前回、前々回と、瞑想の秘訣を語ってきました。

 

瞑想上達の秘訣は”瞑想をしないこと”

https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12612405866.html

瞑想上達の秘訣は”ガードを解くこと”

https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12612821945.html
 

今回は、瞑想で起こる認識の大転換について、お話します。

 

 

 

マインドフルネス瞑想では、対象を観察することが重要です。

 

心、体、呼吸、外の世界、ありとあらゆるものを観察します。

 

それによって観察対象への理解が深まります。

 

自分や世界への理解が深まり、自分や世界への認識が変わっていきます。

 

さらに観察を続けると、観察対象だけでなく、観察者の存在が見えてきます。

 

対象を観察している側です。

 

その観察者への認識が変わってきます。

 

普段の我々の認識は、大体こんな感じでしょう。

 

 

観察対象と観察者の境目は、体の表面にあり、体の内側から外の世界を観察しています。

 

ところが瞑想では、体の内側も観測対象になります。

 

体そのもの、そして心も観察対象として観察します。

 

そうすると観察者と観察対象との境目がどんどん内側にズレていきます。

 

体が観察対象になると、観察者は体より内側になるはずです。

 

そして、究極に深いところまで観察していくと、ついに内側がなくなってしまうのです。

 

全てが観察対象になり、全てが観察者から見た外側になってしまうのです。

 

 

その時、内と外の反転が起こります。

 

別の図で描くとこんな感じです。

 

だんだん内側の領域が小さくなります。

 

 

 

内側が小さくなりなくなってしまうと、そこで反転が起こり、全てが内側になります。

 

正確にいうと内と外の区別がなくなってしまいます。

 

内側、外側というのは、両方セットでないと成り立ちません。

 

外側があるのは内側があるからです。

 

内側がないのに外側だけがある、外側がないのに内側だけがある、という事はあり得ません。

 

なので内側がなくなると、全て内側も外側もない一つの領域になります。

 

 

 

心や体や世界を観察するというと、それらを自分から切り離し、突き放してしまうような、冷たい印象を受けるかもしれませんが、そうではありません。

 

内と外の反転によって、かえって内と外の区別がなくなり、全てが内側で、全てが自分であり世界でもある という認識になります。

 

そして、内と外、自分と相手という様々な対立関係がなくなり、穏やかな世界がひらけてきます。

 

よくこういう話で、

 

思考や感情は自分ではありません

 

と切り離しながら

 

全ては一つです

 

といったりして、一見矛盾しているように聞こえますが、実は矛盾していないわけです。

 

この感覚は、すこし瞑想してもすぐにはわからないのですが、急がず、狙いすぎずに、のんびりやっていきましょう!