「お金」とはいったいなんだろう?
それ自体は何の機能もない、ただの紙切れなのに、
みんなにとって、ものすごく重要なものだ。
この不思議な「お金」っていったいなんだろう?
前回のブログで、「お金は人を動かす力を持っている」という性質について考えてみた。
https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12561888562.html
今回はお金の性質②について、考えてみよう。
【お金の性質②:いくらあっても嬉しい】
例えば、お腹がすいているときに、人からオニギリを1個もらったとしよう。
これは嬉しいよね。お腹すいているから。
さらに追加でオニギリをもう2個もらったとする。
まあ、まだ嬉しいよね。3個くらいなら食べられるし。
けど、さらに追加で10個くれたとする。
もういらないね。そんなに食べれないし、保存もできないし。
いらないので、余った分を周りの人にただで配ったりするかもしれない。
さらに100個あげる、と言われたら、もう絶対いらない。逆に迷惑。
このように、普通モノには、これ以上はいらない、っていう限度がある。
オニギリみたいな生ものじゃない、他のモノでも同じ。
例えば自動車なんかも、
1台あげる、と言われたら大喜び。
え! もらっちゃっていいの!?
2台あげる、でもまあ嬉しい。
100台あげる、と言われたら、
いらな~い。そんなにあってもジャマなだけだし!
けど、お金だったらどうだろう?
1万円あげる、って言われたら嬉しい。
10万円あげる、って言われたらもっと嬉しい。
100万円、もっともっと嬉しい。
1000万円、まだまだいくらでももらうよ!
1億円、10億円、…
いくらでももらうよ!
いくらあってもいいよ!
となる。これが「お金」と他のモノとの決定的な違いだ。
これ以上はいらない、という限度がない。決められない。
オニギリを1万個ためこむ人はいないけど、
お金を10億円ためこむ人はいる。
100億ためこむ人もいる。
オニギリが1万個あれば、自分は数個だけ食べて、
あとはもうタダでどんどん配っちゃう、となるけど
お金が10億あっても、どんどん配っちゃう、とはならない。
お金は、オニギリみたいに、必要な量がはっきりしない。
だからいくらでも必要な気がしてしまう。
これは結構危険な性質だ。
一か所に大量に集中しやすい。分配されにくい。
持っている人と持っていない人の差が大きくなりやすい。
貧富の差が拡大してしまう。
歴史的によくあることだけど、
自給自足的な生活をしていた国や地域に、
お金を入れて、近代的な経済の仕組みを入れると、
お金の量は増えているのに、逆に貧乏人が増える、飯が食えない人が増える、
という現象が起こることがある。
お金の量は増えているのに、それが一か所に集中してしまうからだ。
お金はためこむと危険だ。
だからため込まずに、どんどん回していかないといけない。
ため込まれやすいからこそ、どんどん回していかないといけない。
もしため込んでしまうと、人がお金に支配されるようになる。
繰り返しになるけど、お金自体は何の機能もない、ただの紙切れだ。
そこに人がイロイロな概念をくっつける。
夢や希望や、不安やらプライドやら。なんでもくっつける。
あまりくっつけすぎて、お金が人の思いでガチガチになって巨大化すると、
お金も人も身動きがとれなくなる。流れなくなり一か所にたまってしまう。
それは危険だ。
お金は軽やかに扱ったほうがいい。ため込みたくなるけど、オニギリのように、軽やかに扱うべきだ。
つづき↓
【お金は神なのか?】お金という不思議な紙切れの性質について考えてみた③【完結編】
https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12562305055.html