新種の恐竜化石に下関の名がついた | 日本の歴史と日本人のルーツ

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① 55年前発見の恐竜化石は新種 「下関」の名、国際誌に発表

時事通信社(2020.3.16、参考)

55年前に発見された恐竜の卵の化石の復元模型(山口県下関市提供)

山口県下関市は16日、1965年に同市で発見、採集された恐竜の卵の化石は新種で、「ムルティフィスウーリトゥス・シモノセキエンシス」との学名が付けられたと発表した。福井県立大恐竜学研究所と福井県立恐竜博物館の共同研究により、この化石は新種と確認され、国際的な古生物学誌「ヒストリカル・バイオロジー」(電子版)に同日、論文が掲載された。学名は「下関の多裂卵石」との意味だという。

この化石は、当時高校生だった会社員の清水好晴さん(71)=神奈川県横須賀市=らが65年9月、下関市綾羅木川上流域にある白亜紀前期(約1億2000万~1億年前)の地層で採集。2017年にこれが国内最初の恐竜化石の発見であることが分かり、さらに福井県立大などによる共同研究が続けられていた。

卵の化石は、殻の厚さが3ミリを超え、ニワトリの約10倍にも及ぶことなどが特徴。長径は約10センチと推定される。同大恐竜学研究所の今井拓哉助教によると、3メートル以上の中型から大型の恐竜が生息し、産卵や巣作りを行っていたとみられるという。化石は下関市立考古博物館で常設展示される予定。


② 55年前に下関で発掘 恐竜の卵の化石は新種と判明

NHKニュース(2020.3.16、参考)


55年前に山口県で発掘された恐竜の卵の化石が新種のものだったことが、福井県立大学などの研究グループの分析で分かりました。この化石と同じグループに属する卵の化石が中国や韓国で発見されていることから、東アジアの広い地域で同じか近い種の恐竜が生息した可能性を示す証拠になるということです。

新種と判明したのは、破片の大きさが1センチから5センチ余りの恐竜の卵の化石、合わせて12点です。

昭和40年に当時高校生だった男性が山口県下関市の1億2000万年から1億年前の前期白亜紀の地層で友人と発見しました。

福井県立大学と福井県立恐竜博物館の研究グループが4年前の平成28年から電子顕微鏡を使った分析などを進めた結果、中国や韓国の同じ年代の地層から発見されたものと特徴が一致したことから、同じグループに属する種の恐竜の卵であることが分かり、殻の構造や厚さの違いから新種であることが分かったということです。

この新種の化石には「下関の、裂け目が多い卵石」を意味する「ムルティフィスウーリトゥス・シモノセキエンシス」と学名が付けられたということです。

研究グループは、この新種の卵の化石が、前期白亜紀に東アジアの広い地域で同じか近い種の恐竜が生息していた可能性を示す初めての証拠となるとしています。

一方、研究グループは、この卵を産んだ恐竜の種類がはっきりしていないことなどから、今後も下関市で発掘調査を続ける方針だということです。

発見者「『下関』冠された学名与えられ感激」

化石を発見した清水好晴さんは「化石に下関の地名が冠された学名が与えられたことに感激しています。子どもたちに、地球の歴史などに興味・関心を持ってもらうきっかけになることを期待しています」というコメントを市を通して出しました。

研究グループ「下関は住みやすい場所だったのでは」

研究グループの代表を務める福井県立大学恐竜学研究所の今井拓哉助教は「中国や韓国で見つかっている卵の化石との共通性が見られたことから、当時陸続きだった日本と中国大陸で同じような恐竜が存在し、子孫を残して繁栄していたことを示すもので、大きな意義がある」としています。

また「当時この地域は食べ物が多くあって災害も少なく、恐竜にとって住みやすい場所だったのではないか。下関には恐竜の化石がありそうな地層が広く分布しているので、丹念に調査していけば骨の化石なども見つかる可能性がある」と述べ、今後の調査の進展に期待を示しました。