なりすまし発生・アジアの真実コメント欄
まあ、別にscopedogという名自体、他に名乗っている人がおかしくないわけですが(実際、IZAの方に出没しているコメンタにいるみたい・・・、考え方は正反対のようですが)。
http://ameblo.jp/lancer1/entry-10052140697.html#cbox
「■無題
あはは!典型的なネトウヨですね。
間違った歴史認識を世に広げるのはどうかと思いますよ。
scopedog 2007-10-30 07:28:46 [コメント記入欄を表示] 」
こちらにコメントした人は、URLをうちのブログに張っていたので、とりあえず「なりすまし」と呼んで構わんでしょう。
一応宣言しておきますけど、このコメントは私が書いたものではありません。
証明しろといわれても証明できるものではないですが、逆に間違いなく私が書いたとも証明はできないはずですね。ハンドル名とURLを書き込むだけだから誰でもできるし。
大体ね、アジアの真実(以下「アジ真」)に対して「あはは!典型的なネトウヨですね。」なんて、そんなわかりきったこと今さら言いませんよ。
「アジ真」の当該エントリは基本的に書評であって、あまりどうこう突っ込むような物でもないのですが、一点だけ突っ込んでおきましょう(当該コメントにも書き込みますけど)。
「確かに売春宿はあったが、強制された従軍慰安婦などは一人もいなかったという事実や、日本が行った教育の中には、アメリカは決して行わなかった現地語(タガログ語)の教育があったという事実も伝えています。」
本の著者は、1930年生まれで日本軍占領時は、12歳~15歳くらいです。
さて、12歳~15歳の少年が、売春宿についてどれほどの知識を持っているでしょうか?ましてフィリピン各地に点在したであろう数多くの慰安所についてどうやって知識を得たのでしょうか?
この点について、「アジ真」の常連コメンタは誰一人それを不思議に思わないようです。
リテラシーがないなあ・・・。
笑えるコメント
■コメント14のブログ
コメント14のブログ見てきた。
一見まともな文に見えるが明らかに反日ってのだけ分かった。俺にはどこが間違いでどこが矛盾してるかわからない(勉強がまだ足りない)から誰か指摘という名の潰しに行って欲しい。
右側 2007-10-30 16:47:26 [コメント記入欄を表示]
「どこが間違いでどこが矛盾してるかわからない」なら、普通に勉強しろよ。なぜ「潰しに行って欲しい。」とかになるかなあ?
もう少し前向きな努力をすればいいのに。
ま、要は「真偽はわからないけど、結論がオレ好みではないから潰してしまえ」ということです。誰もこの発言を指摘していないことから類推すると、常連さんたちは皆似たり寄ったりなのでしょう。
この辺、いかにも実証的なことを重視しないネトウヨの性質が現れていて興味深いです。
実際、多数のコメントの中に事実に基づく意見というものはほとんど見受けられませんし。miraiさんの発言なんて、それこそ証言は証拠じゃない、というネトウヨ基準下ではただの落書きに過ぎませんしね。
この人たちは、「ネトウヨ」をレッテルだとか言ってるのですが、「どこが間違いでどこが矛盾してるかわからない」のに「反日」と決め付けることについては何の疑問も持っていないわけです。
どんだけ、ダブルスタンダードなんだよ、と。
あ、ちなみに私は具体的な指摘をする人に対してはネトウヨとは言ってないはずです。
エントリと関係ない与太を飛ばす人は問答無用でネトウヨ認定しますけど。あとは最初から挑発的なコメントとかもかな?
■連投失礼
>右側さん
あはは。
なんか貴重なモノを見てしまいましたね。ネトウヨ、韓日協約・・・ツッコミどころ満載じゃないですかw
さわりしか読んでませんが、日韓併合前のアメリカ外交顧問、スティーブン氏を『工作員』呼ばわりとはね。こりゃ面白いや。朝鮮を否定的な意見で述べるとピストルで撃たれても仕方ない、というのは一体どこの専制国家なんだかw
kinta 2007-10-30 21:39:34 [コメント記入欄を表示]
ホントに「さわりしか読んで」ないみたい。ちなみに「スティーブン”ス”」ね。この間違え方は「むー」さんと同じなのだが、ひょっとして同一人物かな?
で、スティーブンスを「工作員」とは書いていません。ロビー活動を行ったことを、ネトウヨ風に言えば「日本の宣伝工作に従事していた人」と表現しているだけですね。あとは「明治暗殺史」に「工作」と書かれているのを受けて「工作活動」と言っているくらいかな。
参照:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10052177902.html
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10053020694.html
大体、スティーブンスの紹介として「朝鮮の外交顧問であったアメリカ人」や「日韓併合前のアメリカ外交顧問」だけでは偏ってますわな。元々日本に20年も雇われてて、日清戦争で日本擁護をしたことは事実だし、韓国が望んで外交顧問にしたわけでもなく第一次日韓協約に基づく措置に過ぎないわけだし。
kintaさんもそれは否定できてないんですよね。具体的に否定できてないのに「ツッコミどころ満載」とか言う強がりはなかなか笑えます。
そもそも日本の韓国併合を擁護する文章を引用するに際し、発言者と日本との関係を記載しないのは、普通なら何らかの意図を感じさせるわけですよ。言ってみれば、利害関係者の発言を第3者の発言のように偽装しているようなものですから。
なんとも姑息な手段ですな。ネトウヨの常套手段ではありますが。
ところで捨て置けないのは「朝鮮を否定的な意見で述べるとピストルで撃たれても仕方ない、というのは一体どこの専制国家なんだかw」の部分。
私は下記いずれのエントリにおいてもこのような発言をしてません。
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10052177902.html
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10053020694.html
要するにkintaさんの捏造です。正直言って、読んでないにも程があります。
kintaさんは相手の発言を捏造した挙句、それを非難しています。悪質ですねえ。
こういう人はネトウヨと呼ばれても仕方ないでしょう(それを「尊敬してます」とか言っている人もね)。
そうでなければ絶望的なほど読解力が無いバカでしょうね。
これについて釈明が無い限り、以降「捏造kinta」と呼ぶことにします。
そんなこんなで、捏造kintaさんの釈明をお待ちしております。
その他
「志郎 2007-10-31 07:55:31」
「ぽてち 2007-10-31 08:07:37 」
この、傷を舐めあうようなコメントのやり取りが3倍泣かせますw。
「ネトウヨ、韓日協約・・・ツッコミどころ満載じゃないですかw」kinta 2007-10-30 21:28:36
「scopedogのブログですが、細かく調べているので、一理ある部分はある。しかし、私なら全体の論調を批判しようと思えばいくらでもできる。」める 2007-10-31 08:16:15
んーと、ツッコミできるけどやらないそうです。
奥ゆかしいなあ(棒読み)。
ネトウヨの論理
いや、まあ、この程度なのはよくわかった。
碧猫さんが遠征した先を見て、そこのコメント欄からとんで~、たどり着いたところ。
ツッコミ用例題としては、初心者レベルな感じ。
http://blog.auone.jp/magicalwordsbehindme/
多分、サヨママンは聞く耳持たないと思うけど、この事に関して反論できるのかなぁ(-_-?)
①沖縄決起集会の人数10倍増発表の事実について
★全く不思議でしょうがないのは、11万人説を疑うという姿勢をとる人が、なぜに1万人説を疑うということをしないのかという点。
ついでに、どのメディア(あの産経も含めて)も「主催者発表」として11万人と言っているのに、その点は無視する。
冷静な判断が出来るのなら、この判断基準がおかしいことはすぐわかるのだが、もう見えてないのだろうね。
②『証言』は『証拠』だとするならば、なかったと言う証言はどう思うのか?
★これも論理的思考が欠如していますね。集団自決のように、個々に起こった複数の事件を総体として扱う場合、(ある事件が)「あった」という証言も「なかった」という証言も論理的には、両立するんですね。そういう思考が出来ないんだろうな・・・。
しかもその証言は沖縄県民で、『軍の関与』があったことにしないと、『補助金』がもらえないという事実。
★「補助金」の話が出る前の証言の信憑性を疑う根拠にはならないですね。
ある日、朝日新聞や沖縄タイムズが来て、『あった』と証言してくださいと強要。また、他の住人にも、『軍の関与がないと言ったら、国の補助金がなくなる。あんたそれ責任とって払ってくれるのか』と言われていたこと。
★・・・ネットウヨク 見てきたように 嘘を言い
★「強要」「言われていた」って、証言じゃないの?ネトウヨ的にこの証言が信用できると考える根拠は何だろう?
また、『軍の関与』にしなければこの集団自決は、当時どの家の誰が強要したのかと、『住人どうし』の『犯人探し』が始まる…という嘉敷島の住人達の証言(しかも決起集会)には『そっとしておいて欲しい、もうこれを問題にするのはやめてほしい』と、参加していない事実。
★同上
②が捏造であるのなら、裁判は起きないでしょう?
★裁判起きる前から有罪・無罪を決めるわけにいかないと思いますけどね。
★この論法が許されるなら、南京事件や従軍慰安婦問題が捏造であるなら裁判は起きないよね?と言ったら納得するのかな?
赤松大尉の弟や、沖縄住人達が勇気をもって、『軍の強制はなかった』と真実を話した事実。
★「話した」・・・証言ですな。一体、証言を信じるのか信じないのか、どっちなのだ。
★信じる証言・信じない証言は、どこで線引きしているのか第三者には全く不明なネトウヨクオリティ。
★ま、線引きの基準は自分の主張に都合がいいかどうか、でしょうけど。
結局、サヨママンて、『真実』なんてどうでもいいんでしょ?
どうせ聞かないんでしょ?
★お言葉を謹んで、熨斗までつけてお返しいたします。
始めから『日本が日本軍が日本人が(サヨママンその他取り巻き連は、かやの外って考えでしょ)悪い』としたいんでしょ?
★熨斗の部分『日本が日本軍が日本人が何ひとつ悪くない、日本人の俺すげー』
革マル派が『琉球独立』なんて旗ふっちゃってたらしいケド…(そもそもあの決起集会に関係ないでしょ)
サヨママンは、奴らと同じで、単なる自分らのイデオロギーの為に、沖縄の軍関与による集団自決も、南京大逆殺も、従軍慰安婦問題も、(最近じゃあサイパンも)利用しているだけでしょう?
聞こえのいい、『平和』『反戦』なんて掲げて…
国家を揺るがすネタならすぐ飛びつくんでしょう(-д-) 、ペッ
★っていうか、集団自決や南京事件や従軍慰安婦問題を認めたら国家が揺るぐのかよ?どんだけもろいんだよ、日本は?
★実際、(不十分とは言え)それらを認めた上で戦後を過ごし、現在まで復興してきたわけだが。
★もし、ネトウヨなみな基準で認めてなければ、今ごろ北朝鮮だろうな・・・
平和な『今』から当時の戦争を語っている、想像力希薄な戯言にしか見えない記事でした。
★これ、本人の自戒にしか読めんな(苦笑)
★まさに、平和な「今」から、当時の集団自決を美化して想像しているわけで・・・
コメンタも笑えた。
カンタBeck at 2007/10/18 03:17
(前略)
あの反日サヨクオバサンが根拠としている、米軍の公文書ですが。アレを「発見」したという林教授という人物ですが、今係争中の、「集団自決訴訟」において、米軍の公文書を被告側証拠として提出しましたが、その意図的としかいいようがない誤訳を、原告側に木端微塵に論破されてます。
つまり、全く信用出来ない人間なんです。
林教授は。
公文書の一部だけを自分達の都合のいいようにねじ曲げるような人間なんて誰が信用するんでしょうね。
係争中の裁判の件といい、またまたの「新発見」といい、極めて米軍の戦時プロパガンダ臭濃厚な公文書を、疑いもせず、あれをもって日本軍の強制があったなんていってますからね。
(後略)
★あのう、教科書審議官が検定で記述を削除したときの証拠として使ったのがまさに林教授の研究なんですけどね・・・
★で、その研究の「一部だけを自分達の都合のいいようにねじ曲げ」た結果、日本軍の強制性が削除されたわけですね。
★少しでも、今回の教科書検定の問題を知っていたら、上記コメントは出来ないと思うんだが・・・。
D.W.スティーブンス補足
「明治暗殺史 反権力とテロリズム」(森川哲郎、1969、三一新書)には、スティーブンス暗殺について以下のような記述がありました。
「親日米人スチーブンス射殺事件
伊藤の対韓政策に呼応しておどった親日米人がいた。
スチーブンス(D.W.Stevens)である。第一次韓日協約(1904年)の後、韓国政府の顧問となったのだが、彼は朝鮮を中傷する逆宣伝を行い、韓国人から憎悪されていた。
伊藤は、朝鮮人民の反抗激化に伴う国際世論の悪化を恐れて、スチーブンスを瑕疵帰国させて、米国内における工作をさせようとした。
スチーブンスは、1908年サンフランシスコに上陸し、次のような声明を新聞記者たちに対して行った。
「朝鮮の王室と政府は腐敗堕落し、人民は愚昧に過ぎる。むしろ進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させる方が賢明である」
彼は、この後ワシントンに向かうため、オークランド停車場に姿を現したとき、朝鮮の志士田明雲、張仁俊にピストルで射殺された。明治41年3月23日のことであった。」
要するに、スティーブンスは明らかに日本の対韓政策を後押しする工作活動を行っていた、という内容です。
にもかかわらず、ネトウヨは引用に際し「朝鮮の外交顧問であったアメリカ人」などと書くわけです。
姑息と言うか、それともコピペ元以外に何も調べていないのか・・・
怪文書が好きなネトウヨ(GTラッド+DWスティーブンス編)
今回はこの二人。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=68204&servcode=700§code=730&p_no=&comment_gr=article_68204&pn=3
ニューヨークタイムズ(1908年4月5日号)】ジョージ・トランブル・ラッド博士「閔妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ」
http://chiba.cool.ne.jp/masaakihamada/janphadoyou.htm
参考資料 : アメリカ人宣教師 ラッド博士
『韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代にに進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において三年間に二倍の進歩を遂げた』
参考資料 : 朝鮮の外交顧問であったアメリカ人 ドーハム・スティーブンス
『朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財宝を略奪している。そのうえ、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう。伊藤統監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。』
ジョージ・トランブル・ラッド(George Trumbull Ladd, 1842/1/19-1921/8/8)とドーハム・ホワイト・スティーブンス(Durham White Stevens, 1851/2/1-1908/3/25)です。いずれもアメリカ人です。
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Trumbull_Ladd
ラッドは心理学者であり哲学者、宣教師ではないと思うのだけど・・・。
日本へは、1892年、1899年、1906年~1907年と講義に来ています。
最初の
『韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代にに進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において三年間に二倍の進歩を遂げた』
は、多分、「In Korea with Marquis Ito (1908) 」だろうと思われる。
ラッドは、もともと欧米人として来ているので、朝鮮・韓国が植民地化されることに特に反対はしていない様子。それに日本は、欧米の帝国主義・植民地化のやり方を非常に忠実に再現しているわけで、そういった手法で朝鮮・韓国が植民地化されていくのは、欧米人一般には望ましいことだったでしょうね。
ところで本来なら、アジア太平洋戦争を日本による植民地解放戦争だったなどと主張するネトウヨは、19世紀末から20世紀初頭の日本の帝国主義的外交を非難すべきなのですが、論理的整合性皆無ご都合主義で生きているネトウヨはそんなことはしません。
さて、もう一つ。
「閔妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ」
これはトリミング気味ですが、それについては後述。その前にこの記事のタイトルを見てみましょう。
1908年4月5日New York Times記事(NYTサイトのアーカイブで原本PDFが参照できます)。
「MARQUIS ITO'S RULE IN KOREA
Foreigners in Buisness There Amply Satisfied with Protectorate.
A DEFENSE BY DR. LADD」
訳すと、
「伊藤公の韓国支配
現地の外国人ビジネスマンは保護国化に十分満足している
LADD博士による弁明」
ですかね。
閔妃と大院君の権力闘争は、さながら幕末日本のような状況だったわけですが、そりゃ外国商人にとってそれが望ましくないのはおかしなことではありません。商売するには治安がある程度安定していないと困りますからね。
だから、韓国で商売をしている外国商人は、日本による韓国保護国化を歓迎したわけです。そこに韓国人の視点に対する考慮はありません。
ちなみに、閔妃は日清戦争後の1895年10月8日に暗殺されており、これには日本政府の三浦公使が関与しています。隣国の王族殺害に関与した三浦公使は治外法権により、朝鮮で裁かれることもなく日本に帰国し、一応裁判にかけられますが、免訴となり釈放されています。釈放された時、大衆は喝采して出迎えたそうです。
ネトウヨは伊藤博文を暗殺した安重根を英雄視する韓国を揶揄するわけですが、公使でありながら隣国王族暗殺の黒幕であった人物に喝采する日本には何も言いません。ま、ネトウヨはダブルスタンダードで構成されているので今さらですが。
さて、当該記事の原文段落は以下の通りです。
The attribution of the murder of the late Queen to Japanese Soldiers has this element of truth in it, that Gen. Miura was privy to the plan, and that certain Japanese soshi assisted the Korean soldiers. But this royal woman, who was, although brilliant, one of the most cruel that ever disgraced even a Korean throne, had been for years in conflict with the Tai Won Kun, the Emperor's father; and during all these years, murder of each other's party had been the almost annual exchange of compliments between the two. The same disgraced of history is shown when it is implied that the Koreans have received all foreigners with open arms, including American missonaries, and have given them every protection and open opportunity. On the contrary, it was only under Japanese influences that Korea was formally opened at all: and even as late as the time of the Boxer uprising in China, the Emperor's favorite, Yi Yong ik, was detected in a plot to kill all the foreigners in Korea; and after the exposure of this plot, he did not suffer in the Emperor's favor. His hold upon his Majesty was explained by one of the best missionary friends Korea ever had, by saying that Yi Yong-ik gave a larger percentage of plunder than did others to his royal master.
ここもちゃんと示されている引用もありますが、今回参照したサイトではトリミングされていたのでちゃんと出しておきましょう。
「The attribution of the murder of the late Queen to Japanese Soldiers has this element of truth in it, that Gen. Miura was privy to the plan, and that certain Japanese soshi assisted the Korean soldiers.」
訳すと「閔妃暗殺に日本が関与したと言うのは、三浦将軍がこの計画に関与したこと、日本人壮士が韓国兵に協力したことから、真実と言える部分がある。」です。先の引用からラッドはかなり日本びいきであることは伺えますが、その彼にしても閔妃暗殺への日本公使の関与は否定できなかったわけです。
その代わり、ラッドは日本擁護の言い訳をします。それが「But this royal woman, who was, although brilliant, one of the most cruel that ever disgraced even a Korean throne, had been for years in conflict with the Tai Won Kun, the Emperor's father; and during all these years, murder of each other's party had been the almost annual exchange of compliments between the two.」この部分です。
「しかし、この王妃は聡明だったが、不名誉なことに今までの朝鮮王室において最も残酷な人物の一人として知られている。彼女は長年国王の父である大院君と争い、この間互いの派閥間での殺人がまるで年頭挨拶のように行われていた。」
これが事実に反すると言うわけではないでしょうが、前文からの続きであることを見ると、日本政府の王妃暗殺関与に対する言い訳の観が否めませんね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Durham_Stevens
スティーブンスは外交官で、1883年に日本外務省に雇われます。1884年には井上馨に同行してソウルでの日本人市民殺害に関連した交渉を補佐し(甲申政変にからむと思われる)、さらに陸奥宗光の下で日本・メキシコ間の条約事務に関わっています。日清戦争では、アメリカで日本擁護の記事を書いてます。つまり、日本のロビー活動を請け負っていたわけです。こういった働きを買われ、日本からは数度勲章をもらってます。
韓国の外交顧問となったのは日露戦争中の1904年11月、つまり第一次日韓協約(1904/8)にある「韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ外部ニ傭聘シ外交ニ関スル要務ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ」に順じた措置です。
「外国人」と言いながら、明らかに日本寄りの人物であるスティーブンスが推薦されたわけです。韓国国家褒勲処によると、スティーブンスは公式には韓国政府雇いでありながら、アメリカ人に対する日本のプロパガンダに従事するという条件で日本政府から多額の資金を得ていたそうです。
スティーブンスには次のような逸話が残っています。
1906年にスティーブンスは、在朝鮮日本人の木内重四郎と賭けをした。
賭けの内容は、「日本が韓国を併合するまでにどのくらいかかるか」というもの。
3年もあれば十分という木内に対して、スティーブンスは5年かかると予想した。
その後の歴史は、スティーブンスの予想が正しかったことを示しているが、スティーブンスはそれを見ることなく暗殺された。
1908年に韓国人テロリストによってスティーブンスは暗殺されます。実際にスティーブンスが韓国併合への動きに果たした役割は大きかったと言えるでしょう。
それを踏まえてこの発言を見てみます。
「朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財宝を略奪している。そのうえ、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう。伊藤統監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。」
伊藤博文が韓国統監になったのは1906年3月で1909年6月に退任しています。また、スティーブンスは1908年3月に暗殺されていることから、当該発言は1906年3月以降1908年3月までの2年間に絞られますが、ソース記事がどこかはわかりませんでした。あるいは”North American Review”かも知れませんが、1901年以降のアーカイブが見つけられなかったので何とも言えません。
(ちなみに1900年以前のアーカイブはこちら)
http://cdl.library.cornell.edu/moa/browse.journals/nora.html
(ここの1894年9月号にスティーブンスの日清戦争での日本擁護論が載ってます)
ま、いずれにせよ、1883年に日本に雇われて以降、日本のロビー活動、ネトウヨ風に言っているなら日本の宣伝工作に従事していた人なので、上記発言を単に朝鮮政府に雇われた第三国人の意見と見るわけには行かないでしょうね。
韓国に対する賠償問題を語るときの詐術
ネトウヨらが韓国に対する賠償は済んだ、などという主張がネットではよく聞かれます。
これは、ある意味正しく、ある意味間違いです。
端的に言えば、日本は韓国に対して「賠償」は行ってません。日本はあくまでも「独立祝賀金と途上国支援」として国内に説明しています。(韓国側(第三共和国・朴正熙政権)は賠償金と経済協力として国内に説明している。つまり、互いに面子を立てるためのレトリック。)
一方で、この「独立祝賀金と途上国支援」を機に賠償請求権問題は、基本的になくなります。
「日韓請求権並びに経済協力協定」1965年
「 第二条
1 両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。 」
独立祝賀金(賠償金):3億ドル
途上国支援(経済協力):2億ドル
さて、明確に対応付けられているわけではないでしょうけど、賠償に該当するのは独立祝賀金なのは間違いないでしょう。
すると、問題は「独立祝賀金」(賠償金)の3億ドルですが、これ一遍にお金が渡されたわけじゃないです。
「日韓請求権並びに経済協力協定」の第一条には次のようにあります。
「(a)現在において千八十億円(一◯八,◯◯◯,◯◯◯,◯◯◯円)に換算される三億合衆国ドル(三◯◯,◯◯◯,◯◯◯ドル)に等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を,この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする」
つまり、10年間の分割払いで、金ではなく「日本国の生産物及び日本人の役務」なわけです(内容は、韓国政府の要望に対し、両国政府の協議で決定する「第一議定書」)。
10年後の1975年、日本外務省は次のように公表しました。
「二,(1)無償経済協力三億ドルについては,わが国の債権である清算勘定残高(約四,五七三万ドル)が,この無償資金の一部と相殺されたため,わが国から韓国に対して供与された日本国の生産物及び日本人の役務は,約二億五,四二七万ドル(約八六三億円)であった。
(2)無償経済協力による主な供与品目及びその金額は次の通りである。
(イ)政府部門関係資本財 四一五億円
(農業用水開発・旱害対策事業用機材,農業機械化促進用機材等農業増産用機材,水産振興・漁船建造用機材,科学実験実習用機材,総合製鉄所建設用機材など)
(ロ)民間部門関係原資材,機械類 四四八億円
(繊維品,建設資材,肥料,化学薬品,繊維機械など) 」
この辺疑問ですが、現時点の自分の理解を述べると、
本来ならこれらの「独立祝賀金」から韓国政府は従軍慰安婦などの被害者救済にあてるべきだったかも知れませんが、1975年の時点では従軍慰安婦の実態は明らかになっていません。明らかになっていないのに「日本国の生産物及び日本人の役務」を充当することはできません。
また、「第一議定書」では、
「 第一条
日本国が供与する生産物及び役務を定める年度実施計画(以下「実施計画」という。)は、大韓民国政府により作成され、両締約国政府間の協議により決定されるものとする。
第二条
1 日本国が供与する生産物は、資本財及び両政府が合意するその他の生産物とする。 」
のように、韓国がどう使うかについて日本政府が関与できるようになってます。
例えばこういう意見があります。
http://photo.jijisama.org/compensation.html
「民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で死亡したものの遺族への補償に使いましたが、大部分を道路やダム・工場の建設など国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げました。韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、全国民が豊かになることを選び、それが成功したのです。そして韓国のとったこの行動は韓国自身が決めたことですから、出した日本がその使い道にあれこれ言うことはできません。」
しかし、第一議定書によれば、「日本がその使い道にあれこれ言うことは」「両締約国政府間の協議」を通じて出来たわけです。
日本に韓国の戦争犠牲者に対する補償の意図があるなら、そこで言えた筈ですがそういう話は聞きません(議事録が公開されいるかどうか・・・)。
ちなみに(有償・無償合計の5億ドルが)「韓国の国家予算の1.45倍」(国家予算は3.5億ドル)と言いますが、10年分割であることは認識しておくべきでしょう(単純計算で年間5000万ドル、韓国国家予算の7分の1)。なお、1970年(1965年と1975年の中間)の日本の国家予算は、約8兆2億円(230億ドル)です。また、1965年の日本の防衛費は3000億円(8.4億ドル)ありました。
ちなみに2、日清戦争の講和条約(下関条約)での清国が日本に払うべき賠償金は約3億円で3年分割、当時の日本政府の国家予算は約8000万円でした。(つまり、国家予算の約4倍)年間で計算しても、年間1億円、国家予算の1.25倍です。
http://photo.jijisama.org/compensation.html
「ですから現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らなければなりませんし、私たち日本人も貧しかった中で、一生懸命働いて賠償要求に応じてきたという事実を知っておかなければなりません。」
年間防衛費の10分の1にも満たない支払を「一生懸命働いて賠償要求に応じてきた」と言えるかどうか・・・。
さらにちなみに、1965年の日本防衛費は上記約3000億円(8.4億ドル)でしたが、独立祝賀金(賠償金)支払終了の1975年には防衛費は約1兆3000億円(44億ドル:1ドル300円計算)に膨れ上がってます。10年間平均年増加率は16%です。当時の日本は最近の中国の軍拡に近い軍拡を行っていたわけです。
日本は「一生懸命働いて賠償要求に応じてきた」割には、軍拡にいそしんでいたわけですな。白々しいなあ。
http://photo.jijisama.org/compensation.html
「30~40年前に膨大な償いを課せられた60歳以上の人々は、これに反対するのは当然のことなのです。」
どの口からそんな台詞が出てくるのだろう?
さて、話を賠償請求に戻します。
「日韓請求権並びに経済協力協定」1965年によって、日韓間の「請求権に関する問題が(中略)完全かつ最終的に解決されたこと」になりました。
が、締結当時には明らかになっていなかった従軍慰安婦などの問題がその後明らかになってきたわけです。
ウィーン条約法条約は1969年で日本の加盟は1981年なので、日韓基本条約等にそのまま適用は出来ませんが、以下のような条文があります。
「第62条 事情の根本的な変化
1 条約の締結の時に存在していた事情につき生じた根本的な変化が当事国の予見しなかつたものである場合には、次の条件が満たされない限り、当該変化を条約の終了又は条約からの脱退の根拠として援用することができない。
(a) 当該事情の存在が条約に拘束されることについての当事国の同意の不可欠の基礎を成していたこと。
(b) 当該変化が、条約に基づき引き続き履行しなければならない義務の範囲を根本的に変更する効果を有するものであること。」
日韓交渉当時明らかでなかった請求権に関わる事情が、従軍慰安婦問題などで変化したという解釈は成り立ち得ます。なおかつ、この第62条の内容がウィーン条約以前に国際慣行として存在したことを証明できれば、韓国は「日韓請求権並びに経済協力協定」に拘束されることなく、日本に対する賠償請求交渉を再開できるのではないかな、と思えますがどうなんでしょうね(当然、交渉する場合、日本としてはアジア女性基金を考慮するように求めることができるでしょうから二重取りされることは、まずないでしょうね)。
こうして考えると、賠償が済んだのかどうか疑問になってきます。
最後に、賠償問題でのネトウヨの詐術は、ここです。
「昭和40(1965)年、日本と韓国は日韓基本条約を結び、日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払いました。そこで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて「両国民の間の請求権に関する問題が 完全かつ最終的に解決された」としたのです。」
まるで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄した上に賠償金まで支払ったかのように読めますが、ここは記載されていない重要事項があります。(日本が朝鮮に持っていた資産は合計47億ドル(702.56億円:1ドル=15円)と在外財産調査会が1947年12月に出されているが、講和前であり将来請求されるであろう賠償と相殺させるために高めに見積もっている可能性は否定できない。実際、在外財産調査会が参考にした朝鮮総督府終戦事務処理本部整理部の調査では「之が財産評価の多寡は、ひいては日本政府の連合国側に提供すべき賠償財産の多寡と直接関係ある」(「終戦前後に於ける朝鮮事情概要」山名酒善男 via 「検証日韓会談」高崎宗司、p6)との認識で調査されている)
それは、植民地時代に日本が韓国から持ち出した財産に対する請求を韓国も放棄している点です。韓国が1949年3月に作成した「対日賠償要求調書」によると、「現物返還要求」に該当する要求額は、
現物返還要求:約1041億円(「3」を除く)
1.金地金249633.19861kg(1g=405.1円) 約1011.2億円
2.銀地金 89112.20512kg(1g=24円計算(1973年相場を援用)) 約21.4億円
3.書籍、美術品、骨董品、地図原版 (換算不能)
4.船舶 8億1846万1700円
5.朝鮮銀行海外店舗動産不動産 832万746円
となっています(上記はあくまでも返還要求のみであり、損害賠償は別に試算されている)。
無論、日本の試算と同様に多めに見積もっている可能性はあるでしょうが、それを考慮しても
韓国側:返還要求1041億円+損害賠償
日本側:返還要求 702億円
となり、互いに財産放棄したとしても(それ自体韓国側の譲歩であるが)、なお韓国側には損害賠償の分が残ります。
「対日賠償要求調書」によれば、損害賠償分は314億円+400万ドルであり(当時1ドル=15円)、ドルに直すと約21億ドルです。
この分を「日韓請求権並びに経済協力協定」(1965年)により、韓国側は無償3億ドルまで譲歩したわけです。
それほど、日本が恩着せがましく言えるような内容ではないし、ある意味外務省や日韓交渉担当者は頑張ったといえるでしょう(頑張った方向性が正しいかどうかは別として)。
怪文書が好きなネトウヨ(ヘレン・ミアーズ編)
http://chiba.cool.ne.jp/masaakihamada/janphadoyou.htm
資料ヘレン・ミアーズ 「アメリカの鏡・日本」より
日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
韓国併合を正当化するネトウヨ主張で用いられる引用です。
引用部分そのものは確かに存在するので怪文書とは言えないかも知れませんが、かなり恣意的な引用には違いありません。
まず書いた人;ヘレン・ミアーズ(Helen Mears)
1900(1898?)-1989
アメリカ人で、中国・日本などの東洋について研究していた学者です。
「アメリカの鏡・日本(Mirror for Americans:JAPAN)」は1948年に執筆し、日本語版も新訳と抄訳版が出ています。今回は抄訳版(2005年初版)を参照しました。内容的には、当時、東京裁判、日本は占領中、中国は内戦中である中で、日本が行ってきた行為は欧米がやってきたことを真似しているに過ぎず、欧米にも責任はある、と主張しています。
「西洋列強はいま、日本を激しく糾弾している。日本が「凶暴で貪欲」であったことは明白な事実だが、だからといって、列強自身の責任は、彼らが思っているようには、免れることはできない。日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。それがよくわかっていたアジアの人々は、日本の進歩を非難と羨望の目で見ていた。」(P283-284)
これを見ればわかるように、ヘレン・ミアーズは別に日本を擁護しているわけではありません。むしろ、欧米側の一員として、欧米側にも自省すべき点があることを欧米に向かって主張していると言えるでしょう。
日本人が、日本には反省すべき点がある、と主張すると、日本のネトウヨらは「在日乙」とか「反日日本人」とか言うわけですが、ひょっとしたらアメリカのネトウヨらは、ヘレン・ミアーズに対して「在米乙」とか「反米米国人」とか言っているかも知れませんね。
ま、どっちも恥ずべきネトウヨであることに違いはありませんけど。
さて、引用部分です。2005年抄訳版ではこのように記載されてます。
「日本からみれば、この戦争(引用者註:日清戦争)は完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。日本は台湾と澎湖列島を割譲され、西洋の合弁会社が高利で中国に貸した賠償金で金本位制についた。日本は中国本土の遼東半島で大きな租借地を得ることになったが、ロシアが強く反対した。数年後、フランスとドイツに後押しされたロシアは中国との条約によってこの地域を領有した。」(P140)
この部分の前半を引用して、日本が韓国を併合したことは韓国人にとって良かった、日本は感謝されるべきで恨まれる覚えなどない、といういかにも精神的に成長してません、という未熟な認識をネトウヨは主張するのですが、ヘレン・ミアーズの立ち位置を考えれば、この認識が全く的外れであることがわかります。
つまり、日本の日清戦争・韓国併合に対して、それを承認したのも、そういうやり方を教えたのも、私たち欧米である、という認識であって、それは反省すべき点である、という考えです。もちろん、反省すべきである以上、日本の韓国併合が正しいなどという認識ではありません。
それは次の部分からも明らかです。
「いまになってみれば、日本が韓国を「奴隷化した」ことは明らかだ。日韓相互防衛のため、自国を併合してほしいと日本に要請した韓国皇帝の「請願」は侵略を糊塗するための法的擬制であることも明らかだ。」(P150-151)
この部分をネトウヨが引用することはまず絶対にないでしょうね。
韓国併合を(正しいと)認めているアメリカ人の代表として選んだヘレン・ミアーズが「日本が韓国を「奴隷化した」ことは明らかだ。」などと書いていることをネトウヨは認めたくないでしょうし、そもそもネトウヨの知能では、3行以上の文は理解できませんし。
- 抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21)/ヘレン ミアーズ
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怪文書が好きなネトウヨ(クロード・ファレール編)
http://www10.plala.or.jp/yosioka/syougen.htm
クロード・ファレール 「支那紀行」より
日本軍は驚嘆すべき冷静さを持していた。彼等は最も優秀なローマの警官の教える所を実行したのである。彼等は自動車にも死骸(大山勇夫海軍中尉と斎藤一等水兵)にも決して手を触れなかった。彼等は上海の支那人の市長及び英仏米の官憲を招致した。待つ間もなくその人々はやって来た。人々は事件の検証を行った。
中国兵が虐殺されて、百歩以上の距離の所に横たわっていた。しかし、その実地検証は、なんの異議もはさまれることなく、次のような事実を確認した。すなわち、この男は可愛そうにその同僚(中国兵)から自動拳銃によって、背後から、射撃されたのであって、その後、その日本人暗殺に対して争闘のような色彩を与える位置にひいて行かれたのであった。
これ、上海事変の直前、きっかけとなった大山事件についてよく引用される内容なのだが、調べてみるとどうもよくわからない。
クロード・ファレールという名の人物は実在するのだが、ネット検索でわかる範囲では、
Claude Farrère (Lyon, April 27, 1876 – Paris, June 21, 1957)
http://en.wikipedia.org/wiki/Claude_Farr%C3%A8re
この人物と思われる。
ただし、この人は作家なんですよね。イスタンブールやサイゴン、長崎などを舞台にしたエキゾチックな小説を書いたらしく、「幽霊船」とか「戦闘」とかが有名らしいけど、フランス文学でもやらない限りはあまりお目にはかからないのではないかなぁ。
1909年にフランスのゴンクール賞を受賞しているそうです(どんな賞かは知りません・・・、文学関連とは思いますが)。
ちなみに「戦闘」という小説では、日本軍人の妻として「みつこ」という女性が出て来るそうで、これが流行ったため、1919年にジャック・ゲラン(近代香水の父らしいです)が「ミツコ」という名を香水につけたそうです。
さて、問題は「支那紀行」なる本?をこの人が書いたかどうかです。第二次上海事変のあった1937年以降終戦までに書いた著作は以下の通りらしいですが(英語版WIKI)。
Visite aux Espagnols (1937)
Les forces spirituelles de l'Orient (1937)
Le grand drame de l'Asie (1938)
Les Imaginaires (1938)
La onzième heure (1940)
L'homme seul (1942)
Fern-Errol (1943)
La seconde porte (1945)
フランス語がわからないので、何とも言えませんが、「支那紀行」の原題に見えそうなのが
Les forces spirituelles de l'Orient (1937)
Le grand drame de l'Asie (1938)
くらいですかね。
あと、この人については、最近別の引用が出回ってます。
http://ch08016.kitaguni.tv/e185385.html
のコメント欄
日本の刺戟により朝鮮は富み且つ沃土と化した。その平野は耕作され、岡には森林が 植林されている。道路と鉄道とは網状に構成され釜山と鎮南浦さ申分なく整備せられているのである。
満州国においても同様な進歩が認められるが満州国は朝鮮の様に国が何処から何処ま で一変したというのではない。朝鮮では日本の開化事業が四十年前に始まり、三十年前に漸く一段落ついたのであるが、満州国では事業に着手してから、辛うじて七年に なるに過ぎない。しかしこの七年間に国の災厄であった匪賊を抑え、-この真偽については新京の数名のフランス宣教師に尋ねて見られるがよい-又他日沃土と化すべき 耕作可能地七、八十万方キロの四分の一を既に開拓したのである。最後に満州国に多い石炭、錫、マンガン、鉛、金、プラチナの鉱山は既に踏査され、熱心な活動により 既に採掘が始められているのである。又奉天には既に世界最新型の製鉄所がある。尚、日本は世界の共同利権を脅かした匪賊を絶滅したのであるから列国は日本の満州国の実権を握っていることを祝賀せねばならぬのである。
クロード・ファーレル著 森本武也訳「アジアの悲劇」
昭和15年6月15日発行 日光書院刊
これは、書名がはっきりしていて、古書店のデータにもあるので実在する本なのでしょう。内容の記述や翻訳がどうかは見てないし、フランス原文がわからないので何とも言えませんが。
この「アジアの悲劇」ですが、多分原題は
Le grand drame de l'Asie (1938)
ではないかと思います。「満州国では事業に着手してから、辛うじて七年になるに過ぎない。」から満洲事変1931年から7年であることは、出版年である1938年に一致しますし。
1940年訳であることから、ある程度は翻訳時の改竄を疑ってみる必要はあるかと思います。少なくとも日本に都合の悪い記述がカットされている可能性を否定できません(ヒトラーの「我が闘争」にある日本人蔑視部分が削除されたのは有名)。
とは言っても、引用部分の内容的にはフランスの文学者がアジアに旅行に来て、満州が日本の支配下になったおかげで旅行が楽にできるじゃないか、くらいの記述に過ぎませんけど(引用者は韓国・朝鮮批判の文脈で使ってますが、かなり的外れな気がします。)。
とにかく問題は、内容を追跡確認できないこと。
「アジアの悲劇(1940)」は国会図書館の蔵書にあるようですが、一般の図書館では見当たりませんでした。
「支那紀行」に至っては、本なのか記事なのか、何かの全集の中の記述なのかもわかりません。フランス文学全集で手当たり次第に探す以外に確認する方法が思い浮かびません。
前後にどんな文が続くのか、いつどういう状況下で書かれ、誰がどのような状況下で翻訳したのかがまるでわかりません。
本来なら、史料的価値の低い怪文書扱いでもいいくらいだと思います。大体、クロード・ファレルは小説家です。実録であるなどの注釈がなければ、フィクションかノンフィクションかすらわかりません。
デマを広げるのは簡単でも、デマがデマであることを検証するのは百倍以上の労力が必要だなあ、としみじみ思いました。
南京事件否定派の歴史認識
まあ、映画「南京の真実」掲示板に拠っている否定派を持って「否定派」をひとくくりにするのに抵抗を感じる人もいるでしょうが・・・(あんな低レベルな奴らと一緒にするな、と)。
しかし、他のところでも見かけるのだが、どうしてこう事実関係すら把握でなきないんだろう?
135 大虐殺って何ですか??
[48]肯定派へ
何故、日本軍は何の罪もない史那人を大量虐殺する必然性があったのでしょうか?根拠を教えてほしいですね。
それに、先に上海に中国軍が攻撃したわけです。たくさんの外国人がいる地域に。もちろん、日本人も住んでました。
それで上海事変があって、そのあとに盧溝橋で中共が発砲して
日史事変がおきて、南京事件へと発展するわけですが。
それなしに南京事件は語れません。
悪いのは全部中国軍です。いつも攻撃してきたのは相手側ですから、それに応戦したわけです。
なのに、便衣兵はともかく、30万人も疑って虐殺するなんて、ありえないです。ぶっちゃけ、殺してもなんの得もありませんから。逆に厳しく軍法会議で罰せされます。
松井石根大将は親中でしたから。
投稿者:凪桜 さん 日時:2007年10月2日 3:15
事件部分については、今さら突っ込むのも何なので飛ばしますが、問題はこの部分。
「先に上海に中国軍が攻撃したわけです。たくさんの外国人がいる地域に。もちろん、日本人も住んでました。
それで上海事変があって、そのあとに盧溝橋で中共が発砲して日史事変がおきて、南京事件へと発展するわけですが。」
文脈からすると、第二次上海事変を指していると思われますが、第二次上海事変勃発は1937年8月13日、盧溝橋事件は1937年7月7日、前後関係が逆です。
この程度の認識でどうこう言っても説得力皆無なんですよね。両方とも日中戦争関連では前後関係を間違うはずがないくらいの重要な歴史的事件ですし。
言い訳としては、「これは第一次上海事変を指しているんだあ!」が考えられますが、第一次上海事変勃発は満州事変継続中の1932年1月28日。原因は日本軍特務機関の謀略であったとされています(日本人居留民も相当煽ってますけどね、焼き討ちとかしたり)。
なので、今度は「先に上海に中国軍が攻撃した」が矛盾するわけです。
ま、そもそも文脈からは第二次上海事変としか取れませんけど。
「それなしに南京事件は語れません。」とありますが、このコメンタにはそもそも南京事件を語る能力はないと思われます。
それはそうと、特に否定派に多い気がするのですが(肯定派にもいるかも知れませんが)、第一次上海事変と第二次上海事変をごっちゃにしている人をたまに見かけます。
多いのが、第二次上海事変の中国軍側に第19路軍がいるという勘違い。これ、どっかに変なソースがあるのかもしれない。
http://godslounge.seesaa.net/article/22906978.html
の中の人が、参照した資料が間違っていたらしいですが、元資料は「シナ大陸の真相」かな?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4886561888/afittutemugen-22/ref=nosim/
展転社だからなあ・・・。
この他に、gooだったかyahooだったかの回答者にもそんな人がいたんだけど、どこか忘れた・・・
ちなみに第19路軍は、第一次上海事変後の1933年に福建省で福建事変(閩変)を起こし国民政府からの独立を図ってますが、協力者を得られずに、2ヶ月弱で蒋介石に鎮圧されてます。
この時に第19路軍は解隊されてますので、第二次上海事変の時には存在しません。軍長の蔡廷鍇も盧溝橋事件以後に国民政府軍事委員会の特任参議官として復帰してますが、11月に南京で交通事故に遭いしばらく療養しています。
「シナ大陸の真相」のアマゾンレビューはこんな感じ。
「何と言っても1938年2月に発刊されたというだけで貴重な本である。
歴史的な発掘といって良いのかもしれない。
この本はシナ事変勃発によって、当時、国際的非難を浴びていた日本を弁護することを趣旨としてイギリスで発刊された本であるため、「反日」的な人は、“何だか、日本に都合が良いように書かれていないか?”と思うのかもしれないが、何故、日本人がわざわざ日本に都合悪く「反日」的な歴史観を持たなくてはいけないのか?
「歴史問題」を外交カードに使い、日本を世界的に貶めようとしている中国・韓国といった国は都合良い・悪いの次元ではなく、嘘だろうが捏造だろうが関係のない、史実を完全に無視した虚言・妄言・暴言のごり押しである。
我々は、日本人らしく正当な史実を持って、正々堂々と彼らの虚言を論破して、国益を守るべきであろう。 」
えーと、要約すると、「中国や韓国を論破するために、日本に都合が良いように書かれた本を使ってよい」ってことですかね。それって「史実を完全に無視した虚言・妄言・暴言のごり押し」では?
「何だか、日本に都合が良いように書かれていないか?」と言う質問に対して、YESともNOとも答えず、「何故、日本人がわざわざ日本に都合悪く「反日」的な歴史観を持たなくてはいけないのか?」と返答を反らしているのに、最後は何の根拠もなく「日本人らしく正当な史実を持って」と言っている。
結局、「日本に都合が良いように書かれて」いるのか、いないのか、どっちなんだ。
ネトウヨにとっての世界は、自分の少ない脳で処理できる範囲でしかないらしい。
何かと言うと、「アベる」「アベする」の件。
ネトウヨ脳では、「朝日が捏造した」となっているらしい。理由は「聞いたことがない」「ネット検索で引っかからない」とか。なんというか、騒いでいるネトウヨが、どういう精神世界に住んでいるかよくわかりますね。彼らにとって、自分達の身の回りで聞いたことがなければ、かつ、ネット検索で見つからなければ、イコール存在しないこと、だということ。
大本の石原壮一郎のコラムでは「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ。そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」と表現されていて、「聞こえる」とある以上、別にネットでたくさん見かける、と言う意味でないことは日本語がわかれば容易に読み取れるはず。
しかしネトウヨにはわからない。彼らは、世界の全てのことはネットでわかる、と思い込んでいる救い難い低能なので。
そもそも統一協会安倍の突然の辞意表明は、テレビや新聞で大きく報道され、それがいかに無責任であるかと言う論調は、ネットを利用しない人たちを含め広く伝えられていたわけです。
そういうネットを利用しない人たちの間で、「アベする」「アベる」という表現が使われるのがそんなに不思議なことでしょうか?
安倍の辞任は2007年9月12日、問題の石原氏のコラムは2007年9月25日です。2週間弱ありますね。安倍辞任を揶揄して「アベする」「アベる」という表現がぽつぽつ使われていてもおかしくないです。
「聞いたことがない」なんてネトウヨに言われても、リアル社会での交友関係が著しく偏っていそうなネトウヨの周辺だけの話であまり参考にはならないですし。
でね、リアル社会でどうだったか、石原氏が実際どこで聞いたかまでは断言できませんけど、ネット上では多少見つかりました。
2007/9/13:http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2007/09/post_4c16.html
で「アベる」と言う表現
「「アベる」
意味→アベシンゾーのよに抱えていた仕事、責任をすべて放り投げてしまうこと。」
2007/9/14:http://d.hatena.ne.jp/gukky/20070914/1189721673
「地元放送局の局アナ、横山雄二 - Wikipediaさんの言。「早く辞めちゃうことをアベるって表現するようになるかも!」ってさ。」
ブログなので、日付を変更している可能性も皆無ではないでしょうが、その可能性は低そうに思います(意味ないし)。横山雄二アナがそういう発言したかどうかは、局の記録を調べればわかる気がしますが。
このほか、http://news.livedoor.com/article/detail/3324831/
でも言及されてますけど、2007/9/19には朝日新聞の「かたえくぼ」で「アベする」が紹介されているそうです。
2007/9/22には
http://kiku-gumi.air-nifty.com/zasshoko/2007/09/post_d6a9.html
で「アベる」という表現が使われてます。
「1.結論や決断を先延ばしにすること。
2.責任を途中で放棄すること。
「広辞苑」第6版
無粋を承知であえて補則しておくと、広辞苑の最新版は現在、第5版である。世の中には冗談の分からない人がいるので念のため。」
「アベる」であって「アベする」じゃない、とか言う人もいるかも知れませんが、話し言葉中で「アベっちゃおうかな」が「アベしちゃおうかな」に聞こえても不思議じゃないでしょ。
2007/9/24に統一協会安倍が辞任。
その翌日の2007/9/25、「アタシ、もうアベしちゃおうかな」コラム(石原壮一郎)が出るわけです。
さて、ここまでの状況で石原氏が捏造した、と言えるかというと、言えませんね。
安倍辞任9/12からコラム発表9/25までの間に、石原氏が「アベする」「アベる」という表現に複数回触れる可能性は十分あったでしょう。
捏造とか言うのは、ほとんど言いがかりですね。「ガンつけた」とかいって因縁つけてくるチンピラと同レベルですな。ネトウヨは。
ま、脳が著しく退化して、ネットと自分の周りしか世界として認識できてないわけですから無理もありませんが。
さて、そういう生態だと言ってしまうのもなんなので若干分析してみましょう。
なぜ、今回のネトウヨ因縁騒動が起こったかというと、こんな感じではないかと。
ネトウヨの精神状態の変遷
2006年10月~2007年3月:安倍マンセー状態
2007年4月:安倍、ブッシュに慰安婦について謝罪→ショボーン
2007年5月~7月:いろんな不祥事→盲目的に安倍マンセー状態(「陰謀だ」とか人のせいに)
2007年7月:参院選大敗→ショボーン
2007年8月~9月初頭:安倍改造内閣→もっと盲目的に安倍マンセー状態(再び陰謀論「マスコミの反自民キャンペーン」のせいに)
2007年9月:安倍改造内閣でまた不祥事→ポカーン
2007年9月12日:安倍辞任→唖然
なんか面白いように、ネトウヨの期待!→肩透かしの波状攻撃を食らってます。
(ちなみに、思い通りにいかない(慰安婦問題・参院選・閣内不祥事)のを、外部からの攻撃(中国韓国の陰謀・マスコミの陰謀・反日の陰謀)のせいにする、というのは、カルト集団が内部結束を強めるためによく使う手ではあります。)
で、この肩透かし波状攻撃は、ネトウヨの中に重度の安倍依存のストレスを高めさせていったことが想像されます。外部からの攻撃のせいにしてガス抜きをはかろうとしても、次々とガスがたまっていくので、なんかもう大変。
このストレスに最後の負荷がかけられます。
2007年9月12日後:次期自民党総裁、フロッピー麻生優勢→バンジャーイ
2007年9月23日:黒豹福田が総裁選で勝利→呆然
この時点で、ネトウヨには、たまりにたまったストレスがありました。ネトウヨは裏づけのない自尊心を守るため、この状況を誰かのせいにしようとします。
ここに現れたのが、石原氏のコラム(2007年9月25日)だったわけです。面白いことに朝日新聞は9月19日に既に「アベする」を紹介しているのに、それは叩かれていません。きっと総裁選の結果前だったからでしょう。ネトウヨは、麻生の逆転勝利という19日の時点で既にあり得ない夢を追っていたと思われます。
こんな感じで↓
「2ちゃんねるとネット右翼ウォッチング&その分析」
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/953f5ddfac6ffe1b982c8ea5cf03c960
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/1da1fc6017815c33ae9a3c5a44b6abf9
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/3e31bba8b126f05655473134074c2831
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/51ee6622366e87969c10d584e9e2a163
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/15bbdf27c88b9861a521c6a537d04e33
黒豹福田勝利で呆然としていたネトウヨにとって、石原氏のコラムはまるで救いの光のように見えたことでしょう。「叩ける奴が現れた、バンジャーイ!」てな感じで。
こうして、いっせいにイナゴ化して、襲い掛かっていったわけですね。
しかしまあ、コメント16000以上(http://news.livedoor.com/article/detail/3324831/ )とは、ネットイナゴ豊漁ですな。石原氏、大漁旗を掲げてもいいくらいです。
参照:http://bogusne.ws/article/22600355.html
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10037136705.html
まあ、そう読めるけどお
今、ニュースを見ていて、アナウンサーが上海の虹橋空港を「にじはしくうこう」と呼んでいたので、ちょっと唖然。
いや、まあ、そう読めますけどね。
「ほんちゃお」という言い方で聞きなれていたので、すっげー違和感感じたとか・・・。
調べたら、NHKでもそう呼んでたらしいですよ。
参照:21世紀中国総研 http://www.21ccs.jp/xz/xz_05.html
ここでも言っているとおり、せめて「こうきょう」くらいにして欲しいなあ。
ちなみに、日テレのニュースでした。
ニュースでは、日中国交正常化のために田中首相が降り立ったのがここだった、とか言及していた。
個人的には、第二次上海事変のきっかけになった大山事件が起きたのが、虹橋空港だったなあ、とか。
ある意味、日中関係の破綻と再生のきっかけになったところ、と言えるのかな。
ちなみに、今は国際線が浦東空港になってしまったので、虹橋空港は中国の国内線でしか使わないはず。