こんにちは。
いきなりですが、
自分がそこにいる、それだけで
その存在は、相手に影響を与えているし、
(良くも悪くもね)
そして、その存在を受け入れてもらえてることを、
相手から感じることが出来るって
すごく安心するし、心があたたかくなります。
人と人のつながりって、シンプルで
そこに、難しいことっていらないんだよね~
ってなことを、改めてしみじみ感じている、今日この頃です。
というのも、私自身に、そんな風に感じる出来事が、
たまたま続いたんですよね。
私、しばらく怪我をしていて、(足の小指折れた!)
週一回のテニスもこの1カ月半行けていなかったのですが、
先週からリハビリ的に、復活したのね🎾
そしたら、これまで一度もまともに話をしたことのない
メンバーさんとか、
いつもお隣のコートで同じ時間にテニスしている
顔しかしらないおっちゃんとか、おばちゃんとか、
これまで挨拶しかしなかった受付のお姉さんとかが、
次々に、
「どうしてたの?気になっていたよ~。どっか怪我した?」
って話しかけてきてくれたんですよ。
そのたんび、
「あ~、テニスで怪我じゃなくて、ドアに小指を・・・」
なんて、初めてお話をしたりして( ´艸`)。
私自身、誰にでも話しかけて
友達の輪を積極的に広げるようなタイプではないけれど、
こうして、自分の存在を気にかけてくれる人が
こんなに居たのか~っていうのが、なんか意外でもあり、
そして、そうやって気さくに話しかけてくれる方々の
あたたかさに、とっても安心感を覚えました。
こんな感じのエピソードが、ここ最近続いて、
(またボチボチ、ブログでも紹介しますね)
これは、私に何か大事なことを知らせてくれているような気が
勝手にしております
人って、何か優れているから、とか、お役に立てるからとかで
その存在が証明されるわけでも、
その人自身の価値が与えられるわけでもないんですよね。
存在しているだけで、勝手に周りに影響を与えているし、
存在自体が、互いに有難いものだったりすること
実はたーっくさん、無意識に受け取っているんだと思います。
ただ、そのことが、思い込みとか、情報とかによって
すごく見えづらくなって、感じ取れなくなっていることは
多いんじゃないかな・・・と思います。
それが積み重なって、見えないまま暴走すると
「はい。ストップ!!ちょっといい加減気付きましょうよ」
っていうことで、
ドカンとショックな出来事が起きたりするのかもしれません。
子どもが不登校になった!など、
失ってみて気づく…的なね。
だから、今、そのドカンの真ん中にいる方々も、
それは、終わりじゃなくって、
何か大事な事、見失っている事に気付く
貴重なドカンなのかもしれませんよ。
ちょっと今日は抽象的なお話になってしまったけれど、
何か必要な方に届きますように