漢字と漢文は元々は、それぞれ真名、真名文と呼ばれていた! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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現在、日本の文字の漢字は漢字(かんじ)と呼ばれ、漢字だけで書かれた古文は漢文(かんぶん)と呼ばれている。

だから、中国人の先祖の漢民族が漢字を発明したものを日本人が輸入して使っていると、現代の日本人も中国人も韓国・朝鮮人も信じている。

しかし、元々、漢字は漢民族が発明したものではなく、さらに古くから文字が存在し、秦の始皇帝が書体を統一したとされている。

日本で漢字を漢字(かんじ)と呼ぶようになったのは13世紀(鎌倉時代)以降であった。それまでは真名(まな)と呼び、漢字だけの文章の漢文は真名文(まなぶみ)と呼んでいた。そして、記紀によると書物が5世紀の百済から渡来したとされるが、文字はそれより前から存在した。

漢字の音読みは、中国に伝来していたインド仏教のサンスクリット語のお経の漢訳したものを読むために導入されたもの。漢字が作られた当時の読みでは無かった。

また、多くの漢文の文体が中国語のようなSVO形式の屈折語のように見えるのは、漢民族が書いた漢文の他、インド仏教経典を中国で漢文のお経に翻訳したものを輸入せざるを得なかった為と考えられる。それまでの日本には和風のSOV形式の膠着語の文体のものがあった。


雑談

現在の漢文と呼ばれるものは中国語の古文と言うより、どの国からも求められたインド仏教の経典を記述する汎用言語として、そして異民族との文通のための言語として完成したと考えた方が適切である。インドの言葉がインド・ヨーロッパ語族であり、現代中国語もよく似たSVO形式の屈折語であることから、漢文の由来に誤解を生じたのである。


参考

① 漢字はどうして漢字というのですか?(漢字文化資料館より、参考)

漢字の起源は紀元前1300年ごろまでさかのぼることができるとされています。漢王朝は、紀元前2世紀から紀元後2世紀までの約400年間、中国を支配した王朝ですから、漢字の歴史は漢王朝よりもずっとずっと古いのです。

日本では、ひらがなやカタカナが生まれて初めて、中国から渡来した文字を特別に指すことばが必要になってきます。当初、「仮名」に対して漢字のことを「真名(まな)」と呼んでいたことは、国語の時間に勉強した方も多いことでしょう。小学館の『日本国語大辞典』によれば、「漢字」ということばが使われ出すのは、13世紀ごろのようです。


②-1 漢文は真名文(まなぶみ)と言われた



②-2 真名 まな (コトバンクより)

日本においてかなに対して漢字を呼ぶ名称。非公式の私的なものという意味のかな (カリナ→カナ) に対して,本来の正式の文字という意味であり,真字 (まな) ,本字 (ほんじ) ,男手 (おとこで) ともいう。この真名 (漢字) を意義とは無関係にかなとして用いたものは真仮名という。


③ 秦の始皇帝は既に漢字の書体を統一して漢文を書いていた(参考)。

この時点では未だ漢字とか漢文とは呼ばれてなく、真名、真名文と呼んだ方が適切か!

また、真名に対する仮名も同時に、または先行して作られたと考えられる(参考)。


④ 日本語の起源(参考)

秦の始皇帝の末裔の秦氏など文字を使った渡来人達は原日本語を喋った。


⑤ 定説での漢字の伝来

遅くとも紀元3世紀頃には、日本人の中には、なんらかの形で漢字を使うことのできる人々がいたと推測されています。「5世紀」というのは、『古事記』や『日本書紀』には、応神天皇の15年に、当時、朝鮮半島にあった百済という国から王仁という人がやってきて、『論語』と『千字文』という書物を初めて献上した、と記されています(参考)。

しかし、「読む、書く、記す、文、認める」は大和言葉(訓読み)で「よむ、かく、しるす、ふみ、したためる」とするのは、漢字が中国から伝来したとされる前から大和言葉に特有の何らかの文字と文書が有ったことを示唆している(参考)。すなわち、神代文字、または真名文、真名仮名混じり文などが既に存在していたはずである(参考)。


⑥ 漢字の音読み(参考)

仏教のお経を読むために導入され、漢字には、いろいろな読み方がある。秦の時代以前の漢字のオリジナルの発音では無い!

■呉音・・・主に百済人によつて伝えられた中国南方系の読み方。
■漢音・・・奈良~平安時代に伝えられた中国北方系の読み方。
■唐音・・・主に鎌倉時代に伝えられた江南浙江地方の読み方。


⑦ 仏教漢文、後漢から隋あたりの仏典を翻訳する為に、いわゆる漢文が発達した(参考)


後漢より隋までの梵語等の西域諸国から漢語に翻訳された仏典を読解するために,必ず知っておかなければならない魏晋南北朝漢語語法につき,その基本的な事柄をまとめたものである。

仏典漢訳の時代区分の,古訳(後漢~西晋)と旧訳(東晋~隋)にあたる。この時代の漢訳仏典こそが,わが国の仏教各派の所依・傍依の経典となっていることが多いからである。


⑧ 漢字仮名交じり文、漢字万葉仮名交じり文

中国語のような屈折語のSVO形式の漢文は漢字だけで構成され、送り仮名とか助詞の仮名は必要ない。

しかし、漢字を無理やり日本語に当てはめる為に送り仮名や助詞の仮名が作られた訳ではない。元々からオリジナルであったと考えられる。例えば、SOV形式の膠着語として日本語と古代エジプト語は関連するが、ヒエログリフが表意と表音の機能を持っている(参考)。


⑨ 和風な文体の漢文の存在

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘、文体は和風を交えながらも漢文に近い(wikiより)。また、群馬県の上野三碑には和風な文体の碑文が書かれている(参考)。さらに、徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代歴記」がやはり和風の文体となっている(参考)。


10 和風の漢文、、、本来の真名文(まなぶみ)




11  漢文は秦の始皇帝が作った東アジアのエスペラント語であった(参考)


12 漢文は中国語の古典では無かった!