漢字のルーツの甲骨文字を発明した殷人がやはり漢文訓読法を作った | 日本の歴史と日本人のルーツ

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漢文は高校で習うが、中国語と同じSVOの屈折語であるが、文法は単純であり、過去、現在、未来の時制もない。これに対し、日本語がSOVに助詞がある膠着語で、現在の北京語では北方民族の影響でSVOとSOVが混在している!

この漢文は漢文訓読法と言う文法で語順を入れ替えて訓読するが、漢字を訓読みして日本語の文法で読み上げることで、格調高い日本語の文章に変換される。この変換作業について、この漢文が呉音で理解する呉人によって読まれるのか、漢音で理解する漢人によって読まれるかを考慮する必要はなく、元々、音読みは考慮されていない。

これに対し、英文和訳の場合、イギリス英語とアメリカ英語では同じ単語でも発音や意味、ニュアンスが異なるし、日本語に直訳しても幼稚な日本語文にしかならない。

漢字のルーツの甲骨文字を作った殷人は縄文人と同族で原日本語を喋っており、甲骨文字にも音読みと訓読みがあった。だから、殷人が甲骨文字から初期の漢文を作った段階で、文法として予め漢文訓読法を作っておいたと考えられる。

ちなみに、応神天皇の15年に、百済から来日した王仁によって『論語』と『千字文』がもたらされた時、すでに訓読の方法があったという説があるが、真実と考えられる。また、中国周辺の古代の朝鮮、契丹、ウイグル(テュルク諸語、参考)などの国々でも同様な訓読法があったようだが、日本語と同じ語順の膠着語の文法体系であり、殷で作った漢文訓読法を各国に移植したと考えられる。


雑談

漢文訓読法で格調高い日本語に変換できる古代中国の漢文や漢詩の原作者は、元々から漢文訓読法を完璧に熟知した殷人の末裔であった可能性が高い。

中国最初の歴史書の史記を書いた司馬遷は殷の系列の秦帝国の武将の末裔であり(wikiより)、原日本語を喋り、完璧な漢文訓読法の知識を持っていたと考えられる。

司馬遷(wikiより)

また、論語を書いた孔子も殷人の末裔であった(wikiより)!

孔子(故宮博物院、参考)


注意

司馬遷も孔子も目元が落ち窪み、眼窩上隆起、二重まぶたであり、福耳でもあり、まさに殷人の末裔の特徴を持っていた(参考)。


参考

①-1 漢文訓読(wikiより)

漢文訓読の形にして読解したものを漢文訓読語(かんぶんくんどくご)あるいは単に訓読語(くんどくご)と呼ぶ。漢文訓読自体は漢文が中国大陸から入るようになった古代の段階で既に存在したと考えられているが、その語形が表記されるようになったのは、9世紀頃とされている。漢文訓読語では、文章そのものには触れず、読解時に日本語の文法に合わせて上下を転倒して適切な助詞助動詞活用語尾などを補い、それ以外のものは漢語として読んでいく方法が取られる。


②-2 漢文訓読文(wikiより)

漢文訓読したものを更に日本語の文体として書き直した日本語文章を漢文訓読文(かんぶんくんどくぶん)あるいは単に訓読文(くんどくぶん)と呼ぶ。一般に訓み下し文・書き下し文とも呼ばれている。訓読したものを日本語の文章にしたものであるから文語体の仮名交文として表記され、日本語の口語文にまで直したもの(現代語訳)は含まれない。

普通は漢字片仮名交り文で書かれるが、全文平仮名文、全文片仮名文の例も存在し、漢文訓読文をそのまま引用する場合にはその原文に従って引用されるのが一般的である。また、近年においては片仮名を原文の漢字に対する振り仮名、平仮名を原文に付されたヲコト点に対して用いる訓点資料もある。

漢文訓読文は奈良時代から行われていたことが、『続日本紀宣命から推定されている。また、『枕草子』や『源氏物語』などにも漢文訓読文からの引用部分が見られる。中世以後、初学者や民衆向けに漢文訓読体で書かれた歴史書儒学書、仏教経典などが現れるようになったほか、軍記物語などにも影響を及ぼしている。江戸時代には庶民向けを中心に広く定着した。なお、明治から昭和後期にかけて公文書や新聞・雑誌に用いられた「普通文」と呼ばれる文語文(文語体日本語)は漢文訓読体の影響を受けて発達した文体であると考えられている。


①-3 日本以外での漢文訓読(wikiより)

日本において独自に発達したと考えられているが、朝鮮半島の釈読口訣や、契丹ウイグルなどにおいても同様の返り読みの試みが見られ、自国の言語で訓読的な解釈方法が行われた地域がかならずしも日本に限定されたものではなく、中心地域の権威語に対する周辺諸地域における共通の受容法ではないかとする動きもある。


② 漢文訓読はいつから行われているのでしょうか?

日本漢文へのいざない(参考)

興味ある問題ですが、漢文訓読がいつごろから始まったかは明らかではありません。応神天皇の15年(西暦284年)に、百済(くだら=当時朝鮮半島にあった国)から来日した王仁(わに)によって、『論語』と『千字文』がもたらされた時、すでに訓読の方法があったという説さえあります。

それはありえないとしても、推古朝にはすでに漢文訓読が行われていた形跡があります。奈良時代末期から平安時代になると、仮名や「ヲコト点」、返り点などを漢文に直接書き込んだ「訓点資料」が現れます。これらの「訓点資料」により、当時の訓読がどんなものであったかを知ることができます。



日本漢文へのいざない(参考)

もとの中国語音(もしくは日本漢字音)での音読はせず、いきなり訓読します。

漢文訓読では、原則として漢字(=単語)は音読みではなく日本式に「和訓」(訓読み)を用いて読みます。

訓読は漢語の文法ではなく、日本語の文法によること。

訓(訳語)は一定させること。

そのまま日本語の順序に書き下すと直訳体になること。これは直訳体であるにもかかわらず、朗朗と読み上げるのに適した堂堂たる文体になっております。


④ 殷王朝の甲骨文字には音読みと訓読みがあった(参考)


⑤ 漢字のルーツの甲骨文字を発明した殷人は縄文人と同族で、末裔は再度、日本に戻って行った(参考)


⑥ 漢文は東洋のエスペラント語であった(参考)


⑦ 日本語の起源(参考)、、、古代中国の殷の時代には日本列島から中国大陸に広く日本語が喋られていた。


⑧ 中国語の起源(参考)、、、殷を滅ぼした周が漢民族の最初の王朝であった。


⑨ 漢字の発音の変遷を古代に遡ると、漢字の訓読みも中国から渡って来たことになる