姫路市の手柄山中央公園の回転展望台 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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姫路のシンボルと言えば姫路城ですが、地元に住んだことのある者には、山陽新幹線の線路の南側の手柄山中央公園の回転展望台とモノレールの橋脚を思い出す。

この回転展望台もモノレールの橋脚も老朽化して、モノレールの橋脚は殆ど撤去されたが、辛うじて回転展望台が残っていた。この回転展望台はどうにか外観だけは保存されることになった。大切にして欲しい。

老朽化と言えば、下関市のシンボルとして「くじら館」があるが、どうにか外観だけは保って、立ち入り禁止となっている。老朽化した高度成長時代の建物はあちこちに有りそうだが、保存方法を考えて欲しいものである。

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手柄山中央公園の回転展望台(赤丸)と姫路城(黄丸)、北東方向に見下ろす(3D)

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手柄山(南西)、姫路城(北東)


参考

①-1 姫路の回転展望台が半世紀の歴史に

毎日放送(2018.3.26、参考)

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(C)毎日放送

兵庫県姫路市の手柄山にある回転展望台が、25日半世紀の歴史に幕を下ろしました。

姫路市の手柄山中央公園にある「回転展望台」は1966年にオープン。姫路市は展望台の老朽化が進んでいることや、公園の再整備計画があることから一度は取り壊すことを決めましたが、市民らの反対の声を受けモニュメントとして残すことになり、内部だけが閉鎖されることになりました。最終日となった25日、別れを惜しむ多くの市民らが訪れ床が回転し、市内の眺めを360度楽しむことが出来る名物の喫茶店は、最後の賑わいをみせました。

「姫路の人は子どもの頃の(ここが)一番の遊び場だったから、そりゃ寂しい」
「あって当たり前のものがなくなることがこんなに寂しいのかなと、心の中に焼き付けておきます」

今後は、安全のためフェンスで囲われるということです。


①-2 昭和の記憶、また一つ…回転展望台、回転止める 50年超の歴史に 兵庫・姫路

産経新聞(2018.3.26、参考)

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最終日を迎え訪れる人でにぎわう回転展望台=姫路市西延末

建物の老朽化などを理由に閉鎖される手柄山中央公園(姫路市西延末)の回転展望台にある喫茶店「手柄ポート」が25日、営業最終日を迎えた。開店前から大勢の人が列をつくり、半世紀以上にわたって親しまれてきた店との別れを惜しんだ。

回転展望台は、昭和41年の「姫路大博覧会」のテーマ塔として建築され、同店も博覧会当初から営業。窓側の床が1周14分程度で周回し、姫路の景色を楽しめる回転展望喫茶として人々に愛されてきた。

しかし、建物外壁の塗装がはがれたり亀裂が目立つなど老朽化が進み、一時は市が解体撤去を検討するなど存亡の危機を迎えた。市民からの反対の声を受け、市は平成28年9月に建物の存続方針を明らかにしたが、喫茶店については閉鎖することが決まっていた。

営業最終日が近づくにつれ名残を惜しむ人が多く訪れるようになり、入店まで2時間待ちになるなど連日盛況が続いた。閉店当日のこの日は最大4時間待ちとなり、展望台最上階の店に至るらせん階段には大勢の人が列をつくった。

午前10時ごろから4時間待って入店できたという近くに住む飲食業、藤田秀美さん(50)は「娘と孫と親子3代で店に行くことができた。家からも回転展望台が見えるので普段はあまり気にしてなかったが、閉店となると寂しい気持ちになる」と話した。


② 姫路モノレール