土井ヶ浜遺跡の弥生人は縄文人によく似た渡来人だった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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土井ヶ浜の弥生人はミトコンドリアDNAの分析などから山東半島のいにしえの斉国の臨淄からの渡来人であろうとされている。さらに、当時の斉国人は羌族(現在の少数民族のチャン族)や秦帝国の民(秦氏)と同族でY-DNAハプログループDの縄文人と同族と推定される(参考)。

実は、この縄文人と兵馬俑坑にある秦帝国の兵士達と現代山口県人を典型とする日本人に眼窩上隆起(眼球の上の眉のあたりと眉間の盛り上がり)が共通的に見られた(参考)。

そうであるなら、土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムに展示されている頭蓋骨の顔面に眼窩上隆起が見られるはずである。果たして、ミュージアムに展示された頭蓋骨には、子供と婦人のものが多く、成人男性の展示は少数ではあったが、成人男性の頭蓋骨に眼窩上隆起が見られた。

従来、眼窩上隆起に着目してこなかった為か、各種報告書の撮影に眼窩上隆起による陰影が明瞭に写っていないのが残念であった。未入手であるが、ミュージアムの最新の公式報告書に頭蓋骨の正面と横顔の写真一覧が添付されているが、眼窩上隆起が微かに認められそうである。

土井ヶ浜弥生人、成人男性

土井ヶ浜弥生人、成人男性(土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの展示会・イベントのご案内より)

土井ヶ浜弥生人、成人女性

土井ヶ浜弥生人、幼児


雑談1

これに対し、北部九州の弥生人の頭蓋骨は卵の殻に丸い穴を二つ並べた形状であり、全く異なる容貌であった。ここに、二種類の弥生人の復顔図を土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの展示パネルを利用して、提案する。

土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの展示、従来の弥生人のイメージ

従来、この細目で貧乏耳の朝鮮人によく似た顔を弥生人として説明されて来たが、北部九州の弥生人と土井ヶ浜遺跡の弥生人は区別すべきであった。この従来の弥生人のイメージは北部九州の弥生人のものであろう。


土井ヶ浜の弥生人として、次の顔を推薦する。

土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの展示、西北九州の弥生人のイメージ

この絵の方が、眼窩上隆起、目の落ち窪み、そして縄文人的特徴を持ち、土井ヶ浜遺跡の弥生人としてもそんなに違わないと思われる。

西北九州の弥生人は縄文人に渡来系弥生人の遺伝子が混じっているとされ、土井ヶ浜遺跡の弥生人の頭蓋骨とよく似ている。また、山口県長門市深川の大寧寺の末寺のネットワークがこの地域に広がっていた。土井ヶ浜の弥生人の同族が西北九州に上陸して、現地の縄文人と結婚したと考えられる。ルーツは同じ縄文人で気質と価値観があった恋愛結婚であったようだ(参考)


雑談2

著者はが正に土井ヶ浜弥生人の特徴を備え、先祖代々、同一地に定住して農耕に従事した、直系の末裔と考えられる。下関市ではどこにも居る普通の住人である。


謝辞

土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの写真や資料を見せて下さり、議論に応じて下さった女性学芸員氏に感謝を表します。


参考

① 土井ヶ浜弥生人、松下孝幸館長発表

眼窩上隆起がありそうだ

本物を見てみたい

本物を見てみたい


② 北部九州弥生人、松下孝幸館長発表



③-1 北部九州弥生人、ちくしの散歩(参考)

左手: 弥生人、右手: 縄文人


③-2 北部九州弥生人、九州大学(参考)



④-1 土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの展示(参考)

二つの頭蓋骨の共に眼窩上隆起の特徴が見出せる。特に右手は顕著である。


④-2 土井ヶ浜弥生人(参考)

眼窩上隆起が顕著


⑤ 縄文人、、、眼窩上隆起が顕著


土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムに展示された縄文人の頭蓋骨


⑥ 日本語の起源(参考)、、、地元の縄文人も渡来人も同じ日本語を喋っていた。


⑦ 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(参考)



⑧ 骨からたどる弥生人 邪馬台国や卑弥呼も考察

西日本新聞ニュース(2018.1.18、参考)

考古学者の高島忠平氏が監修する連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く-イイヅカ発古代史情報最前線」の第4回講演会が1月20日午後2時から、飯塚市のイイヅカコミュニティセンターで開かれる。土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県下関市)の松下孝幸館長(67)が「弥生人と卑弥呼」の演題で登壇する。

松下孝幸館長

土井ケ浜遺跡は下関市北部の響灘沿岸にあり、弥生時代前期から中期末までの集団墓地で副葬品とともに人骨も多数出土したことで知られる。松下氏はここで縄文時代からの人骨の調査・研究に取り組んでいる。

講演では、弥生人の骨の形には(1)西北九州(2)北部九州・山口(3)南九州・南西諸島-で地域差があることを紹介。中でも、北部九州・山口のタイプは顔が長くて鼻の付け根が平たく、高身長なのが特徴だ。「この特徴は、中国・山東省で見つかった紀元前後の人骨と類似している。北部九州の人の大本は、中国大陸にあるといってもいい」と語る。

地域で特徴が異なる弥生人の頭骨

人骨は、その形状からさまざまな情報を読み取れるという。「北部九州で見つかった弥生人の骨は大腿(だいたい)骨や脛(けい)骨が大きい。平野で水田があるため下肢が発達したことがわかる。一方、西北九州は上腕が発達し、下半身はそうでもない。舟をこぎ、海の生活を礎としていたことがうかがえる」と話した。また、謎に包まれた卑弥呼の顔かたちも講演の中で想像していく。

長崎市出身の松下氏の専門は形質人類学で、医学博士でもある。日本人のルーツと形質の変化を解明する研究に取り組んでいる。

一般参加は資料代として2千円。申し込みが必要。イイヅカコスモスコモン=0948(21)0505。 (座親伸吾)

注1: 北部九州の弥生人と土井ヶ浜の弥生人の区別をしておらず。誤解を与えている。

注2: 日本語の方言のアクセントの観点では、飯塚市から東は、現在、本州に近く、福岡市から南部のアクセントと異なっている。この意味では、飯塚市あたりは土井ヶ浜弥生人の範囲かもしれない(参考)。