日本語とアイヌ語の起源について | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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日本語の起源である原日本語は縄文人(Y-DNAハプログループD)が喋っていたと考えられている。そして、彼ら縄文人は古代中国にも活躍していた。

そして、現代日本語の直接の起源は平安時代の国風文化に遡り、さらに大陸の唐文化・百済文化・高句麗文化などに遡り、漢字の字体を統一した秦文化、漢字を発明した殷文化にまで遡る。この殷人は縄文人と同族であった。

また、現代アイヌ語はオホーツク文化など北方文化の影響があるが、かつての蝦夷の言葉であり、さらに縄文人の言葉であったと考えられている。

すなわち、縄文人の言語が現代日本語と現代アイヌ語に進化し、それも互いに縁のない孤立した言語となっていることになる。ルーツは同じ縄文人の言葉であっても、現代日本語は海を隔てた中国大陸で進化し、現代アイヌ語は日本列島の東部から北部、オホーツクで進化し、互いに交流が全く無かったことになる。

蝦夷の長、アテルイ(参考)


参考

① 日中韓の交流史   縄文人と蝦夷とアイヌの深い関係

京橋玄純のブログ(2011.11.29、参考)


「日本語もアイヌ語も共に、系統不明の孤立した言語である」というのが現代における言語学の公式見解です。日本語やアイヌ語がどの言語と親戚なのか諸説あって、いずれもそれが正しいと証明されていない現状なのです。しかし、最近では古い日本語とアイヌ語が親戚だという説が強くなりつつあります。 

「計量比較言語学」の安本美典氏は、上古日本語とどの言語が音韻と文法と単語で一番似ているのか、コンピュータにデータを入れて測定しました。そして、「上古日本語に一番近いのはアイヌ語である」という学説を発表しています。近年では片山龍峯氏も詳細な分析に基づいて「日本語とアイヌ語が共通の祖先から生まれた姉妹語であると認知される日は近い」と予言しています。彼はその著『日本語とアイヌ語』で、次のように語っています(要約)。 

現代日本語の「ハヒフヘホ」は奈良時代に「ファフィフフェフォ」であり、それより古い時代には「パピプペポ」だったと実証されている。そうしてみると、アイヌ語の「パカリ」、「パシ」、「ポネ」が各々、日本語の「ハカル(計る)」、「ハシル(走る)」、「ホネ(骨)」に相当することも頷ける。古代における「パピプペポ」発音は沖縄の宮古島にも残っていて、「骨」は「プニ」、「人」は「ピト」、「橋」は「パス」といった風である。アイヌ語に「ピラ」という単語があって、これは崖という意味である。これを色々な言葉と比べてみると、東北方言で「フィラ」が急斜面、日本の古語で「ヒラ」が坂、鹿児島方言で「ヒラ」が崖、宮古島方言で「ピラ」が急斜面なのである。 

金田一京助は昭和12年に『山間のアイヌ語』を著し、東北地方の山間に住む「マタギ」が狩りをする時だけ使う隠語が全てアイヌ語であるとしています。セタ=犬、パケ=頭、ワカ=水、サンペ=心臓、ケリ=雪靴などです。そもそも、「マタギ」という言葉自体がアイヌ語で「山にいる旦那」という意味ですから。 

金田一京助は東北地方の、知里真志保は日本全国の、地名の研究を行なったことでも有名で、日本の地名の中にアイヌ語がかなり残っていることを発見しました。北海道の地名の90%はアイヌ語から出ていますが、北海道以外でも以下の地名などはアイヌ語である可能性があります。但し、北海道以外の地名については、和語由来であるという解釈もあり、アイヌ語由来であるという解釈もあり、そのそれぞれがまた諸説に分かれるのでハッキリしたことは言えません。

・青森県の縄文時代の遺跡「三内丸山」で有名な、三内(さんない)=サン(奥から浜へ出る)ナイ(沢)=奥から浜へ出る沢 

・岩手県の千厩(せんまや)=サン(奥から浜へ出る)モ(穏、小)ヤ(陸)=奥から浜へ出る小さい陸(おか) 

・宮城県の気仙沼(けせんぬま)=ケシュエ(湾の奥の)ヌ(深い瀬)オマ(そこにある)=湾の奥にある深い瀬<気仙沼の海は明治の大津波で水深が浅くなったという記録があります> 

・秋田(あきた)=ア(豊富な)キ(油)タ(そこに)=たくさん油の湧く所 

・山形県の酒田(さかた)=サク(乾燥した低地)ア(ある)タ(そこに)=乾いた低地 

・福島県の猪苗代(いなわしろ)=イナウ(神を祀る幣)ア(ある)ウシュ(たくさん)オロ(場所)=幣がたくさん立ててある場所<磐梯山の噴火を鎮めるために幣を立てて祈ったのでしょうか> 

・岩手県の久慈(くじ)=クツ(断崖)チ(多い)=断崖の多い所 

・長野県、東北各地の軽井沢のカルイは「野草を採集する」の意(沢は和語) 

・長野県の諏訪(すわ)=シュ(鍋)ワ(円い縁)=円い鍋のような盆地 

・四国の四万十川(しまんとがわ)=シ(真に)マント(美しい)川(和語)=真に美しい川 

余談ですが、私たちが日常的に使っている言葉の中にあるアイヌ語の例を挙げると、ラッコ、トナカイ、シシャモなどがあります。 

言語学以外の分野でも、自然人類学者の埴原和郎や哲学者で古代史家の梅原猛、歴史学者の喜田貞吉らは「アイヌ・琉球人・縄文人同祖論」を展開しています。アイヌも琉球人も縄文人も、いずれも古モンゴロイドに属するという見方です。古モンゴロイドとは、氷河期にモンゴル高原から南下し、氷河期が終わると一部は大陸沿岸の島々を北(日本列島など)へ移動した人々です。彼らは、顔の彫が深く、目が大きく二重瞼で、鼻筋が通っており、口が大きく、手足が長く、毛深いという外見的特徴を持っています。 

一方、新モンゴロイドは、氷河期にも極寒のモンゴル高原に留まり、適応するために身体的変化を遂げたモンゴロイドで、大陸や韓半島から日本に渡来して弥生文化を形成しました。彼らは、顔の彫が浅く、細目の一重瞼で、鼻が低く、口が小さく、手足が短く、毛が薄いという特徴を持っています。 

日本人においては、古モンゴロイドの特徴が、アイヌや、沖縄の人に多く残っていて、次いで、東北人にもやや多い傾向があります。反対に新モンゴロイドの特徴は、近畿地方の人たちに多く、次いで関東から九州にかけての日本人に多く見られます。縄文人の大多数が弥生人と混血して今日の日本民族を形成したものの、南北両端の縄文人の一部は北海道と沖縄に移住したとみる学者が多いのです。アイヌには北から樺太アイヌ、千島アイヌ、北海道アイヌが上古からいましたが、縄文人を本州アイヌと呼ぶ学者さえいます。 

日本書紀には、朝廷の命を受けた阿倍比羅夫が658年に水軍180隻を率いて天皇に服属しない蝦夷を討ち、あぎた(秋田)、ぬしろ(能代)を占領したとあります。その後、征夷大将軍・坂上田村麻呂が794年と801年に蝦夷の阿弖流為(アテルイ)の軍を討伐したと書かれています。アテルイはアイヌ人の名前で、「水に漬けたオヒョウの皮」というほどの意味と解されています。アテルイは大阪の河内で処刑されますが、蝦夷の一部は北海道に移住し北海道のアイヌと合流したようです。この時代の北海道の遺跡からは、畑作農業の痕跡やチャシと呼ばれる砦が多数発見されています。 

また、東北遠征が行われた奈良時代から平安時代にかけて、前線基地(鎮守府)として多賀城(宮城県)や胆沢城(岩手県)が築かれましたが、そこには訳語人(通訳)が配されたと記録されています。通訳が必要ということは蝦夷の言葉が単なる方言に留まらない「外国語」で、おそらくアイヌ語だった可能性が高いとは思われませんか。 


②-1 古代中国の漢字を発明した殷人は縄文人と同族で、平安時代の頃までに日本に渡来した(参考)


②-2 遣隋使・遣唐使が交流した期間に、縄文人の同族の殷人の末裔が日本に渡来して来た(参考)


②-3 殷人の発明した漢字には訓読みと音読みがあった(参考)


②-4 中世日本語は唐の長安で喋られていた(参考)


③ パプアニューギニアの様に外界と孤立した世界では、複数の少数民族の言語に分裂する場合がある(参考)


④ 沖縄人について(参考)、、、縄文人より、むしろ揚子江中下流域の水稲稲作の弥生人の影響が大きい。


⑤ 日本語の起源、、、東アジアに広く分布していた縄文人(Y-DNAハプログループD)の喋った原日本語が起源であった