前回、仏教には大きな3つの流れ、①テーラワーダ、②大乗仏教、③チベット仏教(密教)、があるという話しをしました。

 

瞑想を初めてみようかな? という人向けに仏教と瞑想の全体像を説明するよ!

https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12614616912.html

 

今回は、それぞれの仏教でどんな瞑想が行われているのか、についてお話します。

 

①テーラワーダ仏教

 

ミャンマー、タイ、スリランカなど東南アジアに広まっているテーラワーダ仏教では、5世紀ごろに「清浄道論(ヴィスッディ・マッガ)」と呼ばれる、仏教の教えと瞑想の大全集! 的な本が書かれました。

 

テーラワーダでは、基本的にそこに書かれたことをベースに瞑想をやっています。

 

清浄道論には、すごく膨大な瞑想メソッドが書かれていて、それら全部を実際にやることは難しいため、その中で必要なものを抜き出して実践している宗派が多いです。

 

その抜き出し方や、解釈の仕方によって、同じテーラワーダでも様々な瞑想法のバリエーションがでてきています。

 

どの瞑想法でも、基本的にサマタ瞑想ヴィパッサナー瞑想と呼ばれる2つの瞑想が行われることが多いです。

 

サマタ瞑想は、瞑想の対象に意識を集中させ、対象と一体化することを目指します。

 

瞑想の対象はイロイロですが、基本は呼吸に意識を集中させます。

 

一方、ヴィパッサナー瞑想は観察瞑想といわれます。

 

呼吸に限らず、自分の体の感覚、目に見えるもの、聞こえるもの、自分の心など、ありとあらゆるものをただひたすら、あるがままに観察します。

 

テーラワーダではヴィパッサナー瞑想こそが悟りに至るための瞑想だといわれています。

 

サマタ瞑想はヴィパッサナーの準備的な瞑想とされています。

 

なので、基本的には最初にサマタ瞑想やって集中力を鍛え、その後ヴィパッサナー瞑想やる流れが多いです。

 

ヴィパッサナー瞑想には、様々なバリエーションがあり、同じヴィパッサナー瞑想という名前でも、中身はイロイロです。

 

その中でも、最もメジャーで世界的に広まっている瞑想法が2つあります。

 

ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想マハーシ式ヴィパッサナー瞑想です。

 

ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想では、まず最初は呼吸に意識を集中させるサマタ瞑想をやり、集中力を鍛えます。

 

その後、自分の体の中に意識を向けて、頭のてっぺんから足先まで、くまなく全身の感覚を感じ取り、観察する瞑想をやります。

 

この瞑想は世界中に広まっていて、ヨーロッパやアメリカや日本でも習うことができます。

 

一方、マハーシ式ヴィパッサナー瞑想は、ラベリングという手法を使います。

 

自分の呼吸や体の感覚、心の動きを観察して、言葉でラベルしていきます。

 

例えば、息を吸ってお腹が膨らんだら、

 

膨らみ

 

と心のなかでつぶやき

 

息を吐いて縮んだら、

 

縮み

 

と心のなかでつぶやきます。

 

瞑想中に怒りが湧いてきたら

 

怒り

 

とラベリングします。

 

マハーシ式ヴィパッサナー瞑想も世界中に広まっていて、日本で習うこともできます。
 

テーラワーダ仏教では、前回記事でも紹介したように、とてもストイックに真面目に修行に取り組みます。

 

瞑想法もメソッドがきっちりと決まっていて、初めにこういうことをやって、その次にこういうことをやって、と手順がはっきりしています。

 

瞑想の理論もきっちりしています。

 

コツコツとひたすらストイックに瞑想修行に励み、時間をかけて煩悩をなくし、最後に悟りにいたる

 

という感じですね。


②大乗仏教

 

大乗仏教の瞑想といえば、日本ではが有名ですね。

 

禅は5世紀ごろに中国で始まり、日本に伝わっています。

 

日本では曹洞宗と臨済宗という宗派があります。

 

禅は大乗仏教の瞑想なので、大乗仏教の思想が反映されています。

 

大乗仏教では、人はみな元から仏である という考えがあります。

 

また、全てのものには実体がない という空(くう)の教えもあります。

 

それらの影響だと思うのですが、

 

禅ではテーラワーダの瞑想のように、細かい手順がイロイロ決まっているというよりも

 

なにも目的を持たず、意図もせず、ただ姿勢を整えて、あるがままに座るだけである

 

という感じです。

 

これを、只管打坐(しかんたざ)といいます。

 

ただ座る、という意味です。

 

特に曹洞宗は只管打坐です。臨済宗はまた少し違うらしいですが、あまり私は詳しく知りません。スミマセン。

 

人は元々仏なのだから、あるがままで座っていれば、それはもう仏なのだ

 

瞑想中にアレコレ意図的にやってしまうと、かえってあるがままから遠ざかってしまう

 

ということだと思います。

 

この辺は人によって好みが分かれるところですね。

③チベット仏教

 

チベット仏教は、テーラワーダと大乗仏教と密教の3つがミックスされたものです。

 

チベット仏教の真髄は密教なのですが、日本にいると、密教の詳細情報に接する機会があまりありません。

 

なので密教の瞑想法は私もよくわかっていません。すみません(汗)。

 

マントラを唱えたり、仏の姿を思い浮かべたりといった、神秘的な瞑想をやるイメージがありますね。

 

密教以外だったら、私が習ったチベット仏教の瞑想では、テーラワーダと大乗仏教の瞑想が合わさったような内容でした。

 

テーラワーダほど厳密ではないけれど、大乗仏教の禅ほど何も手順がないわけではない。

 

最初は手順が決まっているけれど、やっていくうちに、最終的にはただ座るだけ(=只管打坐)に自然となっていくのだ

 

という教え方でしたね。

 

 

 

さて、仏教の歴史的な流れと、その瞑想法についてお話してきましたが、実は現代仏教でとても重要な、もう一つの流れについて説明していませんでした。

 

それはアメリカの仏教です。

 

ご存知のとおり、アメリカは基本的にキリスト教の国ですが、実は第二次世界大戦後に、かなり仏教が広まっているのです。

 

そのアメリカ仏教の流れで、今ブームになっているマインドフルネスが生まれています。

 

次回はこのアメリカ仏教の流れと、そこから生まれたマインドフルネスについてお話しします!

 

つづき↓

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