沖縄県人について | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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沖縄県には、お笑いコンビ・ガレッジセールのゴリの様に見るからに縄文系とされるアイヌ人によく似た芸能人と、中国・韓国そして九州・日本本土にも見られるイケメン芸能人が存在する。

彼らは相互に気質と価値観が大きく異なり、後者は日本人と言えども韓国や中国の人々に共感出来る部分があるようだ(注: 写真はイメージで、本人の思想信条とは関係ありません)。沖縄の基地問題などを複雑にしているのは、二者が拮抗しているからである。


① 沖縄における縄文系芸能人

山口県人にも見られる特徴の落ち窪んだ眼窩と眼窩上隆起と福耳が見られる(参考)。縄文系と言うより、矢張り中国大陸から渡来した縄文人と同族の殷人の末裔と言った方が適切である(参考)。

ゴリ(本名:照屋年之(てるや としゆき)


② 沖縄における揚子江中下流域から韓国、九州・日本本土にも見られるイケメン芸能人

山田優さんの弟、山田親之條

沖縄県の日本語は彼らの影響が特に現れていると言われている。


雑談

韓国についても2019年現在、気質と価値観の異なる右派と左派が拮抗して(参考)、両方の民意が葛藤した為に混乱しているのである。


参考

① 沖縄は中国と最も縁遠い存在なのか

子欲居的東アジア世界(参考)


2018年1月18日ブログ掲載 1月20日本ページ改訂掲載


弥生時代以降、日本列島には「弥生人」という中国大陸や朝鮮半島の住民と共通性の高い人間集団が移住して来た結果、本土の住民(いわゆる大和族)には、先住の縄文人の特質は少なくなり、そういった移住の波の及ばなかったアイヌと沖縄に縄文人の特質が残っているという説がある。


しかし、この説が正しいとしても、あくまで本土の人間との比較の話であって、アイヌや沖縄人が縄文人の生き残りという話にはならない。アイヌや沖縄に、本土が受けたような移住の波が及ばなかったとしても、本土とは違った大陸からの影響は十分あったはずである。


実際、アイヌの形成に当たっては、北方オホーツク文化の影響が指摘されているし、沖縄人にしても、その言語は確かに「日本語の方言(日本語と同系語)」とされるものの、前(*1)にも紹介したが、言語学者による次のような指摘がある。


言語の方からみたら——とくに発音の組織の面に限っていうと、沖縄のことばは、日本語じゃありませんね。日本全国の方言をみてみると、あそこだけしかないものが、あるわけです。しかも、その特徴は全部、大陸の、なかでも沖縄と相むかいになった長江(揚子江)下流域の言語だけと共有しているわけなんですよ。」(*2)


もちろん、このような沖縄のことばの特徴は、いつ頃形成されたか分からない。しかし、日本語と同じ文法組織と長江下流域の言語と共通の発音組織という二重性は、沖縄語のピジン性を示唆するものである。


なお、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住し、この時期に言語が日本語に近いものに変わったのではないかと指摘する向きもある。すなわち、もともと「中国語」(厳密には長江下流域で話されていた言語)が話されていた地域に、日本語系集団が侵攻・支配した結果、言語混合が起こり、現在のような琉球語が形成された可能性も考えられるのである。


というか、そもそも沖縄諸島に移住したのは決して日本語系集団だけではなく、対岸の中国長江下流域からの移住もあったのではなかろうか。当時の状況(例えば宋船の列島への頻繁な渡来など)を考えると、日本側のみの一方的な移住をのみ想定するのは、むしろ不自然である。こういった移民間の争闘(*3)の中で、日本語系勢力が主導権を握ったものの、中国語系勢力の数も少なくなく(むしろ多く)、結果、文法は日本語、発音組織に長江下流域の方言を残す琉球語が成立したとは考えられないだろうか。


ちなみに、琉球の国家形成を「倭寇」(日本の海賊と言うより、日朝中混合の無国籍海上勢力)の活動の産物であると考える研究もあるようだ。(*4)ならば、中国王朝による「琉球王国」冊封には、「海賊」勢力の「招安」(公認・帰順)という側面があったともいえるし、そもそも上の言語混合も「倭寇」内の「日中共闘」が一因になっているのかもしれない(笑)。


なお、筆者がこの一文を書いたのは、かのウーマン村本氏を批判した『ウーマン村本が知らない沖縄と中国の本当の関係』(八幡 和郎)などという記事を目にしたからであるが、その中で、八幡は「本土では中国人や韓国人と共通性が高い弥生人が優勢だ。しかし、弥生人がやってくる前から日本列島に住んでいた縄文人らしい特質をもつ人たちは、北海道や東北と南九州や南西諸島に多い。そういう意味では、沖縄の人は日本人のなかでもっとも中国人と縁遠い存在だ。」と述べる。


しかし、上の長江流域との言語共通性という要素を考えれば、確かに沖縄人が本土人より縄文人らしい特質を保持していたとしても、「中国人ともっとも縁遠い存在」と述べるのは、当たっていないと思う。縄文人の性質と中国人との親縁性は、決して矛盾するものではない。


また、当時の東アジアの状況や、琉球語に残された性質などを考えた時、八幡の言うような「民衆レベルでの交流は圧倒的に日本、とくに南九州との方が分厚く、人の行き来も中国などとは比較にならないほど頻繁」などと言ったことが果たして言えるのだろうか。


沖縄は日本や中国の影響の中で、独自の文化を形成したのであって、「薩摩入り」や「琉球処分」の歴史を当然視して、安直に「日本の一部」などと主張するのは、「中国の属国」と同レベルの“妄言”であろう。少なくとも、沖縄は大和ではない。


(*1) 拙文『日本民族の形成(2) 日本民族の構成要素 琉球は大和ではない』注(*7)


(*2) 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』山川出版社 1983年終章『座談会「現代の漢民族」』での橋本萬太郎の発言。


(*3) 「移民間の争闘」と言っても、当時の状況において、単純に日系vs中国系という図式は考えない方がいいだろう。 


(*4) 本郷和人書評『琉球史を問い直す—古琉球時代論[著]吉成直樹・高梨修・池田榮史』



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② 男性遺伝子 Y-DNAハプログループの分布(参考)

縄文人の末裔の男子が持っているY-DNAハプログループD2(旧分類、緑色)の分布は、日本列島に広く分布しているが、アイヌと沖縄県に最も密集している。また、揚子江中下流域の水稲稲作の弥生人のY-DNAハプログループO2bもまた沖縄県から南琉球に密集している。


③ 現代日本語とは殆ど異なるアイヌ語を遡ると縄文人の言葉に辿り着くが、原日本語を喋る古代中国の殷人や同族の縄文人とは、交流がほとんど無く、互いに孤立語となったようだ(参考)


④ 琉球列島は照葉樹林帯に含まれ、揚子江中下流域の水稲稲作の弥生人が九州・朝鮮半島と同様に入植している