瞑想上達の秘訣は、”瞑想をしないこと”
は? どういうこと?
って思いますよね。
普通は何か上達したければ、それをやりますよね。
野球が上達したければ、野球をします。
サッカーが上達したければ、サッカーをします。
それが普通ですね。
ところが瞑想では、これが当てはまりません。
瞑想が上達したければ、瞑想はしないことです。
なんのこっちゃ?
という感じですよね。
これから説明していきますね。
瞑想といってもイロイロあるので、私が習ったマインドフルネスの一流派の考え方を元に、お話します。
(他の瞑想法を否定するつもりはありません。違うやり方、考え方があってもOKだと思います)
マインドフルネスでは瞑想中、あるがままの状態でいます。
意図的に、特殊な瞑想状態を作り出すのではありません。
普段我々は、常に何かをすることで、あるがままでは無い状態 を作り出そうとしています。
あるがままから逃れて、何か別の状態に行こうとするクセがあります。
それをやめて、あるがままの状態、自然な状態 のままでいることです。
まあ、そうはいってもなかなか難しいですよね。
特に真面目で努力家の人ほど、意図的に瞑想状態を作り出そうとしてしまいます。
眉間にしわを寄せ、歯を食いしばり、ウンウン唸りながら瞑想状態を頑張って作り出そうとします。
そうやってしまうと、なかなか瞑想はうまくいきません。
瞑想でかえって疲れ果ててしまうのです。
具体的に例をあげて説明しますね。
最もオーソドックスな瞑想として、呼吸を観察する瞑想があります。
よく、
呼吸に集中しましょう
といわれます。
実はこの表現は、ちょっと誤解しやすいんですね。
集中といわれると、ウ~ム…と力みながら、呼吸に意識をグーッと向けてしまいやすいです。
この私が、意図的に呼吸を見るのだ!
この私が、意図的に瞑想を実行するのだ!
となりやすいです。
本当はそうではないんです。
私が呼吸を見る
ではなくて、
自然と呼吸が見えている
です。
矢印の向きが逆です。
私→呼吸
ではなくて
私←呼吸
です。
私はただ何もせずに待っているだけです。
待っていると呼吸がおのずとやってきて、呼吸が見える。
見るのではなくて、見えるです。
私は何もせず、ただガードをやめるだけです。
全てに対して、構えずノーガードで、ただ開け放っておく。
この辺の微妙なニュアンスを気にする瞑想の先生は、「瞑想をする」という言葉をあまり使いたがりませんね。
どういうかというと
座る
といったりします。
座禅の人はよくそういう表現を使いますね。
座禅をしましょう
とはあまりいいません。
座りましょう
といいます。
私はただ座り、姿勢を整えて何もしないだけ。
そうすると、自然と瞑想が起こる。
その考えからすると、呼吸の瞑想は理にかなっています。
座って何もせずに、五感から入ってくる感覚を、ただノーガードで感じていれば、呼吸が一番目立ちますからね。
おのずと呼吸が見えてくるわけです。
ただ、最初は難しいでしょう。
瞑想を始めたばかりだと、おのずと呼吸が見える、とはなかなかならない。
なので最初は、意図的に呼吸に見に行く、でいいと思います。
ただ、力まずなるべくリラックスして、呼吸を見に行きましょう。
そして、そのうち呼吸が自然と見えてくるのだ、ということですね。
つづき↓
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