日本を含めた東夷諸国では同一の言語を喋っていた | 日本の歴史と日本人のルーツ

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魏志東夷伝に日本「倭」が含まれているのは、ひとまとまりに東夷諸国であり、皆んな古代の日本語を喋っていたからである。もちろん、日本列島に元々住んでいた縄文人も同族で、どうにか言葉が通じていたのであった。国の違いは文化や方言の些細な差異に過ぎなかったのである。

さらに、鮮卑や契丹など古代の東アジア北部の遊牧民も古代の日本語を喋り、現代の西アジアのトルコ語などにも影響が残っていると考えられる。

例外は北東アジアの隅の粛慎・挹婁・勿吉・靺鞨、、と続く民族で、特異な言語、すなわち古代の朝鮮語を喋っていた。そして、朝鮮半島の新羅は元々は古代の日本語に近い言語であったと考えられる(参考)が、高麗時代までに漢民族や靺鞨人の侵入によって、言語が変化して中世朝鮮語から現代朝鮮語になっていったと考えられる。

中国大陸中央すなわち中原では、殷王朝以来の古代の日本語文化の人々と、周王朝以来の漢民族の攻防の場であった(参考)。


参考

① 日本語は扶余語か

たっちゃんの古代史とか(2014.07.27、参考)

夫余(扶余)について気になることがあったので。

夫余系言語はツングース系とかモンゴル系と言われ、高句麗の言語も夫余と同様であると『魏志』にあります。

記録されている夫余系言語を用いた国は、ユーラシア大陸東部の東夷族のなかに多くあって、夫余、高句麗、濊、東沃沮、庫莫奚、契丹、室韋、豆莫婁といった諸国が、同一言語だったと、中国の記録から読み取れます。

しかしウィキペディアの(高句麗語)を見ると、どうしても日本語と高句麗(夫余語)はそっくりでした。

以上の東夷諸国に倭が含まれるようなのです。だから、倭が「魏志東夷伝」に含まれてたのか~と関心してしまうわけなのですけど。

この地図はウィキペディア東夷の頁にあり。

で、上記のリンクの表から日本語と高句麗語だけを抜き出し簡素化したのが以下の表。

日本語(倭語)と高句麗語(夫余語)の比較


仮に日本語が夫余語起源とするなら、二十一世紀に入って夫余系言語を受け継いでいるのは日本語だけかもしれないということになるのかと。朝鮮語の中の高句麗語由来の語彙は、早い段階で失われてるので。

一般的に日本語は数千年前から続く縄文語から続いてると言われているので、夫余系だとすると困る方がいるかもですが。

トルコ語に似てるというところもあり、やっぱり日本語はアルタイ語族なほうが強いと思うのですが。そうすると縄文語は日本語の中からほとんど駆逐されているか、アイヌが受け継いでいるということに

ということで、以下の様な2つの仮説がでました。

(1)古代の倭では、言語の入れ替えが起きている(縄文語→夫余語)

(2)北東アジアの東夷とは、元々縄文人と同一で、東夷語・倭語は共に縄文語だったので、夫余と倭の言語が一致する

2の場合、縄文人の先祖はバイカル湖付近にいたので、バイカル湖→夫余→倭という縄文人の移動経路と言語が一致することに。

しかしトルコ人がユーラシアを東アジアまで東漸した時期は紀元前500年頃?で、やっぱり日本列島には幾度も大陸人の波がおしよせてると思われるのですが。

人は新たな回答を得ても、それが自分の意向にそぐわぬ時は、新たな回答を信じない傾向があるみたいなのですが。日本には、普通の発想では到達できぬ真実があるらしいです。


② 日本語の起源(参考)、、、日本語は東アジアに広く喋られていた。


③ 東アジアの北東端の挹婁は特異な言語を喋っていたが、現在の韓国・朝鮮人のルーツであり、古代の朝鮮語を喋っていた(参考)


④ 古代の遊牧民の国、烏丸、鮮卑、柔然、契丹、東胡は殷人の後裔であり、すなわち縄文人の末裔であり、原日本語を喋った(参考)


⑤ アイヌ語は独自に発達し、オホーツク文化の影響もあり、日本語とは異なる言語となっている(参考)。津軽海峡で隔てられていたことが、大きな要因であった(参考)


⑥ トルコ語に似ているとすれば、古代の日本語が影響を与えたからであった(参考)


⑦ 日本・百済・高句麗•扶余は同一言語であった