古代の高句麗・百済の言葉は日本語と良く似ており、新羅語も近かった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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百済・高句麗の言葉は古代日本語に密接に関係があり、新羅語も日本語に近いと指摘する説(参考)がある。もちろん、朝鮮半島の研究者は古代朝鮮語に関係があると主張している。

日本語の言語資料は古事記、日本書紀、万葉集など8世紀の段階まで遡る。この時期前後に百済、高句麗、新羅と交流し、これらの国々からの民が日本に渡来して定住した。

これに対し、朝鮮語の言語資料は12世紀の三国史記が最古であり、ついで13世紀のモンゴルに支配され影響を受けた時期に三国遺事が書かれている。ハングル文字の制定は降って15世紀であった。すなわち、8世紀以降の朝鮮半島の民族変遷や政権交代の影響の可能性を排除出来ない。9世紀初めには新羅語の通訳を対馬に派遣したとの日本側の記録がある(参考)。

すなわち、言語資料的にも日本語との関連性を主張する説の方が正しいと考えられる。


参考

① 扶余語族(wikiより)

日本・高句麗語族仮説

朝鮮半島の国家、百済は高句麗の王族によって建てられ、その先祖は扶余に遡ると考えられている。 百済は後に、大和時代の日本と密接な関係を持つようになり、クリストファー・I.ベックウィズ(英語版)は、この時点の日本語には、まだ扶余との関連性が認められると指摘する。 ベックウィズは、古代の地名から140の高句麗語の単語を再構築した 。この中には、属格-の」や形容詞連体形-し」のように、日本語と機能が類似し同一起源と見なせる文法的形態素が多く含まれる。

扶余・新羅語仮説、、、現在の朝鮮地名を使って都合よく解釈している

金芳漢、ボビン、アンガーなどの研究者は、高句麗語ならびに扶余諸語を古代朝鮮語の一部に分類する。 彼らは、地名研究によって抽出された日本語に類似する単語が朝鮮半島中部に特に多いことを指摘し、これらの地名が高句麗語を反映したものではなく、朝鮮半島中部および南部における先高句麗の集団を反映したものであるとの仮説を唱えた。 朝鮮半島南部の新羅の歴史的故地に日本語に類似する地名が多く見られることについて、 研究者たちは日本語系の言語が朝鮮半島、恐らくは、その内の伽耶において話され、新羅語はその基層言語である、との理論を提案した。 アンガーは、弥生人の祖先は朝鮮半島中部ないしは南部から日本列島へ移住したのではないかと考えている。 扶余、高句麗の歴史的故地である朝鮮半島北部および満州南西部においては、日本語に起源を持つ痕跡は見つかっていない。 一方で、朝鮮語系の地名は、満州から朝鮮半島南部までの朝鮮三国全域に広がっている。

中国の歴史書によれば、扶余諸語は靺鞨などツングース諸語とは異なっていたようである。


② 高句麗の言語(wikiより)

再構された高句麗語語彙と周辺言語との比較の結果、高句麗語は中期朝鮮語よりも上代日本語との方が、類似語が見出される割合が大きいという研究がある。資料がほとんど残っていない高句麗語の復元については、『三国史記』の巻37にある高句麗の地名の表記が手がかりとされているが、それによれば、例えば「三」をミツ、「七」をナノン、「五」をウィツ、「兎」をウサグム、「鉛」をナマリ、「谷」をタンと発音していた。高句麗語で判明している数詞4つすべてにおいて日本語との間で一定の音韻的共通性が認められるとして、日本語の起源として考える研究者も存在する。


③ 百済語(wikiより)

言語や服装などが高句麗とおおよそ同じだと記している。なお新羅の言語は音節が通常子音で終わる閉音節なのに対して、高句麗と百済そして倭では母音で終わる開音節だったと考えられている。

魏書』も『梁書』の記述を踏襲したが、『周書』は、百済王の姓は夫余で、自ら「於羅瑕」と称していたこと、一方民衆はこれを「吉支」と呼んでおり、どちらも王の意味だということを特記している。


④ 新羅語(wikiより)

新羅(紀元前57年‐起元後935年)で話されていた言語である。朝鮮語の直系の祖先であると推測される。

高句麗語百済語に似ていたという見方もあるが、数詞などが明らかに異なるため、別系統の言語と考えられる。高句麗語や百済語に比べ、記録がよく残っている。古代朝鮮語と同一とみなされる場合もあるが、古代朝鮮語は百済語、高句麗語を含む呼称とされることが多い。


⑤ 古代朝鮮語(wikiより)

古代朝鮮語期はハングルが作られる以前の時期であるので、その資料は『三国史記』、『三国遺事』などの朝鮮や近隣諸国の歴史書に現れる地名や人名、吏読郷札口訣など漢字表記された資料に限られる。


三国史記(wikiより)

高麗17代仁宗の命を受けて金富軾らが作成した、三国時代(新羅高句麗百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体歴史書。朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。1143年執筆開始、1145年完成、全50巻。朝鮮側の資料として『古記』・『海東古記』・『三韓古記』・『本国古記』・『新羅古記』・金大問『高僧伝』・『花郎世記』などを第一次史料として引用したことが見られるが、いずれも現存していないため、その記述の内容には史料批判が必要である。


⑦ 三国遺事(wikiより)

13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が補筆・署名し、刊行されたと見られる。


⑧ モンゴルの高麗侵攻(wikiより)

朝鮮半島を統治していた高麗王朝に対して、モンゴル帝国が1231年から1273年にわたり繰り返し行った戦争を指す。この間、主要な戦いは6度行われ、高麗の国土は荒廃した。戦争の結果、その後約80年間にわたり高麗はモンゴル/元朝の支配下に置かれることとなる。


⑨ ハングル(한글、wikiより)

朝鮮語を表記するための表音文字である。1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」(朝: 훈민정음Hunmin Jeong-eum、略称:正音)の名で公布した。 


⑩ 李氏朝鮮(ハングル表記:이씨조선、wikiより)

1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮王朝とも呼ばれる。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。


11 現代朝鮮語(wikiより)

韓国の学会では、朝鮮語が孤立した言語でないとしたらアルタイ語族に属すであろうという考え方が主流である。ただし、テュルク語群、モンゴル語群、ツングース語群には一定の類似性があるものの、それらが共通の祖語を持つアルタイ語族であるということは今のところ証明されるめどは立っていない。歴史学の見地から考えると、百済、新羅、高句麗では言語体系が異なるという説も存在しており、『三国志』魏書弁辰伝には馬韓辰韓(秦韓)間においては異なる言語が用いられていたという記述が存在している。また、高麗王朝の支配者層はの時代にモンゴル系民族に取って代わられたため、モンゴル系言語の流入も考えられており、言語体系は定かではない。その中でも、朝鮮語はアルタイ語のうち、ツングース語族との関係が最も深いと考えられており、唯一まとまった文字資料をもつ満州語との比較研究が行われている。


12 現代朝鮮民族(wikiより)

カトリック医学大学のキム・ドンウック(金東郁)教授と慶応大学の岡本真一郎教授がHLA(ヒト白血球型抗原)を分析した結果、日本人と比較すると遺伝的な同質性が低いという結果が出ている。大阪医科大学名誉教授松本秀雄は著書『日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く』で、「朝鮮民族は強く漢民族などの影響(混血)を受けており、これは中国と朝鮮との間の、相互移民や侵入などによって、北方少数民族や漢民族との混血の機会が多く、これが民族の形成に影響した」と述べている。HLA遺伝子による調査で朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い。 血統のルーツは現代アジア民族との繋がりは薄く、ロシアのエヴェンキ族と同一性が特に多く認められている。ユーラシア大陸内陸部から朝鮮半島への集団移住により定住したものと考えられる。


13 朝鮮半島の歴史(wikiより)
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14 百済人は滅亡した秦の末裔で倭語(日本語)を喋った(参考)


15 日本語の起源(参考)


16 高句麗からも高麗王若光が渡来した(参考)


17 新羅語は朝鮮語のルーツというより、むしろ日本語に近かった(参考)


18 百済からの渡来人はお公家さん、新羅からの渡来人は東国武士になった!