悪魔が人をだまして、その人を意のままにし、ある場所から他の場所へ連れて行ったりする、また比喩。惑わす、又は欺きだます(1603年の日葡辞書)」。タミル語では、「魅惑する、魂を奪う、誘い込む。脅かす、威嚇する、目的を達するために脅かす、の意。●盲人の姿であなた一人が化けて(pak-aţţāl)脅かす(pak-aţţuvatu)のはよくない<Tāyumānavar.tēcō. 9>(18c)

1-5、ミ  日本語「み(接頭語)」(mi)、タミル語(mī)。日本語では、み空・み山などと使われるように「高い天の」という意味をもつ。タミル語では、「天空。偉大、権威。高所。頂上」の意味を持つ。

2、日常生活の用語

(耕作地)①、畑 日本語(fat-akë)、タミル語(paţ-ukar)。②田んぼ 日本語(tamb-o)、タミル語(tamp-al)。③畦 日本語(az-e)、タミル語(acc-u)。④泥 日本語(sir-ö)、タミル語(cēr-u)

(作物・食品)①、稲 日本語(in-a)、タミル語(ēn-al)粟。②早稲 日本語(was-e)、タミル語(pac-u)果実の未熟。③粟 日本語(af-a)、タミル語(av-ai)臼の中で粟をつく。④米 日本語(köm-ë)、タミル語(kum-ai)臼の中で軽くつく。⑤粥 日本語(kay-u)、タミル語(kaļ-i)。⑥、餅 日本語(mot-i)、タミル語(möt-akam)。⑦、穂 日本語(fö)、タミル語(pü)花・穂の意。

よく似ていることだけは確かである。さてどんな歴史があったのであろうか。

以下省略