怪文書が好きなネトウヨ(GTラッド+DWスティーブンス編) | 誰かの妄想

怪文書が好きなネトウヨ(GTラッド+DWスティーブンス編)

今回はこの二人。


http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=68204&servcode=700&sectcode=730&p_no=&comment_gr=article_68204&pn=3
ニューヨークタイムズ(1908年4月5日号)】ジョージ・トランブル・ラッド博士「閔妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ」 


http://chiba.cool.ne.jp/masaakihamada/janphadoyou.htm
参考資料 : アメリカ人宣教師 ラッド博士
『韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代にに進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において三年間に二倍の進歩を遂げた』


参考資料 : 朝鮮の外交顧問であったアメリカ人 ドーハム・スティーブンス
『朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財宝を略奪している。そのうえ、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう。伊藤統監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。』



ジョージ・トランブル・ラッド(George Trumbull Ladd, 1842/1/19-1921/8/8)とドーハム・ホワイト・スティーブンス(Durham White Stevens, 1851/2/1-1908/3/25)です。いずれもアメリカ人です。


http://en.wikipedia.org/wiki/George_Trumbull_Ladd
ラッドは心理学者であり哲学者、宣教師ではないと思うのだけど・・・。
日本へは、1892年、1899年、1906年~1907年と講義に来ています。


最初の
『韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代にに進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において三年間に二倍の進歩を遂げた』
は、多分、「In Korea with Marquis Ito (1908) 」だろうと思われる。

ラッドは、もともと欧米人として来ているので、朝鮮・韓国が植民地化されることに特に反対はしていない様子。それに日本は、欧米の帝国主義・植民地化のやり方を非常に忠実に再現しているわけで、そういった手法で朝鮮・韓国が植民地化されていくのは、欧米人一般には望ましいことだったでしょうね。


ところで本来なら、アジア太平洋戦争を日本による植民地解放戦争だったなどと主張するネトウヨは、19世紀末から20世紀初頭の日本の帝国主義的外交を非難すべきなのですが、論理的整合性皆無ご都合主義で生きているネトウヨはそんなことはしません


さて、もう一つ。
「閔妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ」
これはトリミング気味ですが、それについては後述。その前にこの記事のタイトルを見てみましょう。

1908年4月5日New York Times記事(NYTサイトのアーカイブで原本PDFが参照できます)。
「MARQUIS ITO'S RULE IN KOREA
Foreigners in Buisness There Amply Satisfied with Protectorate.
A DEFENSE BY DR. LADD」

訳すと、
「伊藤公の韓国支配
現地の外国人ビジネスマンは保護国化に十分満足している
LADD博士による弁明」
ですかね。


閔妃と大院君の権力闘争は、さながら幕末日本のような状況だったわけですが、そりゃ外国商人にとってそれが望ましくないのはおかしなことではありません。商売するには治安がある程度安定していないと困りますからね。
だから、韓国で商売をしている外国商人は、日本による韓国保護国化を歓迎したわけです。そこに韓国人の視点に対する考慮はありません。


ちなみに、閔妃は日清戦争後の1895年10月8日に暗殺されており、これには日本政府の三浦公使が関与しています。隣国の王族殺害に関与した三浦公使は治外法権により、朝鮮で裁かれることもなく日本に帰国し、一応裁判にかけられますが、免訴となり釈放されています。釈放された時、大衆は喝采して出迎えたそうです。
ネトウヨは伊藤博文を暗殺した安重根を英雄視する韓国を揶揄するわけですが、公使でありながら隣国王族暗殺の黒幕であった人物に喝采する日本には何も言いません。ま、ネトウヨはダブルスタンダードで構成されているので今さらですが。


さて、当該記事の原文段落は以下の通りです。

The attribution of the murder of the late Queen to Japanese Soldiers has this element of truth in it, that Gen. Miura was privy to the plan, and that certain Japanese soshi assisted the Korean soldiers. But this royal woman, who was, although brilliant, one of the most cruel that ever disgraced even a Korean throne, had been for years in conflict with the Tai Won Kun, the Emperor's father; and during all these years, murder of each other's party had been the almost annual exchange of compliments between the two. The same disgraced of history is shown when it is implied that the Koreans have received all foreigners with open arms, including American missonaries, and have given them every protection and open opportunity. On the contrary, it was only under Japanese influences that Korea was formally opened at all: and even as late as the time of the Boxer uprising in China, the Emperor's favorite, Yi Yong ik, was detected in a plot to kill all the foreigners in Korea; and after the exposure of this plot, he did not suffer in the Emperor's favor. His hold upon his Majesty was explained by one of the best missionary friends Korea ever had, by saying that Yi Yong-ik gave a larger percentage of plunder than did others to his royal master.


ここもちゃんと示されている引用もありますが、今回参照したサイトではトリミングされていたのでちゃんと出しておきましょう。
「The attribution of the murder of the late Queen to Japanese Soldiers has this element of truth in it, that Gen. Miura was privy to the plan, and that certain Japanese soshi assisted the Korean soldiers.」

訳すと「閔妃暗殺に日本が関与したと言うのは、三浦将軍がこの計画に関与したこと、日本人壮士が韓国兵に協力したことから、真実と言える部分がある。」です。先の引用からラッドはかなり日本びいきであることは伺えますが、その彼にしても閔妃暗殺への日本公使の関与は否定できなかったわけです。


その代わり、ラッドは日本擁護の言い訳をします。それが「But this royal woman, who was, although brilliant, one of the most cruel that ever disgraced even a Korean throne, had been for years in conflict with the Tai Won Kun, the Emperor's father; and during all these years, murder of each other's party had been the almost annual exchange of compliments between the two.」この部分です。
「しかし、この王妃は聡明だったが、不名誉なことに今までの朝鮮王室において最も残酷な人物の一人として知られている。彼女は長年国王の父である大院君と争い、この間互いの派閥間での殺人がまるで年頭挨拶のように行われていた。」

これが事実に反すると言うわけではないでしょうが、前文からの続きであることを見ると、日本政府の王妃暗殺関与に対する言い訳の観が否めませんね



http://en.wikipedia.org/wiki/Durham_Stevens
スティーブンスは外交官で、1883年に日本外務省に雇われます。1884年には井上馨に同行してソウルでの日本人市民殺害に関連した交渉を補佐し(甲申政変にからむと思われる)、さらに陸奥宗光の下で日本・メキシコ間の条約事務に関わっています。日清戦争では、アメリカで日本擁護の記事を書いてます。つまり、日本のロビー活動を請け負っていたわけです。こういった働きを買われ、日本からは数度勲章をもらってます。
韓国の外交顧問となったのは日露戦争中の1904年11月、つまり第一次日韓協約(1904/8)にある「韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ外部ニ傭聘シ外交ニ関スル要務ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ」に順じた措置です。
「外国人」と言いながら、明らかに日本寄りの人物であるスティーブンスが推薦されたわけです。韓国国家褒勲処によると、スティーブンスは公式には韓国政府雇いでありながら、アメリカ人に対する日本のプロパガンダに従事するという条件で日本政府から多額の資金を得ていたそうです。


スティーブンスには次のような逸話が残っています。


1906年にスティーブンスは、在朝鮮日本人の木内重四郎と賭けをした。
賭けの内容は、「日本が韓国を併合するまでにどのくらいかかるか」というもの。
3年もあれば十分という木内に対して、スティーブンスは5年かかると予想した。
その後の歴史は、スティーブンスの予想が正しかったことを示しているが、スティーブンスはそれを見ることなく暗殺された。

1908年に韓国人テロリストによってスティーブンスは暗殺されます。実際にスティーブンスが韓国併合への動きに果たした役割は大きかったと言えるでしょう。


それを踏まえてこの発言を見てみます。
「朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財宝を略奪している。そのうえ、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう。伊藤統監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。」

伊藤博文が韓国統監になったのは1906年3月で1909年6月に退任しています。また、スティーブンスは1908年3月に暗殺されていることから、当該発言は1906年3月以降1908年3月までの2年間に絞られますが、ソース記事がどこかはわかりませんでした。あるいは”North American Review”かも知れませんが、1901年以降のアーカイブが見つけられなかったので何とも言えません。
(ちなみに1900年以前のアーカイブはこちら)
http://cdl.library.cornell.edu/moa/browse.journals/nora.html
(ここの1894年9月号にスティーブンスの日清戦争での日本擁護論が載ってます)

ま、いずれにせよ、1883年に日本に雇われて以降、日本のロビー活動、ネトウヨ風に言っているなら日本の宣伝工作に従事していた人なので、上記発言を単に朝鮮政府に雇われた第三国人の意見と見るわけには行かないでしょうね。