瞑想とは、
私が意図的に瞑想を実行する
のではなく
自然と瞑想が起こるもの
という話を前回しました。
瞑想上達の秘訣は”瞑想をしないこと”
https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12612405866.html
最もオーソドックスな、呼吸を観察する瞑想でいうと、
自分→呼吸
ではなく
自分←呼吸
自分から呼吸に向かうのではなく、呼吸がやってくる。
呼吸を自分が見るのではなく、呼吸が自然と見えている、ということになります。
図に描くとこんなかんじです。
まず最初、自分は周りに対して閉じていて、ガードを固めています。
呼吸を見るために、そのカードを内側から開けて、意図的に見に行きます。
ところがそのうちガード自体が外れて、自分から見に行かなくても、呼吸が自然と入ってくるという状態になります。
呼吸と一つになる ともいいますね。
仏教の瞑想は、大雑把にいうと、「サマタ瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」の2つがあります。
呼吸を観察する瞑想は「サマタ瞑想」に分類されます。
「サマタ瞑想」である程度レベルが上がってから、「ヴィパッサナー瞑想」をやる、という流れが一般的です。
仏教では、「ヴィパッサナー瞑想」こそが悟りに至る瞑想である といわれます。
「ヴィパッサナー瞑想」では、「サマタ瞑想」と違って、呼吸のような特定の対象だけでなく、全てのものを観察します。
自分の体の感覚、呼吸、思考、感情、見えるもの、聞こえるものなど、ありとあらゆる対象を観察します。
全てを観察するので、とても忙しいです。
始めは、そんなたくさんのモノをいっぺんに観察するなんて、忙しくてとてもできません。
しかしこれも、呼吸瞑想で説明したのと同じ原理でやればできます。
自分の周りにガードがあって、そのガードをいちいち開けて自分から見に行っていると、とてもやってられません。
忙しくて無理です。
ところがガードを全て外してしまえば、自分は何もしていなくても、観察対象が自然と入ってきて、全てが観察できます。
これが究極に進むと、すべてのものと自分が1つになったような状態になります。
いわゆる世界と自分が1つになるとかワンネスとかいうのは、この状態のことでしょう。
まぁ、なかなか難しいですね。
周囲の世界への恐れや怒りや、執着による反応があると、ガードは外れにくいです。
世界を信頼しきって、ガードを全て解いてしまうのは、ちょっと怖いですからね。
無理せず少しずつやっていけばよいでしょう。
つづき↓
https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12613245915.html