瞑想、はやってますね!
最近は「瞑想をやってるんだ」と言っても、そこまで変な目で見られなくなりました。
ちょっと前は、瞑想やってるなんて言ったら
大丈夫? 洗脳されてない?
ツボ買わされてない?
空中浮遊できる?
なんて言われたもんでした。
さて前回、世の中にある瞑想法の中で、私が調べたり、体験したことがあるモノを、ザックリと2つ紹介しました。
https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12580967495.html
今日はその続き、3つめから紹介しますね。
【③ヴィパッサナ―瞑想(マハーシ式)】
前回のブログでは、ヴィパッサナ―瞑想(ゴエンカ式)を紹介しました。
あれ? 同じヴィパッサナ―瞑想? と思うかもしれません。
こちらは同じヴィパッサナ―瞑想でも、マハーシ式というもので、ゴエンカ式とはだいぶ違います。
そもそも「ヴィパッサナ―」というのは、古代インドの言葉で、「観察する」という意味があります。
自分の体や心、世界をよ~く観察することで、真理を理解し悟りに至る、というもので、仏教系瞑想ではいろんな国や宗派で行われています。
様々な流派があって、基本的な考え方は一緒ですが、やり方には様々なバリエーションがあります。
どれが本物だ! どれが正しい!
という議論も起きたりしますが、確かめようがないですね。
マハーシ式ヴィパッサナ―瞑想は、ミャンマーの高僧マハーシ・サヤドゥ―が広めた瞑想法です。
やり方としては
・座って呼吸を観察する
・立って体の感覚を観察する
・歩きながら、足の動きに意識を向け観察する
・瞑想中に現れる思考や感情を観察する
などがあります。
この瞑想法で一番特徴的なのが、「ラベリング」です。
意識を向けて観察したものに、言葉でラベル付けするんです。
例えば、呼吸を観察する瞑想だと、お腹がふくらんだり縮んだりするのを観察しながら、「ふくらみ」「縮み」と頭の中で言葉でつぶやきます。
瞑想中にいやなことを思い出して、怒りがわいたら「怒り」と頭の中でつぶやきます。
こうすることで、観察対象を客観視して、冷静に観察するんです。
マハーシ式ヴィパッサナ―瞑想は、とてもやり方がキッチリとしていて、あいまいな所があまりなく、よくシステム化されていますね。
注意点としては、例えば怒りがわいたら「怒り」とラベリングしますが、それによって怒りをかえって増幅させないようにしないといけないです。
「怒り」という言葉は、あくまでもただのラベルで、その言葉自体の意味にとらわれないようにする必要があります。
【④禅】
日本人には一番なじみがありますね。
「瞑想してます」よりも「禅をやってます」と言った方が怪しまれず、受けがいいですね。
近所のお寺で座禅会なんか開かれていることもあって、参加しやすいでしょう。
禅は、もともとは6世紀ごろ、達磨(ダルマ)大師というインドの僧が中国に伝えて、それが鎌倉時代に日本に伝わったものと言われています。
さて、禅と言っても宗派やお寺によっていろいろあるので、一概には言えないんですが、私がやったことがある禅について話しますね。
私が行ったのは、曹洞宗系のお寺でした。
座禅は、他の瞑想法と違って、やり方をアレコレ細かく指導はしないですね。
呼吸に意識を向けるとか、体の感覚を観察するとか、そういうのは特になくて、ただひたすら座る。
これを禅の言葉で「只管打坐(しかんたざ)」と言います。
只管(=ただひたすら)打坐(=座る)です。
なんの目的も持たず、なんの意図ももたず、ただひたすら座る。
いいですね! これぞ禅!
なので初心者にはちょっと難しいかもしれませんね。
あと、日本に住みながら、いわゆる「悟った人」に会えるのは禅くらいでしょう。
私も禅寺で、おそらく悟っている、といわれる禅の老師に会いました。
う~ん、これは……たぶん悟ってる! ヨシ! オーラが違う!
ちょっと会話できるタイミングがあったので
この間、何もなくても生きてるだけで幸せだな~と思ったことがあったんですけど、なんですかねアレは?
と質問したら、
それは、あなたがその時幸せだったということでしょう。それだけです。
とのお答えでした。
う~ん、なんか……凄い……感じがする! 面白い!
禅はあれですね、マンガや映画の中の世界が現実に存在している感じで、面白いですね!
さて、もうちょっと紹介する瞑想法があるんですが、また長くなってきたので今日はこの辺にしておきますね。
次回が瞑想法紹介の最終回です。お楽しみに!
続き↓
最終回!~いろんな瞑想法を紹介するよ!③
https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12582036162.html