【元カルト信者の私が『ミッドサマー』に覚えた既視感】

https://eiga-watch.com/midsommar/

 

twitterでこんな記事↑が話題になっていました。

 

 

 

スウェーデンの田舎のある村で、そこを訪れた大学生たちが、恐ろしいカルト集団に取り込まれていく様を描いた『ミッドサマー』という映画についての記事です。

 

記事を書いているライターさんも、学生時代にカルト宗教にハマっていたことがあり、その体験を交え、カルト宗教の特徴を分析しながら、面白く書いています。

 

私も学生時代は、よくカルト宗教系の人に声をかけられました(笑)

 

最初は宗教だということを隠して近づき、連絡先を交換し、途中から集会に誘ってきたりするんですよね。

 

まあ、暗そうな顔したボッチ学生だったから、格好の標的だったんでしょう(笑)

 

今日は、そのようなカルト系集団によく見られる特徴を、私なりに分析してみますね!

 

 

 

【特徴1:自分たちは特別だと思いたがる】

 

カルト系集団では、教義を勉強したり、修行をすることで、自分たちが一般人と違う特別な存在になった、と思いたがります。

 

愛や調和を説きながら、かえって世間の人々との間に壁を作ります。

 

そして閉鎖的な環境を作り、マインドコントロールし、その考えを強めていきます。

 

まあ、これは何となくわかりますね。

 

カルトに限らず、人は誰でも、自分は他人より優れた特別な存在だ、と思いたがるものです。

 

だから、愛とか調和とか言いながら、その「愛と調和」も「自分が優れている」ことを示すための材料に使ってしまい、本末転倒なことになってしまうわけです。

 

それほど、人の「自分が優れていると思いたい欲」は強い。めちゃくちゃ強い。

 

カルトに入っていなくても、この欲に足元を救われないように気を付けたいですね。

 

 

 

【特徴2:現状否定し理想を追い求める】

 

今の個人の状況や、社会の状況をとにかく否定します。

 

そしてもっと素晴らしい、完璧な理想状態を目指そうとします。

 

「神の国を作る」とか言い出したり。

 

まあ、確かに今の社会には、いろんな問題はあるでしょう。個人にもいろんな問題はあるでしょう。

 

けど、問題があるからといって、それをあまり否定しすぎると、病んでしまいます。

 

現状を否定しすぎると、自分や周囲の人達に対して攻撃的になりがちです。

 

否定することで、現状をかえって見えにくくし、適切な対処を邪魔することにもなりかねません。

 

それに、理想状態を追い求めていると、疲弊します。

 

完璧な理想状態というモノは、まず実現しないからです。

 

実現しない状態を常に目指していていれば、不満がドンドンたまり、疲れてきます。

 

そしてその不満や疲れを、現状がダメだからだ! と現状のせいにし、ますます現状を否定し、理想を追い求め、ますます疲弊する悪循環にハマります。

 

悪循環にハマりすぎて、どうしようもなくなり、最後の一発逆転を狙って、テロ事件を起こしたり……

 

この悪循環は、カルト系集団に限らず、人間誰でも陥ることがあるワナです。

 

理想を目指して日々頑張るのは良いことですが、あまりにも遠い理想ではなく、日々達成可能なレベルに分けて、それを目指すといいでしょう。

 

そうすれば悪循環にハマらないで済みます。

 

 

 

【特徴3:特定の誰かを崇拝する】

 

これはわかりやすいですね。

 

教団の教祖様やリーダを、やたらと崇拝します。

 

外から見ると

 

なんでこんな大したことない奴を崇拝しているんだ?

 

と思いますが、まあ言ってしまえば、教祖はどんな奴でもいいんです。

 

要は、信者の理想イメージを、信者自身が教祖に貼り付けて崇拝しているだけなので、大したことがない奴でも、理想の存在に見えてしまうんです。

 

なぜそんなことをするかというと

 

そのすごい理想の存在と繋がっている自分はすごい! 他の一般人とは違う!

 

と思いたいからです。

 

結局はそこに帰ってきます。

 

これは、「特徴1:自分たちは特別だと思いたがる」で話したことと同じですね。

 

この「自分が優れていると思いたい欲」、これは人間なら誰でももっている欲です。

 

適切にこの欲を使えば、日々努力するためのエネルギーになりますが、この欲を暴走させると、いろいろとマズいことになりますね。

 

 

 

この欲は、根本的に言えば、「自我」を固く強くしたいという欲です。

 

自我というのは、

 

自分はこれこれこういう人間であり、生きる価値がある人間なのだ

 

という自分物語のようなものです。

 

この自分物語を、がっちりと固く強いモノにしたい、という欲求があるわけです。

 

カルト系の特徴はどれも、この自我を強めたい欲求に当てはまります。

 

本来、様々な宗教が説いている「愛や調和、平和や安らぎ」は、自我を柔らかく弱くする方向に働くはずなんです。

 

自分が自分が!という自己中心的な心から離れる方向に向かうはずです。

 

しかし、それはすぐに向きを変えて、逆方向に向かいがちです。

 

すぐに自我を固く強くする方向に転換してしまうのです。

 

カルトに限らず、多くのモノがそうです。

 

相手のために親切で助けてあげていたはずが、いつのまにか自分の承認欲求のために、よけいなお節介をしていた、ということもよくあります。

 

これも、相手のためにしていたことが、自分の自我を強化するための材料になっていた、ということです。

 

 

 

まあ、そうは言っても、この自我の働きをなくすことはできません。

 

それこそ悟りを開いたぐらいじゃないと、この働きはなくなりません。

 

しかたないので、我々凡人は、少なくとも自我にはそういう働きがあるんだ、ということを自覚して、自分の行動を振り返ってみる。

 

それを心掛けるといいんじゃないでしょうか。

 

それができれば、カルトに騙されることもなくなるかもしれません。

 

 

 

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