前回、仏教には大きな3つの流れ、①テーラワーダ、②大乗仏教、③チベット仏教(密教)、があるという話しをしました。
瞑想を初めてみようかな? という人向けに仏教と瞑想の全体像を説明するよ!
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今回は、それぞれの仏教でどんな瞑想が行われているのか、についてお話します。
①テーラワーダ仏教
ミャンマー、タイ、スリランカなど東南アジアに広まっているテーラワーダ仏教では、5世紀ごろに「清浄道論(ヴィスッディ・マッガ)」と呼ばれる、仏教の教えと瞑想の大全集! 的な本が書かれました。
テーラワーダでは、基本的にそこに書かれたことをベースに瞑想をやっています。
清浄道論には、すごく膨大な瞑想メソッドが書かれていて、それら全部を実際にやることは難しいため、その中で必要なものを抜き出して実践している宗派が多いです。
その抜き出し方や、解釈の仕方によって、同じテーラワーダでも様々な瞑想法のバリエーションがでてきています。
どの瞑想法でも、基本的にサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想と呼ばれる2つの瞑想が行われることが多いです。
サマタ瞑想は、瞑想の対象に意識を集中させ、対象と一体化することを目指します。
瞑想の対象はイロイロですが、基本は呼吸に意識を集中させます。
一方、ヴィパッサナー瞑想は観察瞑想といわれます。
呼吸に限らず、自分の体の感覚、目に見えるもの、聞こえるもの、自分の心など、ありとあらゆるものをただひたすら、あるがままに観察します。
テーラワーダではヴィパッサナー瞑想こそが悟りに至るための瞑想だといわれています。
サマタ瞑想はヴィパッサナーの準備的な瞑想とされています。
なので、基本的には最初にサマタ瞑想やって集中力を鍛え、その後ヴィパッサナー瞑想やる流れが多いです。
ヴィパッサナー瞑想には、様々なバリエーションがあり、同じヴィパッサナー瞑想という名前でも、中身はイロイロです。
その中でも、最もメジャーで世界的に広まっている瞑想法が2つあります。
ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想とマハーシ式ヴィパッサナー瞑想です。
ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想では、まず最初は呼吸に意識を集中させるサマタ瞑想をやり、集中力を鍛えます。
その後、自分の体の中に意識を向けて、頭のてっぺんから足先まで、くまなく全身の感覚を感じ取り、観察する瞑想をやります。
この瞑想は世界中に広まっていて、ヨーロッパやアメリカや日本でも習うことができます。
一方、マハーシ式ヴィパッサナー瞑想は、ラベリングという手法を使います。
自分の呼吸や体の感覚、心の動きを観察して、言葉でラベルしていきます。
例えば、息を吸ってお腹が膨らんだら、
膨らみ
と心のなかでつぶやき
息を吐いて縮んだら、
縮み
と心のなかでつぶやきます。
瞑想中に怒りが湧いてきたら
怒り
とラベリングします。
マハーシ式ヴィパッサナー瞑想も世界中に広まっていて、日本で習うこともできます。
テーラワーダ仏教では、前回記事でも紹介したように、とてもストイックに真面目に修行に取り組みます。
瞑想法もメソッドがきっちりと決まっていて、初めにこういうことをやって、その次にこういうことをやって、と手順がはっきりしています。
瞑想の理論もきっちりしています。
コツコツとひたすらストイックに瞑想修行に励み、時間をかけて煩悩をなくし、最後に悟りにいたる
という感じですね。
②大乗仏教
大乗仏教の瞑想といえば、日本では禅が有名ですね。
禅は5世紀ごろに中国で始まり、日本に伝わっています。
日本では曹洞宗と臨済宗という宗派があります。
禅は大乗仏教の瞑想なので、大乗仏教の思想が反映されています。
大乗仏教では、人はみな元から仏である という考えがあります。
また、全てのものには実体がない という空(くう)の教えもあります。
それらの影響だと思うのですが、
禅ではテーラワーダの瞑想のように、細かい手順がイロイロ決まっているというよりも
なにも目的を持たず、意図もせず、ただ姿勢を整えて、あるがままに座るだけである
という感じです。
これを、只管打坐(しかんたざ)といいます。
ただ座る、という意味です。
特に曹洞宗は只管打坐です。臨済宗はまた少し違うらしいですが、あまり私は詳しく知りません。スミマセン。
人は元々仏なのだから、あるがままで座っていれば、それはもう仏なのだ
瞑想中にアレコレ意図的にやってしまうと、かえってあるがままから遠ざかってしまう
ということだと思います。
この辺は人によって好みが分かれるところですね。
③チベット仏教
チベット仏教は、テーラワーダと大乗仏教と密教の3つがミックスされたものです。
チベット仏教の真髄は密教なのですが、日本にいると、密教の詳細情報に接する機会があまりありません。
なので密教の瞑想法は私もよくわかっていません。すみません(汗)。
マントラを唱えたり、仏の姿を思い浮かべたりといった、神秘的な瞑想をやるイメージがありますね。
密教以外だったら、私が習ったチベット仏教の瞑想では、テーラワーダと大乗仏教の瞑想が合わさったような内容でした。
テーラワーダほど厳密ではないけれど、大乗仏教の禅ほど何も手順がないわけではない。
最初は手順が決まっているけれど、やっていくうちに、最終的にはただ座るだけ(=只管打坐)に自然となっていくのだ
という教え方でしたね。
さて、仏教の歴史的な流れと、その瞑想法についてお話してきましたが、実は現代仏教でとても重要な、もう一つの流れについて説明していませんでした。
それはアメリカの仏教です。
ご存知のとおり、アメリカは基本的にキリスト教の国ですが、実は第二次世界大戦後に、かなり仏教が広まっているのです。
そのアメリカ仏教の流れで、今ブームになっているマインドフルネスが生まれています。
次回はこのアメリカ仏教の流れと、そこから生まれたマインドフルネスについてお話しします!
つづき↓
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